狐の嫁入り

武市真広

狐の嫁入り

 

 狐の嫁入り

 

 雨が降った。青空なのに。

 

 狐が嫁にくる。

 

 今日僕は狐と夫婦の契りを交わす。人間である僕と妖の君。

 天気雨の下での輿入れに、村人たちは頭を垂れている。僕は家の窓越しにその様を見ていた。狐の行列は厳かだ。

 

 白無垢姿の君は、言葉にできないくらい美しかった。顔の肌はきめ細かく、色は陶器のように白い。

 式は滞りなく進んだ。僕はその間落ち着かなかったが、君はいつも通り大人しい。君のそういった態度は時には弱々しく感じられた。

 

 僕と君は昔から一緒だった。幼い頃から君と一緒に遊び、共に過ごしてきた。いつ君と出会ったのだろう。でも、幼い頃からずっと一緒だった。

 僕が大学に行くために故郷を離れて東京に行くことになった時も、君は自分も一緒に行きたいと頑なに言い続けた。ご両親も君を説得した。それでも君は聞かなかった。僕は君と約束した。大学を卒業すれば必ず故郷に帰ってくる。戦争に行く訳じゃないんだ。大学を卒業すれば必ず戻ってくる。だからそれまで待っていて欲しい、と。

 

 大学の四年間は長いようで短かった。寮での生活の中で僕は君を想い続けた。今なら胸を張ってそう言える。東京という場所が僕に与えた衝撃は大きかった。良くも悪くも刺激的だった。その衝撃に僕は耐えられなくなった。僕は半年もしないうちに故郷に帰りたくなったのだ。東京の空気は僕に合わない。都会人からすれば田舎者だからだろう。車や電車が行き交い、人々はせせこましく行き交っている。彼ら都会の人々には故郷の人々のような長閑さなどなかった。ただ日々の暮らしで精一杯という感じだ。僕には彼らには「心」がないような気がした。何か大切なものが欠けていると思った。

 卒業と同時に逃げるように東京から帰った僕は、真っ先に君に会いに行った。僕は約束を果たしたが、君はどうであろうか。一抹の不安は、すぐに消し飛んだ。大学にいた時も何度か手紙でやり取りしていたが、久々に会った君は昔と少しも変わっていなかった。君はすぐに駆け寄って僕を抱きしめた。僕も嬉しくて涙が出そうになった。時間が過ぎることも忘れて、土産話を語った。君は優しく笑っていた。

 

 この村は古くから妖と共存していた。人も妖も母なる自然が生み出した。言わば兄弟のようなものだ。同じく「心」がある。

 しかし、この関係も東京という都会では違っていた。都会の住人たちは妖を知らない。いや、その存在を信じていないと言うべきか。彼らは自然を知らないし、そこに宿る存在も知らない。まして母なる自然が生み出した兄弟たちの存在も。これは宗教などではなく、確かなることだ。我々人間は自然の前では無力だ。だが、都会の人々はそのことを忘れてしまった。太古の人々は確かに自然と向き合い、自然を愛し、敬っていた。彼ら都会人には自然の声は聞こえない。母の手を離れ、人間は独り立ちした。豊かな生活を手に入れたが、その代償として人間は傲慢になって底なしの欲に溺れた。都会人に心がないと思ったのはそういう訳だ。

 

 故郷に戻ってすぐ、生家の家業を継ぐことになった。それから三年が経ち、僕と君は結ばれることになった。

 

 夫婦の契りを交わした日の夜。

 僕と君は家の縁側に座って月を眺めていた。互いに何も言わなかった。優しい虫の声だけが聞こえてくる。

 「……本当に良かったの?」

 突然、君は呟くように言った。

 僕は少し困惑した。

 「勿論……でも、どうして?」

 「いや、下らない心配事。貴方がどこか遠い所に行ってしまうような気がして……」

 「まさか。僕が君の前からいなくなるなんて」

 君は僕の目を見た。

 「貴方が東京に行った時もそのまま帰らないんじゃないかと不安だった」

 「でも、こうして戻ってきたじゃないか。もうどこにも行かない」

 君は目を伏せた。

 僕は愛おしく思った。

 そして、僕は君を抱きしめた。細い体つきの君は頼りなげだった。それが余計に愛おしく思った。

 「僕は君を愛してる。もう離れない」

 「私も愛してる」

 そして、そのまま唇を重ねた。

 暖かかった。人を包み込むような温もりだ。

 

 僕は幸せ者だ。

 

 こんなにも想ってくれる人がいるのだから。

 

 ああ、君はこんなにも愛おしい……。

 

 

 終

 

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狐の嫁入り 武市真広 @MiyazawaMahiro

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