第12話「超克/超黒」




 ナツミちゃんからのメッセージ:ビャクヤちゃん、アレを始める気ね!




 熱気と湿気が入り交じる、じっとりとした空気が肌にまとわりつく真夏の夜。それをかき消すかのように木霊す祭り囃子と露店の賑わい。夜闇に輝くそれらは、まるで一夜の夢のよう。けれど、そこにあるのは紛れもない現実であり、参加している人々もまた、確かにここで生きている。……墨染クロトは、イカ人間やタコ人間、カラス人間――そういった異形たちの戦いがこれ以上……目の前に広がる日常を侵食していかないで欲しいと、そんな思いを抱いていた。彼が戦う理由は、実のところただそれだけだった。かつて『ヤリイカ』と呼ばれる巨大イカ人間と遭遇した時から――無意識下でクロトはその思いを抱き続けていたのだ。


 ――そういった、夏祭りの雰囲気とは些かばかりズレた心持ちで……クロトは道を行き交う人々を掻い潜り、とある場所に向かって歩いていた。

 ――もう少しで到着だ、と。クロトは歩き続ける。賑わいは収まる気配がなく、物寂しさはどこか別のところへ行ってしまったかのよう。様々な飲食物の匂いが混ざり合い、独特の空気感が生み出された道を進むクロトだけが、どこか孤独を感じさせた。

 ……別に、クロトは孤独というわけではない。友人に恵まれており、シンヤから手紙も届く。彼自身、寂しさという感情を抱くことは殆ど無い。


 ――ただ、クロトはイカ人間に変化したことで、人のコミュニティから外れた気がしてしまっていたのだ。


 クロトは、それを気にしないでいる。ただ、心の何処かには――それを気にするクロトもいる。クロトとてそれは理解している。その上で、クロトは気にしないことを選んでいた。この『イカ』の力をポジティブな方向に使おう、未来のために使おう、――そう思えば思うほど、クロトは心の中に勇気が湧いてくる実感があった。だからこそ、超常的な力を悪用する者たちを、クロトは止めようとしていた。


 ――クロト一人でここに来い。あの赤黒の襲撃者はそう言った。だからこそクロトはただ一人、単身でその場所に向かっていた。場所は――


「ここ、花火がよく見えるのよ。……貴方もよく知っていると思うけど」

 坂を登った先の高台。木々に囲まれつつも、ちょっとした宴会を開くことが可能な広さを持った、森のなかの広場。そこに――墨染ビャクヤが浴衣姿で立っていた。


「……なんで浴衣着てここに来ているのか、とか色々聞きたいことはあるけど」

 疑問点は複数あったが、クロトはビャクヤがここにいること自体には何の意外性も感じていなかった。


「……やっぱり、アンタだったんだな」

 昨夜の襲撃者がビャクヤであることを、クロトは察していた。ただ一度、プールで会話をしただけだと言うのに。ビャクヤはイカ人間ではなくタコ人間だと言うのに。


「いきなりアンタ呼ばわりだなんて、プールで会った時と比べて随分とささくれだっているのね」

 ビャクヤの言葉に、クロトは「それもそうだな」と小声で呟き、そしてすぐにその答えが出た。

「……まあ、こう言ってしまうと元も子もないのかもしれないんだけど」

 一瞬だけ言葉を切って、クロトは続けた。


「自己嫌悪なんだと思う、だって――


 相手がイカ人間でなくとも、クロトは徐々に理解してしまえるようになっていた。……ビャクヤが、他ならぬ自分自身だと。ビャクヤへ抱いた謎の恐怖感が、実際は同族嫌悪の極致とも言える自己嫌悪なのだと。――そう、自分自身だからこそ、感覚で理解してしまったのだ。墨染ビャクヤが――


 ――並行世界の自分自身なのだと。




 第十二話「超克/超黒」




 ――サヴァイヴァー。それは、終わった並行宇宙から惑星ごとに一人ずつ選出された、文字通りの生き残り。それぞれが何らかの生物から力を借り受け、その力を以って――超越を成し得る変貌を遂げる。その証こそが、『異界刻印』である。


「……終わった並行宇宙ってのがよくわからない」

「宇宙にだって寿命はある。そして、終わった先に新たな宇宙が生まれるワケ。――でも、宇宙だって無限に増えたりはしない。管理者の処理範囲も無限じゃないからね」


 ――よくわからないことを言うのだな、とクロトは思った。この会話だけで、その全てを理解できるのだろうか? いや、この話の理解には、ある程度の時間が必要だろう、クロトはそう結論づけた。


「まあいずれにせよ、終わりが決定した順に宇宙はサヴァイヴァーを決めるための戦いを始めるのよ。……それが、」

「それがイカ人間同士の戦いだったってことか」

「ええ、その通り。そして、惑星はそこからさらにサヴァイヴァーを厳選し――


 ――管理者。次なる宇宙において、惑星ごとに選出される超越者。それは国に一人どころか町に一人といったレベルの人数である。なぜならば――


「超越者は、可能性に比例して増え続ける並行宇宙――その全てにおいて自分の管轄エリアを管理しなければならない」

「管理者はなぜ必要なんだ?」

「うかつに滅びの道へ至らないために、と聞いてるわ」

「あんまり具体的じゃないな」

「でも、そういうものなのよ」

 ビャクヤはそう答えるだけだった。彼女もその点については詳しく知らないようだ。


「でも私はサヴァイヴァーになることを是とした。そこにチャンスが有ったから」

 チャンスと、ビャクヤは言った。それは、生存のチャンスか、それとも――

「私は、今年も花火を見るつもりだったのよ。けれど、その前に宇宙が終わってしまった。――私にとっての二〇一六年の夏祭りは、今やっと始まったとさえ言えるのよ」


 花火が先に空で輝き、その直後に重なるように音が響いた。その閃光が一瞬の影を作り、クロトとビャクヤは刹那の間だけ黒く染まった。


「そして、私――墨染ビャクヤの世界は二〇一六年の夏に黒く染まりきった。文明の色は、完全な黒になったのよ――私が勝ち残り、これ以上戦う必要がなくなったことで……そう、滅びを食い止める理由が消滅したことでね」

 再び色を取り戻しながら、ビャクヤが語った。

「――それは、俺の世界ではまだ起きていないだけだと」

「そうよ。でもこうして『異界化異変』が始まっている時点で」

「ここも同じだと」

 ビャクヤは頷いた。――誰かが勝利者となり、その結果ランクが10に到達した時点で、ということである。10に至るには、最後の一人になる必要があるのだ。


「……でも、実のところ私たちは――

「……何?」

「私たちは本来、他のサヴァイヴァーが決定されるまでは、終わった自分の宇宙ごと時間を停止されるの。――でも、ある能力を利用して、私たちは並行宇宙への移動を開始した」

 ビャクヤは、その先の言葉を紡ごうとした。――だがそこに。


「……そこまでだ、ビャクヤ。その話はまだ早い」

 だがそこに、神崎カイが現れた。


「カイ。やっぱりお前もサヴァイヴァーだったんだな」

「思ったより早い再会だな、クロト。そして、早い理解だ」

 そう言いながら、カイは右腕のブレスレットを起動した。


「私を始末するつもり?」

「ああ、俺たちはこの宇宙をまだ維持させねばならない。だというのに、だというのにビャクヤ、お前はクロトをさらなる段階へと導こうとしている。それは――時期尚早というやつだ」

 そしてカイは、

「――染黒――」

 その言葉を口にした。


 刹那、カイのブレスレットは異界刻印の力を増幅させ――『カラス』の力をハイスペックに行使する超越者へと彼を変化させた。


〈BLACK OUT【Crow】〉

 電子音が、花火の合間に響いた。

                                   つづく

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