第168話 解き明かせない謎、取り組める謎
食事は終わっていたのでフィーアさんは巫女としての仕事へ向かう。
ギース氏もジョゼさんたちと打ち合わせだ。
忘れてはいけないことだが、彼らや俺たちには『嘆きの峡谷』を越えたという報告を向こう側に伝える義務がある。
アニエスのことがあったので、俺たちだけがここに残ることも検討していたのだが、少なくとも彼らは新たな旅の準備が必要だった。
残されたのは俺たちとアニエスだ。
彼女はしばらく療養する、という名目でフィーアさんの私邸へ滞在することになっている。
ふらふらと出歩いても混乱を招きかねないので妥当な処置だろう。
そういう意味でも、今後の計画は立てておきたかったが。
「少し、話相手をしてもらってもいい? 私の知らない私のこと、教えて欲しいの」
元よりそのつもりではあった。しかし、
「気が付いていたのか?」
俺たちの知る、彼女の秘密の鍵。
聖女との関係についてはまだ誰にも話していないはずだ。
「魔王だった時は人の感情が伝わりやすかったから。目を覚まして初めて会った時にアインとメイリアさんが驚いていたなって。それに……、その、封印を施してもらった時に私の内側がアインと随分近づいて、そのときに、この人は私のことを知っているって……」
ちょっと言い方があれだが、オドの接近は厳密な情報の伝達とは異なるなりに相互の理解に関係するという話はちょっとわかる。
「……私は席を外していた方が良いか?」
「ううん。大丈夫だと思う。話して困るようなことじゃないんでしょ?」
どうだろう。
ロムスに聖女を迎え入れた時、フヨウは彼女と対面することはなかった。
でも、カイルや俺たちと近しい関係にある以上、いつかは気が付くことのような気はする。
なら、今話してしまっていいようには思う。
「多分。いずれわかることだ。それにフヨウのことは信用しているよ」
「……知ってる。だから、今、ここで教えて欲しい」
なら、俺たちの方から言うことはない。
メイリアの方を向き頷き合う。
そして、彼女に伝えた。
そっくりな人間を知っていること。その人は北の大陸で著名な人物であり、今は俺の弟と一緒に試練の旅をしていること。兄が一人いること。
可能な限り主観を交えずに事実を話したつもりだ。
聖女として魔王と戦う人物と、自称魔王。うり二つの二人。
ここにいたるまでいくつもの奇跡が重なってきたが、それぞれが偶然の産物であるとは思っていない。その最たるものがここで明かした事実だ。
作為はある。その前提で考えた方がいい。
神によるものか、はたまた強大な力を持った別の存在。
ある意味『真の魔王』と呼べる存在がいるのか。
……どちらにせよ、このことはカイルに伝えた方が良いはずだ。
「聖女ってどんな人だった?」
知らせた中に、彼女の人柄に関するものはない。
俺の主観では、どうしても聖女としての役目に忠実な姿が思い浮かぶ。
そして、それはアニエスの知りたい情報ではないと思った。
彼女はカイルが惹かれた、一人の私人としてのマリオンを知りたいのだと思うから。
「公式な場の彼女しか知らないからな……。でも弟が、助けたい、全てを懸けて近くにいたいって、そう思う人なのはたしかだ」
だから素直にそう伝える。
「私の、妹かお姉さん、なのかな……」
問いかけるというよりは独白のような一言。正直、その可能性は低くないと思う。
伝え聞く聖女には両親の話がない。
一方で兄であるユークスがいる以上、ある程度はっきりした血筋があるはず。
アニエスは父とともにこの地を訪れたのだという。
そこには足りないパズルのピースはあっても、重なった部分が存在しない。
「断定はできない」
安易な回答をするべきではないだろう。
彼女には、まだ考えなければいけないことが沢山あるはずだから。
一方で、否定する材料を俺たちが持っていないことも伝わってしまうが。
「……そう、そうね。ありがとう。いろいろなことがあって考えはまとまらないけど、知ることができて良かった」
俺たちだって、自分だけで抱え込みたい話ではない。
解決するわけではないにせよ、当事者で分かち合いたい問題というものがある。
「もう一つお願い。このこと、フルーゼは知らないでしょう。私の方から話をさせてもらっていい?」
結果的に仲間外れにしてしまったが、隠しておくつもりはなかった。
アニエスがそういうなら尊重しよう。
「わかった。頼むよ」
ちょうど話のきりがついたので、お茶、とはいっても名ばかりの色付きお湯、を淹れて一服する。
「だいたいのことは話したと思ううんですが、私、一つ気になっていることがあるんですよ」
「なんだ?」
メイリアもいう通り、情報交換は全部終わったはずだ。
何か残っているだろうか。
「当事者以外はみんな気になってると思うんですけど、先輩とアニエスさん、なんでお互いに呼び捨てなんですか?」
思わぬことを訊かれてしまった。
「「なんでって」」
そんなの……、
……なんでだ?
俺と彼女は昨日初めて出会った。それは確かだ。
名前はフィーアさんたちに聞いて知っていたが、それもたった数日前のことだ。
実際、俺は彼女の救助に向かうまで頭の中で『アニエスさん』と敬称をつけて呼んでいなかったか?
