第4話(終)

 ヘンリー王子が意識を取り戻して1週間が経過した。

 体調が快方に向かっていると判断されると、早々に玉座の間に臣下が集められた。ヘンリー王子の王位継承の儀式を正式に執り行うためである。

 これはヘンリー王子の意思によるものだ。目覚めてからの状況を把握すると、決断は早かった。

 異議を唱える人物は現れなかった。ヘンリー王子の王位継承を望んでいたアルフォンスだけではなく、権力の確保に勤しんでいた王妃様までも、王子の意思を尊重した。

 この場には、フランとウィリアムも主治医の立場として同席していた。ヴィクターはフランの服の中に潜り込んでいる。

 戴冠の儀式はつつがなく進行した。ヘンリー王子は傍目には、以前と変わらないように見える。その“ふるまい”は変わらず、記憶も維持された。少なくとも肉親でさえ違和感を覚えることがないほど完璧に“再生”が果たされたのだ。唯一の違いは、後頭部にわずかなコブがあることだけだ。

 それはフランの施術によるものだ。その詳細は、フランとウィリアム、当事者である王子様と僅かな人間しか知らない。周囲には、機能停止した脳組織を、フランの魔法で再生させたと説明している。

 その真実を知れば、多くの人間は嫌悪に眉をひそめるだろう。治療の詳細を聞いてウィリアムは露骨に表情を曇らせていた。

 だが、ヘンリー王子はその真実を知ってもなお取り乱すことは無かった。むしろ冷静に、自らの為すべきことを見つめていた。


「私が意識の無い間、皆には迷惑をかけた。父上が亡くなった後も大きな混乱を生むこなく、今日に至れたのは皆の尽力によるものだ」


 儀式を終え玉座に座ったヘンリーがねぎらいの言葉をかける。結局のところ、王妃様は直接的な行動を起こさなかった。ヘンリーが回復した以上、強引な手段に出れば大義を失い断罪される可能性もあったからだ。他の臣下たちも様子見を決め込んだから、大きな混乱は生まれなかった。ヘンリーが王位を継承しても、その肉親である王妃様の権力が強くなる構図は変わらないだろうという読みもあった。


「いいえ、あなたが王になることを誰もが望んでいたわ。あなたが回復することを信じていたの。今日という日ほど、人生で喜ばしい時はないわ」

「ヘンリー。いや、我が王よ。あなたのために全力を尽くすこと誓い、忠誠を捧げます。これは私だけでなく、ここに集いし者すべてが同じ想いです」


 王妃様だけでなく、議事の進行役であったアルフォンスも歩み出る。命の危機が去ったから、幾分晴れやかな表情をしていた。


「母上、叔父上。お二人の尽力が無ければ今の私はおりません。これからも、私を支えてもらいたい」


 王妃様とアルフォンスが恭しく礼をし、恭順の意思を示す。その様子も認めて、王となったヘンリーが、一つの決定をくだした。


「私は回復して間もない。また思いも寄らず倒れることもあるだろう。ここに、私の後見を正式に定めたいと思う。もしもの時には、その者にこの国の全権を委任するものとしたい」


 集った臣下達がざわざわと色めき立つ。王様の後見人だとすると、その権力は絶大だ。順当に行けば王妃様か、叔父であるアルフォンスが任命されるところだろう。この国の権力構造を決める、大事な分水嶺だった。


「その後見役だが、叔父上にお願いしたい」


 任命されたのはアルフォンスだった。王妃様が目を見開いた。ヘンリーの治療を推し進めたたのは王妃様だから、信頼も強いと高をくくっていたのだろう。この展開は王妃様にとって受け入れがたいものだった。


「ヘンリー、それは早計だわ。アルフォンスはあなたに毒を盛ったのよ。調べればすぐわかるわ。あなたをひどい目に合わせたこの男は断罪されてしかるべきよ」


 ヘンリーの決定をくつがえすべく、王妃様がアルフォンスを弾劾する。証拠もすでにでっち上げているのだろう。

 アルフォンスが慌てて反論しようとしているところを、ヘンリーが制した。そして動じた様子もなく、この場に居合わせているフランとウィリアムに問いかける。


「主治医殿。私が植物状態になった原因が何か、はっきりと分かっているのか」

「原因は不明よ。でも、毒物の痕跡は見られなかったわ。おそらく心労が原因で身体に変調をきたしたのね。脳の機能が止まるなんて珍しいけど、ありえない話ではないわ」


 フランがしれっと言ってのける。外部の人間の発言とはいえ、治療の詳細を知る者がそもそもいないから、他の人間は口を挟めない。


「王子の魂にはよどみが見られていました。心労が魂によどみを与え、肉体の活動に変調をきたしたのでしょう。魂と肉体には強い相関がありますので、原因はここにあったと思われます」


 ウィリアムが蘇生術士の観点から捕捉する。

 この展開をあらかじめ予想して、事前に口裏を合わせていたのだ。これも、ヘンリーの采配である。

 実際にどんな毒物か用いられたのかどうかは、不明のままだ。フランたちの前に診察した王室の治癒術士も、その原因を特定した訳ではない。肝心の毒物を調合をしたらしい薬師も、すでに王妃様自身が殺している。

 つまり、毒が盛られたという確かな証拠は残っていない状況なのだ。王妃様がでっち上げた証拠に毒物があっても、詳しく調べればその効果が異なることが明らかになるだろう。


「良いか。私が毒を盛られた事実などない。今回の事態は、私自身の身体の不徳によるものだ」


 王となったヘンリーが言い切った。当事者であり、この場での最大の権力者の言葉に、反論できる者などいない。真実は別にあるのだろうが、ヘンリーの目論見はそれを明らかにすることではない。


「母上はしばらく静養なされてはどうだろう。父上を失い、私が倒れたあとも力を尽くしてくれたことは承知しています。その労苦を思うと今は無理をさせたくはないのです。城下を離れ、保養地であるレマル湖に逗留されると良いでしょう」


 この宣告は、王妃様の事実上の追放だった。これが王様になったヘンリーの狙いである。この国の体制を維持するにあたって、力を持ちすぎた王妃の存在は懸念材料となる。それを権力から遠ざけることで、新しい体制を再構築する。

 この王様は意志も固くしたたかだった。確かに名君の器なのだろう。


「ヘンリー。私はあなたの傍を離れたくはないわ。この仕打ちはあんまりよ」

「母上。どうか今はご自重なされよ。私の思いを察してくだされ」


 口調とは裏腹にヘンリーの目は厳しかった。意識が無い間の王妃様の企みを承知していると、暗に伝えているのだ。これは肉親だからこそかけた温情で、これ以上何かをするのであれば容赦はしないという意思表示だった。

 王妃様はその本気を察して、すごすごと引き下がるしかない。

 結果的に今回の騒動の首謀者である王妃様を制裁することができた。ヘンリーは無事に王様に即位し、アルフォンスをはじめ、余計な人死にも出ていない。全てが丸く収まっていた。 


「フランドール・マーブル! ウィリアム・ヴァルトマン!」


 戴冠の儀式が終了して、フランとウィリアムには報償が与えられることになった。ここで直接手渡されるのはその一部だが、実際には10年は遊んで暮らせる大金である。王妃様の出したお触れ通りの報償だった。


「あなたには世話になった。“継ぎ接ぎのマーブル”。その名に改めて敬意を表する」

「従姉妹どのに礼をすることね。私はあの娘の願いに応えただけよ」


 もともと乗り気だったとは言えフランの背中を押したのは、まぎれもなくエリザベスだった。彼女がいなければ、フランは治療に取り掛かれず王子様はいまも昏睡したままで、取り返しのつかない状況になっていたかもしれない。


「承知している。一生かけてでも返さなければならない恩だ。私もエリザベスの想いに最大限応えることで報いよう。この国も、彼女も、必ずしあわせにしてみせる」


 ヘンリーの綺麗な青い瞳には、エリザベスが焦がれた輝かしい意志があった。こ

こに彼女の願いは果たされたのだ。


「期待しているわ。あなたが偉大な王様であるために一人の人間であることを。彼女の願いが間違いではないことを証明して頂戴」


 フランは人間の可能性や、その胸に抱く願いが間違っていないと信じたいのだ。だから、この幼馴染は願いを叶えるためにどんな手段も厭わない。それが、身勝手な願いでも、肯定する者がいることが救いになるから、フランはその最後の希望となろうとする。

 それが、彼女の願いで生き方なのだと、ヴィクターは知っている。独りで進むには厳しく困難な道のりだ。

 だから、ヴィクターはせめて彼女が独りにならないように、ただの慰めでしかなくとも、側にいようと決めていた。

 彼女に救われたからというだけではない。ヴィクターは彼女が好きだから、そのしあわせを願う存在でいたいのだ。


 


「まったく、こんな危ない橋は二度と渡りたくないものだな」


 城下町の出口で、馬に荷物を括り付けながらウィリアムがぼやいた。王子の治療という仕事が終わり、無事に開放されたのだ。フランも報償で馬車を購入して、出立の準備をしている。


