第3話
ヴィクターは、お城の壁を這って進み、様々な部屋を物色していた。窓が空いてない部屋が多く、中に入り込むことは困難だったが、鋭敏な聴覚を持つ耳を、フランの魔法で調整して作り出してもらっていた。
いくつか部屋をまわり、一番の目的である王様の弟夫婦の居室に差し掛かった。ちょうど夫婦で会話をしているらしく、声が聞こえてくる。窓のカーテンも閉まっておらず、中の様子を見ることもできた。
「ヘンリーの様子はどうだった」
「変わりないわ。ずっと眠ったままよ」
王様の弟らしいアルフォンスは王族らしく着ている者は上等だったが、少しくたびれた顔をしているように見えた。二人掛けの椅子に座り込んでいる。そばに寄りそうように居る女性が、その妻なのだろう。
「義姉上は何を考えておられるのか。私とて、ヘンリーの回復を心から願っている。だが、いたずらに国の内外にふれ回って騒ぎを大きくする必要などない。それより、早々に国の後継を定めるべきだ」
アルフォンスがテーブルに置かれた葡萄酒の入ったグラスをあおる。ヘンリー王子を回復させる治癒術士探しは、やはり王妃様の独断のようだった。それは、今この国の意思決定がまともに機能していないことを意味していた。王位の不在は、国の基盤を不安定にさせる。治療の望みが薄い王子の回復に労力を割くより、後継を決める方が先だというアルフォンスの意見はもっともに思えた。
そして、その場合に王位を継承するのはこのアルフォンスのはずだった。王子を暗殺する動機としては十分で、目論見通りにことが進んでほくそ笑んでいるかと思えば、その口からは意外な言葉が飛び出てくる。
「私は王の器などではないし、王位など継ぎたくない。だが、義姉上に国のかじ取りなど任せられない。どうやら今回の件で、個人的に兵を動かし始めているようだ。私をヘンリー暗殺の犯人に仕立てたいらしい」
アルフォンスが自嘲気味に吐き捨てる。不安の裏返しなのか、動作が荒々しかった。
「ヘンリーは聡明だった。兄上が亡くなった後のこの国を任せられる人物だ。私はそれを全力で支えていくつもりだった。それが、どうしてこんなことになった。いったい誰がヘンリーをあんな目に合わせたんだ」
アルフォンスは本気で憤っているように見えた。妻しかいないこの場で演技をしているとは考えにくい。それに、王妃様に追い詰められているようだ。仮に王子様を暗殺した犯人だとしたら、あまりにもお粗末な状況だった。
「ウィリアムという蘇生術士は信用できるのかしら。得たいの知れない術士を招き入れたみたいじゃない。顔に継ぎ接ぎのある、まるで化物のようだと下女たちが噂をしていたわ」
フランの外見は目立つから、噂が城内の隅々まで広まっているようだった。明らかに怪しいから、警戒されて当然の状況だが、アルフォンスはフランの正体を知っているようで、別の期待を寄せていた。
「その術士だが、“継ぎ接ぎのマーブル”だと名乗ったそうだ。それが本当なら、万に一つの奇跡が起こるかもしれない。生を求めるものの最後の希望と呼ばれるその力を、今は信じるしかないだろう」
王様の弟であるアルフォンスが本当に犯人なのかと、ヴィクターは疑問に思う。アルフォンスはヘンリー王子の回復を心から願っているように思える。王位を継承し、王妃様と争うには分の悪い状況のようで、アルフォンス自身が助かるには、ヘンリー王子が回復し身の潔白を証明するしかないのだろう。
「エリザベスはどうした」
「あの子は、まだヘンリーのところよ」
「ヘンリーとエリザベスは幼いころからずっと一緒だった。今回の件で、一番心を痛めているのはエリザベスだ。あの子だけでもどうにか、遠くにやれないだろうか。ここはもう危険だ」
「あの子はヘンリーの傍から離れないわ。あなたに似て優しい子だから……」
エリザベスとは、話の流れから考えるに夫婦の娘なのだろうと当たりを付ける。特に後ろ暗いところが無さそうな、良い家族なのではないかというのがヴィクターの率直な感想だった。
ヴィクターは、聞き耳を立てるのを止めて、次の部屋へ向かうことにした。目指すのはもう一人の中心人物である王妃様の部屋だ。
「ああ、もうどうしてこうなったのかしら。愛おしいヘンリー。あなたが生きているだけでも嬉しいのだけど、それでも駄目なの。私の愛おしい息子。あなたは誰もが認めるかたちで“生きて”いなければいけないわ」
部屋の中には、王妃様ともう一人、若い騎士がいた。フランに剣を突き付けた奴だ。王妃様の居室に一人で招かれていることから、信用のある騎士なのだろう。
