ヨハネ=シロという女は愛され愛し、そして殺されたい。
中田祐三
第1話
「シロって本当に男見る目無いよね」
「え~、そうかな~?」
劇団での稽古後の飲み会。 女だけの寂しい集団の中で隣に座った友人がしみじみとそんなことを言ってきた。
「そうよ?前の男だって、その前の男だって、結局うまくいかなくて別れてるじゃない!しかも皆、DV野郎ばかり」
「そう言われるほど、された覚えないけどな~」
「いやいや一回でもおかしいでしょ!別れるときはいつも刃傷沙汰で大騒ぎになるじゃない」
「包丁突きつけられたのは一回だけで、あとは灯油巻かれたりとか車で突っ込まれそうになったくらいだよ」
なるべく深刻にならないようにホンワカとした風に返したが、それがかえって友人たちの感情を刺激したのか、
「だから一回でもおかしいでしょうが!」
周りの友人たちも深く頷いて同意を示す。
ああ、失敗したな~。 しかも皆、お酒飲んでるから少し長くなるかも。
内心の苦笑を隠しながら私は黙って友人たちの話を聞いている。
「どうして毎回毎回最後はそういう風になるのよ」
「ああそうだよね、しかもそういうことしない風な人ばかりだよね」
「でも悪い人ではなかったよ」
「そうやってポワンとしてるから変な男に引っかかるのよ!」
もう一人の友人の言葉に反論したが、それは悪手で余計に説教は長くなってしまうのだった。
「はあ…でも皆、本当に悪い人じゃなかったんだけどな~」
結局お説教はお店が閉まる深夜まで続き、さすがに面倒くさいな~とは思いはしたけれど、友人の善意の忠告なので我慢して聞いていた。
友人達の憤りもわかる。 他人から見れば本当にそう見えるだろうし、実際期待外れな人達ばかりだった。
でもその『期待外れ』という言葉は友人たちと私とでは大きな齟齬があるけれど。
そうなのだ。 歴代の恋人達は悪い人ではなかった。 最後には私を殺そうとしてきたのだけれど、そこだけは保障できる。
そしてその『私を殺そうとして出来なかった』からこそ、あの人たちは期待外れだったのだ。
私の一番古い記憶。 今でも鮮明に覚えている。
4歳の暑い夏の日。 血走った母の目。 その手に持ったビニールテープ。
それが遊んでいた私の首にゆっくりとかかり、母の望みを理解できなかった私は普段から相手にしてくれなかった母が私と遊んでくれるのだと思っていた。
母は病んでいた。 どうしてそうなってしまったのかはわからない。
私の知らない家庭の事情があったのか? それとも個人の問題なのか? はたまた妄想ゆえなのか?
いまとなってはわからないけれど、いまさら知る必要も無い。
母は今でも鉄格子の付いた病院で今でも私の名前を呼びながら手に持ったぬいぐるみの首を締め上げたりちぎったりしているらしい。
ビニールテープが首に巻かれるのを私はキャッキャっと笑って逆らうことはしなかった。
母はその間でさえ、私の顔を見てはくれなかったけれど、ブツブツと名前を呼んでくれていたので遊んでくれていると私は思っていたのだ。
「白子…お願い、死んで…死んでちょうだい…死ななければいけないの…だから…お願いだから死んで頂戴」
数秒の逡巡の後、母は首に巻かれたビニールテープを力いっぱい引っ張って私の首を締め上げた。
苦しい。 苦しい。 苦しい。
でもその苦痛でさえ、母が遊んでくれているのだから我慢しなきゃ。
やがて視界は赤く染まり、それが左右から徐々に暗くなっていく。
半分くらいまでその暗闇に染まっていったときに身体全体が滑り落ちていく感覚に陥った。
落ちて。 落ちて。 落ちて落ちて落ちて…そして堕ちきった先にはきっと…。
けれど母の願いは叶わなかった。
心を病んだ母を心配した父が、私を殺そうとしているのに気づいてそれを止めたのだ。
解放されて咳き込む私を父に取り押さえられた母は半狂乱になって睨みながら、
「死んでちょうだい…お願いだから死んで、死んでよーーー!」
と叫んでいた。
死の何歩か手前で助かった私は、苦しかったことも忘れて母の顔をじっと見続けていた。
せっかくお母さんが遊んでくれてたのに…。
残念に思いながら。 いつまでも…。 いつまでも…。
なぜ私は生きているんだろう?
