シック・イクサバ・ゲキソウショウジョ(疾駆・戦場・激走少女)

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シック・イクサバ・ゲキソウショウジョ

「ほれっ!」


彼女の父にして棟梁の金部は短刀をガシャ、と板の間に放り投げた。

すーっ、と滑ってくるそれを、カ、と右拳で押さえ受け取る。


華乃カノ、任務は覚えたな。暗唱そらんじて見ろ!」

「導火線ひと束、大兄者おおあにじゃの陣まで届ける」

「刻限!」

「夕刻、日の入り間際」


・・・・・・・・・


「華乃、行くのか」

「はい、ばば様。これまでの育成のご恩、決して忘れません」

「今生の別れではない。必ず戻れ」


華乃はまだえくぼの残る数え年16らしい笑みを浮かべた。もちろん、苦笑であったが。


最古参の巫女として氏神に仕えるばばは華乃に説いて聞かせた。


「無念じゃが棟梁様もそなたの兄たちも、金部家の男は皆無能じゃ。領民が財産分けするような気軽さで兄どもに領地を分散し結束を弱めた結果このザマじゃ」

「それは今や詮無いことです」

「じゃが、女子として完全に無視されたそなたは彼らの悪影響を免れた。もはやそなたが金部の民の頼りじゃ」

「参ります」


そう言って華乃は自分でしつらえた疾駆用の足袋をきゅっ、と足の甲にフィットさせ、前傾姿勢で駆け出した。


・・・・・・・・


華乃が目指す長兄の陣地は早馬のリレーでも一昼夜かかる。それをほんの少女でしかない彼女が半日で駆けようというのだ。一人きりで。


男子3人に恵まれた金部は筋骨隆々たる息子たちにかまけて華乃には全く興味を示さなかった。

普通女子であっても薙刀や短刀の使い方等、武家の一員としての教育を施すものだが、一切しなかった。先程の短刀が生まれて初めて手にした武具だ。しかも、名のある名工の作でも家に継承されるものでもなく、ただ単に切れるという道具でしかなかった。


しかし、先程のばばの言葉通り、育成途上で無能どもの影響を受けなかったことが彼女の能力を花開かせた。


決して人を馬鹿にしないことと、疾駆のスピードだ。


武家の作法を学ぶことなくいわば親からネグレクトされる華乃の教育係をばばは買って出た。


「華乃。戦場いくさばでも食事をせねばならぬ。兵糧が尽きて野ネズミを食わねばならんとする。捕まえたその後、どうやって食べる」

「短刀でさばいて煮るか焼くかいたします」

「女子で下女と同じく調理もばばが躾けておる華乃にとってはたやすいことであろう。じゃが、男子の場合はどうする」

「・・・近隣の村から女子を奉仕に徴用すればよいのでは」

「バカ者! その間に飢えて敗北するわ! 男子だろうが女子だろうが自分で調理するのじゃ。これは俺の仕事ではないなどと見下して諸事雑事だと軽んじとるといざという時役立たずの人間しかできん。自己の責任を果たせんのじゃ」

「は、はい」

「では次の問いじゃ。領民が飢え果てて領地を耕すことすらできん状態に陥ったとする。領主の責任じゃが・・・目の前の土地を今耕やさんと今年の収穫は絶望的じゃ。華乃、お主は女子ながら甲冑を着、太刀を帯びた堂々たる姿で荒地の前に立っておる。さて、お主ならばどうする?」

「・・・まずは武具を一切外します」

「ほう。それで?」

「代わりに鋤鍬を取って自ら耕します」

「よう言うた! その性根しょうね、忘れるでないぞ!」


かようにしてばばに育成された華乃は10歳にも満たない頃、一度だけ長兄に意見したことがある。


「嫌と申すか!」


長兄が棟梁の跡目という絶対的なポジションから同年の家老の子息を『荷物持ち』として扱おうとした。自分が馬の早駆け鍛錬をする際、武具以外の邪魔な荷物を家老の子息に背負わせ、徒歩でついてくるよう命じたのだ。相手が跡目だろうと家老の子息にも武士としてのプライドがあるのだろう。断ると長兄は刀に手をかけた。


たまたま庭でその場に居合わせた華乃が口を開いた。


「兄様、無理です。馬力に人力が及ぶはずはありません。それに、武具以外の兵糧や戦略に必要な資材を積んで走ることもあるはず。兄様みずから荷重をかけた方がより実戦的な鍛錬と思いまする」

「華乃。貴様、女の癖にこの俺に楯突くのか」

「忠言でございます。それに、女であることは関係ございません」

「そうか! ならば代わりにお前が駈けろ。お前の実戦の鍛錬じゃ!」


皮肉なことにこの時の虐待にも似た無理難題が華乃の疾駆の才を育むきっかけとなった。


かようにして長兄は図抜けていたが、兄3人とも似たり寄ったりの無能ぶりであった。

時を経て今日、次兄、三兄の領地は領民もろとも全滅。無能な領主が罪なき民を破滅させた。


かろうじて残った長兄の陣は、金部家が代々得意とする火薬を使用した戦法でなんとか持ちこたえていた。だが、着火と爆発のタイムコントロールをする新型導火線の製作が遅れに遅れ、今日となったのだ。


