よく似ていますね

養成所 客間


「いやぁ……まさか貴方が直接来るとは」


目の前の穏やかな面持ちの青年は愉しげに笑う。


「てっきり結祈くんや、アーネストかと思っていたもので」

「そのはずだったが、結祈には他に優先すべき事があってな。今日は私が赴く事になった」

「それはご苦労様です」


男は労りの言葉を口にする。


「先程一緒にいらしていた娘さんはどなたでしょうか?貴方の知り合いに、あのような可愛らしい方がいた記憶がなく……まさか隠し――」

「知り合いの娘だ」


言葉を最後まで聞かないまま否定するジョエルに、男は小さく笑みを浮かべる。


「ふふ…冗談ですよ。貴方にはご子息しかいないことくらい、知っています」

「………」

「桜空あかねさんは、よく似ていますね」


男は穏やかな面持ちのまま、一度たりとも言葉にしていないはずの名前を口にする。


「…養成所がどのようなところかと、うるさくてな」

「ああ、なるほど。確かに純血の方々には到底無縁なところでしょう」


穏やかな口調のままそう口にした男。

思わず時を忘れてしまいそうなほどに落ち着いた空間のなか、ジョエルはサングラス越しに捉える。


「でも、そうですか。なるほど。桜空一族の娘さんであれば、貴方の望みは叶いそうですね」

「…話した事はあったか?」

「いいえ。でも分かりますよ。貴方は一途な方ですから。それ故に、申請書を取り寄せた見当がつきました」

「何?」

「貴方と同じくお友達が多いと自然とね、流れてくるんですよ。どうでもいいことも、そうではないことも。まぁ藍色の猫は、お喋りがお好きなようではありましたが」


ジョエルはそこで合点がいく。

藍猫。必ず手にしたい情報があるのなら、そこを頼ればいいと言われるほど腕の立つ情報屋だ。

異能者達の悩み相談を設けてる良心的な部分もあるが、得る情報と引き換えにそれと同等の対価である情報を教えるか、多額の金額を払わなければならないという悪徳的な部分もあるが、完璧とも言えるほど依頼人の要望に応えることに関しては評価せざる得ない。


「そこまで調べ、お前は何かを得れたのか?」

「ああ、言い方が悪かったですね。調べさせてはいませんよ。猫の方から擦り寄ってきたのです。恐らく欲しいエサでもあったのでしょう。その対価として少しばかりお話し頂いただけ。最近面白い話はないかと」

「全く……」

「貴方もご存じのように私の性質上、一度見聞きしたものは忘れがたくて。点と点が自然と繋がってしまっただけ。それを助長して下さったらのが彼らだった。それだけの事ですよ。お気を悪くされたなら、申し訳ないのですが」


穏やかな口調を崩すことなく、男は伏し見がちにジョエルの様子を窺う。


「お前の性質は理解している。咎めたりはしない。加えて、お前が持ち得る叡智を求める者は多い。ましてやそれを凌ぐ者など、この世にいるはずもない」

「それはどうでしょう。私は古びて忘れられた宝物庫のようなもの。求められこそすれど、ひけらかすことはないでしょう。他者から求められなければ、それらが輝くことはありません」

「自らのためには使わぬと…?」

「そうですね。生きていくうえで、最低限の範囲に留めておきたいものです。私は貴方達と違って、老いてなお盛んというわけでもなく、ただここにある平穏を享受したいだけですので」


――共にこちらへ渡ってきたとは言え、随分と軟弱……いや。

――元より忙しさを好まぬ男ではあったか。

――しかし怠惰を貪るものかと思えば、言の葉の刃を常に持ち合わせている。

――自らの平穏を脅かす者には、容赦しないそれは厄介だ。

やけにはっきりと言い切る男を横目に、ジョエルはひとりでにそう思う。


「アーネストには、聞かせられんな」

「そうでしょう。彼は変化を好む。そのためには諍いを生じさせる事も厭わない。その過程がどうであれ、結果として善であれ悪であれ、変化から生まれたモノは、財産であり、彼にとって宝石にも勝る抗えない報酬。そうでなければ、かつて契った愛する者達の元から、去って行くはずがありません」

「……」

「もっとも。その点に関しては、多少の後ろめたさを感じているようですがね」


咎めているのか、はたまた同情しているのか。

どちらにも取れるその言葉の真意を質すことなく聞き流す。


「それはそれとして、私にも分からないことはいくらでもあるのです」

「ほう?」

「例えば明日の献立とか、二度寝しないよう起きられるかなど」

「……」

「ふふ…それは冗談として。ええと、……そうですね。はい。人の心でしょうか」


男は話を続ける。


「こればかりは知恵のみで解決することは難しいのです。むしろ不可能に近い。感情というものは、ある種の理屈が通用するかと思えば、途端にその構成を変えてしまう。ある程度予想がつくとは言え、それが一瞬で無になってしまうことがある。感情の振れ幅なんてものは、虚像のような尺度でしょう」


男の口から紡ぎ出されるそれは、淡々としていて静かだ。

だが水面に石を投げ入れて波紋を作るように、どうしてだか心にざわめきが浸透する。


「ですから。長き時間を共にした旧き友である貴方を前にしても、貴方がかの少女桜空あかねに見出だしているものが、親愛なる人なのか。それとも彼女最愛の人なのか。それは分からないのです」

「…………」



忘れていた。

彼は静かに刃を突き立てるのが得意だった。

だが。


――私の目的は、あの時から何一つ変わっていない。



現実味を帯始めたオルディネの解散の危機に、不穏な空気を含みながら分裂しかけているその内部。

状況は芳しくない。

しかしこれほど変化の富んだこの状況ほど、楽しいものはないと、ジョエルは認識していた。


「――時に。オルディネが解散したら、どうなさるおつもりですか?」


采を投げるように投じられる問。

ジョエル自身、オルディネの解散など考えたことなどない。

しかし解散の噂が流れ始めてからというもの、自チームに引き入れようとするスカウトが凄まじい。

自ら望んだものではないが、五指というある種の称号のような認識は、他者にとってそれほど魅惑的なものなのだろう。


――チームなどはどうでもいい。

――俺にとって、大事なのはオルディネだ。


「さて、どうしたものかな。現実に、オルディネが解散した時にでも考えるさ」


不適な笑みを浮かべて、ジョエルは言い切る。

オルディネの解散など儚き夢幻。

もうじき新たなリーデルが誕生する。

ついでに過去の栄光すら戻るならそれもまた良し。

ジョエルには予感にも似た確信がある。


その全てが――。

あの少女の手に、委ねられているとことを。

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桜空あかねの裏事情 いさなぎ @izanagi5

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