第11話 勇者の凱旋





 その日、王都は空前の賑わいを見せていた。街道に立ち並ぶ露天は通りのはずれまで途切れることなく軒を連ね、街を行き交う人の群れは酸欠で目眩を覚えるほどにごった返している。


 ーー勇者の帰還。ーー突如ルクレツィア王国にもたらされたその吉報は、一夜にして王国全土に知れ渡った。

 帝国の武力外交や、魔王の脅威など、様々な外患に抑圧され続けた民衆はその鬱憤の全てを晴らすかのように狂喜し、異様な興奮の中、街中を埋め尽くしていた。


 勇者。

 大陸一の伝統と歴史を誇るルクレツィアの王族のみに伝わるとされる秘奥の術式によって、異世界より喚び出される救世の徒。救国の英雄。

 事実がどうあれ、少なくともルクレツィアの多くの民は勇者をそう認識している。


 しかし、私は、勇者とは民衆が思い描く幻想のように、『美しいだけの存在』ではないと断言する。



 ーールクレツィアは豊穣な領土を持つが故、幾星霜の昔から様々な外圧と争ってきた。脈々と続く血と殺戮の歴史は、王国歴千年を超えた今でも尚、絶える事なく続いている。


 大陸のおよそ半分を掌握した魔王ハ・デスの統治する広大な魔王領や、ルクレツィアの肥沃な領土を虎視眈々と狙う人族最大国家『ガーランド帝国』と領土を接するルクレツィアにとって、戦争とは外交カードの一枚に過ぎないと言えるほど頻繁に直面する問題である。

 度重なる武力衝突とそれによってもたらされる戦果の渦は、長き歴史の中でルクレツィアを幾度も疲弊させてきた。歴史を紐解けば滅亡の危機に瀕したことさえ幾度となくあったらしい。

 そして今尚、帝国の軍事力と、『黒の血脈』なる精強な魔族を従えた魔王の脅威は、ルクレツィアを始めとした大陸諸国を大いに悩ませている。


 そう言った歴史と、今の大陸情勢を踏まえて鑑みると、異世界より召喚される勇者とは、ひとえに『消耗する人間兵器』であると評さざるを得ない。


 勇者召喚の儀。それはルクレツィア王家が脈々と受け継いできた秘術であり、言い換えれば、千年の歳月を越えても『受け継ぐことが出来るほど絶えず行ない続けてきた伝統の儀』でもある。

 文献によれば、勇者の召喚は数十年に一度ほどの頻度で行われ、喚び出された異世界の徒は総じてその高い魔力と身体能力をもってルクレツィアに仇なす数多の外敵を排して来た、らしい。


 その姿を体良く言えば、ルクレツィアの守護者。有り体に言えば、代わりの用意出来る殺戮兵器。ーーそれが勇者の実態である。


 ともあれ、見る人によってその評価や認識に差異はあるものの、異世界より喚び出された勇者が例外無くルクレツィアに多大な貢献を果たして来たこともまた事実ではある。


 ーーでは、今代の勇者はどうだろうか。


 貴族を含め、ルクレツィア全土に広がる今代勇者の品評は、一言で表すなら『半人前』である。

 それが戦闘能力を指しての評価なのか、或いはその文言が、内面やその他の欠点に掛かっているのかは諸説あるが、今代勇者のルクレツィアに対する貢献度を歴代勇者と比較してみれば、なるほど確かに、その偉業は些か霞んで映る。


 ーー当たり前だ。過去には、大陸全土を統一しかけた強力無比なる魔王を討伐した聖勇者や、王都の目と鼻の先まで押し寄せた帝国軍を撃退し、時の帝を単騎で討ち果たした救国の勇者などが、その輝かしい栄光と共に書物で語られている。しかし、今代勇者の主な実績と言えば、『ルクレツィア城で暴挙を働いた逆賊の捕縛』以外に目立ったものは無く、その逆賊も結局名前すら公表されていないのだから、市井ではそれすら『王国のでっちあげ』ではないかと囁かれている。



 ーーしかし、しかしである。


 『勇者、魔王軍幹部を討伐せしめ、王都へ凱旋』。

 王国三大新聞社に数えられる『エルルーク日報』の一面を飾った突然の吉報は、ルクレツィアをひっくり返すような一大ニュースとして王都を駆け巡った。

 エルルーク日報が独占掲載したその記事によると、数人の仲間と共に魔王領に踏み入った勇者は、魔王軍幹部であり、ルクレツィア侵攻の要でもあった『真祖の吸血鬼』を討ち取り、今日、王都へ凱旋するらしい。




