第6話 諸葛恪、宴に参加する

 孫権の七男、孫亮が10歳で皇帝となった。

 孫権は死に際して、諸葛恪・孫弘・孫峻・滕胤・呂拠らに後事を託した。孫峻は諸葛恪こそ並ぶ者のいない才人であると孫権に訴えていたため、諸葛恪は太子太傅に任じられ、諸葛恪が実権を握ることとなった。


 孫権が亡くなったことを知った魏は呉に侵攻した。諸葛恪の指揮により呉は大勝利を収める。(東興の戦い)

 翌253年、今度は呉が魏を攻めるが呉は敗退することとなった。(合肥新城の戦い)

 この敗戦で諸葛恪は自分の立場が危うくなるのを感じた。

 自分は孫家の人間ではないうえに、孫家の孫峻らライバルが多くいる。自分は失脚させられるのではないか。その不安は他者を否定する態度に出た。そして自分の思うようにことを進めるようになった。


 孫峻は諸葛恪の能力を認めていたし、ともにライバルを排除したこともある。しかし今度は自分が排除されそうになっている。


 先んずれば人を制す。先手を打たなければ・・・


 孫峻は皇帝孫亮に諸葛恪の危険性を訴え、諸葛恪暗殺の許可を得た。


 皇帝が同席する宴とあって諸葛恪はなんの疑いもなく宴に出席した。

 諸葛恪がほろ酔い気分になった頃である。

「勅命である!」

 孫峻が突然立ち上がり諸葛恪に斬りかかった。

 諸葛恪は事態が理解できぬまま死んだ。

 周瑜、魯粛、呂蒙、陸遜、諸葛恪。

 呉の軍事の最高責任者は陸遜以外、皆短命だった。ただし味方に殺されたのは諸葛恪をおいて他にない。


「丞相が・・・亡くなられた・・・!?」

 陸抗はさもありなんという思いも駆け巡ったが、それどころではない。自分の妻は諸葛恪の姪である。

 あまりにも貧乏くじではないか。

 父陸遜は亡き長沙桓王(孫策)の娘を嫁にもらった。長沙桓王は先帝の兄であるし、そもそもすでに亡くなっている。誅殺の対象にはなりえない。

 それに比べて自分は何故あのような男の姪などをもらってしまったのか・・・

 諸葛恪の性格の悪さは有名であった。こうなる日が来ることを想像できなかったはずはない。


 陸抗は悔やんだが、それよりも行動しなければならない。

「私は張家の娘とは離縁いたしました。子どもたちも張家、諸葛家と関係ございません。ただし子どもたちの気持ちも考え、妻の命だけは助けてくださるようお願いいたします」

 すぐさま陸抗は孫峻に手紙を送った。送った後、妻と子を呼んだ。


「諸葛恪が誅殺された」

 諸葛恪は謀反人と同様の扱いである。字で呼ぶ必要も肩書で呼ぶ必要もない。

 妻は一瞬驚きの表情をしたがすぐに俯いた。

 妻とはたったの7年間しか過ごすことはできなかったが(しかも陸抗が戦地に行っていることが多かった)、誰よりも真面目で控えめであることはわかっていた。自分がどうなるかは自分自身で結論を出しているに違いない。そしてそれは自分の結論と一致しているだろう。陸抗は悟った。

「お前には悪いが、故郷に戻ってほしい。玄(陸抗の三男)はまだ乳飲み子だ。玄だけは連れて行って構わない。子遠(孫峻の字)様にはお前に害が及ぶことのないよう頼んである」

 7年の間に子どもは4人生まれた。息子が3人(陸晏、陸景、陸玄)。娘が1人。

 陸玄はまだ生まれて間もない。さすがに妻に任せざるを得ない。


 歴史書では陸玄について、陸抗の子であるということしか記されていない。夭折したのか、張夫人とひっそり暮らしたのか定かではない。


 張夫人の姉は、皇帝になるはずだった孫和に嫁いで張妃と呼ばれる。

 孫峻は、諸葛恪が孫和を復権させることにより自分の立場を強化しようとしていると見做していた。諸葛恪としては姪の生活を少しでも良くしようとしてのことだったが、諸葛恪の暴走を見ていた孫峻の目にはそうは映らなかった。

 孫峻は危険な要素である孫和をこの際排除することにした。諸葛恪と共謀したとして孫和に自殺を命じた。


「張妃よ、私が不甲斐ないばかりに長年苦労ばかりかけ、今日このようなことになって本当にすまない。孫峻にはお前と子らの命は助けてもらうように言ってある。どこか争いのないところで子どもたちと暮らしてくれ」

「私は今まであなたの行くところにはどこへでも着いて行きました。良いところでも悪いところでも。これからもあなたに着いて行きます。わたし独りでは生活などしたくありません。いつもあなたと共にいます」

そう言って張妃は孫和から匕首を奪い取り自らの喉に突き刺した。

「張妃!張妃!・・・ああ張妃・・・!!」

孫和は張妃を抱きしめた。張妃の体が力なく倒れそうになる。強く抱きしめた。

 何も考えられなくなった。何も聞こえなくなった。そのうち張妃からぬくもりが失われるのを感じた。

 私も今いくぞ。

 毒をあおるつもりだったが、張妃の手からこぼれ落ちた匕首を手にして命を絶った。


 張承の二人の娘は伯父に似ずどこまでも謙虚だった。

 呉の名門張家は、張昭、張承と続いたが、張承の息子、張震は伯父の諸葛恪と共に宴の席で誅殺された。これにより張家は断絶することとなった。


 孫和と張妃の子らは、孫和の側室である何姫が養育した。

 孫和と何姫の間にも子はいた。呉のラストエンペラーとなる孫皓である。


 父上、私は大空を羽ばたくどころか、羽をもがれてしまいました。


 陸抗は妻と別れて初めて実感した。妻と離縁したのは妻の謙虚さに甘えてしまったからではないのか。自分の保身だけを考えて、妻の謙虚さを利用してしまったのではないのか・・・


 自分には妻がどれだけ必要な存在であったか、どれだけ愛していたのか、今になって思い知ったのであった。

 

 

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陸抗と羊祜 ~あなたも私も知らない諸葛孔明死後の名将たち~ 茜空 @akanezora06

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