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 スマートフォンのアラームが鳴る。時刻は午前六時三十分。鶏の鳴き声を再現した音が部屋に響く。

 指を何本も使って適当に画面を連打し、目覚ましを止めた。

 六時四十分。スヌーズ機能により、再度鳴り響くアラームを、今度は確実に止める。「コッ!?」と絞め殺したような音。ベッドから降りて部屋を出ていく。

 母が作ってくれた今日の朝食は、白米と、昨日の残り物の煮物。温められて湯気が立ち昇っている。そして少なくなってきた漬物。こちらは保存容器のまま。冷蔵庫から出したてである。

 朝の街を歩いて行く。電車が走る。車窓の景色が流れていく。

 社内の自分のデスク。モニターとキーボードを叩く両手。

 どこかのビルの屋上からの町並み。雲が流れ、太陽が移動する。

 昼食。コンビニのパンとコーヒー牛乳。

 再び町並み。さらに太陽は動いて、紅くなり、沈む。暗くなるにつれて町の灯りが目立っていく。

 再び社内のデスク。モニターが消える。

 夜の街を歩く。車窓の景色も闇だ。

 夕食は白米と野菜炒め、残り少ない漬物。味噌汁付き。

 テレビから聞こえる野球中継の音。

 自室のモニターに映るグーグルの検索結果。

 スマートフォンの画面。時刻は午後十一時四十分。電気が消える。


 スマートフォンのアラームが鳴る。時刻は午前六時三十分。鶏の鳴き声を再現した音が部屋に響く。

 指で画面の中心をタッチし、目覚ましを止めた。

 六時四十分。スヌーズ機能により、再度鳴り響くアラームを、今度は確実に止める。「ケッ!?」と絞め殺したような音。ベッドから降りて部屋を出ていく。

 母が作ってくれた今日の朝食は、白米と、昨日の残り物の野菜炒め。そして昨夜の夕食後に追加された漬物。元々あった最後の二切れが、綺麗に揃った新しい漬物たちの上にぞんざいに乗せられている。当然自分たちが先に食われるはずだという顔をしていたので、新しい漬物を先に食ってやる。途端に知らんぷりを決め込んだその二切れは、後からちゃんと食べた。

 朝の街を歩いて行く。電車が走る。車窓の景色が流れていく。

 社内の自分のデスク。モニターとキーボードを叩く両手。

 どこかのビルの屋上からの町並み。空一面にたちこめた雲がうねっている。

 昼食。豚骨味のカップラーメンとコンビニのツナマヨおにぎり。ウーロン茶。

 再び町並み。徐々に雲が薄くなり、光が射す。沈みゆく太陽。赤紫に染まった雲。

 再び社内のデスク。モニターが消える。

 夜の街を歩く。車窓の闇にポツリポツリと光の線が流れて行く。

 夕食は萌やし入りの焼きそば。味噌汁付き。

 テレビから聞こえる野球中継の音。

 自室のテレビ画面。連続でチャンネルが変わっていく。そして消える。

 スマートフォンの画面。時刻は午後十一時四十七分。電気が消える。


 スマートフォンのアラームが鳴る。時刻は午前六時三十分。鶏の声を再現した音が部屋に響く。

 本体側面の電源ボタンを押し、目覚ましを止めた。

 六時四十分。スヌーズ機能により、再度鳴り響くアラームを、今度は画面をタップして止める。タイミングが良く、絞め殺したような音はしなかった。ベッドから降りて部屋を出ていく。

 朝食の用意はされていない。食パンをトースターに入れ、牛乳をコップに注ぐ。スマートフォンの鶏がまた鳴き出すのを見計らって止める。食パンにはバターもジャムも塗らない。

 朝の街を歩いて行く。雨が降っている。電車が走る。車窓に雨粒が当たり、筋となって流れていく。

 社内の自分のデスク。モニターとキーボードを叩く両手。

 どこかのビルの屋上からの町並み。暗い空。静かに降る雨。

 昼食。コンビニのツナマヨおにぎり二つ。海苔を後から巻くタイプと、なぜか「和風」を謳っている、すでに海苔が巻いてある混ぜご飯のようなタイプ。アロエヨーグルト。特定保健用食品のお茶。

