2.

「今日は野菜のカットは僕に任せて下さい。貴女はまず、皮むきをお願いします。またピーラーで爪を切らないでくださいね」

「はあい」

以前、張り切って皮むきをしていて、調子に乗って手が滑り爪を切ってしまったことがある。今日は慎重に、だけどだいぶ慣れてきた手つきでジャガイモやニンジンの皮を剥いていく。剥いた分から僕がカットして面取りをする。

大きく割ったキャベツに櫛型のタマネギ、ぶつ切りのセロリと、鶏もも肉、ソーセージとを一緒に圧力鍋に入れて、最後にローリエを入れるのは彼女の仕事。

「おいしくなーれ」

彼女はこの葉を「魔法の葉っぱ」と呼ぶ。呪文を唱えて一枚、そっと鍋の真ん中に置き、圧力鍋の蓋をする。

「貴女、好きですよねえ、ポトフ作るの」

遠距離恋愛をしていた時代から、彼女は一人暮らしの食卓でポトフをよく作っていたそうだ。

「もうホントウ、圧力鍋バンザイだとつくづく思うわ」

キッチンの椅子に座って待つことにした。

「ねえ、そういえば、今度麻婆豆腐を豆板醤から作ってみたいんだけど、教えてくれる?」

「中華は任せて下さい。いつもは麻婆用の合わせ調味料使ってるんですよね」

「うん。中華の調味料って本格的なの買ってもなかなか減らなくて。豆板醤とか、甜麺醤とか、花椒とか」

「豆板醤や甜麺醤は野菜のディップや、炒め物の隠し味に使えますよ。オイスターソースも結構応用がきくんです。中華調味料は、和洋の料理にも使えるんですよ」

「そうなんだ。今は二人だから作り甲斐があるし、調味料も余らせちゃうこともなくなるかな。・・・ねえ、もっといろいろ教えてね」

彼女はとてもいい生徒だ。素直で、何よりも向学心がある。今まで僕と同居した人間は、自分が作るより断然美味しいからと料理係を僕に任せっきりにしてしまっていた。彼女も「やっぱり貴方が作るほうが美味しい」と口を尖らせたけど、「でも貴方だって働いてるんだし。私の仕事は家でする作業だから、できる家事は私もやりたい」と、掃除や庭の花の手入れなども一生懸命覚えようとする。

「私たち、家族になるんだね」

球根を植えながら、頬っぺたを土で汚した顔で、にっこり笑ったっけ。

ああ、そうなんだ。

「そうですね。僕たちはこれから家族になるんですね」

軍手を外して、彼女の頬の土を拭った。このひとの、そんな努力がたまらなく愛おしい。


しゅっしゅっと圧力鍋がけたたましく音を立てて蒸気を噴く。鍋の中で何かが出来上がっていく音。僕たちが口にする料理、僕たちの体を形成していくものを。

圧力鍋を待つ間、彼女はアボカドとツナのオムレツを作り、僕はフルーツサラダを作って、冷蔵庫からパプリカのピクルスを出し器に盛った。

「いつもこの位の皿数出せればいいんだけど、まだ2人分作るのに慣れなくて。ごめんね」

まゆを八の字にして手を合わせてみせる彼女。

「一人で自分だけのために料理を作っているとね。私の料理は実験みたいな感覚になってしまってたの。分量をいちいち細かく量って、タイマーかけて、手順通りに作ってくだけで、それは大事なことだけど、器に盛って一人で食べると、何だか味気ないものになってしまう。でも、今は、作るのも盛り付けるのも食べるのも本当に楽しい。一緒に食卓を囲む人がいるからかな」

「いい心意気ですね。貴女は本当に筋がいいですよ」

二人でいただきますをして、熱々のポトフを口にした。彼女の味加減は薄味だが深みがあって美味しい。

「美味しいです。オムレツの形も本当に上手になってきたし」

「嬉しい」

こうして、僕たちは少しずつ本当の家族の形を作っていくのだ。


雨はまだ止まない。

僕たちは、照明を消したリビングで映画のDVDを見ている。

モノクロームの画面の中、老いた道化師と美しいバレリーナの恋。それに涙する彼女の、テレビの光に照らし出された横顔は、いつもより大人びて見える。

年上の割に童顔の彼女は、髪を伸ばせば今よりも年相応に見えるだろうか。

寂しがりな彼女を守るように生きる生活の中で、本当は彼女を杖のようにして僕は生きているのかもしれない。そうやって寄り添い、僕たちは生きていく。

もう決して離さない。死が二人を分かつまで。いや、死も二人を分かつことはできないだろう。

「雨、まだ止みませんね」

映画が終わり、少し小降りになった雨の音に耳を澄ました。パジャマを出しながら彼女は少し硬い表情で、独り言のように言った。

「それでも、止まない雨は無いのよ」

振り返ると、彼女は花の蕾が綻びるような笑顔で言った。

「大丈夫よ。朝にはきっと晴れてるって天気予報で言ってるわ」

「明日は仕事かー」

「私は打ち合わせでちょっと出かけなきゃ」

二人で床に就くと向かい合って笑った。

「いい休日でしたね」

雨だったけれど。

「貴方がいたから」

雨だったけれど。

「おやすみなさい」

長いキスをして、固く抱き合って、互いの息で雨音が聞こえないようにして眠りに就く。

世界一僕を好きでいてくれてありがとう。僕の大切な貴女。


-end-

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Sweet Little Bitter Rain 琥珀 燦(こはく あき) @kohaku3753

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