#64 ゴシップガールより愛を込めて②

「――……ッ⁉」


 居眠り中にびくっとして目覚める現象のことをジャーキングと呼ぶらしい。

 十月某日、部室でうとうとしているうちについ居眠りをしてしまったらしく、ジャーキングを起こして目覚めたサランはそのまま覚醒する。衝撃のせいでどくどくとうるさい胸を押さえ、ぼんやりした視界であたりを見回す。


 部室だったはずのその場所はすっかり様変わりしていた。薄暗く、ほこりと薄いアンモニア臭の混ざっている淀んだ空気が立ち込めた広い空間。サランの前後と左右には、けば立ってちくちくする赤い布に包まれた座席が並んでいた。あたりをぼんやりと灯す証明は橙色。

 そして前方には真っ白いスクリーンがある。


 それは見覚えのある映画館だ。九月三十日の夜、ミカワカグラとサンオコサメ、そしてシモクツチカと一緒にカグラが見てきた二〇一〇年代の出来事を夢を通して伝えられた、あの映画館。

 ただ今はサランの他には無人で、なんの映画もかけられていない。

 座席が並んだ空間は、しんと静まり返っている。


「――…………」


 意識が一瞬途切れる前は間違いなく部室にいたのに、今はあの映画館にいる。

 ということはこれはおそらく夢である。うたたねの最中に見ている夢。明晰夢というやつだ。


 ぼんやりする頭でそれを突き止めたサランは、そのまま座席を立ち上がって非常口であることを示す緑色のライトがともる出入口までてくてくと歩く。

 重々しい扉をそのまま内から外へ扉を開き、上映室を後にした。


 扉の向こうは古ぼけたエレベーターになっている。振り向くとドアも横にスライドするありふれたエレベーターのドアに変化していた。

 九月三十日以来、この映画館に迷い込むようになってしまったサランである。当初はずいぶん混乱したが、今は慣れたもので展望台と書かれたボタンを押した。

 引力に逆らうあの感覚に襲われながら、エレベーターは上へとむかい、ほどなくして目的階へ到着する。ポーン、と音がして開いたそこは外側がガラスの壁に覆われた大広間だ。展望室の名のとおり、秋晴れの青空とビルの上層階が見渡せそうなのだが、サランはここの眺望がそれほど良くはない事を知っていた。なんてことの無い地方都市の中央にある、形だけ東京タワーをまねたタワーの展望室でしかないからだ。


 無人の展望室を順路にそっててくてく歩くうち、葉の厚い観葉植物の鉢植えが並んだゾーンに出くわす。本来「展望室」と呼ばれるスペースに似つかわしくないジャングルのようなスペースのそのまた奥に、ガラス張りの一室が控えていた。

 

 偽物のトーテムポールの並ぶ出入口はレトロな書体で「空中熱帯植物園」と彫られたレリーフの施されたアーチが飾られていた。が、肝心の出入り口は「閉鎖中」と素っ気なくプリントされたプラスチック看板で封されていた。

 サランは以前ここに来た時に教えられた通り、看板を裏返し、テープで貼り付けられた銀色の鍵を外す。そして平然とドアノブの鍵穴にそれを差し込んで回した。

 

 閉鎖された植物園には、サボテンの仲間らしきものやら、アロエのようなもの、分厚くつやつやと光る丸い葉を持つもの、鮮やかできつい芳香を放つ花をさかせるものなど、南の国のジャングルを連想させる植物が置かれていた。というよりも放置されていた。

 しかし水盤に水を流す水路にもつまりはなく、植物の腐った臭気も感じさせない。放置されていても荒れ放題になった様子の無い小さな植物園には月の光が差し込んで、ルソーの「蛇使いの女」の絵の中に迷い込んだような気分になる。

 

 月光しか光源のない密林では迷子になりそうなものだが、つやつやと輝くタイルの上を歩けば迷わない。道が示す通りにサランは歩き、そしてその奥で植物園に似つかわしくないものと遭遇する。


 天蓋のついた、おとぎ話のお姫様が眠るようなベッドだ。


 レースのカーテン越しに誰かがその上で横になっている姿が確認できたが、お姫様ベッドでなければおなじルソーの絵でも「夢」といった風情になる情景だったが、ここに迷い込んで数度目になるサランは遠慮なくそのカーテンを捲った。


 それこそ愛らしいお姫様が身に着けるようなパウダーピンクのネグリジェに耳の垂れたウサギの形をした抱き枕を抱いて安らかに――本当に腹が立つほどあどけなく愛らしくすやすやと――眠っていたのは、この数か月ですっかり距離が近しくなってしまったOGだった。

 サランは遠慮なくその華奢な肩をゆすって、呼びかける。


「コサメ先輩。先輩、ちょっといいですかっ?」

「……ん、んん~?」

 

