菫色の情
薫が歩み寄ると、足元にいたウメとタイコがカウンターの上に飛び乗ってきた。
ウメがインクを選ぶのを見ていると、岩部が使ったインクを見つけて思わず口を開く。
「岩部さんの琥珀色、綺麗だったね」
「僕が思うに、琥珀色は無償の愛の色なんです。でも、最初のうち、彼女は飴色を背負っていました」
「飴色?」
「琥珀色にすごく似ているけれど、もっと色濃い。そしてそれは嫉妬と閉塞感に悩む方に多い色ですね」
「そうなの? もっとおどろおどろしい色じゃなくて?」
「無償の愛と紙一重ってことですよ」
「なんか、怖いね」
「薫さんだって、飴色を持っていましたよ」
「えっ、いつ?」
「もうずっと」
言葉を失っている中、ウメが一声鳴いた。丸みを帯びたインク壺を脚でつついている。
「そうか、やっぱりこの色か」
大輝はくすりと笑い、四角いインク壺の蓋を開けた。ガラスペンの先を浸すと、白い便せんを滑らせる。インクは菫色だ。
『よつばへ。答えをありがとう。僕は僕なりの道を行くよ。どこにいても懸命に生きてみせるから安心して』
短い、しかし力強さに満ちた文面だった。
「答えをありがとうって……返事が来たの?」
目を丸くした薫に、大輝は「ええ」とうなずく。
「いつの間に? どうやって? なんて返事?」
「もうとっくに来ていたんです。ただ、僕が気が付かなかっただけで。だから、命日にお礼を伝えたいと思っていたんですよ」
大輝はガラスペンを置き、薫に向き直った。
「薫さんがここに初めて来たとき、たくさんの色がごちゃ混ぜでした。でも、どんどんそれが澄んでいった」
「それは多分、ここのみんなのおかげだと思う。私、初めてここに居ていいんだと思えたから」
「薫さんの色はとても素直です。怒りの色、喜びの色、寛ぎの色、そしてよつばへの嫉妬の色。すごくわかりやすい」
カッと顔が赤くなるのを見て、大輝がふっと噴き出す。
「ねえ、私の色って飴色なの? 汚くない? 私、ずっと大輝さんにどんな色が視えているか知りたかった」
声が震える。悲しくもないのに、涙がするすると頬を伝った。
「私、ここに来て、少しは綺麗な色になれた?」
大輝が静かに歩み寄る。
「すごく綺麗です。今夜は特に」
まっすぐ見つめる大輝の目に照明の灯りが宿っている。しかし、それは照明のせいだけではなく、彼の目が潤んでいるせいだと気づき、薫は息を呑んだ。
「薫さんの色はこのインクと同じ、菫色です。その中央に琥珀色があって、まるで本当に菫の花が咲いているみたいだ」
「菫色って、どんな色なの?」
「祈り、慕情、そういうものです。そして僕が妻に手紙をしたためるとき、ウメがいつも選ぶのがこの色です」
大輝がくしゃっと笑った。
「この前、岩部さんの儀式のあと、あなたは僕に『自分がいない間に好きな人を幸せにしてくれた人や物に感謝すると思う』と言ってくれました。あのとき、あなたの色が菫色になった。薫さんが妻の返事そのものだったんだと思うんです。ずっと届いてないと思っていたけれど、とっくに届いていたから、あなたが返事を持ってここに来てくれたんだと思うようになりました」
薫が泣きじゃくり、とぎれとぎれに言った。
「私、ちゃんと自分の気持ちを伝えたい。聞いて」
「はい」
「私が幸せにする。ガラスペンの儀式なんてなくても、いつでも全力で想いを伝えていくから、覚悟して」
「楽しみですね」
二人は顔を見合わせ、泣き笑う。その間に割り込むように、タイコが高く鳴いた。大輝のしたためた文字がふわりと浮かび上がる。薫は祈るように囁いた。
「よつばさん、ありがとう。あなたがいるから、今の大輝さんがいるんだ」
菫色の文字が躍るように空中を泳ぎ、西の空へ飛んでいく。すべての文字が視えなくなったとき、薫は微笑んでいた。
「私、ここに来て良かった」
ガラスペンを透かせば、君が 深水千世 @fukamifromestar
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