だれにだって、幻のような記憶があるのでしょう。懐かしさに心がふるえたり、思い返すたびに胸が締めつけられるような記憶が。
ふるいにかけられながら、すこしずつ手のひらから零れてゆく記憶。いつしか靄がかってしまった思い出。それらが風化していくのは仕方のないことなのかもしれません。
ですが、胸の奥ふかくで化石となってしまう記憶があるのなら、蕾がほころぶようなものだってきっとあります。
この物語の主人公である刻都--彼にも、思い出せないけれどたいせつな記憶がありました。悠伽という少女。六年前の事件。そのとき、彼女がほんとうに伝えたかったこと。
この物語を読み終わってしばらくのあいだ、雨の降る夕方、とても長い夢からさめたような切なさに溺れていました。
あの白い花を、彼女の鳴らす音を、私は知っているような気がするのです。
青春のうちに負った深い傷は、もしかすると一生かけても癒えることはないのかもしません。それでも、と思います。
遠い場所にたたずんでいた悠伽は、刻都に憶えられていたことで生きてゆけた。うつろう歳月のなかで、その事実はやさしい陽だまりのような記憶となって、彼らふたりの心を癒やしてくれるのではないでしょうか。
『ありがとう』
悠伽が彼に告げた最後の言葉を、私も信じていようと思います。
最後になりますが、ほんとうに執筆お疲れさまでした。やさしく照らしだすような音海先生の物語が、これからもずっと大好きです。
『過去』というのは不思議なものです。
ずっと昔に過ぎ去ったことのはずなのにいつまでも覚えていることがあるかと思えば、少し前のことなのにすっかり忘れてしまったことがあったり。
誰かを傷つけた、という記憶がずっと消えてくれなかったり、あるいは誰かに傷つけられた、という記憶がずっと残っていたり。
大切に思っていた相手のことを、時間が経って「いい思い出」と振り返ることができるようなことがあるかと思えば、時間が経ったからこそ余計に、その人が大事に思えてしまう、ということがあったり。
いずれにしても変わらないのは、その『過去』がいくつも積み重なった先に、『現在』があるということ。そしてそれは、いつかの『未来』に至ったとしても、変わることはないのです。
この物語の主人公の刻都も、当然ながら、そうした『過去』の上に立っている人間なのです。
彼には、六年という長い月日が経っても、どうしても忘れられない『過去』があります。
ある『動画』をきっかけに、彼は再び、その『過去』と向き合うこととなります。
そして――悠伽という少女と交わした『約束』、記憶に残り続けるAadd9のアルペジオ、そんな『過去』との繋がりを辿っていく先で――彼は『心なんて、なければよかったんだ』と、そう思うような『何か』と直面することとなります。
彼の『過去』には一体何があったのか。悠伽との『約束』とは一体何だったのか。そして――導かれていった、その先に待ち受けているものとは、一体何なのか。最後まで、決して目を離すことができません。
これからこの作品を読む、という方には、是非、刻都たちと一緒に『その先』のことに思いを馳せながら読んで頂きたいと、そう思いました。