美しすぎる磯田さんがとうとう落ちたらしい

aoiaoi

美しすぎる磯田さんがとうとう落ちたらしい

「——ごめんなさい。

 あなたの気持ち、本当に嬉しい。

 でも……あなたの想いは、受け止められない。


 近いうちに、また長期で入院しなければならなくて。……いつまたここへ来られるか、わからないの。

 ——あなたのことは、絶対に忘れない」



 夕暮れ近い、静かな図書館の窓際。

 途切れそうな声で、俺はそう囁く。


 すると——目の前のいかにもモテそうな男子高校生D Kは、じわっと目を潤ませながらガタッと席を立ち、振り返りもせずに足早に立ち去った。



 うおおっ!!

 すっげえあいつ!! マジになるとあんな顔すんだ!?

 目え真っ赤にしちゃって、あーかわいそっっ。

 いっつもチャラいあいつのあんな顔見たの、もしかして俺だけじゃん!!?



 瞳を潤ませ俯くふりをして、俺は心の中でそんなことを考える。

 また面白いもん見たよコレー。


 そんな満足感に思わず溢れる笑みを押し殺し、切なげな表情を作って顔を上げる。

 その途端、あちこちから自分に向けられている男子の熱い視線が、慌てて一斉に逸らされた。

 あーほんと気持ちいー。やめらんない。




 俺は、磯田希。

 嘘だ。本名、田中一馬。16歳、フツーのDKだ。


 磯田希というのは、女装時の俺の名前。

 磯田、ってのは……「ウソだ」を一文字いじったつもり。

 そして、のぞみ……ちょっと儚げで、いいじゃないか。俺好みの名前だ。



 俺は、学校ではスクールカーストの相当下位にいる。

 頭はまあ中程度だが……背は低い。メガネ。細くて貧弱な色白、運動苦手。「男」という括りに入れられている限り、「ダメだこりゃ」なやつだ。



 しかし……ある日、俺の中に怒りが点灯した。


 あまりにも短絡的にランクづけしようとする周囲の目。

 何が何でも自分を上位と思い込み、下のものを嘲笑いたくてたまらない連中。

 そういう奴らの下に甘んじているのが、どうにも悔しくなった。



 しかし。

 だからと言って、いきなり腕力がつけられるわけでもなく、成績をトップレベルにすることもできない。


 ……じゃ、どうする?

 どうしたら、あいつらをひっくり返してやれる?



 そこで、俺はとりあえず自分の見つけやすい長所を必死に拾い出してみた。



 んー。

 ……色白。きめの細かい肌。

 メガネを取れば、睫毛の長い黒目がちな瞳。

 顔のパーツも、形的にはどれも割と整ってる。

 すんなりと細く、余計な筋肉のない手足。

 華奢な骨格と顔の輪郭、肩や指。


 男的には、「どれもいらねーーー!!!」と絶叫したくなるヤツなのだが……。

 じゃ、いっそ「ひっくり返して」見たら……どうよ??




 この思いつきに、思わず俺はニヤリとした。







 俺は、女装のスキルを得るためにあらゆる情報と小道具を集めた。

 両親とも仕事で、夜遅くまで帰宅しない。こういう悪戯をするには最適な環境だ。

 幸い、美術は得意だ。自分自身を美しく飾るとは思いもしなかったけど……やってみたらこんなに面白いことはなかった。

 だって、マジで美少女に変身するから。鏡の前で変わって行く自分自身の変身っぷりに、俺は惚れ惚れした。


 男としては微妙だが——女子としては、どうやら俺は相当にハイクラスだ。

 明るいブラウンのカラーコンタクトを装着し、ナチュラルなアイメイクを施した、どこか猫っぽい瞳。

 滑らかに薄桃色の頬と唇。

 控えめにふくよかな胸を包む清楚なブラウス、品の良いフレアスカート。

 風になびく自然なロングのウィッグ、センスの良い靴や鞄——

 そうした完璧な装備で街に出た途端、道行く男子の群れが一斉に振り向いた。



 俺の目論見は想像以上に順調に進んでいるようだ。

 ざまみろ、俺を蔑んだ男どもめ。

 ほらよく見なさい、この美しさを!

 ひれ伏しなさい私の足元に!!!


