第七章 生太郎と可愛

第一話


 線香の煙が一筋立ち上る。

 生太郎しょうたろう可愛えのは、八千世やちよの墓の前で手を合わせた。むぅ太郎も目を瞑り、静かに祈りを捧げている。


「……なんだか、あっという間ですね」

「……そうだな」

「四十九日も終わって、月命日も二回目になって、本当、信じられない位あっという間です」


 八千世の名が刻まれた墓石を、じっと見つめる。


「八千世さん。天国でも元気にやっているでしょうか?」

「……やっているだろう。前日まで、あれだけ元気だったのだから」

「……そうですね。散々私の事をからかっていたんですから、天国でもきっと楽しく過ごしていますよね」


 小さく微笑み、むぅ太郎の真っ白な毛を撫でた。

 生太郎は手桶片手に歩き出す。



「良い天気ですねぇ」



 可愛は、雲一つない晴天を仰いだ。生太郎も帽子の鍔を傾け、見上げる。


「風も気持ちいいし、絶好の墓参り日和ですね」

「……墓参りに、日和も何もないのではないか?」

「そんな事ありませんよ。折角故人を偲ぶんですから、どうせなら雨より晴れの方がいいじゃないですか。ねぇ、むぅ太郎?」

「むぅー」


 そういうものだろうか。些か疑問だったが、生太郎は曖昧に頷いておいた。


「そう言えば、お墓にお花が沢山飾ってありましたね。ご家族以外にも、どなたかいらっしゃったんでしょうか?」

いわいさんと珠子たまこさんは行くとおっしゃっていたぞ。それから倉間くらまさんと天生てんせい太一たいちも母親と線香を上げにくると言っていたな」

「わぁ、そうなんですか。私の家族も後で行くって言っていましたし、こんなに沢山人が訪れたら、八千世さんもきっと退屈しないでしょうね」


 可愛は、嬉しそうにむぅ太郎を抱き締める。



 手桶を返し、生太郎達は墓場を後にした。可愛の家へ連れ立って向かう。


「毎回送って頂いてすみません」

「気にするな。八千世にもそう言われたのだろう?」

「それはそうなんですけど、でも、やっぱり申し訳ないですよ。私のせいで時間を取らせてしまうんですから」


 苦笑を浮かべ、身を小さくさせる。


「でも、ありがたいと思っているのも本当なんです。吉瀬きせさんが毎回送って下さるお陰で、私は無事に家まで帰れるんですから。だから、まぁ、あれです。面倒臭い人間なんですよ、私」