「王妃様、今もウィリアムと“継ぎ接ぎのマーブル”を名乗る術士が治療の検討を行っているようです。ですが、彼らは信用なりません。あまり期待をかけませんように」
息子を失いつつあり、心の底から嘆いているのだろうか、王妃様は天蓋付きのベッドにうつ伏せに身体を沈ませていた。若い騎士が、そこから一歩離れた場所から報告する。フランに対して良い印象がないだろうから、あからさまに不信を口にしていた。
「ああ愛おしいヘンリー。私の大切な息子。あなたがこんな風になるなんて優しい母は思ってなかったわ。ただ、ちょっとあなたが、国なんて大きなものを背負わなくて済むようにしたかったの。あなたが、何も考えずその美しい姿のまま生きていくことを願っていただけ」
王妃の言葉は息子を心配するようで、どこか歪んでいるように思えた。王妃が求めていたのは、一人の人間としての息子の存在ではなく、美しい外見を持つ人形のように聞こえる。
少なくとも、国の行く末を心配して、ヘンリー王子の回復を祈っていたアルフォンスとは違う。もっと身勝手な欲望によるものに思えた。
「王妃様。諸侯の説得と兵士の動員はつつがなく進めております。王子の状態がこのままでも、あなた様がこの国の実権を握ることは、もう揺るがないでしょう」
王妃様は表向きには王子の治療に躍起になっているように見えるが、裏ではこの国の実権を握るべく動いている。
もしかしたら、情緒不安定だという噂も、過激な言動にかこつけて邪魔者を処分するためのものかもしれない。そう考えると、この王妃様は相当の曲者だ。現に王様の弟であったアルフォンスは、追い詰められつつある。
「ヘンリーの治療は続けさせなさい。あの子が、あんな状態で、私が満足するわけないでしょう」
王妃が上体を起こし、若い騎士に命令をして、部屋から退出させる。権力を確保しても、治療の継続を指示するのは、実の母親だから当然と言えばそうなのだろう。
だがその本心は違うところにある。小さな囁き声でしかなく、部屋には誰も聞くものはいなかったが、ヴィクターの耳はその言葉を捉えていた。
「あの薬師、殺してしまうんじゃなかったわね。でも、あの男は、ヘンリーの頭の働きをちょっと鈍くするだけだと私に言ったわ。それが、あんな人形にもならない状態になるなんて。こうなってしまったのは仕方のないことね」
ヘンリーに毒を盛った犯人は、どうみても王妃様だった。動機は今語ったとおりなのだろう。殺すことをせず、王子様を都合の良い美しい人形として手元におき、国の実権を握ることが目的だった。
王子様を中途半端に回復させても、この王妃が国の実権を握る。それでは、フランの生命の安全が保障されない。これは、治療を諦めて、逃げる算段を付けた方が良い状況である気がした。
ヴィクターは部屋に戻ると、フランにことの顛末を報告した。そして、自分たちも早く逃げ出した方が良いと説得してみる。
「見捨てるなんて選択肢はありえないわ。ここで退いたらマーブルの名折れじゃない。無理。絶対駄目なんだから」
案の定、フランは納得しなかった。この幼馴染は頭は良いがとてつもなく頑固なのだ。マーブルという家名とその存在意義を大事にしていることもわかるが、ヴィクターにとってはフランの安全こそが一番だった。
「俺たちの命が危ないんだぞ。駄々をこねてる場合じゃないだろフラン」
「王子様が完璧に回復したら問題ないじゃない。誰もが、王子様の王位継承を認めるように出来れば、王妃様の野望もくじけるかもしれないし、私たちだって助かるかもしれない。誰も死なずにすむ選択肢があるのに、それをしないなんて駄目よ」
「王子様を治すアイデアはあっても問題があるって話だっただろ。意地を張ってどうすんだよ。そんなに時間もなさそうだぞ」
王子様を完璧に回復させることが一番良い選択肢なのは確かだ。しかしながら、それが難しいことをフランも承知している。もどかしくも、フランにとって諦めることはありえないから、何とか知恵を絞るしかない。だが、それがいつまでも許される状況ではなかった。
「わかっているわよ。でも、この問題はもう一人協力してくれる人がいないと駄目なのよね。第一候補は王妃様だったけど、当てが外れたし」
協力者が必要だということはフラン一人の技術ではクリアできない問題なのだろう。しかし、素人が協力者にいてもどうなのだろうと、ヴィクターは少し引っかかりを感じる。 協力者を探そうにもフランはそれほど社交的な性格でないから、自分から誰かを説得できるほどの話術を持っていない。ヴィクターは言わずもがな無理だ。
