ファンタジー
あず
歌姫と王女
コミカルなキャラクターが何匹もプリントされたカーテンの隙間から、葉が赤く色づくこの季節に見合った柔らかな朝日が差し込んでいた。そんな穏やかで、爽やかな空気を切り裂くように、突如として甲高い金属音が鳴り響く。
黄や桃など綺麗に暖色系に統一された机や布団。そんな愛らしい家具たちの隅、布団の中からな動作で顔を出したのは鮮やかな青色の髪。次に出てきた華奢な腕が、音の主を探るように右に左にせわしなく動き出す。
「……んっ……む」
早く起きろ、早く起きろと呼び続ける小さな目覚まし時計。もう起きてるよ。早く止まらないと買い換えちゃうぞ。
そんなことを思案して、少女はゆっくりと布団から起き上がった。二度寝しないようにと、わざと離れた机の上に置いてそれが、今は煩わしくて仕方がない。
「ふぁ~~~~~……」
霞む目を軽く擦りながら、少女はしゃがみこんで優しく目覚まし時計のスイッチを切る。それと同時に習慣化した動作で縦横二十センチ程の白いテレビに電源を入れて、それから壁に手を付きながら、ゆっくりと洗面台のほうへと向かっていった。
寝ぼけ眼になりながら洗面台で歯ブラシをしていると、テレビが起動したときの妙な感覚が頭のあたりを撫でていく。それに続いて愛聴する朝のキャスターの声が、1Kのさして広くもないアパートの中に響き渡った。
『近代歴史の代表人物ともいえる、故人カイン・ブルーメイド博士。三大国の平和に大きな貢献を果たした彼は、しかしガルガンダに招致された際に忽然と姿を消し――――』
アナウンサーの声は、澄んだ朝の空気の中でよく響いた。朝の雑学コーナーだろうか、今日は歴史編ということらしい。
『の研究は神託の石のエネルギーの兵器的な利用を可能にし、現在その所有者は――』
「……あれ?」
頭の片隅に何かの引っ掛かりを覚えて、歯ブラシを咥えたまま踵を返した。部屋と廊下を隔てるヘリに片手をかけて、体重を預けながら首を傾ける。
それから瞳に映りこんだテロップと、慣れ親しんだ顔を見つけて、わずかに表情をほころばせた。
テレビの片隅の四角く区切られた枠の中に納まる、人のよさそうな中年男性。科学者らしくかけられた眼鏡越しに、子供のような純粋な瞳を浮かばせるその人は。
『当時、故人の死には科学都市テンペストの王家、リオフォル・チート・テンペスト氏も深く悲しみを』
口をゆすぎ、顔を洗って、服を着替えながらも耳はしっかりそばだててテレビに聞き入る。それからひったくるように鞄を拾い上げると、テレビの電源ボタンに指を添え、彼女は笑った。
「じゃあ行ってきます! お父さん」
家の玄関を勢いよく開け放ちながら、今起きたことを手持無沙汰に考えていた。父親の名前がテレビ番組に出てくるなんて今までなかったのだが、あったからといって特別な感動に包まれることはなかった。ただ希薄な実感と、わずかに物珍しいものを見た時のような興奮があるだけ。
テレビに出た科学者、名前はカイン・ブルーメイド。そして彼女の名前はマナティア・ブルーメイド。声を大にして言わなくとも、この二人が親子なのは明白だった。
マナアティアは小さく腕を振って勢いをつけると、歩道の縁石の上に飛び乗った。肩甲骨の辺りまで真っ直ぐに伸びた青色の髪が、同じ青色を基調としたワンピースタイプの制服と一緒に風に揺れる。朝の澄んだ空気の中で、レンガ造りの町並みは風情があふれていた。その穢れない新鮮な空気を通してみる青空。そこに浮かんだ大小様々な惑星の色と、町の中心に位置する、町全体の水源となっている巨大な噴水。どれもがどれも美しくて、侘しい。
家から出て真っ先に町の中で一番きれいな光景が見られる立地条件を、マナティアはうなるくらいに気に入っていた。
「……~♪」