 ごろり、と寝返りを打ち、サンオコサメはあおむけになった。そしてゆっくり目を開き、焦点の定まらないうつろなめでサランをじっと見る。そのあと、枕もとに手を伸ばし、じりじり鳴るだけの機能しかないであろうクラシカルな目覚まし時計を手に取って時間を読み取った。


「……まだこんな時間じゃん! 授業中居眠りしてんじゃねえよ。ったく……!」

「うちらの学校じゃもう放課後なんですよう。とにかく学校に返して下さいっ!」


 うー、と唸ってコサメは左手を無造作に振ったのち、ぽすん、とスプリングの良く聴いたベッドの上に倒れた。月下美人によく似たサボテン系の植物の鉢の間に、二頭の蝶の螺鈿細工が施された姿見が出現する。その鏡面に映るのは、椅子を並べた即席寝台の上でくうくうと眠るサラン自身の姿だ。


「……あのなぁ、後輩……、用もないのにあの日の映画館に引きよせられるのは、なんかしら心残りのあるせいだぞぉ……。それさえ片付けりゃああたしの夢の引力にひっぱられたりしないんだ……。とっととそれからづけろぉ……」


 コサメの言葉の最後の方は既に呂律が回っていなかった。そして物の数秒たつうちにくうくうとまた安らかに寝息を立て始めた。まったく寝顔だけは眠り姫の二つ名にふさわしいものであった。


 ありがとうございます、とサランは一応きちんと礼を述べて、姿見の表面に手をのばした。油膜に手を浸すような何とも言えない感覚が右手を通して全身の皮膚にまとわりついた後、サランの気も一瞬遠くなる――。


 


「――、おわ」




 胸に抱いていたものが不意に奪われて、サランは目を覚ます。

 そしてほどなく、覚醒夢の世界から現実の世界へ帰還したことに気付いた。現実世界のジャーキングは夢の中のそれより強烈だった。


 夢とうつつの間で頭をぼんやりさせながら、ゆっくりと上体をおこした。

 部室はすっかり夕暮れで朱くそまり、空調の匂いと混ざってコーヒーの香りが漂うことに気が付く。

 いくつか並べて即席寝台にしていた椅子の上から上半身をひねって、香りの発生源を確かめた。さっきまで寝ていた寝台の頭側に立ったジュリが、愛用のマグカップを右手にサランが読んでいた単行本を左手に持っている。その表紙に目を落としながら、飄々と訊ねた。


「おはよう、サメジマ。よく寝ていたな」

「――お帰りワニブチ。挨拶ご苦労さん」


 目をこすったあと、サランは伸びをする。

 窓べりにもたれながらコーヒーをすするジュリの表情は落ち着いていて、キタノカタマコの元に度々呼び出されていた時のような疲れは見せていない。

 一旦マグカップを机の上に置くと、寝ていたサランから取り上げた本をパラパラと興味深げに捲った。


「お前にしては大人びた小説を読んでるな。――サンオ先輩に頂いた本ってこれか?」

「そうだよう。九十九市を救ったご褒美だってさ。この前の出撃時にいただいたんだ」


 ふうん、と返事をよこしてジュリはページをめくった。そして、気になった文章があったのか、伊達メガネごしにページに目を落として呟いた。


「バターって〝バタ″って書かれた方が美味そうに思えるのはなんでなんだろうな?」

「わかる! あれはどういう効果なんだろうな。その本さ、主人公とその親友がしょっちゅう牛肉をバタで焼いて食べてんだ。それが美味しそうでさぁ……――」


 読んでいる最中の本のなかでもとりわけ楽しい部分について語ろうとした所、下の広場から何やら聞きなれた声が飛んでくる。どうやら自分を読んでいる気配がしたがサランは無視をして、窓べりから後退した。


「そういうとこばっかりじゃないけど、その本、面白いところが多いんだ。やっぱサンオ先輩は良い本をよくご存じだなって……」

「……ぉーい、おいこらぁ、ぶんげぇぶのちんちくりーん、無視するなぁ! ノコはおまえの姿をちゃあんと見ていたんだぞー!」


 ――チッ。


 親友との楽しい時間を邪魔されて、椅子の上でサランは舌を打つ。

 あくまでそのまま無視の構えをとっていたら、敵はふわりと浮き上がって二階のガラス窓をばんばん叩いた。それは白銀の髪をなびかせたノコだ。初対面時のようにヴィクトリア朝の令嬢のようなクラシックなワンピースを身に着けていたが、態度と口ぶりはサランのよく知っている生意気な女児型生命体のそれだった。

 空調をきかせているために閉めている窓を、ノコは遠慮なくばしばし叩く。ジュリが伊達メガネ越しに開けてやってはどうかと訊ねるが、サランは首を左右に振った。相手にするなの合図だ。

