とあるピッツァ職人の考え

がとーしょこら

ピッツァ職人の嘆き

 昨今、安くてそれなりにおいしいピザはどこでも気軽に食べられるようになった。宅配ピザチェーンのレベル向上で、わざわざピザ専門店に行くこともない。

 私はピッツァ職人。私からみた商売仇であるはずの大手宅配ピザチェーン、その存在を恨むのか?答えはノーだ。たしかに、味もおいしいし安い。私だってたまに好んで食べる。だが、そもそも私から言えば全くもって違うもの、同じ土俵では比べようがない。

 知識は本質を見抜く力になる。もし今後あなたが本物のピッツァを食べる機会がある時、この話を思い出し私のお願いを聞いてくれるのだとしたら、最終的に私の勝利だ。


 まずピザにも種類がある。大きく分けてローマ風ピザかナポリピッツァか。その中でもナポリピッツァについて語ろう。

 大手チェーンによく見られる均一な厚みのローマ風ピザと違い、その特徴はポッコリ膨らんだ肉厚の耳にある。ちゃんとした設備がないと、再現することは不可能だ。

 それが我々の武器だと理解して貰う為に、ピッツァ職人の一日の流れを知ってもらいたい。


 ピッツァの生地は、粉を練る時にイースト菌を加え、一次発酵、ガス抜き、二次発酵の工程を経ることによって、ようやく焼いても柔らかく食べられるようになる。

 生地は生き物。工程ごとに十分な時間を置かないとカッチカチのピッツァになってしまう。その日仕込んでも、その日食べることはできないのだ。


 ピッツァ職人の朝は早い。前日に仕込み、二次発酵段階まで進んだ生地の状態を確認することから朝が始まる。発酵が進みすぎなら冷たいところに、発酵が遅いなら常温で促すなど細かい微調整が必要になる。

 ざっと明日までの予約状況を確認し、翌日分の生地を仕込む量、天候や湿度によって水分量を決断しなければならない。ここらへんは、職人の勘が必要になる。

 生地の中身は店によって違うと思うが、塩、粉、イースト、水、場所によっては油をいれるところもある。おそらくパンとそう変わらないだろう。

 その違いがあるとしたら粉が重要だ。そもそもナポリピッツァと呼んでいいのは、イタリア産のカプートという小麦粉を使用しなければ名乗ってはならない。本場ピッツェリア協会でもそう規定されている。

 ナポリ「風」ピッツァなるパチモノもあるが、そういうのは大体カプートと他のものを混合させることでコストを浮かせている。直輸入する都合上、カプートのみだと材料費やお客様の元に届ける時の値段設定も高くついてしまうが、カプートのみで仕上げた場合は香りが違う。グルテンとたんぱく質含有量の違いが香りに直結するからだ。

 ピッツァを評価するなら、是非本物を食べていただきたい。


 カプートサッコロッソ、水、イースト、塩を用意し投入する先はウン十万くらいするパン練り機。イーストは熱が入るとすぐに発酵が始まってしまう。だから、初期段階から手で練るのは効率が悪い。やるとしても手を氷水でキンキンに冷やして混ぜるなど、繊細な気遣いが必須だ。

 機械で数十分絶え間なく練ったものを取り出し、最終的に手に伝わる生地の感触で粉など微調整しながら手で均等に練り直す。大型ボウルに入れ、空気穴を開けラップをした後冷蔵庫へ。六時間もたてばパンパンに膨れ上がる。その一次発酵によって溜まったガスを抜き、小分けに丸く成型したものを更に状態に合わせて霧吹きで濡らしながら、乾かないよう濡れ布巾で覆う。ここまでの工程を踏んで数時間置くとモッチモチの生地ができる。通常業務、他の仕込みと平行してこの一連の作業を毎日こなす。生地については以上だ。


 次にピッツァ職人かけだしになるまで、その苦悩と葛藤について。発酵した生地は中に多くの空気を含んでいる。その空気は触れば触るほど潰れていってしまう。

 熟練するまで、素人が生地を雑に扱った時点で廃棄するほど繊細なので、最初は触れることすら叶わないのだ。そこで、自腹で粉を買い休憩時間中に人知れず自分用の生地を作り練習するのが基本になる。