「でも、危険に見合う報酬は得られたんじゃないかしら。流石王様ね、助けた甲斐があったわ」


 フランは荷造りを雇った人間に任せて、椅子に腰かけていた。ヴィクターも脇に置かれた背嚢の中で休んでいる。


「貴様のやったことを全面的に肯定することはできない。私も状況が状況だったので手を貸したが、まさか……」


 フランの施術に、ウィリアムは助手として立ち会った。フランの魔法で脳組織の一部を再生し、そこにあるものを継ぎ接ぎしたのだ。それは、神経伝達を再起動させる火種となる、特別なものだ。


「“魔物”の脳を人間に移植するとはな」


 ウィリアムはその行為のおぞましさを思い出したのか、眉を寄せて苦いを顔をしていた。人間に、人間ではないものを移植する。“継ぎ接ぎのマーブル”が得意としている技術である。


「貴様のことだ。上手くいく確信があったのだろうが、そもそも“生きた”魔物の脳なんて、良く持ち歩いていたな」

「ここにくる前、あの尋常じゃない生命力を何とか活用できないかなって、ちょっと研究してたのよ。脳だけの状態で何日持つかどうか実験していたことが役に立ったわ」


 魔物の脳を保存していたのは、酸素を含んだ人工血液とフランの魔法で創り出した生体組織により循環系を確立した、特殊な培養曹だ。活動を維持できるような環境を整えたから、その脳は身体を失っても“生きて”いたのだ。

 ヴィクターのような特殊な身体を維持する技術があるフランにとっては、そう難しいことではない。幹細胞の全能性とその分化を操るということは、あらゆる生体組織を創り出し、維持する環境を構築することが可能であることを意味している。


「記憶とふるまいを司る領域には直接繋げていないわ。再生した感覚と認識を司る脳領域の一部だけにしか接触は無いように処置したし、影響は最小限よ」


 魔物の脳はほんの一部しか移植していない。移植した部分にまともな思考能力はなく、ただ強力な神経伝達の発端となる火種の役割しか持たせていないのだ。

 実際に思考し、身体を動かすのはフランによって再生された脳組織と、元々無事だった記憶とふるまいを司る領域だ。だから、ヘンリーは以前と同じように再生されたのだ。


「何がいけないって言うんだ。異常があるようには見えなかったぞ」


 ヴィクターが目立たないように、顔を少しだけ出す。肉体をほぼ全て失っているヴィクターに比べれば、随分まもとな状態に見えた。今日の立ち居振る舞いからも、問題なく機能しているように見える。


「傍目にはそう見えるだろう。だが、異物を取り込むことによる、魂の“変質”は避けられない」


 魂と肉体には密接な相関がある。ウィリアムが玉座の間で言ったことは間違いではない。魂の影響が肉体に出ることもあれば、逆もまた起こり得る。


「それがいけないことかしら。少なくとも、王様はあの場で見事に受け入れられていたじゃない」


 フランもそのことは承知していた。だが、肉体を動かす魂が本人のものであればその質までは問われないのだ。そして、肉体のほとんども、それを動かす脳領域もヘンリー本来のもので、直接の影響は出ない。これが肉体の専門家であるフランの見解である。


「貴様の行いは魂の冒涜に他ならない。おそらく、ヘンリー王に何かあった時に、もう蘇生術は適用できないだろう。魂の在り方が、蘇生術で扱える範疇を逸脱したのだ」


 魂の専門家であるウィリアムは、そう単純な話だと片づけなかった。蘇生術という技法で、魂の概念を扱うとき、人間ではないものが混じることで、明確な違いが生まれる。

 そして、それは蘇生術士に言わせれば、神に与えられたありのままの魂を、その祝福から遠ざける冒涜的なものだ。

 “継ぎ接ぎのマーブル”が蘇生術士に嫌われる理由でもある。蘇生術が入り込む余地を未来永劫無くして彼らの仕事を奪うから、疎まれるのだ。


「ただの技術の至らなさを、マーブルに押し付けないでもらいたいわね。王様は確かに人間のままよ。変質したとは言え、もとの魂も肉体も大部分は維持された。たかだか“かたち”が歪になっただけで、それが失われた訳ではないわ」


 フランは蘇生術士の言い分を、ただの技術の不足だと切って捨てる。フランは神様など信じていないから、その考えが、魂の変化に対応できない蘇生術士の言い訳にしか聞こえないのだ。