「……奇遇だな。私も、例え可愛さんが何を思おうと、是が非でも家まで送り届けてしまう面倒臭い人間だ」


 可愛は、目をぱちくりさせる。


「だから、出来るだけ早く慣れてくれ。それまでは、私も逐一訂正しよう」



 すると、可愛は目を真ん丸にして、生太郎の顔を凝視した。



「……何だ?」

「っ、あ、え、いえ、別に」


 ぱっと顔を背け、むぅ太郎を撫でくり回す。


「……あの、吉瀬さん」

「何だ?」

「吉瀬さんは、これからも、わ、私と、出掛けて下さるんですか?」

「……あぁ。そうだが」

「そ、そう、ですか。へぇー……」


 唇を噛み締め、何度も瞬きを繰り返す。真っ白い毛に顔を埋め、じんわりと頬を赤らめた。


「……何か可笑しかっただろうか?」

「い、いえ。そんな事はありませんよ」

「だが私には、可愛さんが動揺しているように見えるのだが」

「それは、その……ひ、秘密です」

「……秘密……」

「そ、そうです。秘密です。秘密だから、教えられないんですっ」


 ……そう言えば、そんな事を千登世ちとせも言っていたな、と生太郎は思い出す。

 先日、四十九日を終えてしばらく経った頃、妙に機嫌が良かったので問い掛ければ、秘密、と言って教えてはくれなかったのだ。



「……女は秘密が多いのだな」



 ふぅと息を吐く。



「千登世も千世ちよも、昔からそればかりだ」



 その癖女同士だと楽しそうに教え合うのだから、納得がいかない。

 常々不満に思っていた事を、生太郎はぽつりと零す。


「それは仕方ないですよ」


 可愛は苦笑いを零した。


「乙女心は複雑ですから。恥ずかしくて口には出せないけど、それでもこの気持ちを誰かと共有したいんです。でも、そんな事を言ってはしたないと思われたら嫌なので、同じ秘密を抱える乙女を頼るんですよ」

「……確かに、複雑だな」

「はい、複雑なんです。誰かを想う気持ちは、特に」


 目を伏せて、口角を持ち上げた。


「誰だって、大切な人の前では素敵な自分でいたいじゃないですか。格好悪い部分は、見られたくないじゃないですか。だからこそ、秘密という便利な言葉を使って、隠しちゃうんですよ」


 むぅ太郎を一撫でし、生太郎を見上げる。



「八千世さんも、きっとそうだったんだと思いますよ」



 生太郎も、可愛を見つめ返した。



 穏やかな風が吹き抜けていく。



「……千世の秘密は、格好悪いものだったのか?」

「私はそうは思いませんでしたよ。でも、秘密にしたい気持ちは分かりました」

「……私には、言えないものだったのか?」

「そうですね。言えなかったと思います」

「……あいつにとっては、格好悪い理由だったから?」

「格好悪いというよりも、単純に恥ずかしかったのではないでしょうか。もしくは、吉瀬さんの反応が怖かったとか」

「…………私は、そこまで恐ろしい男だと思われていたのだろうか」

「あ、いえ、そういうわけではなくですね。ほら。相手がどんな反応をするのか分からなくて、口に出すのを躊躇したり、緊張したりする事ってあるじゃないですか。あれですよ」


 それでも、いまいちぴんときていない生太郎。可愛は更に説明を加える。


「えーと、そうだなぁ。例えて言うなら……好きな相手に、気持ちを伝えるとするじゃないですか」

「……は? す、好きな相手?」

「えぇ。でも、いざ告白した所で、色よい返事を貰えるかは分からないですよね。そういう、自分の求める結果が必ずしも得られるわけではない状況って、凄く不安だと思うんですよね。勿論、それでも気持ちを伝えるという方はいらっしゃいますし、やらないよりはやって後悔するんだって考える人もいると思います。でも、何がどうなるのか分からないから、告白を止めてしまう人だって、いると思うんですよ」


 自分の言葉を確認するように、何度も頷く。


「だって、怖いじゃないですか。もしかしたら二度と立ち直れない位傷付くかもしれないし、相手との関係が壊れてしまうかもしれない。時には、あまりに理想とかけ離れた結果に、泣いてしまうかもしれない」


 つと、口元に弧を描く。


「まぁ、そういうわけで、吉瀬さんが怖いのではなく、吉瀬さんの反応がどんなものか分からなくて不安だったから、自分の心を守る為に、秘密にしてしまった、という可能性もあるのではないか、という話です」

