秋燈の月

木の葉が静かに舞い落ちる、幾重にも雲が折り重なった、ある冷え込む夜の事だった。音もなく落ちた紅葉は赤茶色のレンガに積もり、やがて風に吹かれて舞い上がる。

 そんな風情に包まれた、レンガ造りの街並みの一角。大通りに面した二階の部屋。暖炉の火に灯された窓辺から、外の様子を伺う一人の男がいた。

 くせのついた波打つ黒髪。見上げるほどに大柄な体躯に備わった切れ長の瞳は、仮面のような仏頂面と相まって、彼をよく知らない人間を畏怖させるには充分すぎるほどの気配を放っていた。男は何かの気配を察したように窓辺から外を伺うが、その顔に警戒心のような物はない。来訪者の当たりがついているのだろう。微かに漏れだす程度のため息を一度つくと、窓を押し開ける。

 開け放った瞬間、暖かな日向の下で嗅ぐような草花の匂いが彼の鼻を刺激した。秋燈の夜には不釣り合いなその香りを押し退けるようにして、彼は窓辺から身を乗り出し頭上を見上げた。

「こんな夜更けに、なんの用だ」

その問いかけに応えるように、彼の手に白く細い手が置かれた。空から舞い降りたであろうその女性のブロンドは月明かりに映え、現実の街には到底馴染まない存在に映る。

「用事が無くたって、淑女の来訪は歓迎されるものではなくて? 特にこんな、月夜の晩は」

 男はなにも言わず、わずかに顔をしかめた。もったいぶった言い方をされるほど、次に続く言葉がより面倒事に繋がる可能性が高いのだ。男が目配せを送ると、女性は窓辺に腰を降ろし、体の向きを反転させて室内へと降り立った。彼女の入室を確認したかのように、窓がひとりでに閉まる。

「とある少女の護衛を頼みたいの。私の頼みなら聞いてくれるでしょ?」

大げさな動作で椅子に腰かけた女性が、窓の外に視線を走らせる僅かな動作を男は見逃さなかった。飄々としながら、周囲を警戒しているようだ。

「お前の力で守られたこの国で護衛? 一体何から守るんだ」

「世界から」

 冗談めかした声色で応えた彼女は、年端もいかない少女のようにはにかんで見せた。男はその思惑を伺うようにしばし返事を躊躇うと、彼女は言葉を続けた。

「蒼の石を持ってるの。そしてその娘は、三つの兵器を無力化する力がある。国によって兵器の呼び方は違うけど、科学都市なら彼女をこう呼ぶでしょうね。対高次元兵器アンチ・オーバーユニット

 うちの国なら"神殺し"かしら? そう言って彼女は含んだように笑う。

「三大国に一つずつ存在する、人知を超えた兵器と、それに選ばれた適合者。その戦力が互いを牽制し合う事で、三大国の平和はかろうじて保たれている。それは決して揺らいではいけない、

 彼女は話しながら、自身の胸元を軽く握りしめた。国を背負う重圧が常にのしかかった半生を思えば、彼女が人並みの笑顔を作れる事が奇跡であった。あるいはその強固な精神すらも、適合者としての力の一端であったのかもしれない。

「四人目が現れたと?」

 前方で組んでいた腕を力なく解く。男の声には、驚きとも悲しみともつかない色が混じっていた。もしその話が本当だとしたら、何の罪もないであろうその子の存在は、世界の平和を脅かすものだからだ。

「わからない、あれは石そのものだった、兵器として加工されてない。それなのに石が自ら少女を守ったのよ。能力も未知数。でも、あの娘の存在が重要なのは確か。だから貴方が護ってあげて、

 雪のように白い肌を持つ彼女の真紅の瞳が、ファランと呼ばれたその男を見つめていた。適合者一人が国を一つ滅ぼせるほどの力を持っている。しかし力を扱えないとなれば話は別だ。もしもその存在が公になれば、他国は力を扱えない少女を必ず奪おうとするだろう。そして軍事的に利用される事は想像に難くない。

「あとそうだ、その子について重要な情報が……」

「なんだ?」

 あらゆる情報が足りていない今、ファランははやる気持ちを抑えて尋ねた。護衛対象がどこにいるのか、どこまで情報が回っているのか。聞きたい事は山ほどある。だがそんなファランの心情を知ってか知らずか、彼女はもったいぶったように口元に手を添え、神妙な面持ちでファランを見上げた。


「あのね……すっごく可愛い子だったから、手を出しちゃダメだよ」


魔導大国・シルフィードの若き王女にして適合者、ミリア・ナーバス・シルフィードは、そうしてはにかむように笑うのだった。


――――。


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