 無言のやりとりの一部始終を見つめたノコは宙に浮かびながら、ぷうっとノコは頬を膨らませる。


「どうして無視をするのだ、ちんちくりんめっ。ノコは暇を持て余しているであろうお前たちをこれから行う我らの宴に招待してやったのだぞ、喜ばんか」


 宴、という言葉には人を惹きつける力がある。徹底的に無視してやるつもりだったサランも、窓辺に向き直って窓を開いた。潮と湿気と熱気の混ざった亜熱帯の空気が室内に入り込む。

 ノコはふわりと窓辺に腰を下ろす。

 ふと窓から下の広場を見下ろすと、小さな少女の姿をしたものが四体、計八個のつぶらな瞳をこちら側に向けていた。見た目だけは西洋人形のようなノコとは対照的に、黒髪をおかっぱにした巫女装束の幼子たちだ。豊玉家の眷属子亀であるはずの四体は、十月以降、ノコとの仲を急速に縮めたらしく一緒にいる姿をあちこちで目撃されている。フカガワミコトやトヨタマタツミなど、時空の彼方に拠点を移した主や守護対象に去られて暇になった者たち同士、気が合ったらしいのだ。


「ひひいろかね、はようしたもう」

「みどもら、おなかがすきたもう」

「はようかふぇえにまいろうぞ」

「まるげりいたをたまへむぞ」


 四体の童女型眷属は表情はかえぬまま、カフェでピッツァマルゲリータを食べたいとうつろな声でしっかり要求を述べる。

 お陰でサランにはノコがここにやってきて、わざわざ自分を誘いにきた意味が理解できた。窓縁にノコが座っているのにも構わず、がらりと窓を引いて閉じようとする。その動きを察知したノコは向き直りサランが自分を締め出そうとするのを必死に阻止した。


「何をする……っちんちくりんめっ!」

「やかましい、何が宴だっ! ただ単にタカりに来たんだろうがっ」

「人聞きの悪いことを言うなっ。カフェの店主の頭が固くてワンドと眷属だけの入店を認めんと追い出されたから、お前を我らの付き添いに見込んでやったまでのことっ。名誉だぞ名誉っ」

「ピザ三十枚代踏み倒した踏み倒した食い逃げ連中に認められたって嬉しかないようっ! むしろ不名誉だっ」

「なにゃーっ、あれは食い逃げなどではないっ。ちょっと持ち合わせがなかったから支払いの融通を頼んだだけだっ。今はカグラの協力を得て少しずつ支払っているところだぞっ。まったく、我らを不貞集団のように言いおって……!」

「実際食い逃げしたのは事実なんだから不貞の輩だろ、お前らは……っ!」


 『夕刊パシフィック』数日前の穴埋め記事によると、ノコと四体の眷属たちはカフェに訪れた後に主にピザを中心として暴飲暴食の限りを尽くし、挙句の果てに支払いを拒否したために出禁を食らってしまったのだという。

 ワルキューレには給料や報酬が個人口座に振り込まれる。もちろん特級メンバーだったフカガワミコトにもそれは支払われ、太平洋校で必要とする様々な雑費はそこから賄われていた。本来必要としないノコの食事代などもその都度支払われていたのである。しかし、フカガワミコトが時空の彼方で静養中の今、ノコに食事代を支払ってくれる者はいなくなってしまった。それなりに十分な残高があるはずのフカガワミコトの個人口座だが、ノコにはそのアクセス権がない。そのことをうっかり忘れて、ノコは眷属たちと食事に訪れたために騒動になったのだという。 

 「みどもらは、ものいいやがもうすぴざなるものをいちどくろうてみたかった」というのが、騒動を大きくした四体の眷属たちの言い分である。三十枚も平らげたあたり彼女はピザの味をお気に召したようだ──と、過日の『夕刊パシフィック』は伝えている。


 ピザ三十枚代もたかられてたまるか、と必死になるサランと同じくらいノコも必死らしく窓縁でひっくりかえり、駄々っ子のように手足をばたばたと振り回す。


「たーのーむー! この通りだ~! マーもいないしカグラにも断られた今、我らの願いを託せるのはちんちくりんしかいないんだぁ~!」

「頼みごとをする相手をちんちくりん呼ばわりするヤツがどこの世界にいるっ! 首を洗って出直してこいッ」


 宙に浮かんで駄々をこねるノコを外へ押し出し、窓を閉めようとしたサランを「まあ待て」と呼び止めた者がいる。今の部室にはサランともう一人しかいない。ジュリだ。二人のレベルの低い攻防戦を見守った後、ノコへ呼びかける。


「僕でよければ付き添ってやろうか。三十枚は無理だが、少しくらいならカフェでごちそうしよう」

「むう、ぶんげぇぶのメガネめ。殊勝な態度を見せた所でノコはお前を許したりせんぞ」


 願ったりかなったりな状況の筈なのに、ノコは警戒心をあらわにする。にっくき『ハーレムリポート』の掲載誌責任者だというジュリの肩書きへの敵愾心はなかなか消えないのだ。

