死の欠陥

 『蜘蛛男』を包み込んだ爆炎の中から何かが飛び出したが、


「…………何だよ、今の……」


 クロエは突然起こった出来事に困惑し、反応しきれずにいた。

 クロエがとりあえずといった風に周囲を見渡すと、幸いにも爆炎は周囲の物に燃え移らず、火事の心配はなかった。


「あっ……!」


 それを確認してから、クロエは、爆炎の中から飛び出した何かを見た。


 その何かは、クロエに情報提供を行った人物──レディプス・スレッドだった。

 レディプスが倒れている側には、割れたクモのような意匠の仮面が。少し離れた位置には、『蜘蛛男』への変身に使った『エキストラクトクリスタル』らしき物が転がっていた。


 クロエは『エキストラクトクリスタル』を奪い取るために駆け寄ったが、クリスタルはそれよりも早く砕け散った。


「……壊れた、のか……? いや、それより──」


 クロエは考察を中断し、床に倒れて動かないレディプスの側に寄る。

 レディプスの顔色は悪く、目の下には黒いクマが浮かんでいた。


「……貴方だったんですか、『蜘蛛男』は……」


 クロエの言葉を聞いて、レディプスはそれを鼻で笑う。


「自分が戦っているのが誰なのか、考えすらしなかったのかよ……?」

「考えはしましたけど……考証材料が全くなかったもので」

「ちったぁ調べろよ……」

「私が推理小説の探偵ならば、無理にでもそうするんでしょうがね」


 クロエは自嘲気味に笑って、話を本題に移す。


「……何故、このような事を?」

「言っただろ、彼女に思いを伝えたかっただけだ……」


「本当にそれだけですか?」


 クロエの問いに、レディプスは少し目を細める。


「何?」


 レディプスが聞き返した直後、ステージの左右の舞台袖から、警官がなだれ込んできた。


「クロエ! 無事か⁉ 爆発が聞こえたが……!」


 警官の中から前に出ながら、トランク刑事が言った。

 クロエは振り向いてトランク刑事を見て、自嘲気味に笑いつつ、軽く肩をすくめる。


「ええ、トランク刑事。私はこの通り無事です。それと爆発なんですけど、たぶん私が原因なんじゃないかなって思います」

「たぶんも何も、お前のパンチ喰らったからこうなったんだろうが……!」


 飄々とした態度の探偵と、それに文句を言う床に倒れた男を交互に見て、


「……何がどうなってるんだよ……?」


 トランク刑事は困惑した様子で言った。


「詳しい話は追々するとします。……今は、床に倒れているこの男が『蜘蛛男』の正体という事、それと爆発音……というか爆発なんですけど、その原因が私という事だけ知っておいていただければ大丈夫かと」


 クロエはそう言って、自分とレディプスを取り囲んだ警官を見回した。


「──皆さん、時間が少しあるならでいいんです。もしそうならば、私の想像を、少しだけ話させて頂く事は出来ませんでしょうか?」


 クロエの申し出に、警官達がざわつき始めた。


 暫く経ってもざわつきは収まらなかったが、


「……クロエ、それどんな内容だ?」


 トランク刑事が手を挙げながら聞いた。


「彼の犯行動機です。あくまで私の想像ではあるんですけど」

「……少しだけな」


 トランク刑事の物言いに、一人の警官が驚愕した様子で噛み付く。


「け、刑事⁉ それいいんですか、一人で勝手に決めて⁉」

「あん? 別にいいだろ、ここにいる警官の顔は全員知ってるけど、別に俺より上の階級いないし」

「……知りませんよ」


 警官は、そう言って引き下がった。


「ああ。怒られるのは俺だからな。それよりはコイツの想像とやらを聞きたい」


 トランク刑事はそう言って、クロエを見遣る。

 クロエは意外そうな顔になっていて、何度か瞬きをした。


「いいんですね?」

「そうだっつてんだろ」

「……分かりました」


 クロエは少し笑うと、レディプスに向き直り、軽く、少しわざとらしく咳払いをした。

 場が静まってから、クロエは想像を話し始める。


「……貴方がマリアさんに送り付けた気持ち悪い手紙の一文に、こう書いてあったんです。『君は傷付けられようとしている。早くそこから逃げるんだ。傷付けられない内に、早く』、と」


「…………」

「文章をそのまま解釈するとただ気持ち悪いだけですけど、今考えると少し意味が変わってくると思うんです」


 クロエはそう言って、少し考える素振りを見せてから、人差し指を立てる。


「まず一つ。マリアさんの事務所の社長が、毎週パーティーを開いて集めた若者達を、クリスタルを使った人体実験を行っていた事」


 クロエは人差し指を立てたまま、中指を伸ばす。


「次に、一つ目の情報を貴方が知っていた事。一つ目は本人の確認を取ってませんが、物的証拠があります。その前提条件を知っている段階で、先に挙げた文の内容を考えると……」


 クロエは一度呼吸を入れて、その先を述べる。


「貴方は芸能関係の情報を探る内に、マリアさんの事務所の社長が人体実験を行っている事を知った。そして社長を消すべく、『エキストラクトクリスタル』を手に入れた。クリスタルの情報をいつ知ったのかは、分かりませんがね」


