山本五郎左衛門と打出の小槌
物ノ怪が恐怖心から成るものだとすれば、畏れからはなにが産まれるだろうか。
煌びやかな装飾の和室。
そこに、ごおごおといびきをかきながらひとりの大男が眠っていた。ふくよかな腹回りが、いびきの度に上下に動く。
中庭から丸見えのその様子を、物ノ怪が二人、木の影から部屋の中を伺っていた。
「よおく寝ておるな、あのえろ爺」
そう言うのは
「おぉ、いびきがここまで聞こえてくんな」
その隣にいるのは
二人はとても仲がよく、毎日のように人間や物ノ怪に悪戯を仕掛けては、驚き怒る反応を楽しんでいた。
そして今回の標的となったのが、部屋の中で眠る大男というわけだ。
この大男、真昼間から眠りこけているが、その正体は
物ノ怪というものはそれぞれ自由に生きており、基本的には無秩序である。
中には物ノ怪同士で争う事例もあり、そういった事を治めていたのが『七福神』と呼ばれる、中でも特に神力の強い七人の物ノ怪達だった。
物ノ怪は人間を脅かす存在。対して『七福神』は、人間に福をもたらす存在である。
恐れや怒り、不安などと言った陰の気から生まれた物ノ怪とは違い、七福神たちは人間の信仰心から生まれた物ノ怪である。神聖な妖気を持ち合わせ、人間からは「神様」として扱われる妖怪。七福神は、物ノ怪の中でも一線を画していた。
そんな七福神のひとり、大黒天が呑気に昼寝をしているこの状況。悪五郎と五郎左衛門は、兎に角悪戯が出来れば相手が神だろうがなんだろうが関係無いのだ。
これまでも、他の七福神相手に何度も悪戯を仕掛けては怒られてきた二人である。
大黒天はごろんと寝返りをうち、枕替わりにしていた小槌が丸みえになった。
「おいおい! あいつ、打出の小槌を枕にして寝てやがるぞ……っと」
思わず大きな声をだしてしまい、五郎左衛門はあわてて口元を己の手でふさぐ。大黒天はぴくりと肩をゆらしたが、すぐにまたいびきをかきはじめた。
「人間があの堕落しきった姿を見たらなんと思うかのう」
悪五郎の呆れ眼に、間違いないなと五郎左衛門は思った。
七福神には物ノ怪の統率の他に、それぞれが
幸せをもたらすその名の通り、使えばひとたび
そのうちが一つ『打出の小槌』。振れば金銀財宝、富に願いになんでも叶う金の柄の小槌。それを、大黒天は昼寝の枕などという贅沢な使い方をしている。
悪五郎は、にやりと悪どい笑みを浮かべた。
「のう、五郎左衛門。ええことを思いついたんじゃが、乗るか?」
五郎左衛門も同じように口角をあげた。
「乗った」
「こぉぉら、
辺り一面に響く怒声。
「だははははは!! こんな簡単に盗まれてやんのー!! 七福神が聞いてあきれるな!」
五郎左衛門はふところに打出の小槌を隠し、追いかけてくる大黒天から逃げ回っていた。
大黒天が走れば、どしどしと屋敷が揺れる。五郎左衛門は廊下を真っ直ぐ突き抜け、中庭へと飛び出す。大黒天もすぐさま中庭に続いたが、どこを見渡しても五郎左衛門の姿が見えない。
「どこじゃあ、五郎左衛門!」
「昼寝ばっかしてっから太んだぞ、ジジイ」
屋根の上に隠れていた五郎左衛門は、勢いをつけて大黒天の脳天を目掛けて飛び降りる。ご、と鈍い音と同時に大黒天は地べたへと倒れ込んだ。
五郎左衛門はそのままくるりと空中で一回転し、着地する。
それに合わせるように悪五郎が姿を現し、五郎左衛門の隣に並んだ。裾で口元を隠しながらケラケラと笑う悪五郎と、ニヤニヤと大黒天を見下ろす五郎左衛門。
「えろ爺、目覚めはどうじゃ?」
蹴られた後頭部をさすりながら、大黒天はゆっくりと起き上がった。
「五郎左衛門、悪五郎……ほんっとうにお前らは……!」
「大事なもん枕にして寝こけてるからだろ。簡単に盗めちまったじゃねぇか……さて」
取ったからには試してみるかと、五郎左衛門はふところから打出の小槌を取り出し、それを大黒天へと見せびらかすように振ってみせる。
「金銀財宝出てこぉい!」
……だが、何も起こらない。五郎左衛門は首をかしげ、悪五郎も「偽物かの?」と訝しげに打出の小槌を見る。
大黒天はおかえしとばかりに高笑いをあげた。
「残念じゃったな! 打出の小槌は持ち主を選ぶんじゃよ」
「あ? どういうことだよ」
「貸してみぃ」
五郎左衛門はしぶしぶと大黒天へ打出の小槌を渡す。大黒天は、五郎左衛門へ視線を向けた。
「盗んだお仕置も込めて……どれ、五郎左衛門。ちょいと遠くへ隠れてみろ」
「なんでだよ」
「ええから、ええから」
