第13話「超黒のイカレイド(前)」

序/

 クロト&ビャクヤのタッグとカイとの戦いは、カイの敗北により決着がついた。だがその結果、クロトの異界侵食ランクが急速に上昇――その影響により『イカ刻印の世界』全体の異界侵食率さえも上昇した。それによって並行宇宙からサヴァイヴァーが介入を行いやすくなり……結果として戦いは激化。各地でサヴァイヴァーの出現が確認され――ついに2017年1月、全てのイカ人間のランクが9まで上昇してしまっていた。

 イカ人間たちは自分たちの世界を守るためレジスタンスを結成。迫りくるサヴァイヴァーたちと熾烈な戦いを繰り広げていた。

……だが、その中にクロトの姿はなかった。




1/装黒のイカレイド


永海町ライオン異界領域・湾岸エリア 2017/07/30 21:30


 染み渡る墨の如き夜闇に紛れ、二人のサヴァイヴァーがコンテナの上から地面に降り立った。それぞれ右腕にブレスレットが装着されている。これにより彼らは、その身に宿した異界刻印を効率的に解放させる事ができるのだ。その力はランク7でもステータスを瞬時に振り直すことで最大値であるランク10に迫るほどである。

 ――もっとも、サヴァイヴァーは例外なく全員がランク10であるためその指標はあまり意味をなさない。

 ……だが、今現在サヴァイヴァーが追っている人物にはそれなりに意味を持つ情報ではあった。


「永海町に戻ってきたって聞いたんだけどな。上からの情報が間違ってんのか?」

「そんなはずはないと思うが? ……確かに情報共有から既に5日経過しているのは妙な話だが」

 サヴァイヴァーの二人は当然のごとくそれぞれ出身の並行宇宙は違う。だがこれまでの漂流生活を通して心を通わせていた。それほど過酷な旅でもあったのだ。


「……ライオン野郎は気に食わねえが、ここであのイカ野郎を倒すことができれば、」

 湾岸エリアのサヴァイヴァー、そのうちの一人が言葉を紡ぐその最中。

「――待て、あのローブの男」

 もう一人のサヴァイヴァー、ブラックナイト・ハウンド・ドッグがブレスレットを手で触れながら警戒を強めた。

「お前の嗅覚、さすがだなマジ――」

 すかさず戦闘態勢をとるブラックナイト・アンデッド・バット。

 当然だが彼らのランクは10。ローブの男がイカ人間ならばの話だが――10に到達した者は現状では存在しない。ブレスレットの有無はもはや関係がなかった。二人がかりのサヴァイヴァー相手に、イカ人間は今の状況では単独での勝利など机上の空論ですらなかった。


「ただのイカ人間なら無駄骨だが、こいつはどうだろうな」

 ハウンド・ドッグが距離を詰める。二人のサヴァイヴァーは未だ人間態のままだが、それでさえ可視化する漆黒の戦意は既にローブの男に迫ろうとしていた。

「どっちにしろいつかは倒さねえとならねえ相手かもだ――なら、」


 ローブの男が両腕に力を込める。それを見逃すサヴァイヴァーではない。

「――染黒せんこく

「染黒!」

 それぞれの異界刻印を起動させ、二人のサヴァイヴァーは白き異形へと姿を変える。その瞬間、その白い体を黒き闇が塗りつぶす。


……いや、それは闇ではない。それは文明の色だった。かつて可能性の色彩であったものだった。サヴァイヴァーの世界は既に袋小路と成り果てた世界ゆえに――あらゆる色が混ざりあった果ての色である『黒』でしかその異形なる肉体を染めることが出来なくなっていたのだ。


だがその分、終わりを見た分、サヴァイヴァーの存在強度は確固たるものでもあった。その数値化こそが異界侵食ランク10なのだ。黒色のみで形成された者のみが、現在ランク10に到達しているのだ。