「……成程」


 眉間に皺を寄せて生太郎は頷く。

 それから腕を組み、地面を睨み付けた。


「……あの、吉瀬さん。これは、あくまで一つの意見というだけで、絶対にそうだというわけではありませんから。そんなに考え込まずとも」

「あぁいや、そういうわけではない。ただ、成程と思ってな」


 はぁ、と可愛は困惑気味に首を揺らし、むぅ太郎と顔を見合わせる。


 太陽の下、二人は無言で歩いていく。可愛は気を紛らわすように青空を眺めた。


 生太郎は、可愛の例え話を頭の中で繰り返す。

 自分の求める結果が必ずしも得られるわけではない状況は、とても不安だ。だから自分の心を守る為に、秘密にしてしまう。成程。生太郎は、内心唸り声を上げる。



 自分が感じていた気持ちは、そういう事だったのか。



 ようやく合点がいき、心の中でもう一つ唸りを上げた。


 さて、どうするべきか。生太郎は一層眉間に皺を寄せた。可愛の言うように、色々な選択肢があるだろう。

 だが大きく分けると、言うか止めるかの二つだけ。

 それだけなのに、酷く難しい。



「あ、あのー、吉瀬さん?」



 不意に、左腕を突かれた。


 驚いて振り返れば、眉を下げた可愛とむぅ太郎が、生太郎を見上げている。


「あの、どうされたんですか? 先程からうんうん唸って、凄く難しい顔をされていますけど」


 しまった、と生太郎は頬を掻く。いつの間にか本当に唸っていたようだ。


「あぁ、すまない。何でもない」

「本当ですか? もしかして、私、何か気に障るような事を言いましたか?」

「そんな事はない。気にしないでくれ」


 可愛はまだ少し疑問を覚えているようだが、「なら、いいですけど」と引き下がる。生太郎の心の内に、気付いている様子はない。


 ……これも、ある意味秘密のようなものだろうか。そんな事を思いながら、生太郎はそっと胸を撫で下ろした。



 その時。


 視界に、むぅ太郎が入ってくる。



「むぅー?」


 何? とばかりに真ん丸な体を傾けるむぅ太郎。

 だが生太郎は何も言わず、じっと真っ白な毛玉を見つめた。


「……可愛さん」

「え、あ、はい。何でしょうか?」

「少しの間、むぅ太郎を借りてもいいだろうか」

「むぅ太郎をですか? えっと、むぅ太郎。吉瀬さんがこうおっしゃっているけど、どうする?」


 するとむぅ太郎は、明るい声を上げて飛び上がった。生太郎の頭の上へ着地する。


 よし、と生太郎は頷く。



 自分の求める結果が必ずしも得られるわけではない状況において、様々な選択肢がある。


 それでも伝える者。

 やらないよりはやって後悔するという者。

 何がどうなるのか分からないから、止めてしまう者。



 ならば、ケサランパサランの力を借りるという選択肢だって、あってもいい筈だ。



「……可愛さん」


 徐に生太郎は立ち止った。つられて可愛も歩みを止める。


「突然だが、千登世が最近、倉間さんに関して大人しくしていると知っているだろうか?」

「あぁ、はい。知っています。喪に服しているんですよね。千登世ちゃんから聞きました」

「そうだ。どこの家でも、誰かが亡くなると一年は慶事を控える。千登世のは少々行き過ぎている気がしなくもないが、それで本人の気が済むならと、おじさん達も好きなようにさせている」


 可愛は、静かに相槌を打つ。


「倉間さんも、そんな千登世の気持ちを汲んで下さったようだ。今までのように大っぴらな態度は控え、落ち込む千登世に寄り添い、少しでも悲しみが癒えるよう、気遣って下さっている。そうして喪が明けた頃に行こうと、今から新しい牛鍋屋を探す事にしたそうだ。少しでも千登世が元気付くように」