棟梁は長兄の身を案じたが、華乃は全く別の理論でこの命を賭した任務を自ら申し出た。


『今夜を越すと、領民たちの精神はもはやもたない』


子供の頃から疾駆と極限のメンタルトレーニングを繰り返して来た華乃は皮膚感覚でそれを察していた。彼女が最も恐れたのは領民たちの、『自死』の連鎖だ。


しかし、今まで走った内の最長距離をほぼ全力で駆けないと導火線をセットできる明るい時間には到底間に合わない。

彼女は裏道情報、自分の身長・体重、ストライドとこれまでのトレーニングにおけるタイムの記録を凄まじい処理能力で計算した。


その結果、


「道は馬の通れぬ獣道。そしてこれまでのベストを五厘上回る速度で走り続ければ、半日で着ける!」


こう決断した。

そして、ばばには、


「スズメバチの子を潰して蜂蜜と一緒に練り込んだ団子を持たせてください」


とリクエストした。


・・・・・・・・


華乃は激走した。


途中、盗賊どもが行く手を何度も塞いだ。明らかに金目のものを持っていない華乃を襲おうとする理由はたったひとつ。


彼女が『女』であること。


「どけっ!」


数人の盗賊が群がって来る度に華乃はコンマ数秒でトップスピードに達する。そして、鞘から抜いた短刀をかざしたまま大きく腕を振ってすり抜けた。


もしその当時にストップウォッチがあれば。


盗賊どものエリア限定でカウントすれば、9秒台前半、あるいは8秒台のアベレージで数百メートルを走り切ったものと思われる。


「ひいっ、悪鬼神!」

「悪鬼女神だ!」


盗賊どもはそう震え上がったが、この志と決断、そして何より現実に自らの未熟な肉体に鞭打って疾走している彼女が善神でないわけがなかった。


「うう・・・気だるい・・・」


足裏の赤血球を潰しながら走り通しの彼女は貧血を起こしかかっていた。疾駆したまま腰ぎんちゃくから団子ロイヤルゼリーをつまみ出し、貪った。


数秒で、体がカーッと熱くなる。脳にドクドクと血が流れ込む。足の痺れが一気に消え去る。


「はっ!」


と現代のリレーのアンカーがするような気合いを発声し、たったひとりのスプリントを続行した。


・・・・・・・・・・


午後遅い時間、華乃は地獄の只中を走っていた。


敵の兵たちの行軍途中に踏み潰されるように滅ぼされた領民の小さな村。


為政者の怠慢が、民を殺す。

そして、その末子である自分自身をも責めずにはいられなかった。


「南無八幡大菩薩・・・」


彼女はばばが巫女を勤める氏神を唱えるのみだった。疾駆しながらできることはそれしかなかった。


ふ、ふぎゃ。


凄まじいスピードで走る華乃の右耳にドップラー効果を伴った人声が入った。声、といっても、獣の声のような音声という方が近かった。


ここまで走って来て彼女は初めて足を止めた。


「赤子か・・・」


汚れたサラシの上に、ちょこん、と小さな男の赤ん坊が仰向けにひっくりかえり、時折、ほぎゃ、と力無い声を出していた。


見ると傍には顔を潰された青年と胸から足元まではだけた少女、と呼べそうなぐらいの若い女子が倒れていた。


父母であろう。

完全に事切れている。


そして、母親は明らかに凌辱されていた。


「むごいことを・・・」


せめてもの武士の情けと、赤子を父母の元へ届けようと華乃は短刀を鞘から抜いた。


切っ先を赤子の心臓に正確に押し当てる。


泣き止み、華乃の目をまっすぐ見る男子。


・・・・赤子ですら覚悟するというに・・・・


「ちっ」


彼女は舌打ちし、サラシごと赤子を背負ってきゅっと自分自身の小さな胸の膨らみあたりできつく縛った。


・・・・・・・・・


「来たぞー! 知らせ通りじゃーっ!」


突如上がる敵軍の鬨の声にたったひとりの華乃は驚愕した。


「内通かっ⁈」


戦国の世もとどのつまりは情報戦であった。


大軍ではないが約10名。


武具もつけず、足袋を見ると華乃のそれに近い特別仕様。


明らかに走りのエキスパートたちだった。

そこまで詳細な情報が筒抜けだった。


「糞、糞、糞おっ!」


赤子を放り出すいとますらない。

華乃は汚い言葉で気合いを入れ、走りに走った。敵は凄まじいスピードで肉迫してくる。


当然だ。


彼らは今走り始めたばかりなのだ。

乳酸の溜まっていないフレッシュなハムストリングスとふくらはぎを駆使

して全力疾走してくる。


華乃のボロボロの足とは比べものにならない。


「ああ・・・せめて来年の桜が見たかった」


華乃が脱力しかけた瞬間だった。


クン!


「⁈」


クン、クン!