「さぁて……サヨナラだ、イカ野郎ッ――――――!」

 アンデッド・バットの背中から巨大な翼が展開され、跳躍を起点とした滑空が開始される。その速度は既に音速の域。サヴァイヴァーでさえその奇襲を避けるのは困難である。

 それこそランク9のイカ人間では余計に難易度が上昇する……ということだ。つまりはそういったところも含めて机上の空論なのだった。


 ――だが、目の前のターゲットがその空論を成し得る存在であることをハウンド・ドッグは察知した。それは歴戦の直感によるものであり、アンデッド・バットにも培われている技能であった。ゆえにアンデッド・バットもその事実に気がついた。――だが、しかし。


 ――そう、遅かったのだ。ただのそれだけ。

 そしてそれは同時に――


ローブの男が一瞬速かっただけだった。


連射により殺到する墨の弾丸。それらはローブの下から的確にサヴァイヴァー二人の異界刻印へと着弾した。

そして戦いは早々に決着がついた。


「――――な、」

 力が急速に減退していくことに気がついたアンデッド・バットはなんとか体勢を立て直しローブの男、その背後へと着陸した。


「――この男、殺意がまるでない……?」

 ハウンド・ドッグは敗因を理解し、同時にその事実に戦慄した。


「アンタたちの異界刻印はもう使い物にならない。観念して一般人として暮らした方がいいですよ」

 ローブの男は少しばかり飄々とした口調でそう言った。


「待て……!」

 異形を維持できず人間態へと戻っていく肉体でなんとかローブの男を追おうとするハウンド・ドッグ。だが、ローブの男の影――いや、影に紛れた墨の海から何かが浮上したことに気づき足を止めた。


「コイツは甘いけれど、私はそうでもないから。死にたくないなら追わないことね」

「お前――いや、お前たち、やはり」

 相対した者が誰であるのか。サヴァイヴァーの二人は嫌でも理解せざるを得なかった。


「マジで戻ってきやがったのか――イカレイド!」


 ――イカレイド。その通り名で知られるイカ人間こそが――サヴァイヴァーに対抗する者たちにとって最高の希望だった。


 夜闇に、白を残した黒い影が染み渡った。


第十三話「超黒のイカレイド」




異界境界前線『永海シーロード』

永海町イカ異界領域・セントラルエリア―/―ライオン異界領域・湾岸エリア

2017/7/31 8:00


――決戦の時は近い。

レジスタンスの技術部門を任された男、墨染シンヤはそう独白した。

異界化異変初期から姿をくらませていたシンヤは、潜伏先のラボにて対サヴァイヴァー戦を想定した装備の開発を行っていた。それこそが擬似異界刻印散布武装である『イミテイション・スプレー』だった。質ではどうしてもサヴァイヴァーには勝てないが、その代りに量の確保は可能である。


……そう。イミテイション・スプレーとは、イカ人間の成分を基に作成した液体を霧状に変換して噴出させ――それを浴びた者を擬似的なイカ人間に変えるという兵器だったのだ。

実のところ、クロトが触れたスプレー缶もまた――実験のために町のいたるところに配置されていた先行量産型イミテイション・スプレーだった。

だが、イミテイション・スプレーによる変化は一時的なものである。クロトのように……恒常的に変化能力を得るということはあり得なかった。


そこが、シンヤにとっての誤算だった。

――そう、あれはきっかけに過ぎなかったのだ。

墨染クロトは異界刻印の適合者だったのである。


「……ふ、よもやクロトが『本物』の異界刻印に選ばれていたとはな」


 息子の才能を喜ぶべきか否かで、墨染シンヤは大いに迷っていた。


「あいつは強き者だったのだ。……だが、俺は、クロトに戦わせるつもりなど微塵もなかったのだ。……ふ、これが皮肉というやつか? やってられんな、まったく」


 クロトを戦火に巻き込まないためにイミテイション・スプレーの制作を承諾したシンヤは、この状況に乾いた笑みを浮かべるのみだった。……ラボで一人、煙草をくゆらせながら。


