未来のあなたへ

十一

告白

 あの人を殺してしまったのはわたし。


 あなたは――あなたなどと他人行儀に呼びかけるのも変な話だけど、死体を発見してすぐにこのメモを見つけて目を通しているのだと思う。この文章を書き終えたあと死体の傍らの目に留まりやすい位置にルーズリーフを置くつもりをしているから、きっとそうなっている。幸い死体からの出血はそれほどないから紙が汚れて読めなくなってしまうなんて心配もないし。


 わたしの目論見通りメモを拾い上げそこに記され文字を追っているあなたは、まだ状況を上手く飲みこめずに混乱しているだろう。


 けれど、これは確かなこと。あの人を殺したのは間違いなくこのわたしなのだ。

 どうしてこんなことになってしまったのか?

 あなたの疑問は当然のものだし、そしてそれはわたしにとっても同じ。外部犯による犯行を装うための工作を終えた今でも信じられない気持ちでいっぱいだ。


 そもそも、わたしはあの人を殺すつもりなどなかった。ずっと仲の良い兄妹だと信じていたのだから動機だってない。あの人の本性を知ってなお、やっぱりわたしは自分の兄を憎むことができずにいる。だってあの優しかったお兄ちゃんだ。わたしが父に怒られているといつだって庇ってくれたお兄ちゃん、試験前には自分のことよりもわたしの勉強を見るのを優先してくれたお兄ちゃん。あの兄があんなことをしでかすなんて……。


 だからなのかもしれない。偽装なんてしでかしてしまったのは。あれが悪い夢だった、本当はそんな事実はなかったと自分自身を欺くために捏造までしたのではないか、そう思えてくる。

 こんな場当たり的な行動が、どこまで通用するのかはわからない。日本の警察は優秀だってよく耳にする。偽装なんてたちまち看破されてしまうかもしれないし、そうなればわたしの罪はより重くなってしまう。

 けれどもう引き返せない。いまさらすべてをなかったことにはできない。


 兄は死んでしまった。咄嗟に枕元の目覚まし時計であの人の頭部を殴りつけてしまったのは仕方のないことだ。だってそうでしょ。目を覚ました瞬間に目に入ったのが、下半身になにも履いていないあの人の姿だったのだから。わたしに跨がるみたいにしてベッドに乗っているのを見れば、これからなにをしようとしているのかは一目瞭然だ。あの人の指は既にわたしのパジャマにかかっていた。運良く起きなければどうなっていたのか。想像すらしたくない。


 倒れたあの人はまだ生きていた。当たりどころの問題なのかほとんど血は出てなくて、白目をむいて全身をびくりびくりと痙攣させていた。このときに病院か警察に連絡すれば良かった。そうすれば正当防衛になったし、もしかしたら兄が命を落とすことだってなかったかもしれない。

 なのに、わたしがまず行ったのはあの人に服を着せることだった。衣類さえ整えれば私が襲われた事実がなくなるとでもいうかのように。苦労して下半身に下着とスエットパンツを履かせたところであの人のやったことがなくなりはしない。それどころか、四苦八苦して服を着せているうちに状況は悪化していた。

 兄の息は止まっていた。


 心臓マッサージや人工呼吸で応急処置をすれば、まだ引き返せたのかもしれないのに、わたしは外部犯に偽装するという悪魔のようなひらめきを得てしまった。

 深夜、寝静まっているのを留守だと勘違いして侵入した泥棒。しかし、我が家にはわたしと兄がいた。物音に気づき目を覚ました兄と鉢合わせた泥棒は鈍器で兄を撲殺し、そのままなにも盗らずに逃走する。


 偽りのストーリーで塗り固めるためにわたしは動いた。

 まずあの人の死体をリビングに移させた。わたしの部屋に放置しておくのがイヤだったというのもあるけど、泥棒が二階の隅のこんなところに入りこんでいるのはおかしい気がしたせいだ。


 腕を持って階段を引きずりリビングにまで運ぶだけですごく時間がかかったので、それからの作業は急がなければならなかった。わたしには時間がなかった。

 自分の靴の上から兄の古い靴を履いて庭に降りリビングの掃出し窓のガラスを割った。テレビで見た、鍵の近くをガムテープで丸く囲むみたいにして貼る方法を真似してみたけど、思いのほか音が鳴った。それから靴を履いたまま室内に上がって足跡をつけた。逃走したように見せるために庭にから道路へと出て、そこで兄の靴を脱いで近くの川に投げ捨てた。家に戻ったわたしは、わずかに廊下に付着していた血を拭き取り、ついでに自室の床と目覚ましからも痕跡を拭い去った。


 全てを終えわたしはこのメモを書き始めた。こうして文章を綴っているうちに多少は気持ちの整理がついた。

 こんなものを書く必要なんてなかったのかもしれない。朝になって死体を発見したあなたは警察に通報するだろう。わたしの計画にはそれだけでじゅうぶんなはずだ。あなたに一切合切を告白する必要などなく、結果を警察に委ねてしまえばいいとも思う。


 けれどわたしはわたし自身の罪を心の奥底では認めていた。兄の行動から目を逸らしたいがために死体を動かし証拠をでっち上げた。欺瞞に溺れて忘れてしまいたいという欲求はあった。しかし、だからこそあの人を手にかけてしまった事実が逆に強く意識されてしまうのだ。


 あの人は死んだ。わたしが殺した。

 どれだけ自分を欺こうとそれだけは変えることができない。

 大好きなお兄ちゃんをわたしは殺してしまった。


 あなたは、あの人の死体を前にして、誰がこんなことをと憤ったかもしれない。なにしろ中途覚醒によって睡眠導入剤の副作用の一過性の前向性健忘に陥ったわたしの記憶はもうすぐ消えてしまう。


 たとえ偽装が成功して警察の目を誤魔化せたとしても、わたしの罪はなくならない。

 忘れてしまうことなど許されはしない。

 わたしの罪はあなたの罪。

 一生消えない罪。

 一生背負って行かなければならない罪。

 たとえ覚えていないのだとしても。


 あの人を殺したのはあなただ。



    わたしからわたしへ

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

未来のあなたへ 十一 @prprprp

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