「魂も肉体も、生きていく中で徐々に変化していくわ。成長や老化、心因性、身体性問わず様々な要因でね。人間は、いいえ生物は、もともと多くの変化の中で生きてきた。その変化を取り込む柔軟性こそが生命の本質なのに、その変化を人為的に起こす技術だからと否定するのはナンセンスよ」


 生物は元々、外部からの様々な変化に晒されてきた。環境や病気、怪我だけでなく、ストレスによる自律神経の失調や精神活動への影響など、細かく上げればキリが無い。それでも、滅んではいない。個体単位では自己修復能力やストレスへの防御反応など身体の変化を修正する仕組みが備わっている。普段の活動でも環境の変化に合わせて柔軟に行動を変えることもできる。

 “継ぎ接ぎのマーブル”の技術は、その変化に対応するアプローチの一つでしかない。生物に備わり、環境の中で対応していく変化の仕組みを、人為的に利用する。ただ、個体で完結するものではなく、他の生物の仕組みや、“かたち”を変えることさえも含んで、あらゆるものを利用しているに過ぎない。

 その差は人為的に再構築されたものか、自然のままの仕組みかどうかでしかないのだ。そして、それはフランにとって、たいした問題ではない。 


「そんなものは詭弁だ。自然の影響と、人為的な改変を混ぜるな。これは人間の尊厳の話だ。そう簡単に割り切って良いものじゃない」

「なら、あのまま王子様を見殺しにするべきだと言うのかしら。行き過ぎた自然信仰なんて反吐がでるわね。そこに救う手段があるのに手を伸ばさない。絶望に打ちひしがれた者たちを見捨てることが、正しいことだなんて私は思わないわ」


 “継ぎ接ぎのマーブル”は倫理や、禁忌の行為だからとの理由で、手を伸ばせば救える者が、見捨てられてしまうことが許せなかった。それは、決して優しさではない。ただの怒りだった。理不尽な運命をそのまま受け入れられなかったから、マーブルは独自の道を歩んだ。たとえ、多くの人間に疎まれて嫌われても、救えるものがいるならばと技術を研鑽する。

 フランも、その生き方に誇りを持っている。彼女は“継ぎ接ぎのマーブル”を継いだ17代目の当主だからだ。


「相変わらず考えが合わんなマーブル。自らに訪れる変化を、自然のまま受け入れることも、生物の営みの一つだ。少なとも今はまだ、そう考えるものが多い」


 ウィリアムはマーブルの考えを頭ごなしには否定しない。だが、一般的なものとは決定的な齟齬があると指摘する。


「分かっているわよ。だから“継ぎ接ぎのマーブル”は求めるものにしか応えない。けれど、マーブルが研鑽し続けた技術を、私は別に秘匿する気もないわ。マーブルの技術が多くの人々に手が届くものになったら、自然のままを受け入れることが本当に正しいのか問われる未来がくる。人間は自然に反逆して、困難を克服するために技術を発展させてきた。人間の肉体だけがその例外にはならないわ」


 人間は、治療というアプローチで肉体の異常を修正し、道具を発達させることで環境の変化にも対応してきた。どれも、生きるうえでの困難を克服するための営みだ。その延長線上に、肉体の機能を書き換え、異常を修正するだけでなく、増強することを選ぶ未来がくるかもしれない。

 手を伸ばせば届くものが増えれば、より多くのものが掴めるのだ。強欲で傲慢かもしれない。けれども、取りこぼすものは少ないほうが良いに決まっている。悲しみをそのまま受け入れるにはつらくて、耐えられないときだってある。


「そんな未来がきたら、貴様のような術士が持て囃されるのだろうな。私はグロテスクだとしか思えない。本来の“かたち”を大きく歪めるそれが、健全だとは思えないのでな」


 ウィリアムの認識も間違いではない。自然のまま与えられたものを大きく逸脱したそれには、果たして人間であるのかという問いが横たわるからだ。そしてそれは一生付いて回る。それが、身勝手に生を求めた代償だと言わんばかりに離れることはない。

 ヴィクターは、その人間の“かたち”を逸脱したものとして、ひとつ言いたくなった。


「健全だろうが、なかろうが、ここにいることは変えられないさ。それを受け入れて進むしかないし、それでも大事な存在に寄りそうしかない。“かたち”が歪でも、生きることは止められないんだ」


 生きている以上、その変化さえ吞み込んでいくしかない。ヴィクターは少なくともそう思っている。こんな“かたち”になっても、愛して支えてくれるものがいるのなら、生きてもいいじゃないかと思えてくる。その人に、何か返してやりたいと思える。

