謎の男(1)

 丁寧に布団をかけられ眠る汐の傍で、十左衛門はぐっと膝上の拳を握りしめる。

 はしばみ家の次期当主として、これまで天才だと称され続けてきた。十左衛門自身、その立場におごることなく努力を続けてきたつもりであったし、その努力に見合う実力もあるのだと、どこかで慢心していたのかもしれない。

 だがどうだ。ここ最近は、ことごとく自分の弱さが露見しているではないか。

 物ノ怪退治に迎えばどこかしらに怪我を負い、汐を何度も危険に晒してしまった。

 今回のことも「十左衛門もいるから」と晴明に言ってもらえたのにも関わらず、やすやすと猿に汐を攫われただけでなく、よもや物ノ怪に助けて貰って。

 何が天才だ、と奥歯を噛む。ひたすらにただ、悔しかった。

「十左衛門」

 背後から声を掛けられ、はっと顔を上げる。振り返れば晴明がおり、そのまま十左衛門の隣に腰掛ける。

 晴明は同じように汐を見つめながら、穏やかな声で「反省会でもしましょうか」と言った。

「本当に申し訳ありませんでした」

「その謝罪は何に対してのですか?」

「…………俺が弱いことに対してです」

「ふむ。まあ貴方はよわよわのヘナチョコ君ですがね。反省すべき点はそこじゃないです」

 今回ばかりは晴明の煽りにも堪え、話の続きを待つ。

 しかし晴明は少し間を開けた後、十左衛門へと顔を向けてにっこりと笑った。

「ではここでクイズです」

 「デデン」と口で効果音まで付け、人差し指を立てる晴明に、突然何を言い出すのかと眉を顰める。

「実は私、十左衛門に、とっても怒っていることがあります。それはなんでしょうか」

「怒っていること……?」

 晴明は笑顔を崩さず「制限時間がありますよー、チッ、チッ、チッ」と立てた指を左右に振る。

 十左衛門はこれまでの行いを振り返りながら、いったい何が晴明を怒らせている要因なのかを考え込む。

 その傍らで「十秒経ちましたよ」などと急き立ててくるので、なんとか答えを捻りだそうとするも、あまり思い付くことがない。

 晴明の言い付けは基本的に守っているし、修行をサボったことも無い。だとしたら何だと考えあぐねていれば、晴明は何とも言えない微妙な表情で「アンポンタンめ」と十左衛門をおでこを軽く叩いてきた。

 ペシンとかわいた音が鳴る。

「なっ、アンポンタン!?」

「まったくあなたって子は、本当におバカで分からんちんでダメダメなんですから」

 言われっぱなしで十左衛門の額に青筋が浮かぶ。何か言い返そうとしたところで、晴明が深い溜息をついた。

 それから真剣な眼差しで十左衛門を見据えてきたので、開きかけた口を閉じる。

「まず一つ目は小豆洗いの件です。あなた、勝手に祓いに行きましたよね」

 確かに、汐から相談を受け、小豆洗いを祓いに川辺に向かった。あの時、汐や煙々羅には行くことを止められたが、害ある物ノ怪を榛家の者として放っておくことが出来なかった。

「汐さんのおかげで無事でしたが、あなたも怪我をしました」

 小豆洗いの弾丸のような小豆が十左衛門の腕に何粒も当たり、それを見た汐が謎の光を放ったことを思い出す。

「二つ目は、お猿さんに汐さんが連れ去られた時のことです。御し難い状況だったとは言え、誰にも知らせずに助けに行ったでしょう」

 結果的にどちらも命は無事で済んだが、汐を危険に晒し、さらに今回に至っては猿神よりも怪しげな物ノ怪と鉢合わせた。

 少し対峙しただけでも敵いそうになかったあの瞬間を思い出し、十左衛門の拳に力が入る。

 もし、あの物ノ怪に敵意があれば、汐も十左衛門もひとたまりもなかっただろう。あの時は榛家の従者も着いてきていたとはいえ、あの物ノ怪には束になっても無理だったはずだ。

 せめて、従者の一人にでも榛家に汐が連れ去られたと伝言を頼んでいれば、晴明があの物ノ怪の男をどうにか出来たかもしれない。

「もう分かりましたよね。……私が怒っているのは、あなたが何でも勝手に行動しちゃうところです」

「…………申し訳ありませんでした」

 己が弱いことにばかり気を取られ、周りが見えていなかったことが大いに悔やまれる。

 晴明は厳しい表情を崩し、俯いて堪える十左衛門の肩へと優しく手を乗せた。

「精進なさい。あなたにはまだまだ百個ほどだめな所があるんですから」

「ぐっ……!」

 なにも言い返せないのをいい事に、晴明は「その悔しそうな顔も最高ですね」などと指をさしてにやにやと笑う。

 十左衛門は肩を震わせて深呼吸で心を落ち着かせた。反応したら負けだ。

 晴明はひととおり笑ったあと、さて、と顔の横で手を叩く。

「制限時間以内に答えられなかったので罰ゲームです」

 その顔はまだ面白そうにゆるんでおり、今度は何を言い出すのかと十左衛門は身構えた。どうせろくな事では無いのだ。



 汐が目を覚ましたのは、次の日の夕方のことだった。

 まる二日眠っていたため、お腹も空いているし身体もあちこち痛い。様子を見に来たお手伝いの一人が気付き、晴明や宗次郎達に伝えに行ってくれたので、その間に布団を畳んでおく。

