第6話 それぞれの生きる世界
茜と凪を背に乗せて、城へと帰った竜神は、二人を休ませて、静かに語り出した。
「……さて。どうして、今私が、このような姿になっているか、だが。初めに、言っておきたいんだ。こうなったのは、全て私自らが望んだ結果だ。誰に命令されたものでもない。だから、私を憐れむのは、お門違いだ。それだけ、肝に銘じて聞いてほしい。」
竜神……いや、兄の言葉に、茜は黙ってうなずいた。
「ありがとう。……五年前の祭りで、そもそも、どうして竜神様が生贄を求めたのか、わかるか。彼女は、自らの跡継ぎを求めていたんだ。」
「跡継ぎ……?」
予想していなかった言葉に、茜は驚いた。
「私も初めは驚いたよ。てっきり食べられるものとばかり、思い込んでいたからね。でも、違ったんだ。あの時、村で日照りが続いていたのも、竜神様が怒っていたわけではなく、村に定期的に雨を降らせるだけの力が、弱まってしまっていたからだったそうだ。」
それからは、竜神の求めに応じて、竜神の跡継ぎとなるべく、様々な鍛錬にいそしんだと、葵は言う。竜神の秘密にかかわるため、どんな内容だったのかは、明かせないとのことだった。
そして、いつしか……先代の竜神と、葵との間には、恋愛感情が生まれたのだと、葵は言った。
「だから、私は先代と三年前に番になった。」
茜は、信じられない思いだった。
「つ、番って、夫婦(めおと)ってこと……⁉ だって、相手、竜でしょ? それに、三年前って、葵兄さま、まだ十三歳じゃない!」
「海底生物にとっては、十三歳はもう十分すぎるほど大人だよ。一人前になるまで十六年もかかるのは人間くらいのものだ。」
茜をなだめると、葵は言葉を続けた。
「番になるにあたって、私は先代に、種族を人間から水竜に変えてもらったんだ。そして、先代は私の子を産んでくれた。それが、凪なんだ。」
凪がうなずいて、茜はまたまた面食らってしまう。
「ま、待って待って、それじゃ凪さまは、まだ三歳ってことに、」
「だから、何でも人間の尺度で考えるな、茜。竜神の子なら三歳でこれくらい成長するものだ。」
茜は、考えるのをやめることにした。代わりに、茜は自分が気になっていることを尋ねた。
「……葵兄さま。陸に戻って、父に顔を見せてあげるわけには、いかないのですか?」
茜の言葉に、竜神となった葵は首を振った。
「それは無理だ。今の私は竜神として、この海を守る務めがある。」
「……先代の竜神は、どうしたんです。」
「凪を産んで、間もなく亡くなったよ。骨は、聖堂の中に納めた。そして、歴代の竜神の御霊は、あの剣に宿り、当代の竜神を護る、と言われている。……しかし、それよりも、竜神剣は私にとっては、大切な妻の形見なんだ。」
竜神剣に触れようとした直前、竜神が焦ったように見えたのは、それが理由だったのか、と茜は納得した。
「知らないこととは言え、本当にごめんなさい……!」
「……いや。それよりも、お前が意識を取り戻して幸いだった。やはり歴代の竜神の御霊は、他の者があの剣に触れることを許しはしない。剣を引き抜いたお前が、そのまま倒れて、どれほど肝を冷やしたか。」
葵の言葉に、茜はますます恐縮した。
「茜。お前はもう地上へ帰りなさい。人間であるお前が、これ以上ここに居てはいけない。」
「そんな、嫌ですよ! こうして再会できたのに! 私、葵兄さまと一緒に居たい。ここに置いてください。それに、兄さまを狙って、またさっきの奴らみたいなのが、襲ってきたりするんでしょう! 兄さまをいじめる奴は、私が許さない!」
「……この海底の世界で、お前にできることなど何もないんだ、茜。」
その言葉は、茜にとってはあまりにも惨いように思われた。
「私は、地上で生きていたころは、何の役にも立たない人間だった。
だが、海にやってきて、愛する人に出会い、生きる意味を初めて見つけたんだ。私は、今の生き方に誇りを持っている。……だからお前は、陸の世界で、本当に自分が生きたい人生を歩みなさい。女らしくしろとか、結婚しなさいとか、そういうことではないよ。好きなように、生きるがいい。だが、もう『誰か』のふりをして、生き続けることはない。」
「そんなの無理ですよ! 地上では『茜』はもう、必要ない存在なんですから!」
「いいや、大丈夫だ。地上の世界は、お前が思っているよりずっと広い。何者でもないお前を、きっと待っている人がいる。」
葵が手を一振りすると、茜の身体が光に包まれて、浮き上がった。
「葵……いえ、茜さま。どうか、お元気で。記念に何か差し上げたいけれど……先ほどのようなことが、二度とあってはいけませんものね。何もお渡しできないけれど、どうかお元気で。」
凪は、そう言って、名残惜しそうに茜を見つめている。
「そんな……葵兄さま……!」
目に涙をためた茜の頬を竜神の手が撫ぜた。
「私が恋しくなったなら、海を見なさい。私はずっと、海に居る。悲しむことは、何もないんだぞ。」
そう言って、竜神は微笑んだ。その笑みはとても優しくて、茜は、竜の顔の中に、葵の面影を確かに見たと思った。
「さようなら、茜。あの時は言えなかったが、私はお前と村の幸せを願っている。」
※※※
茜は、海岸で目を覚ました。
足元に落ちていた太刀を拾い上げ、眼前の海を見つめた。
真っ赤な夕陽が、空と海を真っ赤に染め上げて、水平線の向こうに沈もうとしている。いつもは荒々しい波が立っていることが多い海が、今は驚くほどに凪いでいた。
茜の長い黒髪を結っていた髪ひもは、海に流されてしまったのか、なくなってしまっていた。
彼女は、しばらく名残惜しそうに、紅色の空と海とを見つめていたが、やがて、思い切ったように、海に背を向けた。
村に目を向けた茜は、遠くから、大急ぎでこちらに駆けつけてくる父の姿を見つけた。茜は、ふと笑って、父に大きく手を振った。
(終)
贄と邪竜 藤ともみ @fuji_T0m0m1
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