強くなるために

はるまき

こぼれ落ちる日常

逃げるように帰ってきたせいか、それとも彼を傷つけてしまったせいか、息が切れる。

彼はそういう男だと、そういう人間だと知っていたけど身体は止まらなかった。

僕は鈴木あやなの次に護りたかった日常をその手で傷つけてしまった。

ああ、右手が痛い。僕は傷をつけた側なのに、なんでこんなにも痛いんだろう。

ああ、涙が止まらない。僕は傷をつけてしまった側なのに、なんでこんなに辛いんだろう。

護りたかったものは、いつだって自分のせいで壊れて行く。そんな事実に今更気づいた。


落ち着いてから、いつものようにサンドバッグに向かう。心が乱れた時は、いつもこうだ。

でも、何度サンドバッグに打ち込んでも、右手に残る感触は変わらない。彼の肉、骨を貫いた時の感触。ガントレットをしていたにも関わらず、生々しい感触のリフレインは余計な事を考えさせる。

……このままではいけない。彼女を護るために強くなると決めたのに、拭えない感触が自分の弱さを象徴してるようで苛立つ。

自ら壊した日常を引き摺るな、甘えはいらない。余計な思考を捨てろ、ただ力を求めるために。

サンドバッグに打ち込む拳の勢いは強くなる。しかし、それでもやはり拭いきれない。

……いつも、失ってはじめてそれが大切だと気付かされるんだ。でも、もう失いたくない。彼女の日常だけは護ってみせる。

ならどうすればいい?そう自分に問いかける。

答えははじめから分かっている。でも、それは後戻りができなくなる一線。それを超える覚悟がなかったし、今も迷っている。

でも、きっとこれはいい機会なのだろう。

ある種の諦めを含んだ決意だが、今の自分を変えるにはこれしか思いつかなかった。


だから俺は、大切な右手を引きちぎった。



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強くなるために はるまき @namaharumaki

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