「ーーあー、馬鹿らしい」


 気温は大して高くないのに。なんだこの熱気は……。


 昼間から乱痴気騒ぎで盛り上がる王都にはその喧騒から逃れる場所など何処にも無く、勇者が凱旋パレードを行なう予定のルクレツィア王城へ続くシャリーゼ通りに至っては、普段の高貴な雰囲気からは想像もつかないくらい猥雑で、酒に酔った庶民が折り重なるようにひしめき合っていた。


 シャリーゼ通りに軒を構える喫茶店、『妖精の尻尾フェアリー・テイル』の2階テラスから見下ろしたその景色に、私は思わず溜め息が漏れた。


 エルドア新聞社横の寂れた喫茶店では350Gで飲める珈琲が、通り数本離れただけのこの場所では1200Gと馬鹿げた値段に跳ね上がる。

 大して美味しくもないその液体を少しだけ口に含んで、私はテーブルの真向かいに座ったロリータファッションの女に問い掛けた。


「……て言うか、なんでマリーまでついてくるわけ?」


 編集長に凱旋パレードの取材を頼まれたのは私だ。形式上はフリーのライターではあるけれど、実質社員とそう変わらない業務形態の私達が同じ現場に取材へ来るのは効率が悪い。

 まして彼女は私と同じフリーのライターである。同じ現場の同じ取材を原稿に上げて編集長に提出すれば、紙面に載るのは当然どちらか一方だけになるし、フリーであるが故、選ばれなかったほうは原稿料すら支払われない。

 マリーがここに居ることは取材効率的にも金銭的にも非効率だし、何より精神衛生的に極めて不快だった。


「だってぇ、勇者様のお顔、マリーも見てみたいんだもんっ」


 パンケーキを小鳥の餌ほどの大きさに粉砕して口へ運ぶマリーの仕草に舌打ちが出そうになる。


 ……それ、可愛いと思ってやってんのか、おい。

 そこまで細かく崩したらむしろ汚らしいわ。ばくっと頬張れ、ばくっと。


「……そう。原稿は上げないでね。揉めたくないから」


 苛々しながら無駄に値段の高い珈琲をすする。精神的な影響だろうか、なんだか先ほどより苦い気がする。


 テラスから通りを俯瞰で眺める。視線の先では酔っ払った群衆が奇声を発して踊り狂っていた。アルコールだけではない。彼等は自らが徒党を組んで発したその熱気自体に酔っているのだ。