 サランもサランで、ええ~とブーイングめいた声を上げた。いまからカフェへ行けば今晩の夕食はそこで済ませないとならなくなる。サランは寮の食堂今晩のメニュー、焼き魚定食をわりと楽しみにしていたのだ。文句の一つも言ってやりたかったが、ジュリがこう続けたので何も言えなくなってしまう。


「『ハーレムリポート』の件では迷惑をかけたな。これでそちらに与えた苦痛を取り消せるだなんて考えてはいないが、せめてもの罪滅ぼしだよ」

「……ふんっ、ノコは施しは受け取らぬ主義ではあるが、お前がそこまでいうならば仕方あるまい」


 じゅるり、と涎をすすりつつノコは答える。

 ノコの頭の中がピザでいっぱいになっていそうなのを見計らい、ジュリは訊ねた。


「その後どうだ? フカガワ君やトヨタマさんから連絡はあるのかい?」

「……いや。まだマスターの人格が前世での肉体に定着しきってないみたいんなんだ。だからノコ宛の通信はまだない。タツミが子亀たち相手に入れてくる連絡を耳にするばかりだ」


 ややこしい言葉を使いたがる癖に賢さの足りないノコは、まんまとジュリの誘い水に乗って現況を語ってしまう。旧フカガワハーレムのメンバーは文芸部員たちにプライバシー侵犯したことをしきりに怒るくせに個人情報の漏洩に関して意識が無さすぎる、今さらながらサランはそんな思いを強くした。ついでにジュリの抜け目なさにも飽きれるやら関心するやら、一言では言えない感情を抱く。


  ともあれノコは、ジュリの同情するような声掛けには気丈に胸をはってみせた。


「そうか。それは寂しいことだろうな」

「ふん、見損なうでないぞ。マスターは必ず目覚める。そしてあの過去の世界からこっちに帰ってくるはずだ。なんたってこの世界は未だ侵略者に狙われ続けているのだからな! その日まで己がスピリッツを鍛え整える日々を過ごすのだと思えばどうとでもなる」


 ふん、と反り返る女児型生命体の姿は健気とも言えなくもないものだったので、精神修養の期間にやることがピザ三十枚食い逃げか、などと茶々を入れるようなことはサランも控えた。

 ノコはふわりと窓縁から浮かんで、振り返る。


「それでは先にカフェにて待ってるぞ。――いいか、お前のことは信じたぞ、ぶんげぇぶのメガネめ。嘘だったら承知せんからなっ」


 偉そうにそう言い残して、ノコは子亀たちの待つ場所へもどる。そして四体の童女型眷属の先頭に立ち、てくてくと行進しながら広場を立ち去った。ぴーざぴざぴざ~……と、妙な歌を歌いながら。

 空調の効きを良くするために窓を閉めながら、やや冷めた雑コーヒーに口をつけるジュリをサランは見やった。視線にいくばくかの抗議を込めて。

 それを感じたらしいジュリはサランを見やる。


「なんだ? サメジマ」

「――寮の食堂、焼き魚定食の魚は秋刀魚だったんだぞ~」

「それはしまった。まあでも、暦の上ではまだ秋だ。秋刀魚と巡り合えるチャンスもあと何度かある筈さ」


 今回はあきらめてアンチョビでも食べるさ、と、ジュリは愉快そうに笑った。どうやらジュリなりの冗談だったらしい。サランははーっとため息をつき、椅子の背もたれに肱をついた。


「あのなぁワニブチ、『ハーレムリポート』はもう終わったんだぞ? あいつらの新しい情報なんか仕入れる必要ないじゃないか」

「やれやれサメジマ、忘れたのか? 僕はこう見えて結構ゴシップ収集が嫌いじゃないんだぞ。さっきのあれはあくまで僕個人の好奇心を満足させたかったがための質問だ」


 サランをからかうような軽い口調でそう返した後、再び雑カップの入ったマグカップに口をつける。そのせいで口のふさがったジュリに疑いの眼差しをむけながら、サランはつけつけと付け足す。


「じゃ、まあそういうことにしておくけどな。――これまでの迷惑料って名目にするならあいつらのピザ代はシモク持ちにしておくべきだとうちは思うよう?」

「――」


 ジュリはマグカップの傾かせて、最後の一口分を飲み干した。当然、その間は無言になる。せせこましい言葉の外にサランが込めた意味を読み取ったかどうかはわからないが、ただ茜色より朱い夕日が差し込む部室で、ジュリは小さく唇の端を持ち上げ静かに笑った。


「勿論、そうしておくつもりだ。事後承諾になるがそのことを今度あったらツチカに伝えてくれないか」

「――なんでうちが?」

「また、あれっきりツチカと連絡がとれなくなったんだ。どうやら僕からの連絡を全て着拒してるみたいでな」


 それを聴いたサランの口が妙な形に曲がって固まった。

 「あれっきり」の「あれ」とは当然、九月三十日のお茶会事件の出来事を指すはずだ。博物館で派手なケンカを繰り返した末に、ジュリが言い放った「友達だと思ったことは一度もない」の言葉に未だ拗ねているのだ、シモクツチカは。大人ぶりたがる癖に、ジュリのことに対しては我儘で駄々っ子な子供になる。そんなツチカのことをサランは久しぶりに鼻白むが、当のジュリはそんなツチカのことすら愛おし気だった。それもまた面白くない。

