第170話 もしもあなたがそう願うなら(下)

「本当にいいんですね? 二人とも連れていっちゃって」


 最後の最後、エンセッタの集落を出る段階でまだこんなことを言っている理由、それは。


「…………」


 二人にとって保護者といって良いギース氏が明確に賛意を示していないからだ。


 フルーゼたちが北大陸への帰還を検討している俺たちについてくるという案を聞いたときには、驚いたといえば驚いた。

 しかし、動機については十分に理解できるものでもあった。

 生き別れの家族を探したい。悪意の魔力から距離を置きたい。そんなアニエスを放っておけない。新な魔術について学びたい。

 全部、わかる。


 一方で問題になるであろうことも最初から浮彫になっていた。

 当たり前の話なのだ。

 ずっと離れ離れになっていた家族がやっと再会できたのに、また遠く危険な旅に出ようとしている。

 誰だって不安になる。

 ギース氏の気持ちはよくわかる。

 ならばなぜ、彼は明確に拒否しようとしないのか。


「あなた。このことはもうちゃんと話し合ったでしょう」


 もう一人の保護者、フィーアさんがフルーゼの側についたからだ。


「でもな……、やっぱり」


 今回の旅は、彼女たちの希望を受け入れれば、ギース氏たち、俺たちといっしょに出立する形になる。

 当然、エンセッタに残ることになるのはフィーアさんだけだ。

 最も反対してもおかしくない立場のはず。

 ギース氏は、残される彼女のことを考えて粘っている部分もある。


「ねぇ、出会ったときの私たちの齢、覚えてる?」


「……」


「今、私は幸せよ、とても。だから大丈夫」


 俺の知らない物語。彼女たちの礎となる経験は、フルーゼを見送ることを是としているらしい。


「この子に責任を負わせすぎたと思うの。ちょっと羽を伸ばしたっていいころだわ。それだけ強い子に育った。アイン君もいる」


「いや、それがな……」


「もう、「俺を信じろ!」ってあのときいってくれた威勢はどこにいったの?」


「その話は今は……。ああいい、わかってるよ。うちの子は巣立ちのときだ。アインも多少は信用してやってもいい。ギタンまでは俺が必ず無事に連れて行く。でも、その後何かあったらわかってるだろうな!」


 海の男らしい強い口調はなぜか俺の方に向けられる。


「ええ……」


 いや、仲間なんだから最大限無事でいるように努力をするが。

 どうも、俺が代表扱いされることが多くないだろうか……。


「大丈夫。あなたも聞いていたでしょう。アイン君、「責任はとる」って言ってくれていたじゃない」


「え?」


 それ、この場で出てくる約束と違いませんか?


「ちゃんと覚えているわよ。「お願いされるまでもないです」って言ったのを」


 いや、もしかしたら言ってるかもしれないが、文脈が違ったはずだ。

 あれはアニエスを助ける前で、それで……。


「先輩、またそうやって安請け合いしたんですか? そんなだから周りが女の子ばかりになるんですよ。オリヴィアが聞いたらなんて言うか」


 脈絡がなさすぎる! これ以上混乱させないでくれ。


「オリヴィアさんってどんな人?」


 なぜかそこを掘り下げるフルーゼ。


「私の……、友達。あの子も先輩に……。時間はたっぷりあるから旅の途中で話しましょう」


「アイン、覚悟を決めろ。どうせ何を言われようと、二人も、アインもとる行動は変わらない。問答は無意味だぞ」


 いつの間にか大所帯になってしまったパーティのお目付け役からまで切り捨てられてしまう。

 なぜアニエスたちが決めたことに対して俺の責任ばかりが追及されるのか。

 俺たちはみんな上下等ないのではないか。


 ……ただ、フヨウの言うことにも一理ある。

 フルーゼもアニエスだって俺の友達。

 何かを頑張ろうとしていて、俺には手助けができる。

 なら、迷う理由はどこにもない。


「二人ともいっしょに行こう! 世界には面白いものが沢山ある、それだけは保証する!」


 やや逃げ腰だろうと本音でぶつかるしかない。


「うん!」


 元気に返事をするフルーゼ。

 アニエスがそれに続こうとしたとき、新たに話に入ってくる声があった。


「――――」


 しかし俺には何と言っているかわからない。南大陸の言語。

 その発言の主は壮年の女性。フィーアさんとは異なる神殿の責任者的立場の人だ。


 この集落に滞在中、言葉が通じないなりに多くの人とコミュニケーションをとってきた。

 鍋を修理したり畑を改良すれば感謝の声ももらった。

 しかし、一部の人間はどうしても俺と距離をとっていたように思う。

 嫌われているというよりは恐れ多いという感情。

 立場ある敬虔な信者、そういった人にある傾向だった。


 彼女もそんな中の一人だ。

 最初の宴の夜以降、気配は感じてもかならず距離のあった人。

 あれ以来初めて俺のすぐそばにいる。

 目的は……、フルーゼ、アニエスと言葉を交わすためだ。


「――――」


「――――」


 当然だが、何を話しているのかは一切わからない。それでも伝わってくる情報はある。

 マナの中に、緊張がある。憐憫や後悔もあるかもしれない。

 しかし、決して暗いものではなく、強い意志も同時にそこに感じられる。


「――――」


「――――」


 とつとつと続く言葉と二人の相槌。

 なんとなくなのだが、女性は謝罪をしているのではないかと思った。


 ――そして。

 フルーゼが初めて能動的に動きを見せた。

 女性の手をとり、両手で胸元までひっぱり抱き込むようにして語り掛ける。

 アニエスも、少し躊躇してから同様にもう片方の手をとった。


「――――」


 語る言葉。

 ここにはマナの流れがある。中心はこの三人。そしてその発端は、フルーゼ?

