第169話 もしもあなたがそう願うなら(上)
結論を出すのにほとんど時間はかからなかった。
当たり前だ。
今の私に選べる未来の数なんてたかが知れている。
どの方法をとっても誰かに迷惑をかけることになるから、その中でましなものを選ぶだけ。
今でもなお、フルーゼに教えてもらった魔術を使うことはできる。
だからエンセッタにいれば仕事はあるだろう。
長く不在だったことを多くの人は不信に思うだろうと予測していたものの、その点はフルーゼとアインに助けられた。
彼はまるで、というか信仰の対象そのものとしてみんなに受け入れられている。
短い滞在中にいくつもの奇跡を行使してきたらしい。
昨日だって集落の農地のために、ため池をつくり、『ついで』に私を助けてきてくれたことになっているのだと、フルーゼが教えてくれた。だから、大丈夫なのだと。
災いから神殿の力に守られていた私を御使いが連れ戻した。
どんな無茶な建前も真実ほどではないし、天の御業ともなればみんなおいそれと否定はできない。
むしろ大きな力であればあるほど信用するに足る奇跡となる。
笑ってしまう。
だってこれはフルーゼが書いた筋書きだ。
そこにあるものをうまく活かして自分の求める形に整えるのは彼女の得意技だ。
このために、その流れるような弁舌を真新しいため池の前でふるったのだろう。
その様子がありありと想像できる。
すべてを知ってなお、多くの苦しみの元凶である、私のために。
……そんな好意を無駄にすることになる。
私が集落を離れるつもりだから。
一次的にせよ、罪から逃げる形になっても、そうする理由がある。
うまく言い訳ができたところで、集落にいすわれば諍いの種になる。
この角だって隠していても、いつか見つかって気味の悪いものとして見られることだろう。
私自身が無抵抗を貫くつもりでも、命の危機が迫れば角の力を抑えきれない可能性はある。
アインは薄々気が付いているようだけれど、エンセッタに私がずっといるのは、まだちょっと危険だ。
長い間かけて集められた悪意の魔力と私の接続は切れた。
しかし、今も魔力はこの地の奥深くに眠っている。
神殿に抑制されながらも、周囲にゆっくり影響を与えていくことだろう。
十年単位で時間が経過すれば周辺に霧散していくとしても、そこに私がいるといつ何のきっかけでつながりが復活してしまうかわからない。
だから一度この地を離れた方が良い。
神殿の力は働かずとも、今の封印がある状態なら指輪の力で抑えられると思うから。
お父さんのお墓があるエンセッタのためにも。
罪を償うためにすら慎重に遠回りをしなければいけないのが現状なのだ。
少しだけ前向きな理由もある。
今まで私にとっては、死んでしまったお父さんだけが血のつながった家族だった。
でも、アインの言うことが本当なら、生きている家族が北の大陸にいるかもしれない。
魔王だった立場から考えれば、出会うことも許されないような人たちなのかもしれないけれど、それでも会ってみたい。
……嫌われ、敵対することになるかもしれない。
まったくの勘違いで縁もゆかりもない人たちかもしれない。
それでも、もし本当に家族だったらお父さんのことを伝えたい。
だから、私はそのことをフルーゼに話した。どうせ隠れて旅の準備をすることは不可能だから。
「……そんなことがあったんだ。本当に不思議。アインたちは本当に御使い様なのかもしれないね……」
私とそっくりだという聖女の話。
おそらく、要領を得なかっただろうそれを、フルーゼは一度も口を挟まずに最後まで聞いていた。その上での返答。
たしかに、ただ偶然で片付けることではない。
魔力には意思はないけれど遺志が宿っている。
いつだって何かの願いを叶えようとする優しい力だ。
例え私を蝕んでいた悪意の力でもその本質は同じ。
他者に虐げられ続けたが故に、他者を虐げるやりかたしか残らなかった悲しい願い。
そういった部分は必ずある。
そんな無念の中に、長い長い因果を引き寄せて私の家族との縁を運ぶ力が働いたという仮定はできなくもない。
どういった経緯にせよ、魔力の導きでこの地を開放し、神殿の奥底まで至ったアインたちは天の教えと所縁の深い人物なのは間違いない。
「でもね、なんとなく思ってたよ。アニエスはアインたちと一緒に北大陸に行きたいって言うんじゃないかって」
私の立てた浅はかな計画は彼女の想定内だった。
まぁ、珍しいことではない。
大切な誰かのためになら、予測の目が曇る事もあるけれど、基本的に彼女は頭の良い子だから。
「うん、私、家族のことが気になる。うまくいくかはわからないけど、会ってみようと思う」
「……そうだね。それが良いよ」
家族とは、フルーゼにとって勘所だ。
引き留めにくいように強調してみたけれど、あまり意味はなかったかもしれない。
ここまですんなりと認めてもらえるなんて。
彼女と話をするまで、ずっと不安を抱えていたので拍子抜けした。
一方で引き留めてもらえなかった事実がちょっと、ほんのちょっとだけ悲しい。本当に勝手だなって思う。
