エピローグ 終わりと始まり

〝災禍〟出現。


 その一報が臨時の世界会議でもたらされた後、各国の反応は素早かった。

 何しろ過去の出現記録を紐解けば、一つの例外もなく歴史に傷跡を残し、甚大なる被害を世にもたらす異常存在が相手だ。

 悠長に話し合いを続けていれば、その間にどこでどれほどの被害をもたらすのかわからない。迅速な対応が求められた。


 幸いにも、その認識は各国で共有されていた。おまけに、人族の勇者が〝災禍〟討伐の旗印となり、亜人種氏族の筆頭派閥であり歴史を重要視する耳長族──エルフや鬼人族──オーガも勇者に追従する動きを見せたことで、まとまりが早かったというのもある。

 そして何より、先行していた人族の王国騎士団が壊滅したとの連絡もあって、人族・亜人種連合討伐隊は第一報からわずか一週間足らずで、〝災禍〟が出現した深緑の迷宮に討伐部隊の主力──勇者たち一行を送り込むことができていた。


 ……だが。


「……なんだこれは?」


 たどり着いた深緑の迷宮。

 その名の由来は、通常の森よりも深く濃い植物に覆われ、昼間でも日の光が遮る樹木に空が覆われているからに他ならない。

 しかし、連合討伐隊が到着した深緑の迷宮は、その二つ名が偽りかと思えるほど荒涼と荒れ果てていた。

 迷宮の入口とされる場所に、草木が一本も生えていなかったのである。

 ここは迷宮だ。通常の森とは異なる。仮に何かしらの大規模破壊魔法が使われたとしても、一日も経てば元の鬱蒼とした森に戻るはずだ。

 しかし迷宮は、その本来持つべき驚異的な回復量を発揮しようとはせずに沈黙している。


「何か……妙ですわね」


 そう呟いたのは、かつて勇者とともに魔王へと挑んだ魔道士のエルフ、極致の魔女の二つ名を持つシトラス・ウィズレー・タイタニアだった。


「この状況を見れば、誰だって妙だと思うわな」


 シトラスの言葉を鼻先で笑い飛ばしたのは、人の体に獣の特徴を併せ持つ獣人であり、その突出した身体能力を駆使して勇者とともに魔王へと挑んだ武神にして拳聖の名をほしいままにするログ・アルミラーだった。


「そういうことではございませんわ。見た目こそ、この周辺だけ異常な状況になているように感じるかもしれませんが、迷宮そのものの魔素が希薄になっておりますの」

「そりゃ……つまり、どういうことだ?」


 首を傾げるログに、シトラスはやれやれと言わんばかりにため息をついた。

 獣人族──特に武闘派の連中は本能的なところに頼る者が多く、あまり考えることが得意ではない。思慮深いとされるエルフにしてみれば、少しは自分の頭で考えろと言いたくもあるのだろう。


「まるで迷宮そのものが活動を停止──いえ、眠っているような感じがいたしますのよ」


 それでも丁寧に教えてあげるところが、シトラスの人となりをよく表している。口調が少し高飛車だが、その反面、長命種ということもあって長く生きてるせいなのか面倒見がいいのだ。


「迷宮が眠っている……ねぇ。それもやっぱ、〝災禍〟出現の影響なのかね? 怪獣の姿もありゃしねえ」

「そうだとしても、それはそれで妙ですわ」

「あぁ?」

「その〝災禍〟の気配も感じられませんのよ」

「そりゃ本当か?」

「ええ。可能な範囲で探知してみましたけれど、〝災禍〟の姿はございませんわね」

「……もしかして、迷宮の防衛機能と〝災禍〟がやり合ったのか……?」


 ログはそんな推測を立てた。

 この深緑の迷宮に限らず、世界に五カ所存在しているどの迷宮にも、自己保全能力とも言うべき再生機能が備わっている。

 それは深く潜れば潜るほど顕著であり、外へ向かえば向かうほど弱くなるが、少なくとも迷宮内部で壁や地面を壊しても、深層部なら一瞬で、表層部でも一晩ほどで元に戻る。

 だから、この更地と化している迷宮入口付近の状況は本来ならあり得ず、復元する気配を見せないのは異常なのだ。

 ログは、その原因をそんな迷宮の復元機能と〝災禍〟の圧倒的な破壊行動がせめぎ合った結果なのではないかと推測を立てたのだ。


 しかしその考えは、半分正しく、半分間違っている。


 迷宮の休眠状態は、確かに〝災禍〟が出現したことが原因だ。しかしそれは、彼が考えているように〝災禍〟に怯えて機能を低下させているわけではない。

 どちらかと言うと、〝災禍〟という子を出産したことによって低下した体力を回復させる意味合いの方が強い。

 人間とて、子を産んだばかりの母親は著しい体力の消耗で、すぐに動くことはできないだろう。それが迷宮──パンデモニウムという規格外の怪物の出産ともなれば、体力回復に費やす時間も長くなる。