 団子状の生地に多少凹みを作り、遠心力と絶妙な力加減で丁寧に空気を耳の部分だけに送り込む。真ん中に空気が残るとそこから膨らんで破けるので注意だ。

 引き伸ばすまでには長くても20秒。長くなればなるほど、ネバリがでて多くの打ち粉が必要になる。注文したピッツァを食べる際、ソースのかかる表とは逆の面、裏面の生地部分を指でなぞってみてほしい。

 もし、黒いススのようなものが指に付着する場合、それは打ち粉のしすぎだ。風味が悪くなる。どれだけ打ち粉を減らせるか、職人にとって永遠の命題だろう。

 トッピングをし、焼き上げたピッツァを味見するのが日々のルーティンだ。多少慣れ始めてきたところで、総料理長へのまかないの一部として一切れ添える。釜の前に立てるのは一人だけ。ポジションを狙うものは他にもいっぱいいる。

 その中でアピールし続け、この鬼を納得させるまでが大変なのだが。

 最初の一声はこれだった。

「まっず」

 そう言い出したら、二度と手を付けない。そんなことが毎回続くと嫌というほど、落ち込んでくる。似たような工程でやっているつもりだが、確かにこの人の作る物とは違う。自分のは硬い。月に2回もない休日でも、そのヒントを探すようにオープンキッチンの店を探し出し、他の職人の動きを見る。時間がない時は職人の動画を穴が開くほどみて試行錯誤する日々を過ごす。

 焼き上げの時のテクニックがかなり重要なんだなと気付くようになった。

 何ヶ月もアピールを継続していると、いつからか黙々と食べてくれるような時期が来た。希望が見えた気がした。無駄じゃなかった、それだけで更なる活力につながる。

 一連の動き、生地のこと、焼き上げのことについてもある程度染み付いてきたある日。

「今日のはうまかったぞ!」

 肩を叩きながらこう話しかけられた。他の誰でもない、私になら任せてもいい。お墨付きのサインだ。まかないを囲む20人の拍手の音も相まって、私は号泣するしかなかった。

 この段階を経て、職人になれるのである。


 続いて、釜について。店によってガス釜と薪釜、二種類あるが私は薪釜で焼くお店を推奨したい。換気、火の調整など難しいがガスとは圧倒的な差がある。それは火力だ。

 ガスが200~260度に対して、薪は置く場所によって200~400度を超える。火までの距離を調整することでいつでも最高の状態で焼きあがるのだ。通常ピッツァを焼く時は一分半が限度だ。それ以上は硬くなるだけ。200度と火力が弱いと時間内に耳まで火が通らず生焼けになる。

 もし焼きたてのピッツァを目の前にした時は、まず耳を軽く押してみてほしい。

完全にモッチリ、香ばしく焼けているピッツァは指の形がまたもどるように押し返してくる。 潰れたままの場合は、耳の中心部が生焼けである。だからといってガス釜を高温にすると、満遍なく温度があがることで生地の接地部分が焦げてくる。

 つまり、耳のことを考えたら薪じゃないと駄目とまで言い切ってもいい。

 他にもっと細かく言うと薪補充のタイミングだとか、夏だろうが冬だろうが釜の前は45度超えという地獄の暑さで、何時間も立ちっ放しで耐える辛さのこともあるが割愛する。


 長くなってしまったがここからが本当に言いたいことになる。そしてお客様の元に提供するまでとその嘆きをライブ感を交えて話すことで終わりにしたい。


 開店に合わせ、朝早くに仕込みを済ませた。生地も良好、温度も完璧、準備万端というやつだ。

「いらっしゃいませ!」

 開店と同時にお客様が入店する。うちの店はピッツァかパスタ、そのどちらかをチョイスするコースがメインだ。パスタと違いせっかく作ったピッツァ生地は一日半以上置くと発酵し過ぎて廃棄になる。

