謎の男(2)
民家のほとんど無い
榛家の敷地は、屋敷や山を含めその土地全てを晴明自らが施した結界に囲われている。
晴明の妖気を込めた自筆の呪符が四方八方に張り巡らされ、その範囲内には晴明により『許可』のなされた物ノ怪以外は入れず、基本的に万物を寄せ付けにくい仕掛けがなされていた。
物ノ怪である煙々羅が屋敷に踏み込めていたのも、晴明が煙々羅を『許可』したからだ。
猿が屋敷の前で引き返したのも、この結界の力が作用している。
ちなみにご近所である梅谷の家は敷地外なのだが、幼なじみのよしみで結界内に入っていたりする。
――これを踏まえた上で、十左衛門は門の前に佇む男をどうするべきか考えあぐねていた。
先日の猿神を十左衛門よりも先に殺していた、あの物ノ怪の男が居るのだ。目的は分からないが、腰に手を置き何やらずっと屋敷を見上げている。
男は物ノ怪なので屋敷に入れないが、このままでは強行突破でもされそうな雰囲気である。
梅谷は木陰に屈んで覗き込みながら、声を潜めて十左衛門に問いかける。
「ずっとああしてるね、あの人」
「そうだな……」
「敵襲?」
学校からの帰りに男を見かけ、梅谷と共にかれこれ五分ほど観察していたが、敵襲とはまた違った雰囲気だ。この間よりもおどろおどろしい妖気を抑えているというか、なんというか。
とにかく敵意のようなものは遠目からみても感じなかった。いや、思い返せば敵意自体、猿神の時も無かったように思う。
だがつい昨夜に報連相の大切さを晴明に説き伏せられたばかりであるし、勝手に男と接触することは出来ない。
しかし、あの男が門前に居る限り屋敷の中へは入れそうもない。つまりは晴明に報告にも行けないと言うこと。
手詰まりのこの状況に、十左衛門は頭を抱えた。
「ねぇ、俺にいい考えがあるんだけど」
屈んでいた梅谷が十左衛門を見上げる。
「十左衛門は姿がバレてるんだよね? だったら、俺が見えてない
「……危険だぞ」
「大丈夫だって。結局猿神のときだって、
「…………」
十左衛門はしばらく考えて、そして深く頷いた。
確かに、その策で行くならば顔の割れていない梅谷は適任である。こんな事に巻き込んでしまう梅谷に申し訳ないが、十左衛門は有難く任せることにする。
晴明や父である宗次郎ならば、あの男と対峙出来るやもしれない。
「すまん、頼む……二人はたぶん、八月一日の部屋にいると思う。下校前に父から目覚めたと連絡があったからな」
梅谷は頷き返し、木陰から身を出す。
なんでもないように、素知らぬ振りをして男へと近付く。一歩、また一歩。いつも通り、平然を装う。
そうしてとうとう男の真横を通り過ぎ、梅谷は外壁のインターホンへ手を伸ばした。男は梅谷に気付いて、その様子をじっと見つめる。
指でボタンを押せば、ビー、と古めかしい音が鳴った。
『どちら様でしょうか』
「梅谷です。八月一日さんのお見舞いにきました」
『はい、どうぞ』
梅谷が取手をスライドさせると、木を軋ませながら門が開く。
そのまま無事に中へと入っていく様を十左衛門は見届ける。あとは、梅谷が晴明を外へ連れ出すだけ。
石畳の
「オジサン、晴明さん!!」
梅谷が勢いよく襖を開ければ、十左衛門の言う通り、宗次郎と晴明――それから泣き崩れる汐が部屋の中にいた。
梅谷は驚いたが、今はまず外にいる男のことだ。
宗次郎が立ち上がって梅谷のそばに寄ってくる。
「蒼太くん? そんなに慌ててどうしたの」
「オジサン、晴明さん、実は外に物ノ怪がいて、十左衛門がいうにはそいつが猿神を殺した物ノ怪らしくて!」
「……! 十左衛門は何処に?」
「十左衛門は近くに隠れて様子を見てます! 俺は十左衛門の代わりに皆さんを呼びに来ました」
「分かりました。すぐ行きましょう」
晴明も立ち上がり、宗次郎とともに部屋を出ていく。梅谷もそれに続こうとするが、その寸前、晴明に止められた。
「蒼太、少し汐さんとここで待っていてください」
「え、あの」
「お願いしますね」
有無を言わさぬ物言いで告げると、晴明はそのまま行ってしまう。ぱたりと閉じられた襖に戸惑いつつも、梅谷はちらりと部屋奥にうずくまる汐を見た。
そっと近付いてしゃがみこむ。汐は一点を見つめながら、その睫毛は次々に涙を零していた。
「八月一日さん、どうして泣いているの?」
「…………煙々羅さんが……私のせいで居なくなっちゃったんです。……もしかしたら死んじゃったかも」
「…………」
おおかたの事情は察知した。猿神との一件で何かがあったのだろう。
「それにっ、べとべとさんの足音も聞こえなくて……大事な友だちなのに、どうしよう」
梅谷は慰めの言葉が見つからず、とりあえずそっと汐の背を撫でる。
梅谷にとっても煙々羅やベトベトさんには親しみの気持ちを持っていたし、それよりも長く一緒にいた汐の哀しみは計り知れない。
きっと晴明や宗次郎が
兎に角、梅谷に今できることは、全員が無事に戻って来ることを祈るだけだった。
急いで門前に駆けつけた二人は、目を見開いて固まっていた。
猿神の件の物ノ怪だと聞き及び警戒していたが。
「し、師匠……父上……っ!!」
「おっ晴明! 久しぶりだなァ!」
「すっげぇこの腹筋! てか髪型どうなってんのソレー!」
服を一式剥ぎ取られ、
そしてその隣で、ゲラゲラと二人を指差し笑い転げる別の青年。
宗次郎が慌てて十左衛門の救出に走るが、意外にも物ノ怪はあっさりと離れる。その隙に距離を取り、晴明のもとへ寄った。
二人を背にしながら、晴明は物ノ怪と青年を凝視する。
久しぶりだという物ノ怪のその顔に、確かに見覚えがあった。
「あなた……
「おうよ」
「追い剥ぎみたいな真似して、どういうつもりですか全く」
珍しく驚いた様子の晴明と物ノ怪のやり取りに、宗次郎が「お知り合いですか」と声をかける。
「ええ、昔馴染みと言いますか」
「晴明さん!」
突然、もう一人の青年が晴明に近付き、両手を握った。
「会いたかったッスー!!」
そう言って嬉しそうに笑う青年に、晴明はなんとなく既視感を覚えた。だが、記憶をたどっても知り合いには居ない。
手早く制服に袖を通した十左衛門が「師匠!」と叫ぶ。
「説明してください! なんなんですかコイツら!」
その顔には困惑と羞恥とが混ざりあっており、それは宗次郎も同様だ。
晴明はとりあえず手を離し、緊張感の欠けらも無い物ノ怪と男を見る。
「とりあえず……中に入りましょうか」
部屋に戻ってきた人数が増えていることに、梅谷は非常に驚いていた。
物ノ怪を連れ帰ってくるなんて思わなかったが、晴明の隣立つ物ノ怪に汐が目を見開いて震え出したので、肩を抱いて部屋の隅へと移動する。
十左衛門も二人の傍に寄り、まず梅谷に晴明達を呼んできてくれたことに対するお礼を述べた。
それから怯える汐へと視線を向ける。猿神との一件からはじめて顔を合わす。
十左衛門が口を開きかけたところで、宗次郎が「八月一日さんは一旦僕と外に出ているよ」と声をかけた。
「あ、俺も行きます。たぶん、居てもあんまり意味ないだろうし……」
「そうかい? じゃあ、一緒にお願いするよ」
梅谷と宗次郎に支えられ、汐は覚束無い足取りで立ち上がる。二人が部屋から出たのを見届け、残った四人は改まった。
晴明と十左衛門が横に並び、そして物ノ怪とその連れであろう青年に向き合う形で座る。
「さて」と重々しく口火を切ったのは物ノ怪だった。
「色々積もる話もあって懐かしさに浸りたいのは山々だがなァ……晴明、ひとまずお前に言わにゃならん事がある」
物ノ怪は「気付いてると思うが」とひと呼吸置く。
「……
「
何の話だ、と十左衛門は首を傾げた。気にもせずに物ノ怪は話を続ける。
「訳あってコイツと各地で旅をしていたんだがな。あちこちで物ノ怪どもが噂をしていた。『酒呑童子が眠りから覚めた』ってな。もしやと思ってアイツを封印した場所に行ってみたら、もぬけの殻だった。復活はもはや、明々白々と言って良いだろうな」
物ノ怪はさらに険しい顔で晴明を見た。
「酒呑童子が復活したとなると、狙うは晴明……お前だろうな」
「…………そうでしょうね」
晴明が静かに呟く。まるで初めから分かっていたかの物言いに、十左衛門は痺れを切らし二人を睨みつける。
「酒呑童子とはなんです? 何故師匠が狙われるのです」
その様子に、呆れた声色で物ノ怪が「お前なァ」と大きなため息をついた。
「小僧になんも話してないんか」
「センセー、俺もあんまり詳しく聞いてないッス!」
物ノ怪の隣に座る青年が、場違いに明るい声で手を挙げる。
「そうだっけか?」
「そうッスよ! 晴明さんとこでちゃんと説明するって言って、いつも面倒くさがってたッス」
「あぁ、そうだったな」
がしがしと頭を搔く物ノ怪に、晴明はおかえしとばかりに「あなたも人の事言えませんね」と肩をすくめた。
「まあなぁ、色々と説明がややこしくてな。例えば……打出の小槌のこととか」
目を細め、物ノ怪は見透かしたように晴明を見つめる。
「『打出の小槌は欲しい。でも晴明が怖い』……これも物ノ怪どもが噂してたことだ。俺も打出の小槌には、コイツの事でちと気になる部分があってな」
そう言って物ノ怪は青年へと視線をうつす。
酒呑童子やら、打出の小槌やら。全くもって晴明に何も聞かされていないことに苛立ち、ぐ、と睨みつけるようにして吐き出す。
「師匠、ちゃんと、説明してください」
「うーん、そうですね」
頬に手を添え口を閉ざす晴明は、しばらく考える素振りを見せる。
やがて「ですがその前に」と話題を変えるような口振りで始まったので、全員が首を傾げた。
「お互い自己紹介し合いませんか?」
「あァー、確かにな! その辺ちゃんとしときゃ説明も楽か!」
存外乗り気な物ノ怪に、そういう事です、と頷く晴明。
何を言い出すのかと思えば。晴明の提案に話をはぐらかされたと感じ、十左衛門は咎めるような視線を投げつける。
その視線に気付きながらも軽やかに流し、晴明は青年に向けて微笑みをうかべた。
「私は安倍晴明と申します。あなたとははじめましてのはずですが、先程の『会いたかった』というのはどう言った意味で?」
「お前実はずっと気になってたんだろ、それ」
くつくつと笑う物ノ怪に指摘され、晴明は肩を竦めた。
晴明の名を聞き弟子にしてくれと訪ねてくる者は多い。
しかしそう言ったものではなく、本当に久しぶりで会いたかった、と言った親愛の眼差しを青年からは感じたのだ。
青年は晴明を真っ直ぐ見つめ、子どものようにくしゃりと無邪気に破顔させた。
「俺は
「…………はい?」
初めて聞く晴明の上擦った声。十左衛門も青年の台詞に自身の耳を疑った。
「……五郎左衛門、どういう事ですか」
「ダーッハハハ!! その顔が見たかったんだよなァ! 愉快愉快!」
ばしばしと膝を叩きながら声を上げて笑う物ノ怪。
「五郎左衛門?」
「はいはい、っと」
低く不機嫌な声色の晴明に、流石に姿勢をただし物ノ怪は平八の頭をぽんと叩いた。
「そのままの意味だよ。コイツは、平太郎の生まれ変わりだ」
「それと打出の小槌に何の関係が?」
「そうだなァ、おい小僧!」
物ノ怪が十左衛門を見ながら呼んだので、十左衛門は眉を顰めた。
「小僧ではない。十左衛門という名がある」
「そうか、十左衛門。お前が気になってる酒呑童子の話も出てくるから、ついでに聞いておけ。いいよな晴明?」
「構いません」
「話せば長くなるがなァ」
そうして物ノ怪は懐かしむように、昔話を始めた。
――それは、今から270年ほど前の昔話。
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