パンと玉子

【パンと玉子】




 のれんが揺れ、大欠伸をしながら台所のかまちを跨いだ大柄な男は、残っていたつっかけに足を入れた。満島はそのもしゃもしゃ頭にお早うと声をかけると、雪平鍋にに向き直った。

 全快した台所番が戻った早朝の台所は、すでに鍋たちが火にかけられ、釜がほごほごと音を立てていて、小さな活気に満ちている。普段どおりの満島の姿を見つめてかすかに相好を崩したもしゃもしゃ頭は、おは、と返しかけて次の欠伸に語尾を奪われた。



「食ハン、食うてよは?」

 次々出てくる欠伸をまったく噛み殺せないでいる欠伸太郎あくびのたろう彦馬の手から、期限切れの食パンどもをそっと奪う。

「こいつらはおとついお逝きになってしまった」

なむちん、とごみ箱に落とすと、腹減り彦馬は彼らを悲しげに見送った。

「ほら」

余分に切りわけた玉子焼を菜箸でつまんで振り向く。雛鳥彦馬はついと寄ってきた。

「熱いよ」

ふっと吹いてぱかと開いた口に放り込む。玉子の熱に一瞬歪みかけた顔がすぐ緩む。

 注視していると意外にも豊かである彼のその表情を、わかるようになったのはいつ頃だろう。

うまか」

そう言ってしかし眉をひそめたしかめつら彦馬は首を傾げた。

「玉子ば焼くんは、さとるの寝込んどる間に大分上達したと思っちょったばってん」

なんか悔しか。なんばしたらこの味に勝てるとや。

 舐めた唇を一丁前にとがらした台所番彦馬を横目に、大げさにしわぶく*。

「まず彦馬君よ、卵の殻は入らなくなったのかい?」

「当たい前やっか。割る時にがん見しちょれば、後でよけられるたい」

 真顔の堂々たる返しに、まだ入ってしまうんじゃあないかと言い切れずに笑いがこみ上げる。彦馬の眉も、おかしそうに寄る。


 くつくつと二人分の笑い声が台所から漏れ出でる、朝六時。













 *しわ‐ぶ・く〔しは‐〕【×咳く】


[動カ五(四)]

 1 せきをする。

「火燵(こたつ)の間に宮の―・く声して」〈紅葉・金色夜叉〉

 2 わざとせきをする。せきばらいをする。

「大夫(たいふ)妻戸をならして―・けば」〈源・若紫〉

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おむにばす 佳祐 @kskisaka

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