 ジュリは空になったマグカップを流しの元に運び、食洗器の中に放り込むとスイッチを入れた。旧式家電の作動音が唸りだすのに合わせてサランも椅子と机を片付けだす。

 わざとガタガタと大きな音を立てて机と椅子の位置を戻し、部室を最後に出る者の決まりとして簡単な整頓をしながら、つんけんとした口調でサランは釘を刺した。


「言っておくけど、うちだってシモクのヤツとは最近遭ってないんだからな。どうやら九十九市の外に出てるみたいだってサンオ先輩も仰ってたんだから」

「――だなぁ。マイアの娘が真の姿になってみせたんだ。上も直接話を聞きたいことだろうし」

 

 ジュリのつぶやきを耳にして、サランはうめいた。十月初旬の非常に不本意且つせわしない日々のことを思い出したためだ。



 映画館の夢から覚めて三日ほど、サランは九十九市に留め置かれたのだ。

 二〇一〇年代の世界で起きたことを直接みてきたミカワカグラと一緒に、数日シャッターを下ろす羽目になったさんお書店の仏間と居間で軟禁状態におかれながら、持ってる情報を洗いざらい吐き出すハメになってしまったのである。


 この世界の防衛のためには必要不可欠とみなされているワンドかつワルキューレであるにも関わらず、跳ねっかえりのじゃじゃ馬な上にシモクインダストリアル総帥の孫という身分まで有する問題児のシモクツチカ。そのパートナーになったワルキューレが誕生した。

 しかも二人は本部の姫巫女が予言した通り、蠍となってオリオンたるキタノカタマコを退けたという事実はそれなりに国連上層部を騒がせたらしい。これは侵略者との攻防戦にとっては大きな一歩である、というわけだ。

 眠りから目覚めるや、洗顔の時間すら与えられず調書を取られるわ、実況見分と称して黒塗りの車に乗せられあちこちに付き合わされるわ、おまけにサランが太平洋校でのレディハンマーヘッドによるゲリラ生配信に関わっていると判明するやたっぷりお説教を食らうわ、意識の高くないワルキューレとしては根を上げたくなる日々を過ごしていたのだ。


 ――あんな日々は二度とごめんだ。


 サランは心の底からそう思っていた。そもそもワルキューレになってからの低レア生活が身に染みている。台風の目だか、ダークホースだかなんだかわからないが、注目されるという事態にサランは全くなれていないのだ。

 また何かあったら召喚するので、と事務的にいい残した国連幹部がようやく帰還したあと、サランは勝手知ったるさんお書店の居間にどったりとひっくり返って伸びてしまった。特級ワルキューレとして上層部に連なる人物と会う機会もあるミカワカグラはもう少ししゃんとしていたが疲労は隠しようがない。せっかくのワンピースも見る影がなかった。


 そんな面倒な手続きをまんまと回避したツチカに、新たな蟠りめいたものが浮かんだのがこの時である。

 ツチカはサランが映画館の夢から目覚めた時にはとっくに九十九市を後にしていたらしい。上層部の士官服を着たプロワルキューレから何度も行く先を尋ねられたが、知らないものは知らないで突っぱねるしかなかった。


「きみはシモクツチカのパートナーなんだろう、この場に呼び出したらどうだね?」

「ここは九十九市ですよう? リングの機能はつかえませんっ。てことはワンドの召喚はできませんし、通話機能その他であいつを呼び出すのだって不可能ですっ」


 このやりとりをうんざりするほど繰り返したはずである。

 だからサランはツチカに遭ったら言ってやりたいことが山ほどあった。

 面倒な取り調べを全部自分たちに押し付けやがって。

 勝手にどこかへ消えやがって。

 そういうのが面倒くさいというのに分かってるのか……、云々。


 だからなのだろう、うとうとと居眠りをしている最中にうっかり覚醒夢を見てしまうと、あの日一緒に夢の中の映画館にいたサンオコサメの見る夢の領域に迷い込むことが増えてしまった。

 「眠り姫」コサメの夢には強い夢の引力があるうえ、ツチカともサランが知らない繋がりがある。そのことが頭に残っていたために、迷惑だと分かっていてもサランは居眠りや転寝のコサメのワンドであるという九十九タワーの展望室に来てしまうのだ。


 つい今しがただって、サランはコサメの見る九十九市を護る夢に迷い込んでしまったばかりだ。

 こういうのは率直に面白くない。なんだか一人だけ、シモクツチカのことで頭をいっぱいにしているようではないか。それでは四月のあの頃とまるで全くかわらない。


 不愉快だ。ああ、不愉快だ。



「……なんだその顔?」

「別に~……」

 

 何の気なしな態度のジュリは、苦虫をかみつぶしたような顔つきになるサランに問う。サランはただ苦々しい顔つきで、読んでいる最中の単行本をカバンにしまった。――あの一件で得たものの中で、それは間違いなく最良のものだった。


 ようやく学園島に帰れる目途が経った時、ご苦労様の声とともにサンオミユがサランにくれたものだ。



 九十九市から一緒に島に帰ることになるカグラにはそれそのものが絵本のような十代の女の子向けレシピ集(「これ今オークションですっごい値段がついてるんですよぉ⁉」とカグラは目を丸くして叫んでいた)、を持たせたあと、紙袋に入ったそれを手渡したのだ。四六版でややあ厚めの単行本で、紙袋の中を覗くとふんわりと甘い古書の匂いがする。


「この本、きっと鮫島さんに気に入ると思うのよ」


 ようやくさんお書店も通常営業にこぎつけることができたことが嬉しいらしいミユは声を弾ましていた。タイトルは『幻の朱い実』、耳にした覚えのない小説だが著者名にはなじみがあった。サランが小さい頃から馴染んでいる児童文学の翻訳本にはよくこの人物の名前が印刷されていたからだ。


「へえ、この人小説も書かれていたんですか?」

「そうよぉ、それにとってもいい小説なの。以前、大人になってもずっと一緒に居たいってそんな風に言っていたじゃない。この本の二人もね、大人になって二人で共同生活を初めて、その様子がとても楽しそうで……」


 目をきらめかせたミユだが、危うくストーリーを全部説明し書けたことにきづいたらしく、瞬きをしてから首を左右に振った。やっぱりこういう所が元文化部棟民なのだ。OGの微笑ましいしぐさについ苦笑するサランの前で赤くなりながら、ミユは話を斬り上げる。


「とにかく、とても素敵なの。だからぜひあなたに読んでもらいたくなったのよ」

「分かりました。じゃあ読んでみますね」


 サランはヒヒヒと笑って紙袋を抱えた。ミユの選書には信頼を置いているので、純粋に袋の中の本を読むのが楽しみになったのである。

 

 

 帰って早々、一気に読み上げた『幻の朱い実』は素晴らしかった。

 職を持つ女子二人、親友同士がともに共同で生活するというそこに書かれていた暮らしはまちがいなくサランの理想とする世界そのものだった。小学生時代にカニグズバーグに出会った時に並ぶ感激をサランに与えた本を抱きしめているうちに文化部棟は解放され、サランも文芸部復帰が許され、すこしずつ以前の日常を取り戻していったのである。


 ――まったく、跳ねっかえりの不良お嬢様型ワンドなんてものよりずっと素晴らしい。



 そんな思いを強くしながら、部室を出て施錠するジュリを見守る。


 文化部棟の住民の殆ども寮に帰ったのだろう、廊下はひっそり鎮まっている。リリイの選挙活動や合唱部の歌声、軽音部のかきならすギターやドラムの音その他であんなにもやかましかったのに今は静まり返っている。

 

 廊下は部室ほど夕日が差し込ないため、少し陰りが生じる。ほぼ無人の廊下でジュリと二人だけという状況は一瞬サランを落ち着かない気分にさせた。そのせいで、ふと、よびかけてしまう。


「あのなぁ、ワニブチ」

「ん?」


 将来も飽きるまではずっと一緒にいような。

 なんならこの本の二人みたいに、一緒の家に住むのも割るかないよな(やらしい気分になったらなったとき、ならなかった時もならなかった時。まあ是々非々で)。

 で、たまには牛肉をバターで焼いて食うのもいいよな。そういや別の作家は、上等のブランデーですき焼き焼いて食ってたんだって、知ってた?


 そういった言葉が頭と胸の中でぐるぐると混ざり合ったようには思う。ひょっとしたら両腕を伸ばしてジュリの背中から抱き着くようなことをしてしまいそうな衝動が高まったような気もする。ちょうどタイガがサランに甘えてじゃれかかる時のように。


 でも、そんな高ぶりは施錠の終わったジュリが身長差のあるサランを見下ろした時にズレた伊達メガネを直した仕草を見た瞬間に霧散した。地がそもそも悪くない上に人の手で整えられたジュリの仕草がいくらコミカルでも見苦しいわけがないのだが、それでも一時的に高まった圧をプシュッと抜いて、サランを我に戻す力くらいはあった。


「あ、あの、えーと……」


 鞄を盾にするように抱きしめて、ヒヒヒ……と照れ笑いをするサランをジュリは冷静に見降ろす。そして距離の近いもの同士の遠慮のない口調でさらりと言った。


「何を照れてるんだ、お前は? 気色悪いぞ」

「うるせえよう。お前の美貌に心を打たれてやったんだからありがたく思え」

「……、サメジマ。例え悪気はなくても軽々しく他者の容貌に触れるもんじゃないぞ。場所と場合によっては訴訟沙汰だ」


 美貌、というストレートを食らってジュリは鼻を鳴らしてたったと先を歩き出した。うっかり面食らったがそれを隠そうという余裕ぶった心理がそこからうかがい知れる。

 シモクツチカのパートナー候補だった自覚があるくせに、ジュリは表面切って容貌を褒められるのは得意ではないらしい。照れ隠しの一言を吐いた後、たったと先に歩き出した。

 あははは、とサランも笑いながら後をついて歩く。


「さっきの本、うちはもう読んだからお前に貸してやるよう」

「そうか、ありがとうサメジマ。じゃあカフェに行くぞ。僕一人の小遣いであいつらを満足させる気がしないから」

「……、うちの分もシモクから徴収してもいいなら行っても構わないよう」


 ああもちろんだ、とジュリも笑って階段を降りた。サランもその後に続いた。向かう先はやかましいワンドと四体の眷属のいるカフェである。




 十一月が数日後に迫っても、シモクツチカからの音信はなかった。


 九十九市のルーティンワーク出撃を粛々とこなし、『ハーレムリポート』の最終回が掲載された『ヴァルハラ通信』最新号をたずさえ何事も起きなかったような顔をして、営業を再開して数週間になるさんお書店にも顔を出す。薄いニットのカーディガンを肩にかけたミユはカウンターごしに客と会話中だった。一月ほど前にやはりさんお書店でいっしょになった、この辺りでは珍しいスラブ系女性だ。ロシア料理店のマダムでタチアナといったはず。


 タチアナ嬢は嬉しげに母語で何語とかをミユに伝え、ミユも大量の少年漫画単行本を紙袋に入れながら微笑みを浮かべて相槌をうっている。ちらりと見えた表紙から判断すると、以前遭った時にも買い求めていた侍の出てくる少年漫画の単行本がまざっていた。

 その他にも人気漫画のコミックスを買ったスラブ系女性は、華やかな雰囲気と香水の香りを残してさんお書店を去っていった。その際には出入口のそばにいるサランに愛想よく母語でさようならと声をかけるのも忘れない。


「あら、いらっしゃい。鮫島さん」


 ミユはロシア語からスムーズに日本語に切り替えた。夏や残暑の折にはバレッタでアップにまとめていた髪を、シュシュでゆるく纏めている。グレーのカーディガンにエプロンとロングスカートを合わせた秋仕様のミユは、惚れ惚れするほど本の山が似合っていた。


「どう? 『幻の朱い実』は気に入ってくれた?」

「はい、そりゃもちろん! ──その前にちょっといいですか?」


 どうぞ、とミユは促すので遠慮無くサランは続けた。カウンター越しに顔を近づける。


「……さっきの人、前にも同じ巻買ってらっしゃいましたよう?」

「ああ。お身内にあの漫画のファンのお嬢さんがいらっしゃるんですって。先だってそのお嬢さんがテレビに出演されたそうだから、お祝いがてらプレゼントしたいと仰られてわざわざこちらにいらっしゃったの」

「へー、新刊書店じゃなくて古本屋の方に……」

「こちらの新刊書店にあるのは複製品でしょう? どうしても大切な女の子にプレゼントするものだからオリジナル版の方がいいと仰られたの」


 ミユは何気なさを装う口調でさらりと言った。

 試されてる気配を察したサランはそれにのる。


「てことは、この九十九市は二千年紀ミレニアムの夢の中だってことをご存知な人ってことで?」

「そうよぉ。タチアナさんは外の世界から九十九市に入られた方なの」


 現時点でさんお書店内にはサランとミユしかいない。閉店準備を始めながら、ミユはなんでもなさそうにとんでもない真相を語り出す。

 とりあえずサランは驚くのを後回しにして、質問を重ねた。

 

「──九十九市って新規の住人を受け入れるような危険な真似をしてましたっけ?」

「新住民の募集を訴えかけるようなことをしていないのは確かね。それに、拡張現実の恩恵にあずかれない街にわざわざ住みたがる人事態も少ないし」

「じゃあ、さっきのタチアナさんって人は拡張現実の恩恵にあずかれない街にわざわざ移住してきた普通じゃない人ってことになりますよね……?」

「ということは?」


 各地のお役所やもちろん警察のデータベースや、トラブルが起きた時に警官や消防隊員、もちろんワルキューレも秒でかけつけることが可能な電脳の傘の外にわざわざ住みたがる人物とは何者か? 導き出される答えは一つになる。お役所や警察などの公的機関と極力関わり合いを持ちたくない人たちだ。つまりは、善良な一般市民とは正反対のジャンルに属する人ということになろう。それを一言で言うなら、