「おいおい、危ないから喫煙は外でしてくれって言っただろ。話聞いてんの?」


 シンヤは背後から聞こえた男の声に気がつくと、

「なんだ、アルファルドか」

 心底どうでも良さげな声色で返答した。


 アルファルド・リゲルゼン。自己陶酔の極みと言っても差し支えのないその男はしかし、自己評価に違わぬ技術力と異界刻印を併せ持つやたらとハイスペックな人物である。

 ただそれなりに鬱陶しい性格だとシンヤには思われているので、喋っても適当にあしらわれることのほうが多い。そしてそのたびにアルファルドは銀の長髪を掻きむしるのだった。


「お前なー、ヤリイカを倒せたのも俺作最強兵器あってこそだろう!? 息子さん助けたの実質俺だぞ?? わかってんのそのへん!!???」

「そういうところだぞアルファルド」

 なおもどうでも良さそうなシンヤだった。


「大体、俺が自ら実験台にならなかったら疑似イカ人間も量産できなかったわけだぞ?」

「アレはイサリビの成分に依るものが大きいだろう」

「いいや! イミテイション・スプレー作ったときに俺が実験台になってやったのがそもそものきっかけだ。となれば遠因は俺の献身だと思うんだがね!」

「じゃあそういうことでいい」

「シンヤお前なぁ! クロト君がイカ人間になってしまったのは確かに想定外だが、何も俺に当たることはないだろ――」


 アルファルドの眼前に墨の弾丸が一発飛んできた。アルファルドはそれを目から瞬時にイカスミを射出することで破砕した。イカスミはまるでレーザービームのようであった。


「お前が俺のフリをして置き手紙やら定期的なお便りをクロトに出していたことは既に聞き及んでいる。それが癪に障ると言っているんだ」

 機械仕掛けの右手。その人差し指をアルファルドに向けたままシンヤは言った。指の先には墨が残っている。

「……お前が書けばよかっただけの話なんだぞ、アレ」

 眉をひそめながらアルファルドは言葉を返した。


「フン、どの面をさげて書けというんだ」

 そう言って、シンヤはソファにふんぞり返った。タバコは既に灰皿の上で朽ち果てていた。

「面を見せなくていいのが手紙の利点だと思うんだがね」

 アルファルドは呆れた表情のまま壁掛けスクリーンに映像を投影した。映像には、セントラルエリアと湾岸エリアを繋ぐ唯一の陸路である大橋――永海シーロード……そこに向かって湾岸エリアから進軍するサヴァイヴァーたちが映っていた。その数100。一人一人が一騎当千のサヴァイヴァーが軍勢となって迫りくる。この状況は客観的に見ても絶望的としか思えない。――だが、アルファルドはむしろ余裕の笑みを見せていた。


「シンヤ、見ろ。ライオン異界の連中、ついにしびれを切らしたぞ」

「異界同士、本来は強い方が弱い方の領域を取り込むのだろうが……」

「この宇宙は俺たちイカ異界のホームだからな。地盤の差でこちらが主導権を握りやすいワケだ。……ククク、ライオン異界のリーダーはさぞお怒りだろうなぁ? いつもならホームだろが喰らい尽くせるのに、何故だ? ってなァ!」


 非常に得意げな声色で話すアルファルドとは裏腹に、シンヤは気怠げな声色で次のように話した。

「ヤリイカが作った地下サーキットを利用しているからな。残滓だけでも十分すぎるほどに異界刻印の発動痕がある。これだけ地面に染み込んでいたらそりゃ地盤は盤石だろうさ」

