わん次郎とじじい
刻一(こくいち)
わん次郎とじじい
春のうららかな陽射しが縁側をぽかぽかと温める、そんな昼下り。台所から流れてくるトントンだとかコトコトとかの音に一つ一つ耳をピクピクさせながらも、その犬は縁側に敷かれた座布団の上で惰眠を貪っていた。
まだ少し肌寒いけど穏やかな風が優しく犬を撫で、その毛をわさわさと逆立て、髭をさわさわと震わせながら鼻先を乾燥させ、仕方なく犬はぺろりと自分の鼻を舐めた。
良い気持ちで微睡んでいたのに、それで意識が引き戻されてしまってちょっぴり不機嫌になっていると、台所から聞こえていた音が止んで誰かが縁側へと歩いてくる音がして、犬はピクリと反応し、顔をむくりと上げた。
ゆったりとした風がカサカサと木の葉を揺らす音と雀がチュンチュンと鳴く音だけが支配していた静かな空間に、ギシギシギシと木製の床板を踏み鳴らす音が響く。
その音の主――両手でお盆を持って廊下を歩くその男は七〇歳ぐらいに見える。ほとんど全ての髪が白くなった頭を綺麗に七三に分け、家の中だというのにベージュのズボンに白い長袖のカッターシャツにバーガンディのニットベストというキッチリとした格好でいるところからも男の几帳面な性格が透けて見える。
男は縁側まで歩いてくると犬を見付け、穏やかに微笑みなら声をかけた。
「ワン次郎、ご飯だよ」
「ゥワウ!(メシか! メシだ!)」
ワン次郎と呼ばれた犬は座布団の上からガバッと体を起こし、シュタタタと男に走り寄ってその足にしがみつく。そして無意識にしっぽを高速回転させた。
「ワン! ワン!(メシ! じじい、早く!)」
「おおっとと。こら、ワン次郎、こぼれるじゃないか」
男はワン次郎を優しく足から引き離すと縁側の床板の上に銀色のボウルを置き、その横に水が入ったボウルを置く。
するとその瞬間、ワン次郎がボウルに襲いかかるように飛びかかる。
「はい、今日はカリカリに鶏ささみと鰹節を混ぜたスペシャルメニューだよ」
「ワフワフ……(カリカリは嫌いだと言っ……肉うまうま……)」
ガツガツと貪るようにボウルにかぶりつくワン次郎を見ると男はその隣に座り、穏やかに笑いながらワン次郎の頭からしっぽまで優しく撫でていく。一回、二回、三回、四回と撫で、そして今度はしっぽ側から頭へと逆向きに毛を逆立てるように撫でてみて、そしてまた頭から撫でていく。
その目は穏やかで優しげで嬉しそうで、そして少し悲しげだった。
「美味しいか? ワン次郎」
「ワウワウ……(だからカリカリは嫌いだと言っ……鰹節うまうま……)」
「そうかそうか。ワン次郎はこれが大好きだもんな」
そう言いながら男はワン次郎の背中を撫で続ける。優しく撫で回し、時にしっぽで遊び、指先でコリコリと頭のてっぺんを掻き、また優しく撫でる。そしてふとその手を止めてつぶやいた。
「ワン次郎……私達はずっと一緒だよ」
「ワフ(じじい、手が止まってるぞ、早く撫でろ)」
ワン次郎は一声鳴くとまた水をベチャベチャする作業に戻る。
二人の間に春の優しい風が流れた。
わん次郎とじじい 刻一(こくいち) @kokuiti
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
カクヨムを使い始めて思うこと ――六年目の手習い――/烏川 ハル
★215 エッセイ・ノンフィクション 連載中 313話
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます