まるで詩のように、気持ちのよいリズムで綴られる物語、「きみのヘンゼルはもういない」の世界に魅入られていた。
この作品の情景描写はとても美しく、ある意味官能的で、それでいて感情的だ。
二人の複雑な想いや背景について、特に触れられていないのにも関わらず、冒頭で感情移入してしまった。
ただ、複雑な背景とは裏腹に、何を想っているかは、とてもシンプルなのだろうと思えた。
きっと二人は「離れたくない」のだろうと。
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特に驚いたのは、よつとひめさまが想い合っていることに、何の違和感もないことだった。
本来であれば、この二人がどういった背景があって、この関係に至ったのかがわからなければ感情移入できないと思っていた。
が、自分は冒頭で「なんで離れるんだよぉ……」と悲しい気持ちになっていた。
読者の自分がチョロすぎる節も否めないが、それでも著者の特徴的な文章で引き込まれたのは確かである。
また、それだけ引き込まれたのは、キャラクターの想いの純度の高さにもあると思った。
「きみのヘンゼルはもういない」の世界は、フィクションの中でも、よりリアリティの薄い「おとぎ話」に位置するものだ。
この世界、つまり「おとぎ話」だからこそキャラクターは美しくて、純粋である(/あってほしい) と考えたのだろう。
だから、感情移入したのかと腑に落ちたとき、一杯食わされたなと思った。
とても感情に訴えかける作品だと思っていたが、実はよく計算されていることに気づいたからだ。
勿論、良い意味で。
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よつと姫さまが想い合う関係になるプロセスは、この作品で語られることはなかった。妄想が膨らむ、よい塩梅になっておりニクいなと思った。
ひめは依子が複数いる中で、ひめさまはよつを選んだ。
もしかしたらよつが選んだのかも知れないが、物語の性質とよつの性格を鑑みると前者が妥当なように思う。
では、ひめさまは何故よつを選んだのだろうか。よつに好意を持ったのか。
依子たちは、ひめさまの影の存在であり、"姿形が限りなく似ている" はずだ。
何故だろうか?
少なくともある一定の年齢までは、多様性を認められないはずなのに、ひめさまはよつを選んだのは何故だろうか。
それはひめさまにしかわからないことだろうと思う。
独特のひらがなの使い方、擬音のやわらかさ、そして多用される連体止め、何もかもまるで詩で、読み終わってこれは感情をうたわぬ叙情詩だったのだと思います。
そこかしこに「よつ」の、そして「ひめさま」の想いの強さ、溢れんばかりの気持ちがほとばしっているのに、実は直接的な感情表現に通ずる形容詞は少ないという、芸術作品です。
文芸、ということばがありますが、この作品を読むと、文章はアートたりうるのだと思います。
触れる行為や求める感情は、同じシーンを他の方が書いたらひょっとしたら官能的な描写になるのかもしれませんが、「よつ」と「ひめさま」の間にあるものはきれいで、美しく、繊細で、上品で、この世界は完成されていて、さながら水彩画のごとき爽やかさとやわらかさを感じるのです。
そして最後まで読んでからタイトルに立ち返ると、「もういない」のはけして悲しいことではなく、ヘンゼルは羽化したことによって消えたのだという安堵。
ハッピーエンドでした。