「もっと楽しげに言えないのかお前はさぁ」

「言えるか。この計画のためにお前はクロトを利用したんだからな」


 ――ヤリイカの通称を持つ巨大イカ人間。あれはそもそもサヴァイヴァーに対抗するべく調整を受けていた。その調整を行っていたのが……アルファルドやシンヤが所属していた組織――ツルギモリコーポレーションだった。現在は上層部が行方をくらませたため事実上の瓦解状態にあり、こうして技術部を始めとしたいくつかの部署がレジスタンスの活動を支えているにとどまっている。特に、異界化異変に関する計画を取り仕切っていた男、ヤミガワラの足取りは全く掴めずにいた。


「……クロト君の件に関しては、俺としても何か別の案を探したかった。これは本心だ」

「今更そんなことを聞きたいわけじゃない。計画主導者のヤミガワラが姿を消した今、事の真意を知る者などここにはいないさ」

「…………」

「悪かったな、アルファルド。俺の八つ当たりに付き合ってもらって」

「……その権利はあるだろう、お前にはな」

 言いながらシンヤは、モニターを注視しつつレジスタンスへ作戦開始の通達を行った。


「聞け、同胞たちよ。これよりついに――我々は『ライオン異界』への反撃を開始する。先程入った情報だが、永海シーロードにライオン異界の王であるブラックナイト・レオ率いるサヴァイヴァー部隊が迫ってきている。……一見絶体絶命な状況だが真相は真逆だ。異界領域は異界の王が敗れればその時点で消滅し、我々イカ異界の領域に戻る。故に、これはブラックナイト・レオを倒せばその時点で決着のつく戦いでもある!」


 レジスタンスを鼓舞するシンヤの姿を隣で見ながら、アルファルドは戦いの準備を始めた。

「これは――我々の平穏を取り戻すための戦いである! この作戦の成功は、その礎となるのだ!」

 シンヤが通信を終了するタイミングで、アルファルドは部屋の扉を開けた。


「では、俺も行ってくる。シンヤ、前線の指揮は俺がやるから全体的なあれこれは任せたぞ」

「フン、いつもいつもどことなくユルいヤツだなお前は。……だが任された。故にお前は存分にその力を振るうがいい。アフターケアは俺がどうにかするさ」

「全く、頼もしいやつだよホント」

 アルファルドは微かに笑いながらそう答えた。

 そして、ラボの扉は再び閉じられた。



 ブラックナイト・レオは人間態のまま永海シーロード前に待機していた。彼はバイクにまたがり、後ろに集うサヴァイヴァー部隊――いずれもバイクや装甲車などに乗り、サヴァイヴァーとしての異界能力のみの戦力には頼っていない――の気迫を、その筋骨隆々な一身に背負っていた。むき出しになった両腕には幾つもの傷があり、これまでの激戦をこれでもかと示していた。それはイカ異界での戦いのものでもあり、それ以前の異界での戦いによる傷でもあった。無論、自身のいたライオン異界での傷も含まれている。故にその傷の数々は、ある種の記録でもあった。その肉体に刻まれた傷は、多くの宇宙の痕跡でもあったのだ。


「……業腹ではあるが、セントラルエリアの異界強度の高さには目を見張る物がある。最早ここを攻略するには物理的な正面突破しか方法がない。空からの奇襲は対空兵器による迎撃、そして海は既にイカ異界の『墨の海』が充満しているため我々でも危険だ。故にこの橋を進軍する。イカ異界でも発生した大規模異界侵食により、永海町以外は2016年で時間を停止している。――これほどの好機を逃す手はない。……分かるな? 我が精鋭たちよ」


 どこか言い聞かせる風でもあったレオの言葉だったが、それは既にサヴァイヴァー部隊にとっても選択の余地がない事象であった。故に、彼らはその言葉に是と返す以外の意思はなかった。最早、サヴァイヴァーが宇宙に反逆する手段はこれしかなかったのだ。


 ――宇宙への反逆。その提唱者はデフレという名のサヴァイヴァーだった。その特異性によりいち早くサヴァイヴァーとなった彼は、戦いに依る次の宇宙への継承というシステムを認められなかった。故にこそ彼は、この戦いを以って戦いに依る継承を終わらせようとした。

 ……そう、サヴァイヴァーだけが存在する宇宙を異界侵攻によって成し遂げ――結果として『サヴァイヴァーが管理者という名のシステムとなる世界』ではなく、『サヴァイヴァーが一つの生命として生きていける世界』を生み出そうとしたのだ。

 それによって勃発したのが、サヴァイヴァー部隊による並行宇宙への攻撃だったのだ。


「意思持たぬシステムに成り下がってしまっては、我が胸に滾るこの感情はどうなる? お前たちの慟哭はどこに消える? 今こそ反旗を翻す時だとデフレは言った――ならば、ならばそれに賛同した我らは……ただ戦い、勝ち取るのみだ!」


 大きく目を見開き、レオ――ジョー・ガリーは両腕のブレスレットを起動した。ジョーの異界刻印は、そのあまりの巨大さ故に――両腕に浮かび上がった。そのため、ブレスレットも二つ必要になったのだ。


「   染黒ッッ!!!   」


 咆哮を思わせる声量で放たれたその言葉により、ジョーの肉体は漆黒の獅子を想起させる異形の人型へと姿を変えた。


「行くぞ、我が精鋭たちよ! それぞれ生まれた宇宙は違うが、今ここに集った者たちはその上で我が下にて肩を並べた者たちである。各々思うところはあるだろうが、今はただ一丸となれ、そして――」


 エンジン点火の音が鳴り響く。今まさに、


「世界を手に入れるのだ………………ッ!」


 戦いの幕が上がったのだ。



 迫りくるブラックナイト・レオの部隊。それを迎撃するべくイカ人間たちはシーロードのセントラルエリア側にて待ち構えていた。


「準備はいいな?」

 沖田シゲミツの問いに、部下たちは頷いた。

「オッサン、アルファルドは?」

 トオルの質問に、

「知らん。大方、シンヤさんと話でもしていたのだろう」

 シゲミツは橋の向こうを見据えながら答えた。


 ――アルファルドを部隊長とする、イカ異界の戦闘部隊。沖田シゲミツは今、その副隊長を務めていた。


「オッサンの方が向いてるんじゃないの、隊長」

「それはない。私には、彼ほどの戦闘技術はないからな」

「副隊長任されてんだからもうちょっと自信持ってもいいんじゃない?」

「ふん、それが出来ていればここまで卑屈にはなっていないさ……それよりも崎下」

 シゲミツが右腕を上げた。


「わかったよオッサン。……行くぞお前ら。陣地起動の許可が下りた」

 なぜかリーダーシップをとるトオルに従い、戦闘部隊総勢80名は各々のブレスレットを起動した。

 そして、トオルとシゲミツもまた――


「総員、装黒!」

「「装黒ッ!!」」


 その身を白と黒に塗れたイカ型の異形へと変化させた。

 その全てがランク9。本来ならサヴァイヴァーには太刀打ちできない。――だが。


「陣地『ヤリイカ』――起動!」


 シゲミツの宣言により発動されたその巨大イカ刻印が――不可能を可能に変えた。


 それはかつて墨染クロトが討伐した巨大イカ人間『ヤリイカ』が残した大量のイカ刻印――その発動痕を活性化させてセントラルエリア自体を擬似的なイカスミ補給回路に変化させるというもの。元々ヤミガワラ主導のもと、セントラルエリア地下に張り巡らされていた『ダイオウイカ専用潜航空間』、それを利用したのだ。


「……む!?」

 レオは異常に気づく。戦闘力で自分たちを上回るはずのないイカ人間たちが圧倒的な物量を以って対抗してきたことを。


 レオはこれほどの抵抗を知らなかった。いや、そもそも。

「ヤリイカほどの巨大イカ人間が王に選ばれなかった事自体、奇妙な話だ」

 それ以前に、これまでとの明確な違いが更に前の時点で起きていることに違和感を覚えた。


――何故だ? 何故ヤリイカは破れた? あの墨染クロトという少年は、何故あそこまでの力を持っている?


 レオはそのような疑念を抱いたが、今はそれを忘れた。どのような手を用いたのかはわからないまでも、イカ人間が大量のイカスミ供給能力を有していることだけは地脈の鳴動により察知できたからだ。


「――だが、質では我らの勝利だ……ッ!」

 レオの部隊は、ついにシーロードの中央まで進行した。そして同時に、

「攻撃開始……! 各員、ビームイカスミ……撃てぇーーーーー!!」

 シゲミツの攻撃司令が下った。


「――ビームイカスミ、だと!?」

 レオが驚くその瞬間、漆黒のビーム群がサヴァイヴァー部隊を襲った。それはランク10に到達したサヴァイヴァーすらも一瞬で蒸発させるほどの威力を持った、驚異のイカスミだった。


「馬鹿な、物量を束ね、強制的に質を高めたというのか……!?」

 ランク差は本来絶対的なものである。その領域に介入するということは即ち、禁忌に足を踏み入れるのと同じことであった。

「お前たち、一体何を行った……!!?」


 レオのその言葉を聞いていたかどうかは定かではないが――漆黒に包まれたラボにて、シンヤは言葉を紡いだ。


「――知れたこと。既に黒く染まったイカ異界をリソースにしたまでよ」


 星を染めきった存在たるサヴァイヴァーに対抗するためには星をリソースにする。シンヤの所業は、意味合いだけなら至極適切な対応であった。

 ――だがそれは業である。人一人の身に背負いきれるかすらわからぬ重圧である。星を護るために星を喰い潰す――しかしそれだけが……未だ王のいないイカ異界に残された最後の手段でもあったのだ。


「未来のためならば、俺は過去をいくらでも糧にするさ……文字通りな」


 シンヤの血走った目は、最早執念のそれであった。

 突如脅かされ、あまつさえ息子のクロトすら巻き込まれ今では行方不明。シンヤにとってその事実こそが何よりの原動力であった。


「沖田隊長! ビームの掃射を掻い潜ったサヴァイヴァーが接近してきます!」

「構わん、次はイカスミショットガンとイカスミブレイドだ。残らず仕留める!」

「了解!」


 シゲミツの指示により、ビームイカスミを拡散させるイカスミショットガン、そしてヤリイカ回路によって供給されたイカスミの圧縮率を極限まで上昇させたイカスミブレイド。その二大兵装が姿を表した。星を糧に、巨大なるヤリイカ回路は大量のイカスミをイカ人間たちに供給する。星が消えるより先にサヴァイヴァーたちを殲滅する。憎しみに駆られた彼らの意思が、その戦場にはあった。


