世論とトランプ政権
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世論とトランプ政権
2016年11月9日に行われたアメリカ大統領選挙において、大方の予想を覆して新たにトランプ政権が発足した(鈴木 2017)。この「大方の予想」という実体のない概念の正体は何なのだろうか。それは世論調査によってつくりだされた現実である。櫛田は「ほとんどの世論調査はクリントン候補優位を示しており、女性初のアメリカ大統領が誕生するだろうというのが大方の見方だった」(櫛田 2017)と述べているが、実際にはトランプ候補の勝利で大統領選は幕を閉じた。もちろん全ての調査が間違っていたと一概に言うことはできないが、「大方の予想」が外れたことは事実だ。ここに世論調査、ひいては世論そのものの問題点を見ることができる。本レポートでは世論がどのように構成され、人々にどのような影響を与えているのか、トランプ政権の誕生の裏にある世論についていくつかの米国社会の背景を分析しながら言及していくのと同時に、世論がどのような危険性を持っているのかについても考察を深めていきたい。
まず世論とはどのようなものなのか。佐藤は世論と輿論が明確に分けられるものではないとしながらも、前者を類似的(アナログ)な全体の気分、後者を可算的(デジタル)な多数意見と定めている(佐藤 2008)。佐藤の定義を受け入れたうえで、このレポートでは前者、つまり全体の気分としての世論を中心的に扱っていく。佐藤はまた、世論を「テレビ人の世論」と位置付けることで「読書人の輿論」と対比し、世論が電子メディアによるコントロールが可能であることを示した(佐藤 2008)。このことから全体の気分、空気はメディアに操作されている、もしくはされる可能性を孕んでいると言える。そのような性質をもつ世論はポピュリズムに陥りやすい特質がある(玉置 2016)が、ここで初めてアメリカにおけるトランプ政権の誕生につながってくる。会田によると、ホーフスタッターはアメリカ型ポピュリズムに「革新性」と「反動性」という特徴を見出しており、俗に「トランプ現象」と呼ばれるものに合致していると主張する。その理由としてトランプ候補が掲げたニューディール型の政策と移民排斥を挙げ、革新と反動を説明している(会田 2016、70)。つまり、トランプ政権の誕生は世論という民衆の気分がポピュリズムに走った結果であるということが言えるだろう。
では、なぜアメリカにおいて世論がポピュリズムに陥ったのだろうか。原因についてはさまざまな議論がなされているが、鈴木はこれについて「これまで政権を独占してきたブッシュ家やクリントン家などワシントンDCの「特権階級」への米国内の広範な社会層の「憎悪」の感情があり、その中でも選挙において動員が可能な「田舎の・保守的な・白人男性」の支持を発掘した選挙手法であった」(鈴木 2017、36)と述べている。「トランプ現象」の根底にあるのはポピュリズムであることは前述したとおりだが、会田は排外主義という共通項から、それが同じ時期に欧州で興隆したナショナリズムと組み合わさった「ナショナル・ポピュリズム」と見ることができる可能性を指摘した(会田 2016)。このことからトランプ候補のアメリカ第一主義的な考え方が、現状に不満を持ち、これまで政治の表舞台には出てこなかった人々をひきつけ彼らの代弁者となったことが分かる。次にトランプ候補の支持者がなぜ現状に不満を持っていたのかだが、これについては米経済の状況が物語っている。中橋によると、渡辺はアメリカの偉大な特徴であり、誇りだったのは分厚いミドルクラスが国を動かしていることであるとした。しかし、IMF専務理事のLagardeの報告では、この40年でアメリカの中間層は10%も減少している(中橋 2016、78)。こうした今までアメリカを作ってきたという自負のある中間層にとっての経済の状況が、移民排斥を謳うトランプ候補の支持率伸長につながったことは否定できない。それでも接戦であったはずの大統領選をトランプ候補が制した裏には、彼のエンターテイナーのような立ち振る舞いが、状況を打破してくれそうだという空気を民衆の間に作りだしたのではないだろうか。
結果論ではあるが状況証拠としては十分に資料が揃っていたはずなのに、多くの世論調査ではトランプ候補の勝利を予測できず、女性初の大統領誕生を期していた(櫛田 2017)。はじめに述べたように、ここで見られる世論調査の問題についてトランプ政権を例に分析していこうと思う。ブルデューは世論調査には三つの公準があり、①誰でも簡単に意見を作ることができるということ、②すべての意見が同じ価値を持っていると考えられていること、③質問される問題に対して暗黙の合意があるということ、と定義し、それぞれの観点から世論調査を批判した(ブルデュー 1991)。メディアの情報操作を具体化したこの概念を受け入れるとすると、トランプ候補が選挙で勝利する以前の米国世論は、クリントン候補が勝利する、あるいは彼女に票を入れるという意見が多くの人によって作り出され、そこには質問を投げかける側のメディアとそれに答える人々の間で合意が成立していたということになる。そしてその合意は暗にトランプ候補が勝利するだろうと予測する人々や彼の支持者たちに対して、大きなプレッシャーとなっていただろう。なぜなら彼を支持すると表明することで「差別主義者だ」などとレッテルを貼られてしまう空気になっていたからだ。このような人々によって作りだされた意見によって形成された世論調査の結果は「大方の予想」とされ、米国世論として発信された。世論によって抑圧されながら行われる調査によって、再び世論が生み出される。存在しているのかどうかもわからない全体の気分に対してブルデューは、「世論はあると断定することで得をするような人びとが、ともかくそれに与えている形をまとった世論など、存在しないということなのです」(ブルデュー 1991、302)と厳しく批判している。