その時からずっとそれは私の中に備わっていて、でもそれを口に出してはいけないことだとすぐに気づき、胸に秘めて今まで生きてきた。
父は私の思いには気づいていて、ことあるごとに『それは口に出してはいけないよ』と諭してくれた。
そして私はそれを従順に理解して、またそれを誤魔化す為に子供らしい演技をするようになった。
純粋で朗らかでいつもニコニコとした可愛らしい女の子。
父や周りの大人達が望むように。
いつしかそれは癖となり、習慣となり、やがては私自身へとなっていった。
高校生の時に父が死んだ時でさえ、それは崩れなかった。
涙は出なかった。 友人や先生、近所の人達が慰めとお悔やみの言葉をかけてくれるが、それをすべて笑顔で返していき、葬儀が全て終わり、一人になった家でボンヤリと天井を見上げながら私は心から安堵した。
これで死んでもよくなったな~。 お母さんとの約束も果たせるな~。
でも自殺なんてする気はなかった。 私はあの時の遊びの続きをしなければならないのだから。
一人ではあの時の続きが出来ない。 だから母の代わりを私は探した。
私は私を愛し、私が愛した人に殺されなければならない。
あの時の母には私への愛情と憎しみ、そして悲しみが綯い交ぜになった瞳をしていて、それがいまだに私を魅了している。
あの瞳を見ながら死んでいきたい。 ううん、殺してもらいたい。 そうしなきゃいけないの。
幸いなことに私は男性の興味を引きやすい身体をしているらしい。
とくに胸が平均よりも大きく、よく友人に
「何食ったらそんなにでかくなるのよ」
とからかわれていた。
父が死んでからは何人かとも交際をした。
普通にデートをし、キスをしてセックスもして時には愛の言葉も囁いたこともある。
それと同時に私は交際相手が徐々に私を憎むように、殺したくなるように仕向けていく。
それはちょっとした仕草や言動に行動。 ありとあらゆる手を使いながら、まるで遅効性の毒を飲みこませるように。
少しずつ。 少しずつと。
そうやって交際相手が駄目になっていったり、徐々に依存していく姿を見ながらもうすぐ…もうすぐ私を殺してくれるはずだと黒い喜びを楽しんでいた。
でもそれが叶ったことは一度としてない。
まあこうやって生きていて、友人から駄目出しをされているのだから当然なのだろうけど。
あまりにも失敗するので、女性とも付き合ったこともある。
実際、交際するのはどちらでも良かった。
どうやら私は両性愛者(バイ)というものらしく、ただ愛せて、愛してくれて…そして殺してくれるのならば性別なんてどうでも良かったから。
女性と付き合ったのは十八歳の時で、単純に好奇心もあった。
バイト先の先輩で誰からも頼りにされていて、いわゆる姉御肌という人だった。
誘ったのは私の方。 恋人に振られて落ち込んでいたのを私が言葉巧みに誘うと、心が弱っていたので彼女はあっさりとそれに乗ってくれた。
私の中で交際というのは男女ともそう差は無い。
語り合って、一緒に過ごして、愛を囁く。 セックスだってそう変わりはしない。
ただ挿入をするかしないか程度で、それくらいならば十分に満足させられるし、出来るようにもなった。
愛でられるのも好きだが、愛でるのも私は好きだ。
身体を重ねて、同じ時間を重ねながら、愛でて愛でられてそのときを待つ。
だが結局は同じで……いや、正確に言えば男と女では多少の違いがあった。
件の女性は最後には嫉妬に狂い、私を束縛してきた。
束縛自体は男性の恋人もするが、それは男とは違い、ものすごくじめっとした代物で、被害者染みたそのウエットな感覚にはさすがの私も閉口した。
やはり女は愛されたがる生き物なのだろう。 だから愛するよりも愛されないことがひどく心が傷つくみたいだ。
それは古代から男と女が別れ、現代まで続いてきた時間の中で決定的に設定された『違い』っていうものなのかも。
結局、件の女性は私との仲を思い悩み、手首を切って死んでしまった。
私は多少の残念さと大きな失望を持って彼女の葬式に出席し、家に帰る頃にはすっかりと彼女のことは忘れていた。
殺してもらいたかったのにな~。 でも良い経験だったし…まあ次、頑張ろっ!
