「ログハウスで何を作るか勘違いしてませんか?」

「ログハウスで何を作るか勘違いしてませんか?」 


厚生省が発表する労働災害発生状況における死亡率が一番高い職業がなんであるかご存じだろうか。

この質問をすると大体の確率で土木、製鉄所だとかプロのバイクレーサーだとか、もっともらしいことを答える者が多いと思う。

だが、応えはNOだ。

正解は、この地球の平和を守るためにはもっとも必要な職業―――チェンソー片手に自然を愛し、多くの住民が彼らの仕事によって平和に暮らしているといっても過言ではない職業………



 が、この職業の現実はこうだ。

「なぁ、カモシカってしっているか?」

 車を運転させながらタバコを吹かす大柄な男―――山田さんは、俺に突然そういった。

「ここらの森にも、今じゃカモシカがいるんだってな。んで今、日本中のカモシカって何頭いると思う?」

 カモシカ、ウシ目(偶蹄目)ウシ亜目(反芻亜目)ウシ科ヤギ亜科。諸説あるが、山岳(カマ)に棲む鹿だからカモシカという名前であり、またこれにも諸説あるが戦後の乱獲によって個体の数を減らし、ここ日本では国の特別天然記念物に指定されている。

 それだから、ここら埼玉県秩父市にも現れるようになったということは喜ばしいことじゃないか?

 山田さんが煙草を口元から離すまで―――そう哀れにもそう考えていたのだ。

「どうやって数えたか知らないが、今、日本にいるカモシカは十万頭。じゃあ、俺たち『木こり』はこの日本には何人いると思う?」

「ん……さすがに三十万人は―――」

「四万人、個人労働者も含めてなッ! なにが林業だ。死ぬ気で働いて一日二万も稼げない。それでいて、ここのスギやヒノキが発生させた酸素で日本の奴らは生きてるっていうのに、都内の合コンでいわれるのは『オメェらのせいで俺らが花粉症で苦しんでいるんだ』だとよッ‼ マジでふざけるなッ!」

 山田さんは突如となくアクセルを踏んだのか―――ハコ車(ボックスカー)が、急発進した。

「まぁまぁ、山田さん………」

 コレが、俺が地域おこし協力隊として秩父市で「林業」を始めてから一か月がたった時の事実である。



『自然とともに豊かで実りある生活をしてみませんか?』

 そんな言葉は嘘っぱちだった。

「林くん、仕事はもう慣れたかい?」

「はい、なんだかんだ市街ですし生活には困りません。車がない以外は……」

「ハハ……だよね」

 そう挨拶してから、市役所を出た。

 ちょっとばかしは市役所の臨時職員という誰もが経験することができない職業が、誇らしいこともあったが―――今ではこんなことも考えなくなった。

 毎日市役所に通ってはパソコンに向かって書類を作成し、市が取り締まる林業作業に従事する。

 そして、秩父市だけでなくドコの観光地にも当てはまることだと思うが、観光地というのは栄えている割には店が少ない。ついでに……マジで娯楽がない。

 まぁ、地域おこし協力隊の俺からいわせれば……ただの自然豊かな田舎ではない廃れた町は、マジでレベルがたけぇワケで、いつからか(一か月しか経っていない)自分が地域おこし協力隊であることさえ忘れて、この死亡率NO1で疲れるクセに給料も激安の林業について疑問を持つようになった。


 そんなときだった。

 土日の休み明け。上司のひとりが、一枚の書類を渡した。

「……研修ですか? いつから?」

 そう、日程をみれば判ることだが―――思わず目を疑った。

「ゴメン、いい忘れてたけど明日から三カ月。ちょっと遠いから今から家に帰って服とか必需品を纏めてきて。車とか研修の書類とか必要なモノは作っておくからさ」

 上司は笑いながら誤魔化していたが、そうではない。

「コレは、なんの研修ですか? ログハウス作りって……林業関係あるんですか?」

「あれ、いってなかったけ?」

「いや……いってないですね」

「まぁ、そろそろ君には伝えたほうがいいのかな……」

 上司は―――俺を会議室へと招いた。

「一応には、ボクたちも君たちにこの地域に定住してくれなきゃ困るわけだよ。だけどねぇ……。現状、林業だけじゃ食べていけないことも、林くんはよく知っていることだと思うんだけど。違うかい?」

 思わず、自身の口元がゆがむ。

 まるで心を視通されたかのようだ……と考えてみたが、このハゲズラの上司も散々となく林業についての愚痴を零していたことを思い出す。……あれは確か、俺が出社してからすぐの飲み会の時だろう。

 ただ、アレは飲み会の席だ。どれだけ愚痴っても、許される平民の聖域………。

 まぁ、コレがスベテ本当のことだって知らされたのはつい最近のことだが、

「だからね、秩父市では今年から特別研修に参加してもらうことになったんだよ。お金はないッ! だけど、幸せはあるッ! そんな素晴らしいことを知ってもらうことにね」

「……はぁ」

「まぁ、突然話は変わるけどさ、明日の車にはもうひとり同行してもらうことになっている。このたび、同じ秩父市の地域おこし協力隊に選ばれた隊員だ。君は……明日、いつものハコ車で待機してくれたまえ」

 そうして、俺はあらゆる期待と不安を抱えながら、自身のアパートに戻ってから明日のログハウス作りの研修の荷造りを始めた。

 だが、思えばアパートも市から借りているからいいのだが……これから三カ月も研修のため、このアパートに来ないというのに、どうしてこのアパートを借りたのだろうか謎も残る。

 が―――考えるのはやめた。

 普通の生活では体験できないことをやりたくて、俺は地域おこし協力隊になった。

 そして、入隊する前、旅行で見た秩父……自然豊かで、ヒトの温かみのあるこの町が好きだった。

 


 そうして当日―――秋にも関わらず霜ができる朝方だった。

ハコ車の中でコーヒー片手に、どうでもいい日々を安らかに送れればいい。こんなことを……考えていたかもしれない。

 こういう何もない空間の中にいると―――感傷的に過去が思い出される。

 林業という、安くて辛い仕事で忘れていたことが、思わず溢れ始めた。

「………はぁ」

 一度大きく瞑った目を、薄く開ける。

「逃げちゃいけねぇよな」

 こんな言葉を吐いてから一度、この狭い空間から出たいと思った。冷たい空気を吸えば気分も変わるかもしれない。あと……タバコが欲しい。

 扉を開けてから、ポケットの煙草を取り出そうとして……なぜかこの手を止めた。

 ここにいたのは、目を疑うほどの小さな子供だった。

 大きな荷物を担ぎ、東京でよく見るグレーのパーカーを着たボブカットの華奢な女の子だ……。

 しかし、こんな都会っ子がなぜ………俺が言葉に詰まっていると、

「あなたがその………、これからわたしと過ごす……パートナーですか?」

 パートナー? なにか話がヘンな気もしたが、もしかしたら………

「ログハウス研修の、新しく入隊したのがキミか?」

 そういうと、少女は赤らみながらも頷いてみせた。

「そ……そうです。これから末永くお願いします」 

 礼儀正しいというか……ここまで頭を下げると慇懃無礼とでもいうべきか、

 てか……末永く? 研修は三カ月だぜ?

「こんな固くならないでくれ、あぁ、俺もついこないだ入隊したばかり、同じ穴の狢っていうじゃん?」

「同じ穴の狢……。はい、そうですね」

 

 まぁ、早く向かうか……と、俺は車に彼女を同乗させ、エンジンを吹かせ始めた。

 ちょこんと助手席に座ってからも、まるで拾ってきたネコみたいにモジモジしている猫にわずかながら同情を思えなくもない。

「いきなり知らない男とだなんてイヤだな……」

「ぇ、そんなことはありませんよ? ふみさんは……その、ぶっきらぼうですが、やさしい目をしてますよね。わたし、こういう人が訪れてくれるのをずっと待っていました。だって………」

 なおも少女の言葉が続くが―――なぜか、思考が追い付かなくなる。

 アレ? なんだか、オカシクねぇか? いきなりこんな幼女に下の名前で呼ばれるし、ぉ……俺のようなヒトをずっと待っていたって?

 待て待て、俺は大学中退、三回も退職、二年以上のニート経験を持つクズ野郎だぜ?

 そもそもこの子、入隊したとかいいながら何歳だよ? が……いきなり歳を聞くのもな……。

 そのまえに―――

「そ、そういえば、なんて呼べばいいんだ?」

少女は、いきなり引っ掛かるような嗚咽横目で確認した少女は―――その目から涙を流す。

だから、後方を確認して、すぐにハコ車にブレーキをかけた。

「ぉ……どうしたんだ。急に泣かないでくれよ。俺、なにか悪いこといったか? イヤなことがあったなら教えてくれ。絶対にしないようにする。あぁ……もぅ」

 俺は、ポケットから偶然見つけたハンカチを少女に渡そうとした。が、少女は未だに絶えることのない涙をこすりながら、口元を震わせる。

「アカネ……そうお呼びしてください」

「アカネ……さんね」

 そう、アカネさんを呼んだ瞬間だ。

 ふわりとした少女の身体が、宙に浮いていた。

 俺の首元が暖かくなり、アカネの長く帯のような黒髪が鼻孔に触った。

「はい、わたしはアカネです」

 意味が判らない。が、こんな幼女とはいえ女の子に抱きしめられるというのは何年ぶりだろうか。

 この甘く蕩ける香りは……すでに女性の、ソレであった。

「わたしと、これからずーっと頑張りましょうね。きっと辛いことも、辛いこともあるかもしれない。ですけど、きっとあなたとなら乗り越えれる。幸せを……手に入れられる気がしますッ!」

「え……はぁ?」

それらについて詳しく理解できたのは、これからだった。


 秩父にはいくつもの林道というのが存在する。そのなかの指定された一本を辿っていくことは、まるで阿弥陀クジの一本を引く感覚と似ている。

 本当になにも知らない俺からいわせれば、なにが出てくるか判らない魔境の入り口だ。

 ただ、このワクワク感は他には代えられない。

 俺は、秩父市に来る前からこのような林道を利用することが稀にある……俗にいう廃墟マニアだった。

 熱心に廃墟を巡るようになったのは大学を辞め、最初の就職をしたときであろうか。初めて購入した車で、あらゆる探索をおこなったのを憶えている。

 が―――このせいで住居侵入罪で何度か捕まって辞めたんだっけ。

まぁ、このスベテが偶然にも不起訴で済んだだけ幸運というべきか。

「―――ひゃあッ‼」

 突然隣から女々しい声がした。あ……忘れていた。てか忘れたかったのかもしれない。

「あ、ワリぃ。運転がヘタでな」

「ヘタというか、ハッスルしているみたいな目をしてましたけど。男のヒトって車のハンドルと女性の裸を見た時は興奮するって聞きましたが………もしかして」 

「はぁ? そんなことないって。てか―――んなことない」

 本当のことはいえるはずがねぇ。……そもそも、こんないくつかも判らない幼女アカネさんにあんなことそんなこといえるはずもない。根本的な話……かの女がいくつなんだよ、

「アカネさんって……いくつなんだ?」

「へっ? ん……六さいです」

「はぁ? 六歳………?」

 わ、若いを通り過ぎて、市役所の業務上過失じゃねぇか?

 たしかに……最近の女の子は成長が早いっていうしな。が、若者が足りないっていっても、コレでは社会問題になりかねない。もちろん、同行している俺も、だ。

「おいおい、小学生かよ」

「ち、違いますッ‼ 十六歳です。最近まで学校に通っていたんです」

 へぇ……。まぁ、ギリギリセーフというワケか。

 どちらにしても爆弾発言には変わらないがな。

 そんな根も葉もない会話をしながら、車をガタガタと走らせること数時間―――冗談ではなく数時間も車を走らせた道の先には、この森林を抜けてきたとは思えない丸太づくりの家が存在した。

 そういえば、これがログハウスというモノだろうか。丸太を何段も重ねたまるで、北欧の家……いや、実際にそうなのかもしれない。二十何年間も生きてきたが、都内で生きてきた俺がログハウスを見るのは初めてだった。 そう見惚れていたが―――この家が俺たちの研修場所であろう。

 田舎の学校ほどダダ広い空間に適当に車を駐車させて、車の外に出る。思わず深呼吸してしまう。ヒノキ特有の青い匂いや冷たくひんやりとした心地よさが身に染みた。

 こういう匂いを嗅ぐとどうしても……それとは逆にタバコを吸いたくなるもんだ。

 ポケットに手を突っ込む―――が、急に吸う気が失せた。隣には、アカネさんがいた。

「タバコ、吸ってもいいですよ? わたしは気にしませんし、いきなり止めれるもんではないときいたことがありますし………」

「いや、いい」

 煙草を吸うときに一番イヤなことがある。別に、女性の前で吸うのは構わないのだが……ぜったいに、子供の前ではタバコを吸うのはダメだと心に決めている。

 どうしても―――アカネちゃんが一六歳以下。強いていえば小学生ぐらいにしか見えねぇんだよ。

「ま―――まさかわたしのためにッ⁉」

 ………………まぁ間違えではないが、さっきからいきなり抱き着いたり、呼び名に下の名前をご所望したり―――ヘンな奴だ、まるで……そうだな。エロゲーみたいだ。

 まぁ、遅刻したのもあるから荷物も持たずに一度、ログの中に挨拶しに行こう。

 書類によれば今日、県からのお偉い方々も参加した開催式が執り行われるのだとか。

 とにかく急いでいたフリをしてログの扉を開けた。


 そう、コレは夢か幻の一種だろうか。突如と思い出したのは―――昔民法で聴いたことがある『てんとう虫のサンバ』という曲だった。

 

 あなた~とわた~しがゆめの~国

 も~りの 小さな教会で 結婚式を挙げました~

 

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