「……それは多分」
考えるほどわからなくなる俺に先んじてもう一人の当事者が口を開いた。
「魔王を封印してもらったから、だと思う」
――あ、あー。そうか……。
言われてみればそんな気がする。
「命のすごく深い部分を近づけてオドを交わしたから、混ざっちゃったのかなって。少しだけだと思うけど。それからなんだか他人みたいな気がしなくて」
そうなのだ。
俺の中でアニエスはどこか近しく感じる部分がある。
例えてみるならカイルやルイズのように。
初対面だったはずなのに兄弟と同じ列に並んでいるのはおかしな話だよな。
「……それは大丈夫なものなのか?」
「今の所、自分では異常は感じないな。あのあともオドについては結構ずっと気にしているけど」
「私も……。これまでオドはずっと抑え続けないといけなかったのが、なくなっちゃったから変な感じだけど、嫌な気分ではない、かな」
「外から見た感じはどうだ?」
魔術的な側面からみても感性の鋭いフヨウならわかることもあるだろう。
ここ最近はそれに頼りっぱなしなくらいだ。
「……アニエスについては、以前のことがわからないから比較はできない。今は安定しているように見える。アインは……、正直に言うとちょっと不安に思っていた。オドに覇気がないというか、病人のように見えるときがある」
「それは――」
心当たりがあった。
魔王の力を魂(じぶん)から引きはがすときに、命そのものを一部消失していると思う。
今の俺は栄養の欠けた土で育てられた植木のような不安定さがあるかもしれない。
「――自分でもわかってるんだ、無理をしたからな。オドを使い過ぎて渇いちゃったっていうか」
あれだけのことをやったのだから、問題が起きていない方がおかしい。
こうして五体満足に話ができるのは幸運の産物以外の何物でもない。
「大丈夫だよ。みんなそんな顔をするなって。これは想定済みのことなんだ。ゆっくり休んで時間をかければ治るものなんだよ。地脈を汲み上げることができれば今まで通り魔術だって使える」
俺の現状については恢復の見込みがある。
事実、昨日と比べれば現時点でも随分と復調しているのだ。
絶対の保証があるわけではないが、これまでの魔術研究もオドの枯渇が可逆性の現象であることを示唆していた。
「……そうだな。そんなお前を見るのは初めてじゃない。それでも万全でない以上、無理をしてくれるなよ。アニエスもだが、しっかり休んでおけ」
「先輩、その言い方だとオド循環はうまくいっていないってことですね。そういう不調はちゃんと伝えておいてくれないと、大切なときに命取りになっちゃいますよ」
わりと軽口の多いメイリアだが、真面目な説教は少ないような気がする。
もっともな話なので神妙に頷いておく。
「……ふふっ」
思わず漏れたと言わんばかりの笑い声。
正しい意味での失笑の出本は、当事者でもあるはずのアニエスだった。
「どうした? 真面目な話をしていたと思うんだが」
どこに笑うような部分があっただろうか。
「えっと、ごめんね。仲がいいんだなって思ってたら思わず。自分でもなんでかわからないんだけど」
フルーゼを守るために悪意に抗い、自ら眠りについていた彼女は、ここまでずっと気の休まる時間なんてなかっただろう。
情緒的に多少不安定な部分があっても致し方ない。
今、この時が安寧につながるなら、この笑顔も悪いことではないだろう。
フルーゼが帰ってくるまで、しばらくの間、こうして穏やかな時間を過ごすことになった。
◇◆◇◆◇
泊めてもらっておいてこんなことを言うものではないけれど、フルーゼのお母さん、フィーアさんのお家は大きくはない。
食卓のある台所を除けば、今私がいるフルーゼの部屋と、彼女の両親が滞在する寝室。
これだけ。
だからといって集落の中で特別小さい建屋ではないし、ほんの少し前まではこの大きさで十分だったのだ。
フルーゼとフィーアさんの母子、二人の生活に二つの私室。
そこにいつも旅をしているギースさんがやってきて私も間借りさせてもらっている。
部外者の私が出て行けば、ちょっと手狭でも家族で過ごすにはちょうど良い範疇なのかなと思う。
それでも、元から身寄りのなかった私には帰る場所がない。
以前は共同生活所の中に私の寝台と私物箱があったが、一年以上も不在だったのでとっくに片付けられていることだろう。
封鎖されて物資の乏しいときの話なので文句もない。そもそも物資不足の原因自体が私だったし。
そう、全部、私のせい。
本当は命をかけて贖わなければならない。
それだけみんなを苦しめたから。……おそらく死んだ人だっている。
けれど私は自ら命を絶つことができない。
おでこの角とみんなにもらった加護。双方が私の命をがんじがらめにしばっているから。……守ってくれているから。
とにかく、一生かけても償いきれない罪と向き合うしかなく、そのためにできる第一歩は自分の力で生きることができるようになることなのだ。
……みんな、私にここを出ろとは絶対に言わないと思う。
だからこそ早く自分の行先を決める必要がある。現状に甘え続けるべきじゃない。
私は知っている。今、このときこうして家族で過ごすことがフルーゼにとってどれだけ大切か。どれだけ恋焦がれてきたことなのかを。
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