‡ Witch Diary ‡ ~ある魔女の日記~

詩月 七夜

Memory of Wind - 風が語る“恋物語” -

 誰も足を踏み入れないその森は「魔女の森」として近くの村人達から恐れられていました。

 静かで、深い「魔女の森」の中には、一軒の館がありました。

 館は巨木の根元にあり、節くれだった大きな根が、館を守るように覆っています。

 その館の一室に、書斎があります。

 そこにはたくさんの本棚が並び、小さな文机が置かれていました。

 書斎には窓があり、開け放たれた窓からは、森を吹き抜ける風が入ってきます。

 風は戯れるように舞い、文机の上にあった一冊のボロボロの日記帳をめくります。

 日記帳には、古い時代の文字が、流れるように書き留められていました。


 風が止み、一つのページが開かれます。



◆花の月 4日

 森で子供に出会った。

 小さな男の子だ。

 捨て子か、はたまた道に迷ったのか、木の洞の中で泣いていた。

 どうしようか思案していると、私の長衣ローブの裾を掴んで離さない。

 そのくせ、一向に泣き止みもしない。

 鬱陶しいから、その手を払いのけて、家に帰った。

 子供はうるさいし、わがままだから嫌いだ。

 事情は知らないが、私の静かな生活を邪魔されたくないし。

 まあ、今夜中に森の狼共が始末をするだろう。



◆花の月 5日

 朝方、いつもより早く目が覚めた。

 だからという訳ではないが、気まぐれに…いや本当に気まぐれに、森の中を散歩してみた。

 例の子供が気になったわけではない。

 コケモモのパイが食べたくなったので、ちょっと採りに行くついでだ。

 木の洞の前を通りかかると、あの子供の姿が無かった。

 少し立ち止まってしまったが…まあ、狼共の餌になったんだろう。

 うん…これも自然の摂理だ。

 弱いものは強いものの糧になる。

 そうして、世界は成り立っている。

 そう思って、しばらく立ち尽くしていると、背後からか細い声がした。

 振り向くと、そこにあの男の子がいた。

 よほど怖い思いをしたのか、鼻水を垂らしながら、泣き叫んで私にすがり付いてきた。

 何なんだ、もう。

 どうにも離れない子供を、仕方なく連れて帰る。

 さらば、我が平穏な日々よ。

 そして、ようこそくそったれな騒々しい毎日。

 何か無性に疲れたので、子供に食べ物を渡してさっさと寝た。

 夜中、子供がクスンクスン泣いていて鬱陶しかった。



◆花の月 6日

 朝起きると、子供の姿が無かった。

 食べ物は全部平らげたのか、食器だけがきれいに洗われていた。

 食い逃げにしては、えらく行儀がいい。

 少しぼうっとしていると、玄関のドアが開いた。

 あの子だった。

 手には、大き過ぎる木のおけがあった。

 なみなみと水が入ったそれを重そうに持ち上げ、水瓶みずがめの中に注ぐ子供。

 そして、立ち尽くす私に気付くと、子供はぺこんとお辞儀し「おはようございます」と舌っ足らずな朝の挨拶をした。

 私も「おはよう」と返した(今思うと、少し間抜けだ)。

 何をしているのか聞くと、子供は「お手伝い」と答えた。

 どうやら、この子なりに考えて、私に捨てられないよう、ご機嫌を取ろうとしたようだ。

 まったく、子供の知恵というは浅薄だ。

 この子は知らないだろうが、私は魔女なのだ。

 飲み水の調達なぞ、わざわざ木桶を使うまでもない。

 子供は、私の顔色を窺うようにオドオドしている。

 私が「腹が減っているか?」と尋ねると、慌てて首を横に振った。

 嘘だろう。

 たぶん、私に「図々しい」と思われ、捨てられるのが怖いのだ。

 仕方がないから、コケモモのパイを作る。

 その間、子供のおなかの虫は何度もくーくー鳴った。

 そのたびに、子供は縮こまっていく。

 その様が、叱られた仔犬みたいに見えて、私は可笑しくなって思わず笑った。

 子供も照れたように笑っていた。

 結局、二人でパイを食べた。

 二人で完食。

 二人で太る。



◆花の月 11日

 暖かい日が続く。

 森にも花々が咲き始め、鹿や野兎も姿を見せるようになった。

 今日、エリオ…子供の名前が分かった。

 本名はもっと長いらしいが、そう呼ばれていたという。

 家も両親も、どうなったか分からないらしく、森に来た記憶も曖昧らしい。

 たぶん、一人ぼっちで夜の森にいたせいで、ショックで記憶が飛んでいるんだろう。

 ちょっと罪悪感…



 風がまた、パラパラとページをめくる。



◆若葉の月 24日

 エリオの12歳の誕生日。

 エリオが急に「弟子にしてほしい」と言い出す。

 私が魔術を使うところを見て、決心したらしい。

 私が「ダメだ」というと、しょんぼりしていた。

 可哀想だが(←この部分はグリグリと黒く消されている)、魔術は遊びではない。

 魔術を学ぶということは、人の道を外れた法則を学ぶということだ。

 そして、それはある意味「人間をやめる」という行為に近い。

 エリオには、きっと相応しくない。

 だって…その道を歩んでいる私が、そう思うんだから間違いない。

 あの子には、きっと陽の当たる道がよく似合う。

 エリオは、私のように人々から疎まれ、恐れられるようなものになってはいけない。



 風が再びページをめくる



◆火の月 15日

 今日、嫌な話を耳にした。

 隣国の軍勢が、王都に攻め入ったらしい。

 戦争だ。

 以前から、きな臭い噂があったが…ついに始まったらしい。

 王都は戦火で燃え落ち、王族は全員処刑されたと聞いた。

 まったく…面倒な話だ。

 人間は、いつもそうやって争い、奪い合う。

 この森から王都はだいぶ離れているから、大した影響はないと思うけど、出来ればそっとしておいて欲しい。



 風がまた吹いた。



◆霧の月 3日

 今日、エリオと大喧嘩した。

 原因は、私が魔術を教えないことにある。

 なぜ魔術にこだわるのか、問いただしてみてもエリオを口をつぐむだけ。

 気のせいか、何か焦ったような様子にも見える。

 エリオももう16歳。

 背も伸び、一人前の男性として分別がつく年頃だ。

 ちゃんと説明する時が来たのかも知れない。

 エリオ、ごめんなさい…

 私は、あなたに幸せで人間らしい生き方をして欲しい。

 例え、あなたが私のことを嫌うことになっても…



 ページが風に踊る。



◆氷の月 20日

 今年初めての雪が降った。

 これで森は春先まで閉ざされる。

 最近のエリオは、どこか苛立っているように感じる。

 一人で考え事をすることが多くなって、思いつめたような表情をすることも増えた。

 エリオ…何で、そんなに辛そうな顔をするの…?

 私が魔術を教えないから…?

 こんなにも傍にいるのに、とても遠い場所にいるみたいな感覚になる。

 私はどうしたらいいのか…分からない。



 最後の風が、吹き抜ける。



◆花の月 4日

 何ということだ…

 今朝、エリオが家を出て行ってしまった。

 部屋には書き置きが一枚。

 それを読んだ私は、手紙を取り落とすほど驚愕した。


(そのページには、一枚の手紙が挟まっていた)


「母さんへ

 黙って家を出ることを許してください。

 そして、これから告げる大事なことを手紙で伝えることを許してください。


 森で拾われた僕は、長い間、記憶がはっきりしませんでした。

 でも、最近になり、ある噂と逃れられない運命を知ってしまいました。

 僕の名前はエリオス=ウェルバ=ナイトクレスト。

 そう、何年か前に滅ぼされたナイトクレスト王家の血を引く者です。

 その証拠に、僕の身体には王家の者のみに残される聖印が浮かび上がっていました。

 正直、驚きました。

 森に捨てられていた僕が、王家の人間なんて…

 その事実に、僕はとても悩みました。

 僕を捨てた王家は既にありません。

 捨てられたその恨みも、正直心の中にわだかまっています。

 このまま、全てを無かったことにして、沈黙を貫こうとも思いました。


 でも…僕は知ってしまった。

 王都を攻め滅ぼした隣国の軍は、僕を探していることを。

 そして、このままでは、母さんに迷惑が掛かることも。

 せめて、母さんを守るために魔術を身につけようとも思いましたが…それも叶いませんでした。

 時間はもうありません。

 二日前に近くの村へ行った時、僕を探す兵士達の姿を見てしまいました。

 たぶん、村の皆から情報が漏れるのも時間の問題だと思います。


 母さん、僕は行きます。

 最後の王族として、その運命と向かい合おうと思います。

 母さんを守るため、僕の最後の親孝行を。

 そして、最後まで一緒にいられなかった親不孝を。

 どうか許してください。


 さようなら、母さん。

 魔女だろうと、何だろうと関係ありません。

 僕は…貴女をずっと愛しています

                          あなたの息子 エリオ」


(日記にはこう続けられていた)


 私は愚かだ。

 「森の賢者」「大魔女」などと称号を得ているのに、身近にいたエリオの悩みについぞ気付かなかった!

 ああ、エリオ!

 愛しい私の息子!

 どうか、愚かな私を許して欲しい。

 あなたの抱える悩みに気付いてあげられなかった、愚かな母親を…!


(日記の表面には、僅かに濡れたような跡が残っている)


 …エリオ、私も決めました。

 あなたが選んだその未来に、私も共に行くことを。

 それが…例え破滅への道筋だったとしても、私はもう迷わない。

 どんな苦難があっても、あなたと共にいられればそれでいい。

 そのために、私はここを発ちます。

 そして、必ずあなたの元で会いましょう。


 エリオ、私はあなたと出会ったこの森を忘れない。

 あなたと共に食べたコケモモのパイ。

 一緒に散歩した小道。

 水浴びをした滝。

 そのどれもが、私にとって大切な宝物です。

 その宝物は、ひとまずここに置いて行きましょう。

 そして…いつの日か、また二人で取りに帰りましょう。


 エリオ、私もあなたを愛してます。

 ずっと、ずっと、あなたの傍にいます。

 永遠の愛を、抱いたままで…



  風が止みました。

 日記帳には、白いページが広がっています。


 開け放たれたままの窓の外には、青く澄んだ空が広がっていました。

 鳥がのどかにさえずり、木漏れ日がかすかに揺らめく美しい日々。

 森は静かに、そして今までと変わらない優しさで全てを包み。

 遠い日に残された魔女と少年の小さな恋の物語を語り継いでいました。 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

‡ Witch Diary ‡ ~ある魔女の日記~ 詩月 七夜 @Nanaya-Shiduki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