救助の9条

笠井ヨキ

救助の9条

現場到着。9条をそらんじる。

現場から9条の後半が聞こえたのを合図に、私は消毒を開始する。

「防護壁は」

「東が」

「消耗品は」

「西が八割」

正確な数字は広報の仕事。私の仕事には、これで充分だ。東西両国に守られた空間で、私は負傷者の治療をする。

数年前、母国日本は本当に戦力を放棄した。大国たちの板挟みになり、国ごと鉄砲玉として使い捨てられそうになり、やってられっかぁと武器も兵器も全て捨てた。全世界生中継で。あのときは正直、死を覚悟した。

日本列島が戦場にならなかったのは、皮肉だけれど、天災のおかげだろう。年々拡大し続けた台風は、地形を変え、国民は住処への柔軟性を仕込まれた。火山活動も活発になり、地震も頻繁に起きた。噂によると、国土に入り込んだテロ集団が山にキャンプを張ったところ、進路変更した台風にテントと機密を一緒に飛ばされ、土砂崩れに巻き込まれ、泥から出たら高熱の水蒸気に洗顔されたとか。

天災は、結果的に日本人のイメージアップにも貢献してくれた。SNSで「噴火してるのにルール守ってる」「よその子に母乳あげてる」「JAPANARMYのRESCUEぱない」「日本人の安心感」などと広まり、度重なる災害から災害救助ノウハウを嫌でも上げざるを得なかった各方面は、同じく未曾有の大災害に悩まされる諸外国から助けを求められた。

干ばつの大陸には、地質学者と浄水技術者が派遣された。凍土が凍土でなくなった北の大地には、土木建築。そして、災害医療の経験を積んだ私は今、戦場のど真ん中で、観測史上初の大嵐に見舞われた人々の治療に当たっている。医療グループを連れてきてくれた自衛隊は、今も外で救助活動を行っている。軍事用の迷彩服ではなく、蛍光ピンクの救助服で。ここは戦場なのだから、過剰なほどに「危害を加えません」アピールをするのが我々日本部隊のやり方だ。合言葉に憲法9条を使うのも、手段のひとつ。人のいい性質と社畜精神で見せる働き、それにトップが戦争を派手に捨てたこともあり、日本からの医療チームは評判がいい。いちおう戦場なのに誰も仕掛けてこないし、その安心感から患者の健康も取り戻しやすい。日本部隊のいるところイコール安心。この信頼を勝ち取ったのは、いたましい事件がきっかけだった。

今の私と同じく、救命作業をしていた日本人が、治療していた軍人に人質にとられる事件があった。軍人の要求は呑まれず、巻き添えで日本人医師は死亡。問題は、その後だった。大量の血液が撒き散らされ、皮膚にも傷を負ったことにより、感染症が爆発的に広がったのだ。端的にいえば、国がひとつ消えた。けれど、あれは本当に、感染症だけが引き起こしたものだったろうか。派遣された医療スタッフは隔離され、患者は状態の悪いまま放置された。おかしいのは、医療スタッフを隔離したのが、全く関係ない大国だったことである。その国には今、ハリケーンと山火事という極端な水の動きに対処するための人員が派遣されている。

日本チームに手を引かれては困る。

そう考えた大国が、見せしめのために国ひとつ潰したのではないか……疑っているのは私だけではないはずだ。


まあ、私は目の前の仕事に専念するのみだ。

天災天災また天災、そんな本国で培った、技術と経験と根性で、この人たちの命をつなぐ。


私はドクター。あなたたちの命を救い、怪我を治し、病気を予防するために派遣された日本人医師です。どうかこわがらないで。

私たちがここで仕事してる間、ここは平和ですから、安心してくださいね。

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救助の9条 笠井ヨキ @kasaiyoki

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