終章
窓から夕日が差し込み、保健室を淡い茜色に染めている。
ここを管理している竹内先生は、職員会議に参加しているため、今はいない。
いるのは俺と、ユリさんのみ。そのユリさんも、今は机に突っ伏して寝息をたてている。俺も、無理に彼女を起こそうとはしなかった。
開けられた窓から緩く、優しい風が吹く。カーテンが揺れ、その影をはためかせた。
俺は懐から、一枚の名刺を取り出した。合田のものだ。
姉貴が調べた所、合田の娘さんもあの飛行機に、五○一便に乗っていたことがわかった。だから、唯一生還した俺に興味をもったんじゃないか、と姉貴は言っている。
初めはきっと、そこが原点だったのだろう。しかし途中から、何故コイツが生き残って娘が死んだのか、何故娘を助けてくれなかったのか、自分があの場にいれば娘を助けることが出来たはずなのに、という想いに変わっていったはずだ。
完全な逆恨み。でも、その疑念を後押しするような死に方で、母さんは死んだ。そして俺は、母さんを喰らって生き延びた。
合田が俺たちの立場になったら、どうするのだろう? 答えはわからないが、俺と母さんのよう(親が子を殺そうとするようなこと)にはならないだろうと、何故だか俺は確信していた。
そういえば、合田は俺のことについては記事にするつもりはないらしい。これも姉貴に教えてもらった情報だ。合田は娘さんにとって、きっと良き父親だったに違いない。
名刺をしまうと、グラウンドから運動部の掛け声が聞こえてくる。
窓から吹く風に髪を弄ばれる中、ここの時間だけが、ゆっくりと流れているように感じる。まるで世界から弾かれたように。切り離されたように。
「ん……ぁ……」
ユリさんが、何か寝言をつぶやいた。その内容の意味は、わからない。
俺が母さんを喰ったことについて、花さんに聞いてみると、簀巻きにされた後でこう言われた。
『義息子が多少珍しい肉を食べたことがあるって言われても、あーそーですか、ぐらいしか言えないよ』
そう言われてしまうと、苦笑いを浮かべるほかなかった。後、簀巻きにされると思った以上に身動きがとれなくなることもわかった。
ユリさんにも聞いてみた。
『あの駐車場で言ったアタイの気持ちは、今も変わんねぇよ。そ、それに、サトルもアタイみたいに、世界で独りぼっちだってのがわかって、その、う、嬉しかったし……。ちょ、ちょっと、ちょっとだけだぞ!』
まさか、喜ばれるとは思わなかった。でもユリさんのが喜んでくれたのは、俺が母さんを喰ったからで、なんだか複雑な気持ちになった。
それでも、受け入れてもらえたという安堵感のほうが、ずっと大きかった。
俺はそんな彼女を見て微笑みながら、スマホを取り出した。
間部さんからは、お礼のメールが届いていた。近いうちに、是非遊びに来て欲しいと書いてある。
飯田さんからは、催促のメールが届いていた。近いうちに、アイスを奢って欲しいと書いてある。
それから俺は、柳瀬総合病院でユリさんに送ったメールを表示させた。が、気恥ずかしくなって、すぐに俺はスマホをしまった。しまったその手で、彼女の頭に手を伸ばす。
安らかな寝息をたてる彼女の頭を、俺は優しくなでた。
人の顔がバケモノに見え、恐怖に怯えているのは、世界でユリさんただ独りだろう。
母親に殺されそうになり、その母親を喰って生き残ったバケモノは、世界で俺独りだろう。
世界から弾かれ、独りぼっちになった、周りがバケモノにしか見えないユリさん。
世界から切り離され、独りぼっちになった、人を喰らいバケモノになった俺。
独りぼっちになった俺たちだけれど。
独りと独りの俺たちは、世界でたった二人の、二人ぼっちになった。
顔が見えない少女 メグリくくる @megurikukuru
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