「汐さん、入っても大丈夫ですか?」

 襖の向こうから人影が声をかけてくる。晴明の声だ。

「はい! 大丈夫です!」

「失礼しますね」

 部屋へと入ってきた晴明は、汐の頭上へと視線をすべらせ小さく微笑んだ。

「寝癖ついてますよ」

「ひええ」

 慌てて手櫛で整える。そうしてついでに乱れた服装も手で払い、自分が制服では無くなって居ることに気が付いた。

 眠っている間に着替えさせてくれたのだろう。少し気恥しい気分になりながら、待ってくれていた晴明へと顔を向けた。

「すみません、私またご迷惑を……」

「迷惑なんてとんでもない。こちらこそまた怖い思いをさせてしまって、申し訳ありません」

「なんで晴明さんが謝るんですか!」

 晴明は眉尻をさげ困ったように頬へと自分の手を添えた。その顔に、申し訳ない気持ちが膨れ上がる。

 悪いのは自分だ。猿に囲まれたとき、逃げきれなかった。十左衛門へと覆い被さる猿達を見ながら、連れ去られるしかなかったのだ。

 そこまで思い出し、はっとする。

「十左衛門さんは無事でしたか!?」

「ええ。引っ掻き傷こそあれど、元気です」

 今はまだ学校へ行っていることを聞き、その言葉に胸を撫で下ろす。と、同時に汐のお腹が空腹を訴え出した。

 汐のお腹の音を聞き、晴明は可笑しそうに笑いながら「一緒に夕餉を取りましょうか」と襖を開けて促した。


 晴明と汐は向かい合って座る。暖かなうどんが空っぽのお腹に染み渡り、汐は幸福感で満ち足りた。

 ほうとひと息つきながら食事を終えれば、すぐに家政婦が片付けに部屋に入ってきた。慌てて汐も手伝おうとすれば、晴明が制止する。

「汐さんはゆっくりしてください。それに聞きたいこともあります」

「聞きたいこと?」

 立ち上がりかけたが座り直し、家政婦にお礼を述べてから晴明へと向き直る。

 家政婦が机を拭きあげ部屋を出ていったのを見届けると、晴明は話し始めた。

「猿神の元に連れ去られた後の事です。十左衛門が言うには、猿神は見知らぬ男に殺されていた、と。汐さんは何か覚えていますか?」

「あ、えっと確か……」

 猿に囲まれ、そのまま連れ去られた後。汐は逃げ出そうと画策してはみたものの、胴上げの状態で抱えられていたため身動きも取りづらく、運良く抜け出せたとしても四方に猿が大量にいたので、直ぐに捕まってしまうことは安易に想像ついた。

 煙々羅にも十左衛門が助けてくれるのを待った方が良いのでは、と言われ、その場は大人しく抱えられていた。助けを待つのは忍びなかったが、力のない汐にはそれしか出来なかった。

 しばらく山道を進んだ後、他の猿よりも規格外に大きな猿が待ち構えていた。大猿は汐の顔をじっと見つめると、道を開けて先へと進むよう促していた。

 よく分からないが「コイツですか?」「合ってる! 連れて行け!」といったやり取りにも見えた。

 そうして連れられた先に、猿神はいた。

「でも……既に死んでいました」

「…………」

 首と胴体が真っ二つに引き裂かれた状態で猿神は死に絶えていたのだ。その境目は力任せに引きちぎられたかのように粗く、目を背けたくなった。

 だがその真横、血溜まりに男が一人立っていた。

 いつか時代劇で観た、浮浪侍のような出で立ちの男。猿と汐を振り返ると、猿達は汐を放って散り散りに離れていく。

 煙々羅が「嬢ちゃん、逃げた方がええ……アイツはヤバい」と怯えて言うので、汐は一歩後退する。

 だがそれよりも早く、男が目前に迫っていた。

 殺されると思ったが、男はじろじろと無遠慮に汐を眺めると「オマエが打出の小槌の……」と呟いた。

 汐には言っている意味がさっぱり分からなかった。だが恐怖で足がすくみ、逃げ出せそうにもない。

 男は汐へと手を伸ばしてきて――。

「それで、確か煙々羅さんが……」

 はたと汐は話をとめた。胸元を引っ張り覗き込む。いない。

「煙々羅さん!?」

 立ち上がり部屋の中をくまなく探す。煙々羅の名前を呼びかけるが、返答は無い。

 あまりの慌てぶりに、晴明が落ち着くように促すが、汐にはそれどころでは無かった。思い出してしまったのだ。

「あの時煙々羅さんが男の人に飛びかかったんです! でも、でもっ煙々羅さん、捕まっちゃって、それで!」

 そこからの記憶が無い。その時に気絶してしまったのだろう。

 だが今ここに煙々羅がいない。

「どうしよう、私を守るために……」

「汐さん」

 落ち着き払った晴明に声をかけられ、汐の頬に堪えきれず涙が伝う。

「煙々羅さん、死んじゃったんでしょうか」

 ぼろぼろと止まらない涙を、晴明の細く白い指が掬った。

 ゆっくりと「大丈夫です」とあやす様に言う晴明に、よけいに涙が止まらなくなった。

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