五郎左衛門はぶつくさと文句を言いつつも、その場から離れて屋敷の中へ入っていく。五郎左衛門の姿が見えなくなると、今度は悪五郎を見る。
「よく見ておれ」
大黒天は打出の小槌に手をかざし、小さな声で術を唱える。何をしているのかと悪五郎は不思議に思ったが、さっぱり分からないので見守ることに徹した。
やがて術を唱え終えた大黒天が、打出の小槌を持つ手を高く突き上げる。
「出てこぉい、五郎左衛門!」
大黒天が打出の小槌をひと振りしたその瞬間、ぶわりと風が巻き上がり、どこからともなく突然五郎左衛門がその場に姿を現した。
呆然と立ちすくむ五郎左衛門と悪五郎。その反応を見て、満足そうな顔で頷く大黒天。
「盗んだ罰じゃ。打出の小槌に何時でもどこでもお主を呼び出せる術を組み込んでやったわい」
先程の術はこれか、と悪五郎はひとり納得する横で「はぁあ!? だったらこいつも同罪だろ!!」と五郎左衛門が悪五郎を指さす。
「
素知らぬ顔で言ってのける悪五郎に、五郎左衛門は思わず叫んだ。
「っかぁー! やってられっか!!」
それからしばらく、大黒天はことある事に打出の小槌で五郎左衛門を呼び寄せては、雑務を言いつける日々が続いた。
どれだけ逃げても打出の小槌を振られればすぐ大黒天の元へと戻ってしまうので、五郎左衛門は大好きな悪戯をする間もなく疲弊した様子である。
濃くなる隈を揶揄いながら、悪五郎はぐったりと項垂れる五郎左衛門へ声をかけた。
「お疲れじゃのう、五郎左衛門」
「おかげさまでな!!」
威嚇するように悪五郎を睨みつけるも、悪五郎はどこ吹く風だ。
「おお、五郎左衛門!」
「ゲッ!!」
ちょうど通りがかった大黒天に声をかけられ、五郎左衛門は慌てて逃げ出す。凄まじい勢いで走り去る五郎左衛門の後ろ姿を見送りながら、大黒天は「逃げても無駄じゃというのに」と笑った。
おだやかな見た目に反して恐ろしい爺だ。悪五郎はひそかに独りごちる。
ふと、悪五郎は大黒天の横に並ぶ美女へと目が止まった。
「
「こんにちは、悪五郎ちゃん」
青く囲った目尻をさげ、弁財天は美しくほほ笑む。
弁財天も七福神のひとりであり、以前に一度だけ悪戯を仕掛けたことがある。その時に五郎左衛門とともに完膚なきまでに叩きのめされたので、それから二度とちょっかいはかけていない。七福神の中でいちばん怒らせてはいけない女である。
弁財天は、すでに五郎左衛門が逃げて姿の見えなくなった方向を見つめながら「まぁた面白いことしてるのね?」と楽しさをはらんだ声でいう。
「打出の小槌にちと術をかけてな。振れば五郎左衛門がポン、じゃ」
「あら、ステキ」
ウフフと綺麗に弧を描く口元。美人の笑顔に気をよくした大黒天は、打出の小槌をふところから取りだすと「どれ、見せてやろう」と大きく振ってみせた。
風が吹き、なかから五郎左衛門が姿を現す。五郎左衛門は状況を理解した瞬間、地団駄を踏んだ。
「……だァァァア! まいっかい毎回!!」
明らかさまに苛立った目つきで大黒天を睨みつけ、五郎左衛門は叫ぶ。
「いい加減にしてくれ!! そら盗んだのは悪かったけなぁ、流石にもういいだろ!!」
言うや否や五郎左衛門は駆け出し、大黒天の持つ打出の小槌へと手を伸ばす。だが大黒天は、奪わんと近付いてきた五郎左衛門をひょいと躱し、五郎左衛門の腕はむなしく空を切った。赤い結び紐が揺れる。
「ワシとてそう何度も奪われはせん!!」
「だらクソ!!」
「ほぉれほれ〜こっちじゃぞ〜」
負けじと五郎左衛門は右手を伸ばし、大黒天が後ろに下がって逃げる。五郎左衛門が追い、大黒天は逃げる。
なんとも子供じみた鬼ごっこの様子に、悪五郎は「やれやれ」と肩を竦めた。
「おふたりとも、がんばれぇ」
フリフリと両手を振り、二人のやり取りを眺める弁財天。
いつまで続くのかと思ったが、決着は案外早くついたようだ。
打出の小槌を手にしていたのは、五郎左衛門だった。肩で息をしながらひざまずく大黒天に、五郎左衛門は勝ち誇った顔で「歳だな、ジジイ!」と逃げていく。
「……大黒天ちゃん、わざと?」
弁財天が大黒天に手を差し出し、立ち上がらせる。
「まあそろそろ術も解いてやろうとは思っとったがの……これは本気で歳かもしれん……」
「歳もくそも、太り過ぎが原因ではないかのぅ」
ぼそりと呟く悪五郎に、大黒天は言い返せずに黙り込んだ。
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます