思いのほか遠慮しないな


駅周辺


昶が歩いている歩道から、交差点を挟んである歩道。


「ジョエル!待ってってば!ジョエル!」


人混みを避けながら、先を歩く人物の名前を何度か呼ぶ。

しかしそれでも男が足を止める事はなく、走ってようやく追い付く。

すると今しがたこちらに気付いたと言わんばかりに立ち止まり、見下ろされる。


「何だ?そんなに呼ばなくてもいいだろう」

「聞こえてたなら止まってよ」


真っ暗なサングラスを身につけ異様な雰囲気を醸し出すジョエルに、あかねは睨みを効かせながら言葉を返す。


「お嬢さんが早く歩く努力をすればいいだけでは?」

「走ってきたけど?」


ジョエルが自分本位な性格であるのは、この数日間で十分に理解出来た。

だが、それでももう少し他人の事を考えても良いのではとも感じていた。


「お嬢さんは小柄ゆえ、歩幅が私より小さいのは当然だが……君と差して変わらぬ朔姫は、私に十分追い付いている」

「あのね、私は山川さんじゃないの。無理な要求しないで」

「合わせようという努力はしないのか?」

「それはあなたの方でしょ」


反省の素振りすら見せない物言いに、あかねは苛立ちを覚えながらも冷静に言葉を返す。

そんな食い下がる様子を見て、ジョエルは溜め息を吐く。


「全く。君は自分の立場を理解しているのか?」

「仮リーデルという不安定な立場?」

「分かっているなら、弁えるべきだろう。私の庇護を得ているからこそ、こうして肩身の狭い思いをせずにいられるのだからな」


ジョエルの言っていることは嘘ではない。

名目上とはいえ、彼が自分を擁護してくれているからこそ、黎明館にいることが出来て、反対している者達に酷く咎められることもないのだと。

元はと言えばジョエル自身が蒔いた種ではあるのだが。

とはいえ、苛まれることなく日常を過ごせていることに関しては、一応感謝はしている。

だが一つ気がかりなのは、ジョエルがそれをいちいち口に出すことだ。


「つまりそれって……ジョエルを敬えってこと?」

「ふむ。やはり頭は悪くないらしい」


口元に浮かべる笑みと言い方から察するに、ジョエルが言いたかったのは単純に自分に敬意を払えということなのだろう。

やはりひねくれた男である。


「んー…無理じゃない?」

「……念の為、理由を聞いておこう」

「だって……ジョエルってば、敬える要素ないじゃん」


街の喧騒の中、二人の間には一瞬にして沈黙が訪れる。


「……なるほど」


それだけ言うと、ジョエルはまた再び歩き出す。

誰が見ても分かるほど、先程よりも早いペースで。


「あっ。待って!待ってよジョエル!」


結局歩幅を合わせる事なく進んでくジョエルの後を追い掛け、暫くした後に異能者養成所に辿り着いた。

いつの間にか、プラティアに足を踏み入れていたようだが、どこからが境目なのかはまだ分からない。

しかし養成所の外観はどこにでもあるような校舎のようで、あかねは物珍し気に辺りを見回す。


「ようこそいらっしゃいました」


入口に足を踏み入れると、出迎えたのは穏やかそうな女性。

この養成所の職員なのだろうか。


「ああ。理事長はいるか?」

「はい。いつものお部屋でお待ちしております」

「そうか」


短く答えて、ジョエルは後ろにいたあかねに視線を向ける。


「君はどうする」

「え?」


不意に尋ねられ、思わず首を傾げる。


「金魚の糞のように私の後を着いて回るか、校舎見学がてらに君の目的を遂行するか。忘れたわけではないだろう?」

「ああ、そういうこと……」


――そうだった。


数日前。

あかねはアーネストと二人で出掛けた際、異能者養成所の事を教えられた。

丁度赴く予定があったジョエルに頼むことに些か抵抗を感じたが、居合わせた司郎の勧めもあり同伴させてもらうことにした。

そのことを口にした時のジョエルの嘲笑うような憎たらしい顔と、挑発的な言動はあまり思い出したくない。

だがオルディネに所属してくれる新たな異能者を見つけられる、ないしはその手掛かりとなるものを得られるかも知れない。

その可能性を思えば、ジョエルに対する感情などほんの些細な事に過ぎず、気に留めることでもないのだ。


「見学してくる」

「そう言うと思っていたよ。気が済んだら門の前で待っていてくれ。迎えに行く」

「はーい」

「折角ここまで来たのだからな。それなりに期待はしておこう」


皮肉混じりな言葉を口にして、ジョエルは女性と共に歩いていこうとするが、何を思ったのか再びあかねの方へ振り返った。


「一つ言い忘れていたが」

「何。まだ言い足りないの?」

「ああ。くれぐれも自分がリーデル候補である事を口外しないように」


周りに聞こえないよう、あかねに近付いて耳元で忠告するジョエル。


「そんなの、言われなくても――」

「大切な君に、何かあっては困る」

「……」

「ではな、お嬢さん。また後で」


愉しげに笑みを浮かべながら、今度こそジョエルは背を向けて歩いていった。

その姿を見送ると、あかねもまた校舎へと足を踏み入れる。

外装も一般人が通う学校の校舎と差して変わらないと思ったが内装もまた同じだった。

むしろ自分の通う高校より、施設が備わっているのではないかと感じる。


「意外と凄い……」


大差ないこの環境で異能者が教育されているのなら、個々に差はあったとしても、一般社会の学生とそう変わらないはず。

それなのに、異能者が忌避される理由は一体何なのか。

万人に好かれる者などいるはずはないにしても、異能を持つだけで異端とされ拒絶されるのは、どう考えても割り切れるものではないのだ。

そんな事を思っていると、急に視界が暗くなり鼻先に感触を感じた。


「ッ」


頭上から息を呑む音が聞こえる。

視界が暗くなったのは、誰かにぶつかったからだと、あかねは理解する。


少し距離を置いて、ぶつかってしまった相手を見る。

やや青みがかった黒髪の男性で、背は平均より少し高めだろうか。

表情は驚いているのか、僅かながら瞠目している。


「すみません」

「こちらもすまなかった」


軽く頭を下げると、男もすかさず謝罪の言葉を返す。


「怪我はないか?」

「大丈夫ですよ。軽くぶつかっただけなんで」


それだけ言うと、あかねは頭を下げて再び校舎見学に戻ろうとする。


「待て」


歩き出そうとしたところで、男に呼び止められる。

上から下まで見始めたと思ったら、口を開いた。


「見ない顔だと思ってな。新入生か?」

「え、違います」


あっさりと答えると、男は怪訝そうな表情を浮かべる。


「新入生ではない?では何者だ?」


否定の言葉を述べた途端、突然男から疑いの眼差しを向けられる。

恐らく男は養成所の関係者なのだろう。

確かに新入生でもない見知らぬ者が、校内をふらふら歩いていれば、警戒されて当然である。


「知り合いの付き添いで来たんですけど……」

「知り合い?」

「なんだか込み入った話があるから、それまで校舎内を見学でもしていろって言われて」


隠すことでもないと、あかねはここにいる理由を話す。

ジョエルがここに来た理由は知らないが、誰かと待ち合わせをしていたのは先程の会話から察することは出来たので、込み入った話かは定かではないにしろ、強ち嘘ではないはずだ。

私がオルディネに所属できる異能者を探す為にここに来たのと同じく、彼もまた用があってここに赴いているのだから。


「そうか」


短く言うと、男は考える素振りをした後に、再びあかねを捉える。


「無粋な聞き方だと思うが……君は異能者か?」

「はい。そうです」


控えめに問い掛ける男とは対照的に、臆する事なくはっきりと答えれば、男は安堵したのか警戒していた固い表情を少し緩めた。


「分かった。君の言葉を信じるとしよう」

「ありがとうございます」

「ただし」


喜ぶのも束の間、男の言葉にはまだ続きがあった。


「俺も共に行こう」

「いいんですか?」


あかねは目を白黒させて男を見上げた。


「ああ。一人で勝手に動き回られて何かあっても困るからな」

「あー…はは……そうですよね」


疑いは完全に晴れているわけではないようだが、とりあえず案内があるのは助かると、あかねは気に留める事はなかった。


「よろしくお願いします!えっと……」

「葛城駿だ。君は?」

「桜空あかねです」


元気良く名を明かすと青年――葛城駿かつらぎ しゅんは先程のよりも瞠目する。



「まさか……君は御三家の一つ、桜空家の息女なのか?」

「んー……まぁ、はい。そうです」


名字を出すのも、ここではまずかったのかと思いながら、控えめに肯定する。


「全く。そういう事は早く言ってくれないか」

「どうしてですか?」

「御三家と言えば異能者の名門中の名門だ。疑う余地もないだろう」


御三家。

生家がそう言われていると知ったのは、ジョエルが私に手向けた書物の記述を目にした時だった。

そこに書かれていたのは、日本で最初に発見された異能者の祖である古代種の血を引いているのがその三家であり、尚且つ異能の質が高い者を代々輩出しているということで、古くからそう言われているらしい。

さらに驚いた事と言えば、桜空家は御三家の中でも一番歴史が古い家系であるらしいとの記述があったこと。

とはいえ桜空の中にも、異能を持たない者もいるし、能力にも差はあるので、今もそうであるかは断定出来ないが。

結論からして、御三家の出身である者は異能者にとって敬意を払うべき存在であるということだ。


「御三家の出身の者の実力は桁違いだ。現に二人も五指に含まれているからな」

「へぇ……」


五指とは司郎が言っていたものだろうか。

ジョエルが本当にその五指に挙げられることが多いと聞いたが、果たして本当にそうなのだろうか。


「その五指って、他に誰が?」

「人によって異なるが、純血の二人とジョエルはよく挙げられる」


やはりジョエルは相当な実力者らしい。


「中でもジョエルは、オルディネに所属する変わり者と聞いている」


――むしろ変質者じゃ……?


「オルディネと言えば、かつてチームの頂点に君臨していたが、リーデルの空座から人材不足で、今では落ちぶれたチームだ。噂では今年中に解散するとも言われている。君も聞いた事はあるだろう」

「…一応」

「いくら五指の一人がいるとはいえ、将来に見込みのないチームに、誰も入ろうとはしないだろう」


ジョエルの言う通り、オルディネの状況は内から見ても外から見ても、深刻なものだと把握する。

オルディネが解散から逃れる手立ては、自分がリーデルになるしか方法はないのかも知れない。

だが噂がそこまで広がっているなら、所属してくれる者などいないのではと一層不安になる。


「葛城さんも、そう思いますか?」

「俺は……――」


突然言葉を無くす駿を、あかねは不思議に思い見上げる。


「葛城さん?」

「俺は、だな。恥ずかしい話だが……オルディネには過去、所属申請を出した事がある」

「ええっ!?」


意外な事実に、思わず声をあげる。


「そんなに驚くことか?」

「だって今まで散々落ちぶれたとか言ってたから。あ、自分のことは棚に上げてくスタイルですか?」

「君は思いのほか遠慮しないな」


驚きはもちろんあるが、あんな変質者が牛耳っているオルディネに、自ら進んで所属を希望する者がいるとは、思わなかった。


「…色々言いはしたが、オルディネには単純に興味があった。いくら落ちぶれていたとしてもな」

「……」

「と言っても、書類で落ちたが」


そう言って自嘲を漏らす駿。


「すまない。大分話し込んでしまった」

「いえ。色々と参考になりました」


あかねは励ますように、駿に笑顔で答える。


「気になったんですけど、葛城さんは他のチームに所属してるんですか?」

「いや。オルディネどころか他チームとも縁がなくてな。今はこの養成所で非常勤として働いている」


――となると、葛城さんは無所属の異能者になるのかな。


まだオルディネに興味があるなら、所属する可能性はなくはない。


「話は逸れたが、折角の機会だ。どこか見ておきたいところはあるか?」

「あ、生徒さんに会いたいです。出来たら、私と同じ年くらいの」

「了解した。今の時間は教室だな。ついてきてくれ」

「はい!」

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