 ――そう、かつてクロトがサヴァイヴァー真実を語った時、事態は最早引き下がれない状況にまで陥っていたのだ。

 そして、クロトはレジスタンスの元を去った。





――約1年前――

地球・日本……F市永海町 森林エリア――高台

2016/08/20 22:30


 ――漆黒の極光を撃ち貫いたのは、白と黒の混じった極光だった。

 神崎カイにとってその漆黒なる一撃は、クロトとビャクヤを消し炭すら残さぬほどにまで消し飛ばす必滅の一手であった。

 ……それが今、破られた。白と黒の、満身創痍の彼らに。

 撃ち落とされ、地上に激突するその間際――カイは攻撃の正体に気がついた。


「――ああ、世界が二つあるのなら。それもまた道理か」


 敗北したのは自身であったというのに、カイの心はどうしてか満たされていた。


「それでいい。漆黒に染まったサヴァイヴァーを打倒しうる、最善の一手だ」


 地面に激突し、土煙が上がる。頭上には星々が煌めき、サヴァイヴァー特有の強靭な漆黒の肉体を照らした。


「ああ、俺はまだ、照らされているんだな」

 カイは空へと手を伸ばし、故郷にいた白い生き物を思い浮かべた。


 カイのサヴァイヴァーとしての名は、アフターグロウ・クロウと言った。大抵の場合はアフターグロウの名で呼ばれることの多かった彼だが、本人としてはクロウと呼ばれたかった。クロウ……即ちカラスは、人によっては不吉な印象を抱くのだろう。けれどカイにとってカラスとは、希望の象徴だったのだ。


 カイのいた世界では、カラスは白い生き物だった。幸運の象徴とされ、人々から愛されこそすれ、蔑まれることはなかった。――そう、誰一人として。


 おそらくは、有史以来、完全にカラスへの感情が固定されていたことこそが――カイのいた『カラス異界』の終焉につながったのだろう。可能性の縮退、それこそが終焉の要因となるのだから。


 カイとて、今となってはそのことを理解していた。だが、彼にとってカラスとは、人々の笑顔――その象徴に他ならなかったのだ。彼の世界は、どこまでも平和な発展に満ち満ちていたのだから。


 ――カイがサヴァイヴァーに選ばれた時、『カラス異界』は当然の帰結として黒く染まりきっていた。平和を望んで王となったカイは、そこで一度絶望したのだ。

 もう、自分の世界に“白”などない――と。


 ……その時、白い羽根が一つ、カイの眼前に降ってきた。

 唯一、奇跡的に染黒を免れた羽根だった。どこかに逃げ延びていたのだろうか。カイは羽根の主を必死で探した。……けれど、結局見つけることは叶わぬまま、カラス異界は2015年で幕を下ろしてしまった。

 カイは、その時の白い羽根を肌身離さず持ち歩くようになった。


 ――クロトとビャクヤに倒される、その寸前まで。





――現在――

異界境界前線『永海シーロード』

永海町イカ異界領域・セントラルエリア―/―ライオン異界領域・湾岸エリア

2017/7/31 10:00


 戦いは熾烈を極めていた。ビームイカスミの攻撃を突破した一部のサヴァイヴァーたちとの近接戦闘が始まったのだ。不意打ちめいた高出力遠距離攻撃による殲滅。イカ人間にとって、それが最も勝率の高いプランであった。確かにその作戦によってレオの部隊を壊滅させることはできた。だが、足りなかった。生き延びた精鋭たちを率いてレオが一気に距離を詰めたのだ。


「効いたぞ、イカ異界の民よ」

 レオの漆黒の肉体からは硝煙が立ち上っている。その上でなお健在。それがレオの強靭さを物語っていた。


「オッサン、コイツは僕たちでどうにかしよう」

「……ああ。――お前たち、周囲のサヴァイヴァーは任せた。レオは私と崎下で倒す」

「しかし、隊長。その男は――」

 部下の一人がレオに圧倒され、恐れを口にした。

「たわけ。私を誰だと思っている。副隊長であるぞ」

「――! ……承知しました、ご武運を」

「……ああ」


 それがシゲミツの空元気であることはわかっていた。けれど、シゲミツが自らそのようなことを口にする――その事実に、部下はシゲミツの覚悟を感じ取ったのだ。


「言うじゃん、オッサン」

「貴様はこんな状況でも減らず口か」

「じゃなきゃ、やってらんないだろ」

「――フ、それもそうだな……!」


 急接近するレオに対して、シゲミツは墨の海を周囲に大量展開――そしてそこから夥しい数の『墨の義手』を放つ。


「ええい、煩わしいわッ!」

 レオの圧倒的な気迫により、墨の義手は次々とへし折られていく。レオは体中からプレッシャーを放ち、それすら具現化し攻撃に転用する。百獣の王ライオン。その力を持つレオは、ただその在り方だけで周囲を圧倒しているのだ。