 きっと彼等は、それが勇者の凱旋で無くても良いのだろう。抑圧された日常に一種のカタルシスを求めているだけ……。少なくとも私にはそう見えた。


「……真の敵、か」


 人混みを避ける為だけに支払った割高な珈琲は、眼下の群衆にその熱を吸い取られでもしたかのように冷めきっている。

 私はその液体と同じくらい冷ややかな視線で彼等を見下ろしながら、数日前に地下牢でジークから明かされたゴースト事件の真相について思案を巡らせた。


『一連のゴースト事件は、言うなれば勇者の偉業によって引き起こされた副作用に対する対処療法だよ。大切なことは……真の敵を見失わないことだ』


 ……うーん、難しい。ありったけの質問をぶつけたとは言え、30分と言う短い時間の中で聞き取れた内容では、その核心まで全てを理解するには至らなかった。


 ただ、一つだけ言えることがある。

 ジークは、エルルーク日報が勇者の凱旋を報じるよりずっと早い段階で、真祖の吸血鬼が勇者によって滅ぼされたことを知っていた。

 そして、それが一連のゴースト事件へと繋がっているのだと彼は言う。


 ジークの話によれば、勇者が真祖の吸血鬼を打倒したのは二ヶ月ほど前のことらしい。

 魔王領は途轍もなく広く、そして険しい。吸血鬼を滅した勇者一行が、王都へ凱旋するまでに二ヶ月を要したと言うのは妥当な日数に思える。


 対して、ゴースト事件の最初の被害者であるバルトロメイ伯爵が殺害されたのは、およそ一ヶ月前。

 それから一ヶ月で立て続けに起きたゴースト事件は、全て今回の『勇者の偉業』が引き起こした副産物だとジークは言った。


 王都より遥か彼方で起きた魔族の死と、権謀渦巻く王都で起こった連続殺人事件。この二つの出来事に、一体なんの因果があるのだろうか……。


「あ、クレアちゃん、来た来たぁ。勇者様が来たよ〜!」


 パンケーキより甘ったるい声に反応して、視線をシャリーゼ通りに向ける。


「……ちょっと、そこ退いてくれないと見えないんだけど」


 テラスの柵から身を乗り出して通りに手を振るミーハーな同僚の肩を叩く。


「やん、痛いってばぁ。クレアちゃん力強すぎっ、男みたい」


 振り返ることもなくマリーは更に身を乗り出す。


 ……いっそこのまま足をすくって落としてしまおうか。


 良からぬ思いが一瞬脳裏をよぎったが、背伸びをして彼女の上からなんとか視界を確保する。

 ほとんど何も見えないけれど、視界の端で通りの群衆が何者かに手を振っているのが微かに見えた。


 ーーあー、もう。邪魔だ。


 この女は本当に分かっているのだろうか。この取材を依頼されたのは私。この光景を記録水晶ログプリズムに映像として納めなければならないのは私である。


 ……このままだとマリーの尻がエルドア新聞の一面を飾ってしまう。


 シャリーゼ通りの声援が真下に近づいて来てもまだそこを動こうとしないうざうざな同僚に、私はしょうがなく手を掛けた。


「ごめん、背中借りるね」


 テラス席の椅子に立つ。片足をそこに置いたまま、もう片足でマリーの背中を踏みつける。


「ちょっとっ、ったぁい。クレアちゃんマリーをなんだと思ってるのぉ!」


 ……障害物だ。それ以上でもそれ以下でもなく、ジャスト障害物。


 その障害物を踏み台に外を見下ろせば、一気に視界が開け、通りの真ん中を闊歩する煌びやかな一行が見えた。


 ーー先頭を歩くあの男が勇者だろうか。


 ネックレスのチェーントップに取り付けた記録水晶ログプリズムを構え、その一行にピントを合わせて魔力を流す準備をする。


 撮影時間は僅か5秒。一般的に流通している記録水晶ログプリズムの性能ではそれが限界である。

 もっとも、静止画であれば数十枚は余裕で撮れるが、新聞に載せる写真はもっぱら動写真が流行で、静止画は読者受けが悪いし部数も伸びない。

 初めて目にした時は、紙に印刷した写真が動く動写真の技術に目が飛び出るほど驚いたけれど、今となってはそういうものだと納得している。

 きっと色々あるのだろう、魔力とか、魔術とか、魔力とか、色々……。


 記録水晶ログプリズムを構えて勇者が水晶の画角に入って来るのを待つ。

 足元でぎゃあぎゃあわめく障害物がもぞもぞと抵抗するのを強く踏みつけて押さえつける。


「ーーおいおい、あれ見ろよっ」


 勇者一行の1人がこちらを指差して仲間に何かを伝えている。

 一行が画角に入ったと同時に、彼等がこちらを見て笑いながら手を振って来た。


 ーーやった、ツイてる。良い画が撮れる。


 その瞬間を逃さぬよう、即座に記録水晶ログプリズムに魔力を通し、その映像を記録した。


「エルドア新聞でーすっ! よろしければ後日インタビューもお願いしまーす!!」


 映像を撮り終えると同時に大声で勇者に叫ぶ。


 金髪碧目。眉目秀麗ないかにも勇者然とした美青年が、弾けるような笑顔でその金髪を掻き揚げ首肯しながら手を振って来た。


 ーーあれが勇者か。半人前って聞いてたけど、顔はなかなかイケメンじゃん。


 思わぬ成果にテンションが上がった私は、ついつい障害物の存在を忘れて身を乗り出していた。


「ーーもー無理ぃ!!」


 直後、足元で障害物ことマリーが跳ね起きる。


「っ!! ちょっ!?」


 当然、土台を失った私はバランスを崩して宙に舞った。テラスの柵にしたたかに身体を打ち付けて、錐揉みしながらテラスに転がる。


 ーーあはははははははっ!!


 脇腹付近からくる激痛の中、階下から聞こえる盛大な笑い声に赤面した。


 ……折れてない。折れてないけど、心は折れた。


 テラスの床に手をついて、四つん這いの状態でうずくまる。


「クレアちゃん、大丈夫ぅ? マリーは悪くないよね、ねっ?」


 あ、人間って本当に憤死することあるんだろうな。痛みに悶えながら、なぜかそんな実感が湧いた。











 脇腹の痛みが落ち着いた頃、喧騒は遠ざかり、私は遠くに消える勇者一行の背中を見送りながら一つの決意を固めていた。



 ーーやっぱり、外からいくら取材をしたところで、なんにも大事なことは見えて来ない。

 ……核心に迫りたい……クロノア侯爵の夜会に行こう。虎穴に入らずんば虎子を得ず、だ。



『……一週間後、クロノア侯爵が夜会を催す。ゴーストの仕事を取材したければ、そこに来るといい』


 数日前、地下牢で彼が話した言葉の真意は未だ分からない。けれどその夜会に行けば、少なくともその一端は分かる予感がした。

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GHOST_SCANDAL 戸村綴 @shink5133

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