王子と姫君
0
それは再会の旅。それは別離の旅。
これより語られるは一人の王子と、一人の姫君の話。
姫君は、変貌の病に罹っている。
ときが来れば姿容が変わり、それまでの彼女は死に、新しき彼女となる。以前の容姿での記憶はなくなり、偽りの記憶のみが植え付けられて世界の何処かに生成される。
そして誰もそのことに違和を覚えない──ただ一人を除き。
拭えない、自らが異質であると無意識に理解する姫君の孤独は、ただ一人の王子にだけ癒せる。魂の片割れ、いつか嵌まるべきピースのもう一つである彼ならば。
世界の何処にいようとも、自らを忘れてしまっていようとも。
王子は姫を必ず探し出し、当然のように恋をする。
これはそんな、悪名高く、どこまでも一途な王子の話。
10
不死の王子は生き続けた。
もはや王子でなくなろうとも、彼は生きていた。王と王妃はとっくに死んで、跡継ぎのいない国は緩やかに衰退し、隣国に吸収された。
つい先日に生命の旅路を終えた魔女を、王子はその手で埋葬した。森の開けた場所、光が差す静謐な場所に建てられた魔女の墓の隣には、もうひとつの墓。もう何十年も昔の、王子の姫君の墓。
繰り返される別れが、いつしか再会の喜びを上回り始めた。決定された別離が、少しずつ少しずつ、年月をかけて王子を摩耗させた。
ずっと昔に住んでいた城は放棄され、立ち入り禁止の廃城となっている。
王子は今、そのテラスにいた。
ずっと昔の姫君が、星を眺めていたその場所で。
「……」
すべては星の巡り合わせだ、と彼女は言っていた。星が決める。今もなお、夜空に煌めくあの星たちが。この別離と再会の螺旋を呪わしくも繰り返させる、深淵に沈み込んでなおも。
「…………」
王子は、静寂が常となっていた。そうして静寂はいつも、かつての姫君たちの姿を連れてくる。彼女は笑い、怒り、最後には皆……満足そうに死んだ。けれども、生き続けていれば更なる幸せが彼女たちを待っていたのでは?
「殺しているのは私だ……」
自らの選択は正しかったのか。不老不死という術に縋ってまで、彼女を死に追いやっている。結局のところは自分本位のこれは、エゴなのではないか。
思考は王子の心を更にすり減らし、沈黙を深くする。テラスの手すりに身を預け、星空をじっと見上げる。
「……星よ、聞け。聞いて神へと伝えてくれ」
不老不死の王子は、自らがそうでなくなる術を知る。
なぜ不老不死を望んだか、その理由を口より発し、誰かに聞かれることである。そうすればこの旅は終わり、もう姫君を死の病が襲うことはなくなろう。その代わり……いいや、これは結局のところは仮定の話だ。王子の不在が、姫君の孤独を永遠にするかもしれないというのは。
「私は、私の愛する姫君を探し、彼女が孤独でないように……違うな、それも理由の一つではあるが、本心の全てではない」
夜に散らばる星たちへと、一人の王子が言葉を発す。理由を云う。
「私自身が、彼女を望んだ。欲した。死で断ち切られる縁を受け容れられなかった……嫌だった。彼女と離れるのが、どうしようもないほどに嫌だった。だから私は不老不死を望んだ。彼女の発生に携わり続けようとした。すべては私の勝手のためだ。それが私の理由だ……けれどそれは、彼女を死なせ続けるだけだった」
いつしか、王子の顔は歪んでいた。それはおよそ人間の持ち得る悲痛の種々をない交ぜにしたかのような、絶望した者の顔だった。もう、王子の心は限界だった。
「星よ、聞いたか。ならば神へと伝えてくれ。私はあなたを嫌いだが、ここにひとつ頼みごとをする。私が愛し、これからも愛し続ける彼女の目の前に────姫君が世界で誰よりも幸せになれる人間を遣わせてくれ。私は私の勝手で彼女を殺し続けたが、彼女に幸せになってほしい気持ちは真実なんだ。だから、お願いだ。私は明日、人々へ理由を叫び、死ぬつもりだ。後悔などない。後悔などしてしまえば、今まで殺した姫君の生きた時間をすら足踏みにする。満足しているんだ、私は。満足しているんだよ……」
王子の言葉を、星は瞬きながら聞いていた。チカリと一筋の流星が夜空に線を引き、それを追うようにまた一つ、星が落ちていく。
言うべきことは全て言い終わり、王子は再び沈黙する。次に言葉を発するのはきっと明日人々に叫ぶときであり、それが最期の言葉となろう。そう、考える。
すると、
「────ああ、あなたこそ私の運命のひと」
王子は我が耳を疑った。
疑い、変わらず夜空を見上げる。
背後の者は、続けて言う。
「どうか私を、あなたの道のお供にしてください」
それは姫君の魂を愛していた王子のような言葉。まるで、今ここにいる自身を当然のように好きでいる者の言葉。運命としか言いようのないほどの感触に感動する者の告白。
カチリ、という幻聴が聞こえた。
まるでピースとピースが上手く繋がったときのような。
二つの魂がようやく、そのときを迎えたかのように、祝福に満ちた音が。
「きみは……まさか、記憶が……」
王子は振り返るとそこには、遠い昔に初めて惹かれた微笑みがあった。
「こんばんは、私の王子様。やっぱりここにいたのですね。けっこう、探したのですよ?」
「あ、ああ……」
事態の理解は、嗚咽を誘う。目を見開き、自らでも信じ切れなくなっていた結末を前に、王子はやはり泣いていた。しかしすぐに涙をぬぐい、赤い目で勇ましく、王子は答える。
「もちろん、喜んでお受けいたします。私の姫君、私の幸せ────逢いたかった、きみとずっといたかった、私は……そのためにきみを……!」
「……私の記憶にいる私は、ずっとあなたを好きでした。そうしてこれからもずっと愛しています。私を探し続けてくれた人、私を見つけ続けてくれた人、私の最愛の王子様────」
星の見下ろすテラスにて、二人は再び巡り合った。
もうそれは、再会の物語ではない。
もうそれは、別離の物語ではない。
これより語られるは、仲睦まじく旅路を共にする、一人の王子と一人の姫君の話。語るは野暮で、眺めるは退屈。なにせ二人のその後は、ただずっと幸せであるだけなのだから。
不死の王子と病い姫 乃生一路 @atwas
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