 気づけば俺は、カーストの最上位にいる自信に満ち溢れた美JKになっていた。







 磯田希の居場所は、夕方の図書館の窓際の席。

 お嬢様女子高に通っているが、病弱で、入退院を繰り返している。

 ここで本を読んで過ごすことが、たった一つの楽しみ。

 恋人は作らないと心に決めている——こんな儚い自分のために、誰にも苦労や悲しみを味わわせたくないから。


 という設定にしてみた。



 ふふふ。儚げな美少女に告って断られるその悲しみを、いつも横柄なDKどもにじっくり味わわせてやるのだ。


 ボロが出ないようにそんなキャラクター像を自分自身にすり込む。

 喋る時の声色も研究した。地声を必死に隠したハスキーボイスは、思わしくない健康状態をむしろリアルに演出するようである。



 さあ、磯田希の完成だ。

 俺はいかにも儚げな美少女の足取りで図書館へと出陣した。









「磯田さん……俺じゃダメですか。

 俺、全力であなたを支えます。

 ——あなたの役に立ちたいんです。

 だから、あなたの側にいさせてください」


 今日も、目の前のDKが、悲しげに目を伏せながらぼそぼそとそんな健気なことを言う。


 こいつは、原口大輝。俺のクラスメイト。

 ガタイが良く、普段は無表情で、特に目立たず真面目なやつだ。

 目立たないけれど……努力家で、いつも静かに周囲に気を配り、穏やかで暖かい。


 カーストが近いせいもあるのか、俺はこいつのそんな所に仲間として好感を抱いている。



 こいつ——磯田に、本気なんだ。

 口下手なはずなのに……男の俺でも思わずぐっとくるような、そんな告白。

 やっぱり、本当いいやつなんだよな。



 そんな思いとは裏腹に、俺はこの場を上手く収めるために磯田希の台詞を口にしなければならない。



「——ごめんなさい。

 私が、辛いの。

 私なんかのために、あなたの大切な時間を無駄にして欲しくない。あなたが側にいてくれる程、私の胸は一層強く痛んで……耐えられないんです。

 ——これ以上、私を苦しめないで」



 その場凌ぎの、上っ面だけの、都合のいい逃げ口上。



「…………

 わかりました。

 すみません、あなたを苦しめてしまって。


 俺……あなたのこと、忘れません。

 どうか、ずっと元気でいてください。——これは、俺の願いです」



 原口が、痛みを堪えるように呟いたその言葉に——

 俺の胸は、鋭い剣でも突き刺さったようにぎゅうっと痛んだ。



 こんな男が、こういう表情で、絞り出すように自分の気持ちを伝えているのに。


 そんな痛いほどの思いを弄んで——


 てめえ、何様だ。




 俺はこの瞬間、磯田希を激しく罵っていた。

 そんな自分自身に、俺も驚いた。




「————」



「……あの、磯田さん?

 具合、悪いんですか?」



 俺の動揺を、原口は敏感に感じ取ったようだ。

 慌てたように、オロオロと俺の顔を覗き込む。




「……ごめんなさい。

 私……」



 掠れ声でやっと答え、俺は原口の心配そうな瞳を恐る恐る見つめた。




「い、磯田さんっ。

 もし、体調が大丈夫なら……

 これから、星を見に行きませんか?

 街の明るさに邪魔されずに、星のよく見える場所があるんです」


 磯田希の気持ちが自分に向けて微かに開いたことを感じたのだろうか。

 原口は、全身の勇気を振り絞るように、そう申し出た。




「…………」


 気づけば、俺はその言葉に黙って頷いていた。








 日も沈み、夜の闇に空が覆われた頃。

 図書館の側の公園で、俺と原口は待ち合わせた。


 原口は、自転車に乗って現れた。


「磯田さん……二人乗り、できますか」


「え……子供の頃、何度か乗ったことは……

 でも、大丈夫ですか?」


「歩くと遠いから……裏道選んで行きます。絶対怖い思いはさせません。

 あの……ぎゅっと掴まっててください。……嫌じゃなければ」


 原口は照れたように呟く。

 ほんと、こういうやつ。

 優しくて、照れ屋で、クソ真面目。



「——わかりました」


 俺の中の磯田希は、嬉しそうにそう答えた。





 静かな夜道を、原口の自転車は心地よく風を切った。



 15分ほど走っただろうか。

 着いたのは、街からひとつ森を隔てた、広い芝生の公園だった。

 原口の言った通り、周囲は木々に囲まれて余計な光がほぼ遮断されている。


 そして、頭上には驚くほど明るい星たちが輝いていた。




「……すごい……」



「綺麗ですよね」


 空を見上げる俺に、原口はまだ少し息の切れたまま、嬉しそうに呟く。




「……俺。

 嫌なことや、悲しいことがあった時……いつもここに来るんです」



「————」



「ほら。

 こうして、星や宇宙をずーっと見上げてると——

 自分がものすごくちっちゃいって、気づくでしょう?


 俺たちなんて、小さいんです。本当に。

 だから、そんな小さな体の中に押し込んでいる悩みや悲しみなんて……宇宙から見たら、本当に砂粒にもならない。


 砂粒にもならない、そんな苦しみに打ち負かされて、どうする?