ここまでアメリカを例に挙げて世論について分析してきたが、最後に世論がもたらす危険について考察していこうと思う。世論調査が政治的利害と強く結びついているとすると(ブルデュー 1991)、それによってつくられる世論もまた政治との関連は深いといえる。ここで問題なのは世論が全体の気分、空気によって形成されているという前提だ。そうしてステレオタイプ化し、メディアに操作された世論が未熟な人びとの間で拡大、再生産されていってしまう(適菜 2012)。そして、そのような人々が現状に我慢しきれなくなったとき、不満は思いがけない方向へと暴発する。今回のトランプ政権の誕生はその一例だ。一見すると、トランプ候補にとっては逆風ともとれる世論がはびこっていたように見える。しかし、そうした既得権益を称賛する世論からプレッシャーを感じた人々は、わかりやすい敵、政府であったり不法移民であったりという自分たち以外を排除しようとするトランプ候補に敵意を煽られ(中橋 2016)、言うなればトランプ支持者の世論が作られていったのである。もちろんこのプロセスにはメディアによるトランプ候補の連日報道も含まれている。つまり今回の大統領選における世論は二つあった。ひとつはメディアが意識的に作りあげ、人々がそれに答えることで形成された世論。もうひとつは恣意的に作りだされた最初の世論に対抗するように、トランプ候補が、意識的か無意識的かはさておくにしても、支持者たちをうまく扇動することで醸成された世論である。世論の危険性について話を戻すと、トランプ候補のような政治における初心者が大国のトップに上り詰めてしまうことこそが、世論の危うさである。これは政治がプロである政治家によって行われるべきであるという知見に基づいた意見だが、そもそも民主主義が単に「みんなで決めること」であれば、政治家を選出する必要はないわけで、なぜ政治家がいるのかと言えば政治が世論のような全体の気分によって行われるべきものではなく、佐藤が言うところの理性的合議における合意という輿論の公共性(佐藤 2008)を必要とするからだ。佐藤はまた、「国民が公的な問題を熟慮するだけの時間と労力を惜しんでいるからであり、すなわち雰囲気に流される世論そのものへの信頼度が低い」(佐藤 2008、34)と述べ、政治が世論に影響されることへの懸念を示している。特に近年はTwitterやFacebookといった電子メディアによるソーシャル・ネットワーク・サービス(SNS)が台頭してきたことにより、世論は今までになく拡大、再生産されやすい環境にあるといってよい。なぜなら定義で述べたように、世論は電子メディアの影響を受けやすいからである。こうした状況に自覚的であることが、今後世論の危険性を冷静に把握するためのポイントになるだろう。以上が世論の危険性についての考察である。
このレポートを通して、世論の定義、世論調査の問題点、世論が孕んでいる危険性についてアメリカ大統領選を絡めながら説明を試みてきた。繰り返しにはなるが、世論は大衆の気分であること、世論調査には主にメディアによる恣意的な介入があること、大衆の気分である世論がプロフェッショナルな領域である政治に大きく影響を及ぼしてしまう危険があることの三つが今回の論点である。危険性の観点からも言及したが、佐藤が提唱する輿論の世論化は民衆の空気が公的な場の決定を担うまでに成長し得る可能性の表象だ。何度も言うようだが、トランプ政権はそれを具現化する形で誕生した。それが果たしてどのような結果をもたらすのかは今後の動向を見守っていくほかないが、世論が陥りやすいポピュリズムはファシズムやナチズムをも一形態として含む(適菜 2014)という言説もあるなかで、その危険性を充分に認識したうえで、情報を取捨選択することが重要だろう。そして、大衆の気分に流される世論を無条件に受け入れるのではなく、その情報には常にメディアやその他の介入があるかもしれないと疑うことで、より深く物事を見ることができるのではないか。
参考文献
鈴木均、2017、「トランプ政権の発足とイラン米国関係の今後」、『中東レビュー』、第4巻、35-41、http://hdl.handle.net/2344/00048936(2017年7月13日アクセス)。
櫛田久代、2017、「変わりゆく社会の中での2016年アメリカ大統領選挙」、『福岡大学法学論叢』、第61巻第4号、989-1035。
佐藤卓己、2008、『輿論と世論:日本的民意の系譜学』、新潮社。
玉置好徳、2016、「世論形成の「主体」に関する基礎的研究」、『梅花女子大学文化表現学部紀要』、第12号、93-100、http://id.nii.ac.jp/1306/00000041(2017年7月13日アクセス)。
会田弘継、2016、「「トランプ現象」とラディカル・ポリティクス」、『青山地球社会共生論集』、第1巻、63-91、http://id.nii.ac.jp/1306/00000041(2017年7月13日アクセス)。
中橋友子、2016、「汚れたカウボーイ:トランプ支持者達は彼に何を期待しているのか?」、『尚美学園大学総合政策論集』、第23巻、75-94、http://hdl.handle.net/2344/00048936(2017年7月13日アクセス)。
P. ブルデュー、1991、『社会学の社会学』、藤原書店。
適菜収、2012、『日本をダメにしたB層の研究』、講談社。
佐藤卓己、2008、「「世論の輿論化」に向けて -戦後「世論」の成立史から-」、『日本世論調査協会報よろん』、第101号、34、https://www.jstage.jst.go.jp/article/yoron/101/0/101_KJ00005033421/_pdf(2017年7月13日アクセス)。
適菜収・呉智英、2014、『愚民文明の暴走』、講談社。
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