足袋のソールから足裏、そして足首にかけて強い反発力が感じられた。

そしてそれが彼女のちぎれそうなふくらはぎ、もも裏、臀部に電撃のように伝わる。


『リチャージ100パーセント完了』


この文語訳を華乃は脳内に浮かべた。


「奇跡か⁈」


見ると足元がややぬかるんだ泥地だった。湿地帯に入ったようだ。そのまま再び全力疾走する。


華乃が魔法のようなスピードアップを実現するのと反対に敵のランナーどもは急激に失速した。


「なんだ、どうしたっ!」

「泥だ!」


加速と失速のギャップで足を取られる者、転倒するものが続出した。


華乃はこれまでのタイムをはるかに超えた、『超ベスト』をやってのけた。


「赤子の荷重か・・・」


知らずの内に現代でいうところのスポーツ理論を身につけていた彼女は、体重の軽すぎる自分が赤子を背負ったことで泥地との接地摩擦が最適となり、くわえてその反発力が劇的な作用を生み出したことを理解した。さらにそれがサポートとなって自分の筋肉が限界の壁をワンランク超えたことも。


だが、賢い彼女は偶然とは思わなかった。


「この赤子を拾ったこと自体、神のご加護!」


・・・・・・・・・・


「待ちかねたぞ、華乃!」


日が傾くなか陣地に到着した華乃に長兄が怒鳴った。

此の期に及んで虚勢を保とうとする彼を華乃は哀れに感じる。


「兄様、戦況は⁈」

「見ての通りじゃ。これから導火線をつなぎ、総攻撃じゃ」


華乃は夕闇の中の地平を見通した。

唖然とする。

そして、進言した。


「兄様、無理です。この惨状ではいたずらに犠牲を増やすのみ。一刻も早く停戦を申し出るべきです」

「貴様、それでも金部の末裔か! 諦めてどうする。最後まで戦え!」

「・・・ならばどうしてもっと早くに策を練らなかったのですか」

「黙れ!」


長兄が大刀を鞘から抜くと従者が慌てて割って入る。


「殿、妹様ですぞ!」

「やかましい!」


言い放ちながら従者を切り捨てた。


「この、バカ者!」


華乃は長兄を怒鳴りつけながら近くにあった武器嚢から火薬の筒を一本ひっつかみ、火種を手に取って、敵前に踊り出た。


「我は金部華乃。金部の軍を代表して申し上げる!」


武具を一切つけず、子守でもするように赤子を背負った少女の登場に一同戸惑う。


ゆっくりと赤子を下ろし、そのまま敵陣へさらに近づいた。


「女子のわたしの身では均衡しないかもしれませぬが、停戦の証としてこの身、今ここで木っ端微塵に吹き飛ばしまする。願わくは我が領民の殲滅だけは思いとどまっていただきたい!」


華乃はそう言って静かに筒に火種を近づけた。


「華乃どのとやら、待たれよ。ひとつお教えいただきたい」

「何なりと」


敵の参謀と思われる若き青年武士がよく通る声で彼女に問うた。


間者かんじゃの情報によれば貴殿はわずか半日でこの距離を駆けたという。とても人間業とは思えぬが誠か否か」

「誠です。我は韋駄天。八幡大菩薩のご加護を得て駆けに駆けた。これにて我が生涯の全任務を果たし尽くしました。いざ!」

「姫、待たれよ!」


自陣からしゃがれた大音声を発して白髪の老武士が華乃の隣に進み出た。


地面をしっかりと踏みしめ、老武士は朗々とのたまった。


「我は金部軍の副将、上代大吾。我が姫に代わって爆死せん。僭越ながら武人としての年月においては若き姫よりも一日の長あり。我の命が不足とはよもや思われまいな⁈」


青年武士が敵将にくるっと向き直る。


「殿! 敵とはいえかように天晴れな心持ちの人財たちを滅ぼすのは国としての大損失。義を持って停戦交渉に臨むのが最善と思いますが如何に⁈」

「その通りである。我は貴殿らの領民を必ずや安んじる処置を取ることを約束しよう!」

「ありがとうございます!」


華乃は一言そう叫んで、ばったりとその場に倒れた。


・・・・・・・・・・


華乃が意識を取り戻したのはそれから半月も経ってからだった。

着の身着のままで眠り続けている間に棟梁も長兄も切腹していた。


「よう戻った」

「ばば様。赤子は?」

「ほれ、ここに」


見ると隣の小さな布団に一回り大きくなった赤子がすやすやと眠っていた。


「そなたと引き離すと火がついたように泣き出してどうにもならんのじゃ。母親と思っておるのであろうか」

「さあ・・・」


華乃の脳裏に赤子の真横で凌辱され、亡骸となっていた本当の母親の姿がフラッシュバックとなって現れた。


瞬間、目を閉じた。


そして、自分の心を整理し終えた。


「ばば様。どうして人間は戦をするんでしょうか」

「わからぬ。70年近く生きてもばばにもわかりませぬ。じゃが・・・」

「はい」

「戦を鎮めようとする理由はわかるであろう」

「そうですね・・・」


華乃は屋敷の遠くで駆けっこをする子供たちの歓声を聞いた。




おしまい

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シック・イクサバ・ゲキソウショウジョ(疾駆・戦場・激走少女) naka-motoo @naka-motoo

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