ウィリアムのような厚顔無恥で物怖じしない人間が適任だが、今はこの場にはいない。どこかに出かけたのだろうかと、扉の方を見やると、外からノックをする音が聞こえた。
ウィリアムへの訪問者だろうか。ヴィクターは見つかると面倒だからと、慌ててテーブルの下に潜り込む。
「どうぞ、開いているわ」
扉を開けて入ってきたのは、若い女性だった。茶色がかった髪に青い瞳、目尻がやや下がっており優し気な印象を受ける。身なりも上等で城の下女には見えない。おそらく、そこそこの地位がある人間だろう。
「あなたがウィリアム様が連れてきた術士様、“継ぎ接ぎのマーブル”その人でしょうか」
迎え入れたフランの前に立った女性が問う。フランのことは噂になっているとは言え“継ぎ接ぎのマーブル”の異名を持ち出してフランを訪ねてくるとは驚きだった。普通の人間は忌避して近づかない。だから、その異名を知りつつも頼りにすると言うことには、特別な理由があると考えていい。
「そうよ。正確に言うとその17代目当主のフランドールよ。貴方は一体どなたかしら」
フランのよどんだ瞳に見つめられると、たいていの人間はひるむ。継ぎ接ぎが横断する見た目も相まって、その異様さから多くの人間は思わず目をそらす。
だが、この女性はしっかりとフランのことを見つめ返していた。そこには、何かに縋るように、たった一つの希望を求めるような、強い意志があった。
「失礼しました。私の名前はエリザベス。ヘンリー王子の従姉妹にあたる者です。あなたにヘンリーのことでお話を伺いたいことがあって参りました」
女性は王様の弟であるアルフォンスの娘だった。落ち着き払っている様子も、王族の出と考えれば納得がいく。
「何もおもてなしは出来ないけど、話くらいなら聞くわ。座ってちょうだい」
フランがエリザベスに座るように促す。お茶のひとつも出すところだが、勝手がわからない部屋で、カップの場所もわからない。ヴィクターが潜り込んだテーブルを挟んで、向かい合うように座った。
「ヘンリーとは幼いころからずっと一緒に育ちました。あの子は私より3つも歳下なのに、頭も良くて、むしろ私が引っ張られてばっかりでした。ヘンリーを実の兄妹のように思っております」
いわゆる幼馴染という関係なのだろう。アルフォンスの部屋で聞いたとおりだが、本人の口から聞くと、より親しさがうかがえる。
エリザベスは、いったん言葉を区切り、居住まいを正す。緊張しているのか、大きく息を吸い込む。
「ヘンリーは、あのまま良くなることは難しいのでしょうか」
本題はやはり王子の容態のことだった。フランを訪ねてくる理由なんてこれしかない。
「率直に言って、今のままでは難しいわね。既存の治癒術では越えられない壁があるわ」
フランは即答する。決して気休めは口にしない。それはフランなりの誠実さでもある。
エリザベスは目尻に涙を浮かべていた。容赦が無いが、これが現状なのだ。身体を震わせ俯き、その思いを吐き出す。
「あの子の声が、私の名を呼ぶことが二度とないことと考えると、悲しみが身を打ちます。身体はまだ温もりを持っているのに、その瞳が開くことはない。あまりにも残酷です。ヘンリーには未来がありました。その意思で、この国を導いていくはずでした」
王様の弟であるアルフォンスも似たようなことを言っていた。国を担う器が確かに王子様にあったのだろう。
「良い王子様なのはわかるわ。でも、あなた自身はどう思っているの。正直なところを聞かせてちょうだい」
フランがエリザベスに促す。珍しく興味を持ったのだろうか、その目尻が優しく下がっていた。
エリザベスが涙を拭って顔を上げる。フランの優し気な言動に一時的に心を許したのか、続きを口にする。
「そうですね。慕っております。この感情が兄妹のようなものなのか、それとも男女のそれなのか、私にもわかりません。けれども、ヘンリーのいないこの世界は何もかも色褪せていくのです」
「あなたは、王子様をどうしたいの。いいえ違うわね。王子様にどうあって欲しいの」
フランがさらに促していく。ヴィクターはそれが良心からのものではなく、意図的なものだと気づいた。エリザベスの思いを、この場ですべて吐露させていく腹づもりなのだ。
フランの悪い癖が出ていた。王子の回復を願うその本心と向き合うことを良しとしたのだ。その全力を尽くして救うかどうか判断するための言動だ。この幼馴染は冷徹で容赦がない。
「あの子に、もう一度私に笑いかけてほしい。その優しい声を聞かせてほしい。その輝かしい意志を見せてほしい。私の願いは、それが全てです」
それがエリザベスの本音なのだろう。愛する人に笑いかけてほしい。その声を聞きたい。人生に色彩をもたらす存在として、傍にいて欲しいと願う。
フランは、その言葉を待っていたかのように口を開く。まるで、エリザベスがここに来た時から、そうと決めていたように提案を言葉に出す。
「王子様を助ける手段が一つだけあるわ。ただ、これには協力者が必要なの。王子様の近親者で、傍にいられる人間が望ましい。それに、完璧に元通りとはならない。そう見えるように作り直すことはできる」
ヴィクターは嫌な予感がした。フランが出来ると言ったことは出来るのだ。だが、そこに手段は選ばれない。フランはエリザベスに何かを差し出させようとしている。それは、追い詰められた者にこそ甘美に聞こえる悪魔の取引だ。
「待て、フラン。そこに付け込むのは無しだ。」
思わずヴィクターは机の下から、這い出していた。その姿を認めたエリザベスが小さな悲鳴を漏らす。
「黙りなさいヴィクター。私は彼女の覚悟を聞いているのよ」
フランはヴィクターを抱えあげる。そして、エリザベスに見せつけるように、身体の前で、ヴィクターの頭をさすった。
「あなたは、王子様がどんなものになっても、回復を望むかしら。それは、あなたが知っている王子様と同じとは言い切れない。けれども、それを一人の人間として信じて、支えていく覚悟はあるかしら」
その覚悟は、かつてフランが通ったものだった。再生したそれが、かつてのものと同じだという保証はない。同じものだと、信じることしかできない。
作り直されたものは、自らの存在を問われる。周囲に受け入れられなければ、その絶望は深くなる。自ら望んでなどいないものを押し付けられて、世の中を憎むかもしれない。
それでもと望む願いは独善的だ。自らの色褪せた世界に必要だからと他人の再生を望むのは身勝手だ。
だからこそ、フランは作り直したものを、愛して支えよと覚悟を問う。それが、望んだものの責任だと突き付ける
「ヘンリーが、このままであることを私は望みません。ヘンリーの声を、意志を取り戻せるのなら、私は何があろうと受け入れます」
エリザベスにも葛藤があっただろう。だが、フランの問いを飲み込んだ。フランはそれを同意と取った。
「“継ぎ接ぎのマーブル”は生を求めるものの最後の希望となる。それがどんなものであれ、求めるものに手を貸すのがマーブルよ」
覚悟を持つものの願いを、彼女は見捨てはしない。その願いは、かつて彼女自身が、ヴィクターの再生を願ったものと同質だからだ。
「私たちは、生きることを望む者を最後まで見捨てたりはしない。身勝手で、どうしようもなく捨てられない、その思いに応えるわ」
“継ぎ接ぎのマーブル”はこうして願いに応えてきた。だから、世間一般には外法とそしられつつも、救われたものには福音となった。見捨てられ、追い詰められたものの最後の希望を、その眼前にぶら下げる。
「王子様は脳の機能が停止している状態なの。これをどうにかするためには、何かしらの方法で、機能停止した脳に刺激を送り続けて、神経伝達を活発化させる必要があるの。駄目になった組織を再生しても、それに火を入れるモノがなければ意味がない。けれども、逆に言えば、それさえあればどうにかなる」
フランの言わんとしていることをヴィクターは理解した。悪い予感は的中していた。願いが成就するためには対価が必要なのだ。
「つまり、今の王子様にはない、神経伝達の起点となる別の生きたモノを“継ぎ接ぎ”すればいい」
フランは口の両端を吊り上げる。それは、見るものをゾッとさせる。理性的でありながら常軌を逸した静かなる狂気がそこにあった。
「あなた、王子様のために人生を捨ててくれないかしら」
ただ、愛したものを救いたいと願った。その願いは間違いではない。だが、その願いに応える神などいない。奇跡なんて起こらない。
願いに応えるのは人間だ。禁忌を恐れず踏み込んだものだけが成し遂げる。
治すのではない。作り直すのだ。その行為は不老不死を求めた錬金術に似ている。
彼女の名前はフランドール・マーブル。
生命の理に反逆するバイオアルケミストだ。
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