「頼むからガンガンピッツァ頼んでくれ・・・!」

 我が子を思うような、祈りにも似た感情から職人の一日が始まるのだ。ウェイターが注文を聞き戻ってくる。合否発表を待つ親の気持ち。


「オーダー、ピッツァマルゲリータ、ウーノ(一つ)!」

「ヴェーネ(了解)!!!」


 厨房一同、一丸となって返事をするのが決まりだ。生地をさっと取り出し、まず打ち粉。中心を少しだけ窪ませた後、指先ではなく指の腹を使って徐々に広げていく。

耳の部分に触ったり、空気の層を潰したらアウトだ。やさしく丁寧に、かつ迅速に。

 適宣必要な分だけの打ち粉をたしながら、手のひらサイズまで広げたところで遠心力を使い繊細に微調整していく。慣れないうちは歪な円にしかならなかった生地。

 今ではまん丸だ。耳の空気も均一でなくては破裂してしまったり、膨らみがバラバラになったりするものだが、呼吸をするのと同じく身に染み付いた動き。もはや完璧に近い。

 レードル一杯半のトマトソースを生地に広げる。耳の部分が濡れないように。ここを一番急がなくてはいけない。染み出したらそこから破けてしまう。最初、何度も何度も失敗した部分でもあるのだ。

 ソースに使うトマトはイタリア産サンマルツァーノ種。日本と違い細長いトマトだ。かなり濃厚で少しばかりの塩を加えるだけで甘み引き立つフレッシュなソースになる。

 お次は、モッツァレラチーズ。水牛の乳から作られた、ポッコンチーニを使う。持っただけで滑らかさの伝わるチーズを均等に散らしていく。

 そしてフレッシュバジルを何枚かのせる、これで三種の神器がそろった。最後にオリーブオイルを二周りかけまわす。冷たいソースの火の通りの悪さを、油が解消してくれると共に風味もつく。

 釜入れ用のパーラー(イメージとしてカヌーのパドルのようなもの)に打ち粉をし、サッとピッツァの下に滑り込ませやや六角形になるよう指で生地を伸ばす。

 釜の中でテーブルクロス芸のようにサッと引くことで形が崩れず置いてこれるのだ。

 ここからが重要で、生地にあまり触ってはならない。必要な時だけ。火加減を見るために今度は回転用のパーラーを使い、伝わる感触を確かめるながらくるくると回す。熱気は上に溜まる。火力が欲しければ上へ、熱すぎるなら下へ、焼き目が欲しければ火のそばへ。こうして一分ほどで満遍なく全ての面を焼き上げるのだ。

 3人でシェアできるよう6カットに切り分けたピッツァ。熱々の内にお客様の元へ我が子を送り出す。


「おいしい」


 その声を聞くことが次の向上心につながる。最高に嬉しい瞬間だ。ただ、下げられた皿を見たとき少しだけ悲しい気持ちになった。一人分の耳だけ綺麗に残された皿。


 ソースがついてないから味がしないし苦手。食べる意味が感じられない。そういうお客様が一定数いるのは経験済みだ。好みの問題だから、悪いと言いたい訳じゃない。

 ただただ勿体無いという気持ちが強いだけなのだ。

 生地のこだわり、機材のこだわり、職人のこだわり、値段の高さ、その全てが耳に集約されているといっても過言ではない。

 ピザの脇役である耳は、ナポリピッツァでは主役で別物なのだ。

ここまでの知識をもってして、耳が主役のナポリピッツァに対する理解が深まること。素材の香りを楽しみ、職人の研鑽にうなり、薪で増す小麦の風味をもっとも感じる耳。

 あなたが本物を食べた時、その舞台裏を想起し更に美味しく感じていただけるようになったなら。そして、これを読んで耳が苦手だと思っていた方も挑戦してみようと考え、もし少しでも好きになってくれる人がいたのなら嬉しい。

 その努力と味に感動をおぼえたのなら、是非職人にこう言ってあげて欲しい。

「耳まで、耳こそ美味しかった」と。

 きっとそれが職人を成長させ、次回は更に美味しいピッツァをあなたに焼いてくれるはずだ。


 それが私の、いやナポリピッツァ業界の勝利である。

 それこそがピザとピッツァの違いであり、大手ピザチェーンの値段商戦に対する勝機なのだから。

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とあるピッツァ職人の考え がとーしょこら @chocostory

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