 そんな気持ちになれるんです。


 何かが解決したわけではないけど——心の重さが、嘘みたいに軽くなる。


 難しいことなんて、そう簡単には解決できない。

 でも。

 心が軽くなる……って、それだけで幸せでしょう?」



 そう言うと、原口は静かに俺の方へ顔を向けた。




 ——きっと……

 原口は、磯田の心を推し量って、ここへ連れてきたのだろう。

 病弱で、自由に自分の人生を楽しむことのできない磯田に、こいつはこの広い夜空を見せたかったのだ。



「…………」


 思わず、瞳に熱いものが滲みそうになり——

 俺は星を見上げたまま、それが零れ出すのをごまかした。




 不意に、強い風が吹いた。

 磯田の長い髪がその風に靡く。



 原口は、そんな俺の横顔をじっと見つめていた。









 原口と星を見た、数日後。

 俺は、原口に磯田の話をすることに決めた。



 種明かしをするつもりはない。

 ただ——俺が磯田と知り合いだ、ということにして、あの夜の嬉しかった気持ちをあいつに伝えたいと思ったのだ。



「原口」

「おう、田中。なんだ?」


「——ちょっと、話があるんだ」


 昼休み、俺は原口を校舎の屋上へ呼び出した。




「なんだよ、話って?」


「いや。

 あのさ……」




「————」


 何となく言い澱みながら手すりに寄りかかる俺の横に来た原口は、その途端、呆然と俺を見つめた。



「……原口?」




「————

 磯田……さん……」




「……え?」


 そう唇を動かす原口に、俺はぎょっとした。



 なんで。

 なんで、まだ俺何も言ってないのに……



「——耳」


「……耳?」



「耳朶に——

 磯田さんと同じ黒子が————」



 俺はハッとして、思わず耳を覆った。




 ……あの時だ。


 星を見上げて——強い夜風に吹かれて髪が靡いた時。

 こいつは、俺の横顔をじっと見ていたのだ。



 バレた。


 そう思ってあいつの顔を見つめ返した瞬間——


 あいつは、両目からぶわあっと涙を噴き出した。




「————磯田さん……


 よかった。

 彼女が、苦しみの中にいるんじゃなくて————良かった」




 こいつの、思わず溢れたような言葉と、その涙に——

 俺の目にも、気づけば涙が溢れた。



「……原口。

 悪かった。

 お前を騙すようなことになって。——許してくれ」




 俺は、こういうことになった経緯を、全て原口に打ち明けた。









「……そうか」


 原口は、俺の話を全て聞き終えると、一言そう呟いた。



「本当にごめん。

 お前が、そこまで本気になるとか——少しも想像してなかった」



「…………いいよ。

 お前に、俺の恥ずかしいとこ全部見られたと思うと、ものすごく微妙だけどな」


 原口はそんな事を呟くと、肩を落とし気まずそうに俯く。



「……なあ。

 深く反省してるこの思いをお前に証明するために、俺はどうしたらいい?」



「……なら」


 その言葉に、原口はぐっと俺を見た。


「俺の希望、ひとつ聞いてくれるか」


「お!?ああいいとも!! さあなんでも言え!!」



「——磯田希さんと、付き合いたい」





「…………へ?」







 そんなわけで、俺は週末は相変わらず磯田希だ。


 そして、クラスメイトの原口と遊びに出かけている。

 ——あいつ的には「デート」という位置付けのようだが。



 やがて、あの磯田希をとうとう落としたとの噂が立ち、原口はスクールカーストを駆け上がり——

 俺は、相変わらず底辺をうろうろしている。



 でも、これでいいんだ。


 人を欺いて、嘲笑う。

 こんなことをしていた俺に降った罰だ。



 そして、俺は今思う。

 目の前のことを、とにかく自分なりに全力でやっていこうと。


 優越感が欲しくて小狡い方法に走るなんて、もう嫌だ。

 俺は俺のままで、ぶち当たる。

 そうでなければ、「俺」が生きている意味がない。




 こうして、何かひとつ階段を登ったような清々しい俺だったが——

 一つだけ、悩みが。



「なあ——今週も会えるか、磯田」

「だあああーーーーっっやめろ!!!磯田と呼ぶなっ!俺は田中だ!!!」

「ん、だって一緒だろ」

「頼む!頼むから俺と彼女を同一人物として見ないでくれ!!俺が死ぬ!!!!」

「——全く照れ屋さんだなお前は」


「………」



 俺を見る原口の目が、なぜか最近甘やかな熱を含んでいるような気がして——

 何だかものすごく心配なのだ、この先が。




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