私が深く暗い場所で眠りについていた間にもフルーゼには時間が流れていた。
無責任に与えてしまった責任と焦燥。その中で彼女も成長したのだろう。
私がいない時間は、今となっては当たり前なのだ。
それでも大丈夫。彼女は私を助けてくれた。命がけで。その事実だけでこれからを一人で頑張っていく原動力には充分だ。
「急になるけれど、アインたちに付いて行けないか、お願いしてみようと思うんだ。信頼できると思うし、あまり長い間集落にいると物資を無駄に使っちゃうから」
「カイルたちに会うなら、それが一番だものね。でも、だったら急いで旅支度しないと。困ったな。つい最近、旅道具を結構整理しちゃったの。みんなにお願いして集めなきゃ」
手伝ってくれるんだ……。
やっぱり、この子は私のことを大切に思ってくれている。
「そんな、悪いよ……。もし、みんなと一緒にいけるなら必要な物はかなり節約できるはずだから、私一人でなんとかする」
水と食べ物は共用。
風避けはサウラがいるから、必要なのは夜の防寒着と寝具だけだ。
つぎはぎでもなんでも帳尻をあわせて見せる。
「? 何言っているの? アニエスだけに任せたりしないよ。二人で手分けして準備した方が早いでしょ」
「でも、フルーゼにはお勤めだってある。せっかく家族が揃ったんだからその時間を大切にしないと」
「うーん。でも私がいるとお父さんたち二人きりになれないしね。だいたい自分のことは自分でやるって当たり前のことでしょう?」
へ?
なんだか変な声が口から漏れてしまった。どういうこと?
「あ、そっか。ちゃんと言ってなかった。私も行くよ。北大陸。アニエスがもうちょっと療養するなら、その間はここに残るつもりだったけど、その様子なら大丈夫そうだし」
フルーゼが、ここを離れる?
「なんで……?」
「……今回のことでやっとわかったから。離れることが苦しくても、それで家族じゃなくなったりしない。今、力を貸したいのはアニエスの方だよ」
全然、そんなこと考えていなかった。
彼女にとって一番大切なものを後回しにしてまで私のことを考えてくれるなんて。
「……でも、やっぱりだめだよ」
「でももやっぱりもないよ。私が決めて私がやりたいだけ。それにさ、アニエスだってわかるでしょう。アインたちの魔術、すごいの。アニエスだって、その角でいろんなことを知ってる。みんなばっかりずるいよ」
額に手を回して触ってみる。醜いでっぱり。
確かにここには私の知らなかった知識がたくさん詰まっているけれど、羨まれるものだとは思わなかった。
「私、もっと知りたい。世界のこと、みんなのこと、自分たちのこと。どうやったら困っている人を助けられるのか。どうやったらみんな笑っていることができるのか。アインたちはそれを知っていると思うんだ」
知識で誰かを幸福にする。そんなことがあるのだろうか……。
いや、違う。私はそれをすでに経験している。
フルーゼが私を救ってくれたのは彼女の意思や人柄、環境によるものだと思う。
けれど、救ってくれた方法はいつだって知識を源泉としていた。
こうしてまた、話ができるのだってアインやフルーゼが考え、挑戦し、諦めなかった結果のはず。
なら、私にも同じことができるだろうか。
悪意の力を呼び集めてしまった身でも人を助けることができるように、なるだろうか。
「それ、私にもできるかな。この角があっても、誰かを助けることができるのかな」
「当たり前でしょ!」
即答だった。
質問した私が言葉を続けられないほどに、はっきりと答えをもらった。
「アインの得意なことはね、実は魔術じゃないんだって。化学っていうんだって昔言ってた。これは、『何かをするために、物事の道理を知る方法』。どんな人でも分け隔てなく病気を治し、力と光をふるえる学問なんだよ」
目を輝かせながらいう彼女は本当に嬉しそうだった。
たしかに、これまでフルーゼがやってきたことは化学そのものなのだろう。
「だからできる。私たちは、『できるわけない』っていう気持ちをなくすために勉強するんだから。そのために、アインについていけば良い。まずはその方法を考えないとね!」
この子は間違いなく、私のことを考えてくれている。
一方で今聞いた話も真実だ。
良いとこどりで自分の決めたことをやろうとしている。とても眩しい生き方。
私にも真似ができるだろうか……。ううん、それをたった今教えてもらったんだ。
やりたいと思ったことをやり遂げる方法。
今私がここにいること自体が、彼女の正しさの証明。
――後は、私の決断だけだ。
「なら、一緒に準備、しよう。ギースさんたちだって説得しないといけないし、そもそもアインたちにもまだ話してない。やらないといけないことが山積みだよ!」
精一杯の元気を込めて。
二人にとってそれが最高の決断だと共有することは、この方法を成功させる本当の第一歩。
「うん。でも大丈夫! 私たちならできる。でしょ」
はっきりと、その一歩目を踏み出した。
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