そう思いながらビールを1缶飲んで寝た。
最後に付き合った男性は良い線までいくことは出来た。
劇団の先輩で人当たりもよく、役者として人気もあった。 なにより自分に自信があってエゴイスティックなところとその反面、それゆえにもろいところもあり、そこが可愛らしいと思える人でもあった。
交際はどちらから始まったのだろう? 思い出せないことを考えるとどうでもいいことなのだろう。
彼との交際は順調だった。
プライドの高い彼を怒らない程度に徐々に傷つけて、落ち込んだ際には罪悪感を持つように行動していく。
彼は傍目でもわかるほどに追い詰められていった。 その姿は周囲にはとても痛々しくみえていただろうけれど私には愛しく見えた。
やがてそのときが来る。
狙っていたオーディションに落ちて、代わりに受かったのが内心で彼が見下していた後輩が受かったことをそれとわからないようにチクチクと慰めていくうちに彼はついに激昂してくれた。
そして彼はあの時の母のように血走った目をして私の首に手をかけてくれた。
呼吸どころか骨ごと折れそうな強い力で私を締め上げて……。
その目には愛と憎悪とやるせない苛立ちで満ち溢れていて、理想的な瞳だった。
薄れていく意識の中で、きっと私は幸せそうに笑ったのだろう。
それが悪かった。
それで彼は正気を取り戻してしまい、うずくまる私を見ながら何事か叫びながら部屋を出て行った。
呼吸が落ち着いて、一息ついたあとに私はそのまま床に寝転び、天井を見上げながら、
「ああ、また失敗しちゃった…あの人も駄目だったな~」
と痕が残るほどに強く捕まれた首に手を当てながら呟く。
その後、彼は劇団を辞めて故郷に帰ったらしいのだが、それこそどうでもよいことなので私はいつもの日常に戻っていった。
オマケのような残りの人生を過ごすだけの退屈な日常へ。
「まったく本当に男運が無いわね、シロは…」
「それで結局、また音信普通?狙ってるんじゃないの?」
内心でささくれだつような友人の言葉に私はいつもと同じだった。
「悪い人ではなかったよ」
それは慣れているからではなくて、機嫌が良かったから。
実はその飲み会の昼間に新しい出会いがあった。
大きな悩みを抱えながら憂いを込めた瞳をし、それを心の底に押し隠していながら自分で思ってるほどにはまっすぐ歩けていない人。
でも優しくてツンとした見た目と反した少女らしいところもあり、私立学校で教師をしているそうだ。
その人が私を殺してくれるかはわからないが、少なくとも傍に居たいなと思えてしまう……そんな女性と久しぶりに出会えた。
友人たちもうるさいからしばらくは男性との交際は控えてその女性と親交を深めていくのも悪くないかもしれないな。
トラブルによって内心で右往左往していた彼女を助けた私に、後でお礼を言いたいからといわれて連絡先ももらえたしね。
「今度こそはちゃんとした男見つけなさいよ?」
「う~ん、そうだね~」
全然懲りて無い様子の私に友人達は苦笑しながら「また明日ね」と手を振って別れると私は一人家路に着く。
まあそう簡単に運命の人には会えないよね。
でも男には失敗したけれど、悪くない出会いはあったし…まっ、いっか!
洋子さんとも知り合えたし、可愛い人だし。 運命の人に出会えるまでは退屈しなさそうだよね。
気を取り直した私は気持ちを切り替えて人がごった返す街中を軽やかに歩いていると。
んっ? なんだろう…?
ふと前方に居たカップルがクスクスと笑いながら何かを見て通り過ぎていく。
好奇心を刺激された私がアルコールで少しだけふらつく足でパタパタと近づくと、そこはゴミ捨て場で、積み重なったゴミ袋の上に男の人が仰向けに倒れていた。
フワリと強いアルコール臭がする。
ああ、酔い潰れちゃったんだね。 それにしても嫌な酒だったのかな? 相当飲んだみたいだけど…。
「…大丈夫ですか?」
とりあえずかけた一言に反応してその人は億劫そうに瞼を開く。
私とその人の間で視線が交差した瞬間、背筋に電流が流れたのを確かに感じた。
ああ、この人だ。 この人こそが私を殺してくれる人なんだ。
きっと愛と増悪と大きな悲しみを瞳に宿して私を殺してくれるはず。
そんな確信が取れた。 今まで以上に。 自分でも驚いてしまうほどに。
「そんなところで寝てたら風邪ひいちゃいますよ?」
「うっ…あっ…?」
どんよりとした瞳にきょとんとした表情に変わる。
ああこの人、見た目とは違って意外に可愛い人なのかも。
「はい、起きてくださいね~、そういえばお名前は?」
「…須藤…修…二」
戸惑いながらも差し出してくれた手を私は強く握りしめる。
「私の名前はヨフネ=白子って言います。シロって呼んで下さいね?」
「ふっ…変な女だな」
フワリと笑った彼の顔は小さい男の子のようにも見えたがそこには何か言いようの無い陰りのようが含まれているのを私は感じ取る。
もしかしてこれが運命の出会いというやつかもしれない。
昼間に出会った洋子さん。 そしていま出会った修二さん。
どちらが私を殺してくれるんだろう? ワクワクするな~。
私は笑顔を浮かべる。 演技じゃない心からの。 そして私の念願を込めて…。
どうか私を殺してくださいね。 強く。 強く。 愛して愛されて…そして、確実に……ね。
ヨハネ=シロという女は愛され愛し、そして殺されたい。 中田祐三 @syousetugaki123456
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