 再び町並み。変わらず雨。同じ風景のまま徐々に暗くなり、町の灯りが滲む。

 再び社内のデスク。モニターが消える。

 雨の夜の街を歩く。車窓の闇に水滴が光る。

 夕食は白米、生姜焼き、キャベツの千切り、漬物。味噌汁は無し。

 テレビからは野球中継の音は聞こえない。大勢の笑い声。

 自室のテレビ画面。未来が舞台の映画が流れている。画面が点滅する度にシーンが移り、最後にはエンドロールが流れる。

 スマートフォンの画面。時刻は午後十一時五十五分。電気が消える。


 暗闇に文字が浮かぶ。

「生活のために仕事をしているのか」

「それとも仕事のために生活しているのか」

「それとも……」

 一瞬のフラッシュ。

 顔のない白い人形が微かに揺れて立っている。両手を高く上げていて、その先からは紐が伸びていた。その後ろには黒い服を着た何者かが、片手を前に突き出している。顔は見えない。紐はその指に繋がっていた。


 再び画面が真っ暗になり、動画の再生が終わった。自動的に次の動画を再生しようとするのをクリックして止める。

 動画のタイトルは『人生』優斗が撮った動画だ。

 タイトルの横には再生回数が表示されている。一週間前に公開してから、まだ三十七回の再生であった。

 さらにその少し下には、上下の矢印と、そのすぐ横にそれぞれ数字が表示されている。上はその動画を高く評価した視聴者の数。下は低く評価した数だ。上矢印の横の数字は2。そのうち一人は優斗である。一方下の矢印の数字は5であった。

 優斗は自分の首に掛けられたワイヤーを取り外すために、とにかく何でもいいから映画を撮ることにした。この動画は映画と呼べる代物ではないし、タイトルにも【映画】などと付けているわけではない。しかし優斗は映画のつもりで撮った。

 やってみたところで、ワイヤーが外せるのかはわからない。現に優斗の心のモヤモヤは、撮る前よりも大きくなっている。それは思ったよりも再生されないこと、低評価のほうが多いこと、そして何より、優斗が納得していないことが原因だった。あのラストシーン。白い人形は優斗が紙粘土で作ったもので、とても出来が悪い。とにかく早く終わらせたくて、適当に作ったものだ。せめてネットでおもちゃの操り人形くらい買えば良かった。

 製作期間はおよそ一カ月。パソコンのフォルダには毎日撮影した町の風景や三度の食事などの動画がびっしりと並んでいる。社内のデスクは、誰もいない時間を狙った。朝はこれまでよりも三十分早く出勤した。自分の会社や取引先、個人の情報が僅かでも映り込まないように、最新の注意を払った。最後に登場する黒い服の男は、自分で演じるしかなかった。

 公開から一週間、優斗は映画も見ずに自分の動画を再生しては、ふて寝している。

 今回の動画は夢への第一歩だ、などとは思っていない。むしろ、やってみれば諦めがつくだろうという動機から始めたものである。ワイヤーを外すための、後ろ向きで、卑怯な、逃げの行動である。

 だが、優斗の頭の中には、既に別の映像が浮かんでいる。それをどのように撮影するかの想像も広がっている。

 優斗が撮影のために買ったカメラは安いものであったが、それなりに色々な機能がある。パソコンのフリーソフトでも、それなりの効果を演出することもできる。今度はあの機能を使って撮影してみよう、あの効果を使ったら面白いのではないか。次々にアイデアが生まれてくる。

 思いついたアイデアは、ノートにメモしている。ただし、次の日まで覚えていたものだけ。思い出せないものはその程度のものだと切り捨てる。アイデアの発生が落ち着いたら、今度はそのノートを見返して、現実的に考えてみる。自分の技術で可能なのか。可能にするにはどうすれば良いのか。他により効果的な手法はないか。できる限り、考える。

 直感が全てだと思っていた。感覚の世界だと思っていた。だが、それは違っていた。

「考えるな。感じろ」

 それでは、映画を製作することはできなかった。カンフーは強くなるかもしれないが。

 感覚はもちろん重要であるが、それだけでは新しいものは生まれない。自分の中にあるものを外に出す作業が必要だ。当たり前のことなのに、実際にやってみるまでわからなかった。

 今は、こう考えている。

「感じろ。そして考えろ」


 優斗の首には、目に見えないワイヤーが掛かっている。

 温かくて、優しい。

 柔らかいが、たまに苦しい。

 実体がないのに、少し重い。

 邪魔なくせに、愛おしい。

 優斗は今、その首のワイヤーを、しっかりと握りしめている。

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ワイヤーを外す時 赤尾 常文 @neko-y1126

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