 ──と言うのが真相なのだが、この場にいる誰一人としてそんな迷宮と〝災禍〟の関係性を知る者はいない。

 唯一、状況を正しく見抜いて分析できるのは〝世界図鑑アカシックレコード〟を持つカンナだけなのだが、そんな彼女はここにいなかった。


「まぁ、なんでもいいけどよ」


 そしてログは、物事を深く考えたり細かいことを気にするのが苦手なタイプである。

 重要なのは、今ここに〝災禍〟がいない──ということだった。


「息せき切ってやってきたはいいが、当の〝災禍〟がいねぇとなると……どうする? 帰っていいのか?」


 その辺りの判断を下すのは、ログではない。

 今回の連合討伐隊の旗頭である勇者シヲリの役目だ。


「……全員──戦闘準備」


 そう告げて、シヲリが鞘から魔王を貫いた聖剣トリリオンを抜く。

 え? と、連合討伐隊の兵たちは疑問を抱き、共に魔王へと挑んだシトラスとログはシヲリが目を向ける方へと視線を動かした。

〝災禍〟どころか怪獣すら姿を消したと思われていた迷宮の中、佇んでいる人の影。

 その姿は、確かに人間だった。女であることもわかる。

 肉付きの良い体は必要最小限で隠す程度で留め、その上に羽織っているのはデスペラードベアと呼ばれる熊型怪獣の姿をそのまま残す毛皮だった。


 その姿は、まるで噂にのみ伝え聞くアマゾネスのようだ。

 しかし、その女はアマゾネスではない。


 毛皮や布きれの如き衣服で隠されていない肌は褐色であり、晒した毛髪は実りの時期の麦畑のような黄金色に光って見える。

 その身体的特徴に一致する種族は、ただ一種。


「魔族っ!?」


 兵の誰かがそう言った直後、魔族の女が動いた。

 放たれた矢のように、初速から驚異的な加速性を見せて迫るは、勇者シヲリ。

 しかし、魔族の女がシヲリと会敵することは叶わなかった。誰よりもいち早くシヲリの前に躍り出た小柄な剣士の刃に止められたからだ。

 ガギンッ! と金属が激しくぶつかり合う。剣士の乱入を即座に察した魔族の女が、両手に装着したガントレットで受け止めた音だった。


「……ほう」


 乱入した剣士を前に、魔族の女は視線を鋭くした。

 まだ子供のような幼い顔立ちに、男女の差が見ただけでは判断使い体つき。

 けれど、その容姿に騙されてはならない。

 その一見すれば幼子にも見える剣士こそ、勇者とともに魔王を倒した三人目の仲間、リュミエル・フェローだ。

 だが、そんなことよりも魔族の女が注目したのは、リュミエルの髪の色。

 くすんだような、鈍い青い髪の方だ。


「魔族の混血児か」


 答える代わりに、リュミエルは暴雨のような乱撃を繰り出した。

 上から下へ、下から右上、そして左、さらに右下へ振り抜きながら押し込んでいたかと思えば一歩引き、刺突を繰り出して、さらに魔族の女を後退させる。

 その流れるような剣戟は、騎士や冒険者の間で使われるような既存の剣技と一線を画すものだ。


 かつてリュミエルの技を見たカンナは、剣技ではなく剣術みたいだと言った。

 確かにリュミエルの太刀筋は、日本刀のような武器でこそ威力を発揮する。純粋な剣の勝負なら、シヲリをも上回る実力を秘めている。

 しかし、その実力をもってしても魔族の女を仕留めるには至らなかった。


「リュミーッ!」


 攻防を繰り広げるリュミエルと魔族の中へ、ログも加わる。

 伊達に魔王討伐の旅を続けた仲ではないらしく、息の合ったコンビネーションで魔族の女を攻め立てた。

 これで二対一。

 それも、付け焼き刃のコンビネーションではなく、実戦の中で長く研鑽を積んだ剣鬼と武神の連携だ。さしもの魔族の女も、防戦一方に陥った。

 さらに、そこへ。


「雷霆ッ!」


 空から大地へ一直線に注がれた稲妻の柱が、魔族の女を貫いた。

 前衛二人が敵を引き付け、極致の魔女の魔法で仕留める必勝の形が、見事に嵌まった──かに見えた。


「ヌルいねぇ」


 それでも魔族の女は、まだ立っている。

 いや、単にシトラスの魔法に耐え抜いただけではない。

 ほぼ無傷。

〝ほぼ〟と付けたのは、デスペラードベアの毛皮の一部が焦げていたからだ。それ以外、特に魔族の女の体には傷一つついていなかった。


「お前ら、勇者とそのご一行様だろ? 本当にこの程度の実力で、彼の魔王様を倒したってのかい?」

「ええ、そうよ」