 生太郎は深く息を吸い込み、拳を握り締める。




「だから、少し遅くなるが、千世の一周忌が過ぎたら、私達も牛鍋を食べに行かないか」




 可愛の目と口が、開かれる。




「そしてその時は、あの蒲公英たんぽぽ色の七宝しっぽう繋ぎで作った着物を着てきて欲しい」




 可愛を真っ正面から見据え、しかと宣言した。握り締めた拳が熱を帯びていく。顔も体も、尋常ではない程に熱かった。


 可愛の肌も、赤い。



 互いを見つめたまま、生太郎も可愛も、何も言わない。



 もどかしい静寂が、二人を包み込む。



「……ど、どうだろうか……?」


 先に痺れを切らしたのは、生太郎だった。眉間に皺を寄せ、唇をひん曲げる。だが真っ赤な顔でむっつりとしても、全くもって怖くない。

 泳ぎそうになる目をどうにか堪え、じっと答えを待った。


 自分の求める結果が得られるよう、祈りながら。



 しかし、いつまで待っても、一向に返事は返ってこない。



 可愛は、只管固まっている。瞬きもせず、肌という肌を赤く染め上げていた。呼吸をしているのかさえ怪しい。


 ……もしや、気絶しているのではあるまいな。

 そんな不安に駆られた生太郎は、徐に一歩踏み出した。




「むぅー」




 途端、可愛の体が、勢い良く跳ね上がる。


 生太郎も、びくりと体を跳ねさせた。




「あ、え、あ」


 唇を戦慄かせ、おろおろと手を彷徨わせる。眉はどんどん下がっていき、目は潤みを帯びていく。

 あまりの取り乱しぶりに、生太郎の胸へ不安が広がっていった。



 と、不意に、可愛と目が合う。




 瞬間。




 可愛は踵を返し、走り出した。




「……は?」


 遠ざかる背中に、生太郎はぽかんと立ち尽くす。

 しかし、むぅ太郎に「むぅーっ」と急かされ、慌てて後を追い掛ける。


「ま、待てっ! 待ってくれ可愛さんっ!」

「む、無理ですっ! 待てませぇんっ!」

「何故待てないんだっ! 走っているのは自分だぞっ?」

「そ、それでも待てないんですぅっ! 無理なんですぅっ!」

「だから何故っ!」

「秘密ですぅぅぅっ!」


 泣きそうな声を上げて、可愛は腕を振り回した。見えてきた角を、勢い良く曲がる。




「むぅー」




 すると、「あっ」と声を上げて、倒れ込んだ。

 ころりと一回転したかと思えば、いつぞやのように亀の如く蹲る。


 生太郎は、ほっと息を吐き出す。曲がり角で立ち止まり、何やら唸っている可愛を見た。


「……おい、むぅ太郎」

「むぅー?」

「お前の力、全く発揮されていないのではないか?」


 自分の求める結果どころか、明確な答えさえ貰えていないのだが、と頭上のむぅ太郎を小突いた。すぐさま抗議の鳴き声が降ってくる。真ん丸な体がぐいぐいと押し付けられる感触も、頭皮に伝わってきた。


 生太郎は眉間に皺を寄せ、溜め息を吐く。



 次いで、苦笑いも零した。



 ……求める結果が得られなくとも、案外怖くはないものだな。



 八千世にも、そう教えてやりたかった。



 生太郎は、自分の左腕へそっと掌を当てる。懐かしむように、思い出すように、擦った。


「むぅー」

「ん、あぁ。そうだな。そろそろ行くか」


 生太郎は、止めていた足を踏み出した。未だに蹲っている可愛へと近付く。



 つと、前から風が吹いた。

 爽やかな風は、生太郎の体の上を軽やかに滑っていく。




「むぅー」




 その感触が、左腕が覚えている“何か”に似ていた。




 反射的に左を振り返る。



 そこには、何もいない。



「……まさかな」


 たまたま風が、生太郎の左腕を撫でていっただけだろう。

 そうは思うも、生太郎の唇はゆっくりと弧を描いていく。


 帽子の鍔を摘まみ、誰もいない己の左側へ、持ち上げてみせた。それから可愛の元へ駆けていく。はっきり聞こえた呻き声に、また苦笑が零れた。



 今は秘密でも構わない。


 一年後に、きちんと聞かせて貰えるのならば。



 そんな事を思いつつ、生太郎は蹲る可愛の背中へ声を掛けた。




 晴れた空の下を、一陣の風が、優しく通り過ぎていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

巡査・吉瀬生太郎の幸不幸 ‐明治偽妖怪捕り物帳‐ 沢丸 和希 @sawamaru

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