 フランが、ヴィクターを抱え上げた。愛おしそうに頭を撫でてくる。決して弱音をはかない頑固者だけれども、この幼馴染は、もしかしたら心のどこかで後悔を抱えているかもしれない。

 だからヴィクターは、その悩みが少しでも軽くなるように生きていきたいと思っている。フランの選択が間違いでないことを証明するためには、彼女に救われたものが、しあわせでいるしかないのだから。


「私はもう先に行くぞ。この国からしばらく離れることにする。ヘンリー王の面倒は貴様が責任を持って診るんだな」


 ウィリアムが馬に跨って去っていく。底意地の悪い性格でも、実利を優先する人物だから、今回は協力して治療にあたることができた。考え方が違っていても、目的のために手を取り合える関係というものは案外悪くない。

 けれども、さよならの挨拶を交わすような仲良しでもないから、黙って見送るだけにした。これが丁度良い距離感なのだろう。


「フランドール様。良かった、まだいらしたのね」


 ウィリアムと入れ違いに、エリザベスが城下町からこちらに歩いてきた。嬉しそうに顔をほころばせ、椅子に座ったフランの前に跪き、手を取る。


「あなた様にもう一度お礼が言いたかったの。間に合って良かったわ」

「また定期的に診に来るわ。何か異常があったら連絡を頂戴ね。ヴィクターをお使いに出して場所は細かく伝えるから」


 ヘンリーを救うにあたって、フランがエリザベスに協力者として託したことがある。それは、事情を知るものとしてヘンリーのずっと側にいて、異変があれば必ずフランに伝えるという役割だ。

 どこか他の家に嫁ぐこともできなければ、長期間離れることもできない。ほとんどの生活を共にすることになる。

 それは、人生を捧げるに等しい。だから、フランは彼女に人生を捨てろと迫ったのだ。

 そして彼女が決意して、心の底から寄りそえる人がいると保証されたから、フランは迷わず治療にあたることが出来たのだ。


「ええ、もちろんです。私はヘンリーと、ずっと一緒にいますから」


 そう言い切るエリザベスは、眩しいくらいの笑顔をしていた。迷いも憂いもない。輝かしい未来を信じているだろうことが、目一杯に伝わってくる。

 フランが目を細めて微笑んだ気がした。嬉しいのだろうと、ヴィクターは思う。


「準備が終わったみたいだぞ、フラン」

「もう行くわね。二人ともしあわせになって頂戴ね。私もあなた達の願いを全力で叶えるわ」


 フランはヴィクターの入った背嚢を背負って、馬車に乗り込んだ。雇った御者に指示を出して、城下町を出発する。

 エリザベスはこちらから見えなくなるまで、お辞儀をしたまま、顔を上げなかった。彼女は善良な人間なのだろう。ヴィクターとフランに驚きはしても、一度も嫌悪を抱かなかった。


「彼女と、友達にでもなるか。手紙のやり取りくらい、俺が引き受けるぞ」

「友達なんて、私にはいらないわよ。けれどもそうね、患者の近況を聞くのも私の仕事だから、手紙くらいは出してもいいかしらね」


 素直じゃないなと、ヴィクターは思わず鼻を鳴らしてしまった。フランが、すごい顔で睨んでくる。

 話をずらさないと、何をされるかわからない。ヴィクターはフランに身体を維持してもらっているのだから、彼女のほうが力関係が上だ。


「これから、どうするんだフラン。また旅を続けるのか」

「そうね。私、研究所を建てようと思うの。まとまった資金も手に入ったし、腰を落ち着ける場所がないと流石に不便だわ」


 “継ぎ接ぎのマーブル”の研究所は、今は失われている。それを再建するのに、今回の報償は十分な量だった。


「それはいいな。旅ばかりだと疲れるから丁度いい」

「ヴィクターとの新居ね。しばらくは二人っきりで落ち着いて暮らしたいわ。人目を気にせず二人で、しあわせに暮らすのよ」


 馬車は走る。“かたち”が歪になってしまった二人の人間を乗せて、これからどんな困難が待ち受けていても、二人は離れることはないだろう。それは、せめて手に届くものすべてを救いたいと願う二人の、しあわせを求める旅路の始まりだった。


 


 その後、ヘンリー王は後世に語り継がれるほどの功績を出した。人々はそれを人ならざるものの治世だと評価した。

 そして、その側には時折、顔に継ぎ接ぎのある少女が訪れていたと言う。

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継ぎ接ぎのバイオアルケミスト 棚尾 @tanao_5

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