「そういつまでも無双させるかよッ!」

 墨による分身能力により、トオルは墨の義手に紛れてあらゆる位置からレオにビームイカスミを撃ち込んだ。取り回しのいい、小型タイプの武器を自身の墨で作成したのだ。


「やっぱ墨染のようにはいかないか」

 ビームイカスミ射出用の武装は、小型のタイプを作成するためのコストと時間が足りなかった。そのため、もし使用する場合は自前で作成しなければならなかった。……だが、実のところそれは精密な構成技術が必要な代物だった。クロトやビャクヤのように、瞬時にあれほどの水準にまで完成度を高めることは困難なのだ。


それでも、トオルはこの日までに何度も作成を試み――ついに己にフィットした武装の作成に成功したのだ。


だが、それでもなお――


「だが、効かぬわ……ッ!」

 レオの放つプレッシャーによって威力を減衰され、決定打にはならなかった。


「クソ、オッサン!」

「ああ、ここまでだ!」

 これ以上の接近戦は危険だと判断し、トオルとシゲミツは距離を取るべくバックステップの体勢に入った。


「見逃すとでも!」

 レオは両掌から衝撃波としか思えないほどのプレッシャーを放ち、トオルとシゲミツを吹き飛ばした。

「ごっ……!」

「がっ……!」

血を撒き散らしながら地面を転がるトオルとシゲミツ。だがこれでもマシな方だ。墨の義手による防御があったからこそ、この程度で済んだのだ。その証拠に、直撃を受けた『トオルの分身』は砕け散り――元の墨に戻っていた。


「どうした、距離を取らねばこの程度か?」

 そう問いかけながら、レオは、防御手段を持つシゲミツを始めにターゲットとして選択した。

――その、ターゲットを選択するという、わずかな隙。

それを、トオルは、シゲミツは、そして――


「な――に――」


 セントラルエリア中心部から墨ランスの長距離投擲を成し遂げたアルファルドは待っていたのだ。


「こ……これ、は」

 自身の腹部を貫通した巨槍を見つめながら、レオはすべてを察した。

「……そうか。ヤリイカすら――この槍を生み出すための素材でしかなかったということか」

 ヤリイカ回路と最も相性がいい存在となれば、当然ヤリイカとなる。そのヤリイカの成分を再凝縮して構成した巨槍ならば、投擲距離が長ければ長いほど――回路との相互作用によりむしろ一層威力を増していく。天才であるアルファルドの正確無比なる投擲と組み合わせることにより、その槍はレオのプレッシャーすら貫通するほどの威力を持ったのだ。アルファルドが前線にいなかったのは、何を隠そうこの作戦のため。部隊の焦燥感すらブラフだったのだ。


「……我らの勝ちだ。レオ」

 なんとか立ち上がり、シゲミツはレオに勝利宣言をした。


「見事だ、イカ異界の民よ――」

 そう言ったきり、レオ/ジョー・ガリーは動かなくなった。


 こうして、2017年7月。ライオン異界は消滅した。取り込んだ幾つもの並行宇宙とともに。


 周囲からは勝利の歓声と、サヴァイヴァーたちの怯えの声が聞こえてきた。戦闘部隊隊長であるブラックナイト・レオが敗北したのだ。当然といえば当然である。


 だが、その直後。


「あちゃぁ、ジョーくんやられちゃった。アルファルドが切り札持ってないわけないからねぇ。それの偵察をするだけだったんだけど……」

 どこか気の抜けた声色の、女性の声が――ライオン異界側から聞こえてきた。


「でもさすがに、今の食らってたらヤバかったしね。ありがとねジョーくん」

 銀髪の女性が、微笑みとともに現れた。


次回、「超黒のイカレイド(中)」

近日更新。

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異界化スプレーマン 澄岡京樹 @TapiokanotC

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