エピローグ
「失礼します。艦長」
「おお、起きてるぞ。少し待て」
部屋の外から、航海長の声。
簡易ベッドに横たわりながら読んでいたタブレットを置き、『JN 雪風』と刺繡された軍帽を被り直し、身体を起こす。
カーテンを開け、廊下へ出る。
「どうした?」
「お休み中のところ、申し訳ありません。見張り長が妙な物が見えると」
「分かった。電波状況は?」
「依然として、極めて悪いです。電探はおろか『春風』との通信も不可のままです」
「そうか」
急いで、艦橋へと向かう。
ここ数日、空中雷海月の数が異常に急増。電波は事実上、遮断されていた。
経験則から偵察が必要と判断した、豪州北西部の都市ポートダーウィンを根城にする日本海軍――と、言っても主力は南米に落ち延びており、駆逐艦及び小艦艇数隻が稼働しているだけ――は、未だ対『怪獣』全面戦争を経験せず、楽観的な豪州軍を振り切り、歴戦の駆逐艦『雪風』『春風』による海上偵察を実施していたのだった。
艦長が艦橋に至るとほぼ同時だった。伝声管から潮風で枯れた声。
「こちら、見張り台。艦橋!」
「艦長だ。どうした?」
「本艦前方東30度。距離約25000。海上に何かいます!」
――電波を封じられた人類が縋ったのは、結局、人の目であった。
1990年代以降、激増した空中雷海月に対抗し、各国海軍はかつての先人達がそうであったように、見張り員の視力強化に取り組み、結果、2031年現在、昼間偵察距離20000以上を叩き出すようになっている。
南米へ逃れた日本海軍主力に所属する駆逐艦『神風』の見張り長に至っては、距離40000で敵『怪獣』を視認したことすらあるらしい。
……殆ど、情報が届かぬ今、健在なのかどうかは分からないが。
艦長が問いかける。
「相手は何だ? 本艦の位置はポートダーウィンから約200キロ。流石に『大顎』じゃないとは思うが……空中の敵は?」
「現状、確認されず。ただ、今日は雲が低くて――『大翅』数体視認! 距離25000!」
見張り長の切迫した声。
艦長は落ち着いて命令を下す。
「合戦準備。昼戦に備え。『春風』にも信号を送れ」
「アイサー」
『雪風』は急速に戦闘準備を整えていく。
対『怪獣』戦闘が激しさを増していた時期に建造された最終世代の量産型駆逐艦だけあって、各部は出来る限り直線が多用されている。
火砲もまた強力であり127mm砲を連装で六基装備。数体であればまず負けはしないが……。
「艦長?」
「見張り長、海上にいるのは何だ? 大海蛇か?」
「待ってください――……そんな、まさか……あり得ないっ」
普段は冷静沈着。
日本海軍が大日本帝国海軍だった時代から、海軍の飯を食っている男が、心底から狼狽していた。
「見張り台より艦橋! 海上にいるのは『大顎』!! 奴等、奴等……自分達の身体で『橋』を作ってやがるっ!!!」
『!?』
艦橋に戦慄が走った。
『橋』――すなわち、遂に始まったのか。
人類に残された最後の楽園の一つ。豪州大陸への全面侵攻が。
艦長は震える声で命令を発した。
「面舵いっぱい! 機関即時一杯待機! 全速力で帰投するぞっ! 通信長、無線状況は」
「駄目ですっ! とてもじゃないですが使用可能にはっ!」
「見張り台より、艦橋! 『大翅』がこちらに気付いた模様っ! 十数体、接近しつつありっ!!」
「!」
十数体――やれなくはない。やれなくはないが、十数体だけの筈がない。
機関をやられ、足が止まってしまえば嬲り殺しにされてしまう。
そして、この情報を報告出来なければ実質的な奇襲を受けることになるだろう。そうなれば……。
「『春風』より発光信号!!」
「何だと!」
慌てて双眼鏡を握る。どうして後続していないっ!
双眼鏡が、みしり、と音を立てた。
『ワレシンガリヲツトメン。サキヲイソガレタシ』
泣きそうな顔をした航海長が叫ぶ。
「艦長!」
「…………機関最大。『春風』へ発光信号。『了解。かたじけなし』。今はこの情報を持ち帰ることが優先される」
「っ……!」
馬鹿野郎がっ!!! と口の中で叫びながら、艦長は言葉を振り絞る。
『春風』艦長は、今や数少なくなった彼の兵学校同期生であった。
問題は――
「見張り台より艦橋! 『春風』交戦中。なれど、迂回し数体、来ますっ!!」
僚艦を犠牲にし、死力を振り絞ってもなお『雪風』が生き残れるかは、まだ分からないことだったが。
――2031年6月23日。『怪獣』豪州大陸及び南米大陸へ同時上陸。
人類の終焉、その始まりだった。
『怪獣』と呼ばれる生物に対する覚書:断片 七野りく @yukinagi
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