のんきな鼻歌がご機嫌にはねては消えていく。レンガ造りの家々が立ち並ぶ住宅街を、謙虚な葉の広がりを見せる街路樹を眺めながら歩くマナティアの姿は人の目をよく引いた。それがマナティアの青色の髪と瞳が、身にまとった制服の色とあまりにマッチしているからか、それとも単に鼻歌交じりに歩いているのがいけないのか、彼女自身もよくわかっていない。
しばらくして、小さな街で一番の敷地を誇る広大な円形の建物が見えてきた。マナティアが制服に身を包んで向かっていたそこは、箱庭と呼ばれていた。箱庭とは教育機関。数学や別都市の文化、言語を学ぶ場所で、幼等部から高等部までがある。
教室の扉を開くと、喧騒が室内に満ちていた。時々聞こえてくる栓を切ったような笑い声と、この場所独特の活気に満ちた気だるい空気。ここは箱庭の一室。長く広い円卓上の机が反円を描くように並んで、雛壇のように下がりながら教卓へと向かっていく。
マナティアが適当な席を後ろのほうに見つけて腰を下ろすと、それを目ざとく見つけたクラスメイトの一人が子犬のように近寄ってきた。
「マナちゃんおはよ!」
自分をあだ名で呼ぶこの子は、クラスで一番に仲良くしてるリサだ。頭上で控えめに束ねられたツインテールは子犬のように見えて、その子はまさに小動物のような雰囲気を持った子だった。丸い小顔にアニメのような大きな瞳は、人形師が精巧に作りこんだお人形のように愛らしい。人形ほどではないが、実際リサの身長は驚くほど小さかった。
そんな小さなリサが隣の席にちょこんと座って、マナティアの長く明るい青の髪を指先で巻き取りながらいじりだした。
「おはよーリサ」
リサは二~三回巻き取った髪の毛を抜けないように引っ張ったりしながら、控えめなため息をつく。
「はぁ……良いなぁマナの髪、なんでこんなにきれいな色してんの?」
基本的にこの国の人たちは、毛髪の色は茶系が多い。マナティアは明るい青で、ライトブルーという毛色。
「良くないって! シャンプーも市販のやつ使えないんだから」
マナティアには、髪が青いからといって得した覚えはなかった。変に目立つだけだ。そして高名な貴族や王族に変色の髪が多いという事実から、疎ましい目で見られることもある。こんな片田舎の箱庭女子にそんな目を向ける暇があるなら、自分の地位を少しでも高くする努力でも続けてればいいのに。
「でもマナ、モテるじゃん」
ジト目でこちらを見つめるリサ。両親を二人共亡くして独り暮らし、悲劇のヒロインな彼女は確かによくモテた。
「本当に大好きな人にモテないと意味ないの! ……いやまぁいないけど」
「ふーん。ね、そんなことより聞いた? レミフルがこの国に来てるんだって!」
「れみふる?」
マナティアが鞄を開きながらきょとんと首を傾げた。途端にリサは信じられないと言った様子でツインテールを跳ねさせる。
「レミフル・エーデルフェルド!!知らないの!? 科学都市出身の歌姫だよ!いますっごく人気なんだから!」
科学都市テンペスト。この国から西方に位置する、科学技術の発展した国だ。三大国の一つとして数えられる大国であり、マナティアの住む魔導大国とは、比較的良好な関係を築いているという。
「王都で演奏するみたい!ね、誰でも聴きに行って良いんだって!ね、行こ?」
王都は王族の住まう王城とその城下町からなる、この国一番大きな街だ。王都までは定期的に馬車が通っていて、この町からは半刻ほどで行ける。今日は午前授業で終わりだし、リサの提案はマナティアの心を躍らせるものだった。
「終わってからでも間に合うかな?でも、良いね!私も聴いてみたい!」
朝から楽しみが出来ると、単調な授業が更に無味乾燥としてしまうのが難点だ。マナティアは一度この楽しみを頭の外に追いやると、扉を開けて入ってきた教授の寂しい頭に意識を集中した。
――――。
王都は高い壁に囲まれていて、東西南北に入口が四か所設置されている。だがその荘厳な佇まいとは裏腹に、門兵は気さくな笑顔を向けてくるし、訪れるのに特別な審査もなく、魔導大国が平和の国と呼ばれる所以を感じる事ができる。
二人が人の流れに沿って歩いていると、突如遠くの方から火が付いたような歓声が聞こえてきた。マナティアは思わず肩を震わせて、リサと目を見合わせる。
「もう始まってるみたい。いそげいそげ!」
二人が人混みを縫って歓声の方に向かうと、そこには開けた広場があり、最奥には簡素ながらも大きなステージが作られていた。ステージの頭上には魔導大国ではあまり見られない巨大な液晶ビジョンが設置され、主役が科学都市の歌姫である事を象徴しているようだった。人混みに隙間が無く上手く近寄れなかった二人がその液晶ビジョンを見上げると、ビジョンには一人の女性が写っていた。ステージの中央に置かれた簡素な椅子に、静かに腰掛ける華奢な人。
肩までまっすぐに流されたブロンド。涼しげな目元に、高圧的な表情とは対照的な小さめの口。黄色のローブを全身にゆったりと身に纏った女性の姿は、まるで絵本の世界から抜け出てきたように非現実的な美しさを漂わせていた。
そして彼女が手にした楽器が、更にその女性の神秘的な雰囲気を際立たせていた。緩やかな曲線を描き、細部に宝石の装飾が成された大きな金色の楽器。ピンと張られた弦はその一本一本が今にも切れてしまいそうなほどに細く、光に当たると華やかに輝く。
「……綺麗な人」
マナティアのため息交じりの声は、群衆に紛れて虚空に消えていく。彼女の姿を見てから数秒で、マナティアは彼らと同じ観客の一員と化していた。
ステージ上に腰掛けた女性はニコリとも笑わずに、身の丈ほどもあるハープを撫でていた。そして、レミフルがハープの弦に片手を添えた時、ステージの付近はまるで世界が変わったように静まりかえった。急速にテレビの音量をゼロにした時のような静寂が訪れる。
――――ポロン。
彼女の細く華奢な指が、調子を確かめるように弦を弾く。
心に、感情に、想いに、深く深く染み入るようなその透明感のある音は、ステージを風のように流れて空まで消えていった。
……スウッ…。
息を吸い、ハープの音色に乗せて、彼女は唄う。
誰に向けてでもなく、ただ想いを乗せて。
ほぎゃあ……ほぎゃあ……。その時、観客のどこかから聞こえてきたのは、幼い赤子の泣き声。何も分からない、何も知らない。そんな無垢な泣き声に、分かってはいても流れる僅かな不快感。
ただハープの鈍色の音だけが優しく響く空間に、焦燥した母親の声はよく響いた。間奏に入ったレミフルは、ハープを優しく弾く。弾きながら、申し訳なさそうにうつむく母親に視線を向けた。
そして、無表情だった目や口をほどいて、優しく微笑みかけた。その直後に聞こえてきたのは、赤子の無邪気な笑い声。
何が悲しくて泣いていたのか、そんな事も忘れたように笑う赤子の声を聞きながら。レミフルの普段からは全く見せない笑顔に、僅かなどよめきが会場を包んでいた。
「ま……マナ。ねぇ、それどうしたの…?」
リサの困惑したような声が聞こえてきて、マナティアは思わずはっと正気に戻った。リサの方向き、その視線を追うと、マナティアの胸元が青く光っていた。
「え?え?なにこれ!」
マナティアは焦ったように胸元をバタバタと叩くと、続いて首元に手を差し入れた。チェーンに繋がれたそれは、青色の小さな宝石。服の外に出された青く光る宝石に、周りの人間の視線が集まる。マナティアはそれに焦って両手でそれを覆った。
「リサ、ごめん。ここで待ってて」
とにかくここでは色々と不味い。そう思い会場から離れるマナティア。その背中を、ステージ上のレミフルは静かに見つめていた。
───。