 かつて、俺が彼女に教えた魔術は循環と分離だけだ。

 オドからマナに意志を乗せるような方法は含まれていない。自分自身で学んだ力。

 根幹はアニエスを、俺を救うために起こした奇跡(まじゅつ)。

 無意識に、かもしれないが、彼女はもうそれを自身の力で行使している。


 物理的な現象を巻き起こすほど強い力ではない。ただ感謝の感情が乗せられた風。

 魔術の才能がなければ明確に感じ取ることすらできないかもしれない。

 エンセッタの住人なら、子どもたちの中に気が付いた子がいるかどうか、というところだろう。


 しかし、関係ないのだ。こと、現状に至っては魔術は過程ではなく結果。

 本心を語る上で漏れ出てしまった感情でしかない。

 俺たちだけでも、二人の感謝がただの社交辞令ではないということを知っていれば良い。


 そう自己完結していたのだが……。


「――――」


 アニエスが同じことをしようとしたとき、変化は起こった。

 決して強い力ではない。ただ明確に『存在』を感じさせる魔力。

 泉の中の湧水の様に静かにこんこんとわきでた魔力は明確に地下からやってきている。

 魔王であった彼女のために集まった悪意の力、忌むべき物。

 そのはずなのに、感じられる力に穢れはない。

 視覚に映れば見通せると錯覚するほどの純粋さで感謝を示している。

 あの、泥のようだったはずの魔力。

 今も神殿によって封印されているはずの力のどこを探したってこんな純粋なものは出てこない。


 アニエスには自覚がないようだ。ただ気持ちを言葉にすることに集中している。

 その間にも現象は続く。


 感謝の気持ちを乗せた魔力が周囲の人間の気持ちに共鳴していく。

 最初はフルーゼのオドに、話し相手の女性に。

 薄く広がった力はじきにこの場にいる人間全ての心に働きかけて始めた。

 何かを強制するようなものではない。ただ、感情を喚起し、共有する。

 感謝、不安、別離に対する悲哀、謝罪、決意。

 様々であるはずなのにひとつの感情としてみんなの中で共有された、この状態に心当たりがある。

 聖女の奇跡。カイルが出会いの中で見たと言っていた、心に働きかける力。

 死者をも救うという秘儀。

 近しい遺伝子を持つかもしれないアニエスだから行使できるとは思わない。

 しかし、カイルへの加護が俺にだって少し関与していたように、彼女にも一風変わった力があるのかもしれない。


 その力は、これまで示してきた凶悪な強さではない。

 しかし同様に崩壊と悲しみの力でもない。

 暗く悲しい力を浄化し、生きとし生けるものの想いを共有する理解の力。

 魔術師だけは分かり得るなどとけちなことは言わない、本物の奇跡。


 見送る人間の後ろにいた老人が涙を流して膝をついた。

 大げさに感じる彼の気持ちが、本当に真摯なものであることが今ならわかる。

 日々を敬虔な信者として生きていた中で巻き込まれた跡目争い。人の手による決着は付かず、ただ流行り病による破壊だけがそれを終わらせた。子も親もみんな等しく命を失う無情。だけれど自身は無力で今にいたるまで祈ることしかできていない。居住地が封鎖されたときにはもう、諦観だけが残っていた。もしも自身の死が誰かを救う礎になるというのなら、いつでも差し出す準備ができていた。

 そんな中であらわれたのは以前のような絶望だけではない。一条の光のような少女。やがて彼女が導いた御使いの救い。今度こそ、子どもたちの命は救われる。


 今、そんな救いをもたらしたものにも、当たり前に不安と情があったことを知った。あまつさえ、ただ傍観していた自分たちに対する感謝と謝罪の言葉があり、それが真意であるとまざまざと感じさせられる。理解の奇跡。


 赦さねばならない。傲慢と言われようとも、それが二人を救う手立てだから。

 閉じられた世界の発端にこの子たちがいたとしても、それは彼女たちの意思によるものではない。

 子を守るのは大人の責務で、自分は長いことそれを忘れていた。

 当たり前に強く生きるということ。長く生きた自分にできる可能性のあるたった一つの手段。


 膨大な経験と感情は一人一人から個別に想起されている。

 本来なら処理しきれない情報量に脳内の全てが押し流されていてもおかしくない。

 なのにそんなことは起きない。思い出そうとしても、具体的な記憶は形にならない。

 ただ、共有し『理解』したという気持ちだけが全員の中にあった。


 みんな苦しかった。諍いも、恨みだってあった。けれど同じ様に感謝している。

 誰に対しても幸せであって欲しいと願っている。

 命と心が摩耗する危機の中でも慮る心は確かにある。





 特別。

 原理が同じか異なるかというレベルではない、原始的な救い。

 旅立ちのとき、最後の最後にアニエスが使った魔術はそういう類いのものだった。

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化学で捗る魔術開発 瓜生久一 / 九一 @ccsand91

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