 クロエの推理を聞いて、レディプスはニヤリと笑う。


「あくまで想像だろ?」

「ええ、そうです。確かなのは、あのコウモリ女か、もしくはその関係者から『エキストラクトクリスタル』を入手して、『蜘蛛男』になった事。そして、貴方自身の目的は既に達成されている、という事です」


 クロエの結論を聞いて、レディプスは力なく、しかし愉快そうに笑った。


「ああ、そうだよ。……フフ……」


 レディプスはそう言うと、ゆっくりと目を閉じ、そのまま動かなくなった。


「……あの、レディプスさん?」


 レディプスからの返事はない。


「……ミスタ?」


 返事はない。


「……聞いてますか?」


 何も返ってこない。


「……寝てるとか……?」


 クロエが訝しみながらレディプスに近付こうとした、その時だった。


『──いいえ、違いますよ』


 歪んだ女性の声が、頭上から響いた。


「なっ──⁉」


 クロエは、その場にいた誰よりも早く上を向いた。

 ステージの天井を支える鉄柱の一本、そこに、蝙蝠のような姿の黒い怪人──『蝙蝠女』がぶら下がっていた。

 『蝙蝠女』は逆さ吊りのまま、自分を見上げてそれぞれの反応を示す人間に話しかける。


『──ごきげんよう、皆さん』


 クロエは『蝙蝠女』を睨みながら少し移動して、『エキストラクトクリスタル』の破片を素早く拾い上げ、懐に押し込んだ。


『ふふふ、警戒しなくても、そんなガラクタが使い物にならなくなった物なんて要りませんよ』

「どういう意味だ?」


 嘲笑する『蝙蝠女』を睨み、クロエが問う。


『言葉通りの意味ですよ。そこに転がっている彼が使っていたそれは、クリスタルのプロトタイプ──使用中にクリスタルが破損したら、肉体が増幅したトラウマに耐えきれなくなって死に至るという代物。要は、欠陥品中の欠陥品です』

「何……⁉ そんな物を使わせたのか、お前は⁉」


 トランク刑事が激怒するのを見て、『蝙蝠女』は愉快そうに笑った。


『あはははは……だって、彼、カネなら払うって言ったのに、大した額を出せなかったんですもの。それに、私達も手に余らせていた物を処分出来ましたし。何より、彼は商品のいいプロモーションをしてくださったんです。欠陥品でもこれだけの力を使えるようになる、という、いいプロモーションを。どちらも得しかしてませんよ』


 『蝙蝠女』は、何でもないかのように言った。


「……ふざけるな……人の命を何だと思っているんだ⁉」


 クロエが怒鳴った。


『別に何とも。だって商売相手程度の印象しか──いえ、少し違いますね。それでもせいぜいトラクロアの実験サンプル程度ですけど』

「…………」


 『蝙蝠女』の物言いに、クロエはおろか、その場の全員が絶句した。

 『蝙蝠女』はその光景を見て、怪訝そうに首を傾げた。


『──まあ、いいです。なんにせよ、データは取れましたし、それなりにプロモーションにもなりました。すぐに買い手が付くとは思いませんが、やがて皆欲しがるようになるでしょう──』


 『蝙蝠女』はそこで一度区切り、どこからともなく『エキストラクトクリスタル』を取り出し、クロエ達に見せつけた。


『──この、悪魔の宝石を』


 『蝙蝠女』はそう言うと、『エキストラクトクリスタル』を握り込み、床に向けて落下を始めた。すぐに翼を広げ、凄まじい速度で飛行を始めた。


『──それではごきげんよう!』


 『蝙蝠女』はそう言い残し、出入り口の分厚い扉を破壊して外に飛び出し、どこかへと飛び去っていった。




 翌日、まだ昼食には早い時間。


「……そんなやり取りがあったのか……」


 シャロンはクロエが淹れたコーヒーを飲みながら、そう呟いた。


 クロエとシャロンが合流出来たのは、事情聴取が終わってからだった。

 その時には既に午後の十時を回っていて、シャロンはパーティーをこっそり抜け出していた事もあって、自宅に戻る流れになった。そのため、説明が翌日まで延期となっていた。


「……ああ……」


 クロエは返事をしながら、自分が淹れたコーヒーを一口飲んだ。

 それを見て、シャロンは自分が持つカップの中身を見て、


「……今度は薄くないよな、これ」

「そんな毎回失敗はしないさ」


 クロエは口元に笑みを浮かべて言ったが、すぐに表情を引き締め、話を本題に戻す。


「ストーカー退治自体は達成出来たし、報酬も、マリアさんの事務所が出すみたいだ。報酬にはだいぶ色付けてもらえるみたいだし、それは喜ぶ事なんだろうけど……」

「死人は、出て欲しくなかったよな……」

「ああ。……マリアさんも、ショックが強くて、入院する事になったみたいだし……」


 クロエはそう言って、コーヒーを一口、二口と飲んでから、


「……報告書を作成したら、マリアさんもお見舞いに行こうか」


 今思い付いたかのように呟いた。


「賛成。けど……面会出来るのか?」

「それは分からないけど──」


 クロエは窓から外の世界を覗いて、


「そうなればいいな、って思ったのさ」


 少し笑って言った。

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魔法都市探偵クロエ 秋空 脱兎 @ameh

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