[イヴの骨]

 あれから数カ月が経った――。

 やっと落ち着きを取り戻し、独りの午後は、四阿あづまやで本を読んでいることが多い。

 足元にはミニチュアダックスフンドのイヴが寝そべっている。牡犬のアダムは目を離すとバラ園の君の眠る土塊つちくれを、すぐに掘り起こそうとするので困ったものだ。そこから君の匂いが漂っているからだろうか――何度、叱っても言うことをきかないので、可哀相だが君と同じ土の中に埋めた。

 さらに、その上から大天使ガブリエルの像を設置している。

 それは台座から入れると高さが2メートル以上にもなる重量級の艶やかなブロンズ像で、注文製作だから天使の顔を生前の君に似せてつくって貰った。――この像はいわば、君の墓標代わりというべきものだ。

 バラ園に立つ美しい天使像を眺めながら、二人の思い出を回想している日々だった。


 黒崎が入院していたホスピスから、彼が亡くなったと知らせがあった。

 あの日、余命三ヶ月だと言っていたが、丁度それくらいに死んだことになる。そんな所も妙に律義な男だったと感心させられる。

 僕にとって黒崎は実の父より親しみを感じていたから、母が亡くなった時には涙も見せなかったが、黒崎のやせ細った遺体と対面したら……不覚にも涙が零れた。

 血縁者のいない黒崎のために、僕が彼の遺体を引き取り葬儀したが、父も秘書たちも誰ひとり来なかった――黒崎のような人間と関わりがあることが世間に知れるとマズイのだろう。


『ペットは餌で飼う、人間は金で飼える』


 そんな言葉を父が秘書と話している場面を見たことがある。父にとって黒崎も母も金で飼っているだったのかなあ?

 君も僕に『私はあなたのペットじゃない』と言ったが、結局、他人を自分の意思に従わせようとすればお金が掛かる。したがって自由をお金で奪われてペットにされたと相手は思うのだろうか? ただ君を守りたいという思いだったのに……。

 女を支配するという父の歪んだ欲望は、僕の血に遺伝したようだ。


 黒崎の遺志は『私が死んだら女将さんの近くに埋葬して貰えませんか』だったが、父の手前、母の墓の傍に埋葬する訳にはいかないので――こっそりと黒崎の遺骨の一部を、母の骨壷の中に一緒に入れてあげることにした。

 たぶん、その方が黒崎も母も喜んでくれるだろうと思ったからだ。


 僕と関わりのある人間が次々といなくなって、この広い屋敷で僕は独りぼっちだった。君の顔を知ってる者を遠ざけるため、出入りの家政婦とハウスクリーニングの業者も替えた。最近は人と会うのも億劫になり、どんどん孤独の度合いが濃くなっていくようである。

 君の写真や服や身の回りのものに触れて、在りし日の君を偲んでいる。独りで生きていたっても仕方ない……君のあとを追おうと何度思ったことか。


 ――この孤独に、僕はどこまで耐えていけるのだろう?


 そんなある日、君が卒業した女子高から同窓会のお誘いのはがきが届いた。

 君は中学高校とミッション系の女子校に通っていたが、経済的な理由からお嬢さま学校へ大学も続けて入学できなくなってしまい、僕と同じ公立大学に入学したのだが、ミッション系の学校に戻りたいとよくこぼしていた。

 ああいう清らかな雰囲気が君はピッタリだったんだ。

 同窓会のお誘いには、僕が代わりに、


『妻はイタリアへ絵画の勉強に行って日本にいないので、残念ながら参加できません』


 返信用はがきに書いて投函して置いた。


 ふと君が通っていたという都内にあるミッション系女子校を見に行ってみようと思い立った。

 久しぶりに愛車マセラティ・クアトロポルテに乗って屋敷から出て行った。会社も休職中だし、食料品や日用品も全てネットで購入していたので、外出するのは数ヶ月振りかもしれない。

 妻を殺した男が社会に関わって生きてはいけない気がして、ずっと君の喪に服していた。

 ネットが進歩した現代、家から一歩も出なくても何んら不自由もなく、働かなくても不動産収入や会社役員手当で十分に生活ができる。こののような土地で、僕は一生隠遁生活を続けていく覚悟だった。

 ――それなのに、なんだか人恋しくなってきた。


 文京区の一角にあり、ここは深窓の令嬢ばかりが通うミッション系の女学校、校内にはチャペルもあり、マリア像が設置されているのが外から見える。

 校門の前に車を停めて、ただ学校のから出てくる少女たちを眺めていた。

 さすがにお嬢さん学校の子女ばかりなので、服装も振舞いも行儀が良いといった印象がした。十年ほど前、この子たちと同じ姿で君もこの門から出てきていたんだろうと思うと感慨深かった――。

 永遠に止まってしまった君の時間をもう動かすことはできないんだ。

 うつむくとズボンに涙が滴り落ちた、しばらく君を想って僕は泣いていた。

 やっと心を落ち着かせ、もう帰ろうかとハンドルを握った。その時だった! 僕の目を奪うような少女が出てきたのだ。

 年は十六か十七歳くらいで、顔や身体つき、表情までが君とソックリだった。

 タイムスリップして過去の君と再会したような衝撃的な事態である。まさに第二の君と呼ぶべき少女で、その姿に僕の目が釘付けなってしまった。

 まさに、これは運命だった!

 生きる希望も失くしていた僕に、新たな希望を与えてくれた。名も知らない君に僕の胸がときめいた。どんなことをしても手に入れたい、あの美しい小鳥を僕の家に連れて帰りたい。

 この衝動をとても抑えることができない! 頭の中で狂気が渦巻く!<


 ゆっくりとマセラティ・クアトロポルテ発進させて、少女のあとを追跡していく――。


              *


 鳥籠で待つ、小鳥のために新しいドレスとバイオリンと楽譜を買ってきた。

 四歳からバイオリンを習っていたというので、退屈しないように楽器を与えることにしよう。音楽が趣味なんてやはり育ちが良い。

 ここから出て行かないように、鍵の掛かる地下室に小鳥を閉じ込めている。部屋の外に出る時には鎖でその足を繋いでおく――。

 自由を与え過ぎて失敗した、同じ轍を踏まないように今度はとても用心深くなった。

 最初は暴れて泣き叫んだ小鳥も、少し怖い目に合わせたら、もう僕に逆らえない。良家の子女は従順なので、僕の躾で素敵な女性に成長するだろう。

 まだ誰の手垢もついていなかった、清らかな肉体は僕だけのものだ。

 美しきカナリアは、今宵も僕の腕の中でさえずる。


 ここは、二人の楽園エデンだ。

 そう、アダムが僕で、君はイヴなんだ。

 君は僕の骨で造られた女という生き物、二人で一対の人間だから、

 この美しい楽園に、永遠に君を閉じ込めてしまおう。


 死が二人を別つ、その日まで――。




               ― 完 ―

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Bone of Eve 泡沫恋歌 @utakatarennka

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