出発進行!

「部活は何時から始まるんだろ……」


 パタンと閉じた生徒手帳を小さな枕に変えて机の上に突っ伏した。


 帰りの挨拶を終えてからもうすぐ一時間半。一年生の教室ばかりのこの階は『しーん』という音が聞こえてきそうなくらい、シンとしている。


 冗談だったんだろうか。

 私は、からかわれたんだろうか。


 最初の30分はドキドキしてソワソワして、何も手に付かなくて。

 次の30分は足音が聞こえる度にビクビクして、何度も手櫛てぐしで髪を直した。

 けれど、その次の30分に入ってからというもの私の心はヒリヒリと痛み続けている。


 ちょっと期待してしまった分、落ち込みは激しい。髪の毛を直す手も空回りしてる。


 遠くが少し騒がしくなる。

 バタバタと廊下を走る靴の音。

 この音のどれかが近付いてくればいいのに、期待は弾け……一つ遠ざかり、また一つ遠ざかった。


「……帰ろ」


 立ち上がる時にわざとガタンと椅子を鳴らしたり、ちょっと荒く鞄を取ったのは、シンとした空気に耐えられなくなっていたから。


 さっき遠ざかった足音のように、強めの音を立てて歩き、教室を出ようと後ろの扉に手をかけたその時だった。


 遠くで聞こえた足音が、勢いよくこっちに向かってくるのがわかる。


 陸上選手もびっくりしてしまうような速さで近付くその音が、ハルキ先輩のものだと何故かわかった。


「あおいちゃん、ごめん!」


 前の扉を思い切り開けて、私を確認した先輩は両手を胸の前で思い切り合わせて謝った。


「山本が! あ、山本って新しく入ったサッカー部の一年なんだけど、今日一年生は特別時間割で五時間だったっていうもんだから! 本当ごめん!!」


 先輩は慌てすぎていたのか、私の前に辿り着くまでに机に二度も足をぶつけた。


「お金、本当にありがとうございました」


 取り出した水色の封筒を向けると、先輩は『ありがとう』と言って受け取った。

 朝の電車での雰囲気と違うのは、制服じゃなくてサッカー部のジャージだからかな。

 それとも、先輩の顔を見た途端に息を吹き返した私の心臓の音が届いてしまってるのかな。


「……あおいちゃん、あのさ」


 封筒を受け取った手をそのままにして先輩は言った。


「これ俺が受け取っちゃったら……またチャリつうに戻しちゃうかな?」


 ハルキ先輩はもう一つの手で口元を隠しながらだったけど、確かにそう言った。


「チャ……、私が自転車で通ってたこと知ってたんですか?!」


 ハルキ先輩はコクリと頷いたあと、照れくさそうに顔の半分を覆った。


「……電車から見てて、その、だから」


 大人っぽいと思っていた先輩の、子どもっぽいこんな姿を見てしまったら、私だって浮かれてしまう。


 私は、はじめの一歩を踏み出した。



「ハルキ先輩、部活……見てっていいですか?」



 グラウンドの土埃も、汚れたシューズも、何故か桜色を纏っている。



 ――今日の帰りは、歩きがいいです。

 駅を3つ分でも4つ分でも歩けそうなくらい楽しいから。


 ――明日の朝、自転車にしていいよ。

 電車の中から、楽しそうに漕いでる姿を見るのも実は好きなんだ。


 ――じゃあ週末は、あの公園まで一緒に行きませんか。

 桜が咲いたって聞いたから。


 ――じゃあその時は、電車にしよう。



『この電車に二人の恋を運んでもらおう』




 🌸🚃 お わ り 🚃🌸

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恋ハコ電車 嘉田 まりこ @MARIKO

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