蕎麦屋かく語りき
キロール
平手造酒の思い出
へぇ、蕎麦お待ち。
へぇ、へぇ、明治の世だって言ったって、蕎麦屋は蕎麦屋。
特に何か変わった何てことはねぇですわ。
東京には最近出てこられたんで?
へぇ、お国訛りがあるような。
ありゃ、巡査様でしたか、こいつは失敬。
いえいえ、お働きには感謝しておりやすよ。
今でこそ警察さんの力は強いですがねぇ。
一昔前は、江戸のお上の力も落ち目で、親分さん方が十手持ちの代りに色々取り図ってくれたもんですねぇ。
ほれ、清水のとか有名でしょう?
あそこの小政って人が亡くなったそうですねぇ。
そうそう、親分さんと言えば、アタシが駆け出しの頃に居たのが、飯岡親分のシマでしたよ。
そうそう、天保水滸伝の。
知ってる? そうでしょう、そうでしょう。
下総国香取郡……ええと、今でいう小見川県ですな、そこで起きた出入りの講談だ。
笹川の親分さん? 知ってますよ。
え? ないない、飯岡の親分も笹川の親分も共に相撲取りになろうとしてた人達だ。
体格は良いですよ、顔は悪くなかったが講談の言うような二枚目って程では無い。
まあ、勝った筈の笹川の親分さんの最後は可哀そうでしたがねぇ。
飯岡の親分は畳の上で、笹川の親分は闇討ちではねぇ。
はぁはぁ、どっちが悪いって事は無かったと思いますがねぇ。
そりゃ、講談ですからねぇ、数が多い方が負けたと在っては、色々と話を捏ねて面白くせにゃ如何のでしょう。
へえ……ああ、蕎麦は食ってくださいよ、伸びちまったら不味くなる。
ええ、あの先生は……、おっかなかった。
真に迫ってる? でしょうねぇ、アタシもその出入りに加わってましたからねぇ。
へぇ、飯岡の親分さんは網元でもあったんでその縁で。
アタシはこう見えても漁師の子倅ですわ。
あの頃は、アタシもね、腕っぷしには自信があったんだぁ……。
いえ、あの出入りの後はからっきしで。
とっととあぶねぇ事からは手を引きやしたよ。
おっと、話が逸れちまった。
平手造酒って浪人はね……痩せてるんですわ。
血色も悪くてねぇ……。
親分さん方と比べると、元の体格から違ったから本当に痩せて見えた。
でもねぇ、あの人が一番おっかなかった。
お侍って奴はあんなに強いもんなんですかねぇ……。
浪人でしたけどねぇ、剣の先生でしたから強いのが当たり前かもしれやせんが。
飯岡の親分は水路と陸路から二手に分かれて夜明けとともに襲撃を掛けたんですわ。
それを笹川の親分は、内通を受けてましてね、逆に準備して迎え撃った形ですわ。
アタシは陸路から向かったんですがねぇ。
迎え撃ったのが平手造酒でしたわ、それも一人で。
こっちは二十名は居たかなぁ……。
それでも平手造酒が口辺に笑みを漂わせて、抜き放ったやっとうを片手にゆらりとやってくる様はねぇ、そりゃ怖かった。
それでも当初はアタシも数はこっちが上だぁ、なんも怖い事あるかと粋がってはいたんですがねぇ。
へぇへぇ、時々咳き込みながら血色の悪い男がやっとう片手に近づいてくる、そりゃ怖いでしょう。
でもね、あの怖さはそんな上辺だけの話じゃないんですよ。
今でも時々夢に見ますよ、平手造酒。
顔は大分、
アタシの意気込みなんてのは、平手造酒が歩いて近づいて来るだけで消えていく代物でしたわ。
アタシはすっかり飲まれちまったんですねぇ。
でも、飯岡の親分さんとこの子分衆は、流石にそれだけじゃ飲まれなかった。
何糞とまずは三人程が向かっていたんだ。
そしたらねぇ……信じられねぇと思いやすが。
平手造酒はね、やっとうの一振りで一人の腕と、一人の首を斬り飛ばしちまった。
返す刃で最後の一人もズンバラリってなもんですわ。
へぇへぇ、いやぁ、アタシは肝が冷えたなんてもんじゃ無かったですわ。
そりゃそうでしょう、アタシより強面の子分衆があっと言う間に骸だ。
へぇ、当時はね、アタシはまだ15、6の小僧だ。
荒事なんて喧嘩くれぇで、お侍の切り合いは見た事が無かった。
粋がってたんですよぉ、若い時分にゃあるでしょう?
足が竦んでガタガタ震えるアタシを見て、更に何人か斬った平手造酒は口元を歪めた気がしやした。
そして、ツカツカ寄ってきて握った手の甲でアタシの頬を殴り飛ばすと。
「そこで寝ておれ、
って一喝したんで。
後は簡単な話で。へぇ、草むらに倒れ込んで、ガタガタ震えていたらいつの間にかアタシ以外は切り殺されていたって話ですわ。
何でか殺されなかったおかげで、今はこうして蕎麦屋をやっているって寸法で。
ああ、食い終わりやしたか。
いえいえ、詰まらねぇお話をお聞かせしちまった。
……しかし、旦那は似てますからねぇ……平手造酒に。
結構、戊辰では斬った口で? へぇ、京でも?
……お名前を伺っても?
藤田五郎様で?
へぇ、今後ともご贔屓に。
蕎麦屋かく語りき キロール @kiloul
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