 不敵な笑みを浮かべて挑発する魔族の女は、意図せぬ背後からの声に表情を強ばらせた。

 ぎくりとして振り返ろうとするよりも先に、背筋が凍てつくような殺気に身を翻す。

 それが功を奏したのか、致命傷とはならず、デスペラードベアの毛皮を切り裂かれただけだった。


「やるねぇ」


 余裕を見せる魔族の女。


「この程度で?」


 それに対し、シヲリは呆れたような態度を見せた。

 実際、本人にしてみれば感心されるようなことではないと思っていたのだが、魔族の女にしてみれば下に見る発言のように聞こえたようだ。


「だったら、本当の実力ってのを見せてもらおうか!」


 言われるまでもない。端からシヲリは、手を抜くつもりなどなかった。


「目覚めよ」


 剣を正眼で構え、呼びかけるようにシヲリが囁いた瞬間、聖剣トリリオンは真の力を解放する。

 ずらりと宙に並ぶ無数の聖剣。どれもヒヒイロカネ特有の輝きを放ち、シヲリが持つ剣との差異がまったくない分身体。

 それは、実体を伴う聖剣の分身体だった。


「征け」


 厳かなシヲリの号令一下、分身体の聖剣は切っ先を魔族の女へ向けて撃ち出された。


「なんだと!?」


 堪らず逃げる魔族の女。

 しかし聖剣の分身体は避けられても軌道を変えて執拗に追尾し、叩き壊そうとしてもヒヒイロカネという頑強な合金を破壊する術もなく、ついには聖剣の雨が魔族の女を隙間なく貫いた。


「やった!」

 その様子に歓声を上げる連合討伐隊の兵たち。

 しかし勇者とその仲間たちはいまだ臨戦態勢を解いてはおらず、魔族の女を貫いた聖剣の分身体が消えた解き、その理由が判明する。

 バサリ──と、デスペラードベアの毛皮が地面の上に広がった。

 中身が入っていなかったのだ。


「なるほど、なるほど……」


 聞こえてくる魔族の女の声。

 その姿は、いつの間にか更地の外輪、深緑の迷宮が生み出す森の木の上にあった。


「確かにそこそこはやるようだ。……だが、おかげでひとつ確信が持てたよ」


 木の上で、魔族の女は黄金の髪を揺らして笑みを浮かべる。


「次代の王になるチャンスが、まだあたしにも残ってるってことがね」


 そう言い残し、魔族の女はその場から姿を消した。


「い、いけませんわ! 皆様、追ってください!」


 魔族の女が撤退を図ったのを見て、シトラスが連合討伐隊に慌てて指示を出した。


「おいおい、冗談じゃねぇぞ……」


 あまり物事を深く考えないログでも、この事態がどれほどマズイことなのか理解していた。

 ここは深緑の迷宮だが、人族の領土内でもある。

 そんな場所に魔族が──それも生きたまま紛れ込んだとなれば、〝災禍〟とは別の意味でどのような災厄がばらまかれるかもわからない。


 まったく悪夢のようだった。

〝災禍〟がいなくなったかと思えば、そこに魔族が現れた。

 それも、その魔族は勇者とその仲間たちを相手にしても逃げ延びてみせたのだ。

 その事実に連合討伐隊の間には動揺が走り、不穏な考えが脳裏を過ぎった。


 ──もしかして、あの魔族が〝災禍〟を倒したのではないか……?


 当の勇者たちは別にしても、連合討伐隊の兵たちがそんな風に考えても無理はない。

 それほどまでに勇者たちから逃げ延びた魔族の存在は、衝撃が強すぎた。

 かくして〝災禍〟の討伐の任務は、シトラスの確認の下、詳細不明ながらも存在消滅が確認されて幕を下ろした。

 だが、〝災禍〟以上に危険極まりない存在が、人族や亜人種の領土内に紛れ込む新たな火種が、世界にくすぶることとなったのだった。

 そんな世界の新たな危機を前に、勇者シヲリは心に誓う。



「このまま隊から離れて、お姉ちゃん捜しに行こっと」




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これにて第一章は終わりです。

第二章に関しましては、書き終わった頃にアクセス数や応援、★の数などを見て更新するか否かを決めようと思います。あまり伸びないようであれば、ここで終わりになります。

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魔王様は美味しいご飯を食べて暮らしたい にのまえあゆむ @ninomae-11

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