はぁ……はぁ…。人目につかない路地裏で再び両手を広げてみると、先ほどよりは大人しく、僅かに淡く光る宝石がそこにあった。
「なんなの…?これ。魔源が混じってるのかな。一体何に反応して……」
「そのネックレス。一体どこで手に入れたのかしら」
背後から聞こえた突然の声に、マナティアは肩を大きく震わせた。恐る恐る背後を振り返ると、そこには先程までステージ上で演奏をしていた歌姫の姿があった。金色のハープを背中に背負い、敵意も善意も無いような表情でマナティアを見やる。
「レミフルさん!?どうしてここに。演奏は?」
「質問の内容が理解出来なかった?それとも、耳が聞こえないのかしら? でも私の演奏会に来てたわよね」
彼女の小さな口から放たれたとは思えない乱暴な言葉に、マナティアは少し日和る。
「違っ、えっと……これは、お父さんが遺してくれた大切なモノで。ただの石だったんですけど、さっき急に光りだして……」
「父親の名前は?」
「……カイン・ブルーメイド」
その名を口にした瞬間、無表情だったレミフルは僅かに目を見開いた。少しの間、右下に視線を泳がせて何かしら思案すると、やがて背中に背負われたハープに手を添える。
「そう……じゃあ、貴女を殺さなくちゃ。本当に面倒だけど、唾を飛ばして文句を言う科学都市の馬鹿の顔を見る方が、よっぽど不快だしね」
産まれて十六年、寂しいながらも平和に暮らしてきたマナティアにとってそれは、始めて感じる明確な殺意だった。レミフルはハープを握ると、易々とそれを頭上へと振り上げた。
「え……うそ…」
それで殴るの…? マナティアがそうつぶやく前に、レミフルは力を込めてハープを振り下ろした。
───凄まじい衝撃音と振動を感じた。マナティアが咄嗟に閉じた瞼を恐る恐る開くと、そこには捲れあがった路地のタイルと、陥没した地面があった。
そして、マナティアを抱き寄せるようにして地面に膝をつく、白いドレスを着た女性。
「貴女……何者?」
まるで花畑にいるような匂いに包まれて、一瞬呆けていたマナティアに代わって、その女性はレミフルに問いかけた。
「アナタこそ……あぁ、その真紅の瞳、シルフィードの血ね」
レミフルは地面にクレーターを作ったハープを軽々と持ち上げると、ハラハラと落ちる埃を鬱陶しそうに払い落とす。
「魔導大国の王女・ミリアね。三ツの兵器の所有者が邪魔をするなんて。戦争でも起こすつもり?」
「それはこっちのセリフ! この娘はシルフィードの国民よ。それに、その力―――」
ミリア王女は言いかけて、はっと口を噤んだ。金色のハープが淡く輝くと、レミフルが虚空に片手を掲げ、そっと指先を上から下へと滑らせる。
「
その刹那、凄まじい衝撃音と共に2人の周囲の地面が陥没した。両脇の壁は何かに押し潰されるように削り取られ、街灯は折り畳まれて地面と一体化する。
「キャァアアアアア!!」
「……!?」
しかし、2人の身体にはなんの外傷もなかった。マナティアの胸元で青い宝石が輝くと、衝撃がそれを避けるように2人のいる場所を円形に逸れていた。
「……守っているのね。親の愛慕かしら……随分と歪んだ愛情だこと」
ハープの輝きが収まると、レミフルは2人に背を向けた。
「私に貴女は殺せないみたい。シルフィードの王女もいるし、もう辞めとくわ」
「待ちなさい!」
レミフルの事を数歩追いかけたミリアは、しかし諦めたようにその歩みを止めた。地面を見つめて大きなため息を吐くと、勢いよくマナティアの方へ振り返る。
「びっくりしたね。でも、無事で良かった!怪我してない?」
天真爛漫な笑顔を浮かべるその王女が、マナティアには年端もいかない少女のように見えたのだった。
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