「カタギじゃない人……」

「はい正解。──タチアナさん、普段は用心を怠らない方なんだけどよっぽどお身内のご活躍が嬉しかったのね。うっかり口を滑らせてしまったみたい」


 あの方にもそんなことがあるのねぇ、と感心したようにミユは呟く。サランはその側でどう突っ込んだものかと考えあぐねる。

 とにかく、だ。


「い、いいんですか? 外から来たカタギじゃない人をのさばらせていて……って。警察やなんかに連絡しなくても……っ?」

「だからこうして顔なじみになって、強盗暴行殺人以外の小さな悪事以外では騒ぎたてないよう無言の協定を敷いてるの。下手に騒ぎ立てたせいで市民の皆様が小雨の夢の支配から解かれでもしたらパニックになっちゃう」

「──……」

「徒手空拳以外の攻撃を人類に振るえないワルキューレに凶悪犯の確保は無理だし、そもそもそれはおまわりさんのお仕事よ? 私が最優先すべきことは小雨の警護だもの。通報義務は当然あるけれど、藪を突いて蛇を出すのは得策とは言えない。そうでしょう?」


 語り終えてから、ふふ、とミユは苦笑する。なんとも言えない感情をストレートに表したサランの顔を見たが故の反応らしい。


「──オブラートに包むべきだったかしら?」

「や、いいです。この前の騒動でワルキューレは清濁あわせ飲むものだって学習しましたから」


 嘘偽りない気持ちを言葉に表すサランを前に、ミユは苦笑を重ねた。自嘲しているようにも見えたのは、後輩に誇るべきワルキューレ像を提示できない不甲斐なさを表現したものか……? と、忖度したサランは気を利かせたつもりでヒヒヒ〜と笑った。


サンオ先輩はやっぱり小雨先輩が一番大事なんすね。そういうの好きですよ、うち」

 

 口の達者なマセた後輩を敢えて演じてみせると、ミユもそれに乗って、大人をからかうんじゃありません、とお姉さん風に優しく叱った。即興芝居を演じたために、落ち着かず気恥ずかしい空気が店内に満ちる。

 それを取り消すかのように、ミユは軽口を叩いた。


「それにしても惜しいわね。あなた、もう少し本気を出したら専科にだって進めるのに……」

「そんな、ご冗談を」

「いえいえ本当の話。分析官あたりめざしたらどう? 向いてるんじゃないかしら?」

「えー、なわけないじゃないですか。うちみたいな低レアワルキューレ」


 むず痒そうな表情を作って、サランは早速ミユのもったいない評価を否定した。そのあとヒヒヒっと笑ってちゃんと付け足した。


「大体、うちは将来友人と本にまつわる仕事をやるんです。人類の平和安寧のために夢は捨てらんないですよう。なんたって低レアなんですから」


 ミユは小さく噴き出して、聞かなかったことにするわね、と言った。


 カウンターの外に出たミユは、見せの外に出した看板を中にしまう。そのついでといった風にいつもと違うサランのいでたちに目をとめた。

 スクール水着の上にセーラー服の上衣を合わせただけという思春期の少女の自尊心をへし折る兵装にジャージのズボンを組み合わせるという、どうせへし折られる自尊心ならばべきべきに踏みつぶしてしまえとばかりに居直ったスタイルが九十九市におけるサランの基本的な街歩きスタイルだ。

 しかし今日に限って、セーラー服のカラーと同じ紺色のプリーツスカートを合わせている。丈はフルサイズ。校則で定められた制服の着こなしを模したようなスタイルだ。この九十九市ではことさら野暮ったいスタイルなスカートである上に、足元は兵装のニーハイブーツなのだ。

 バランス的にちぐはぐで、あか抜けなさを一層引き立てるようですらある点には注意一つすることなく、ミユは訊ねた。


「今更だけど、今日はいつもと違う格好なのね。どうしたの?」


 なれないスタイルでヒヒ~と、照れ笑いをしたサランは、ちょっとこのあと寄る所がありますので、とだけ告げた。

 それで何かを察したのかそれとも誤解したのか、感応能力を持たないサランにはわからないが、ミユは何度かうなずいて共犯者めいた微笑みをうかべて囁く。


「門限だけは守りなさいね」


 おどけてサランは敬礼を返した。




 さんお書店に来る前、この街での簡易宿舎である予備校に擬態した宿舎の休憩室にて。

 スカートを気前よく貸してくれた出撃チームのメンバーは、思いっきりやぼったい制服姿に整えたサランの姿をみて、理解できないと言いたげに首を左右に振った。


「ブーツは脱げないのはどうしようもないにしても、それならせめてスカートの丈は詰めて、絶対領域ってやつを見せるべきじゃない?」

「大体、いつもの下半身ジャージだって悪目立ちしてたんだから。あれでしょ? 九十九市の竹槍少女って都市伝説の大元って鮫島さんでしょ?」


 二千年紀ミレニアム規範でも二十一世紀末規範でも、おもいっきり野暮ったく制服を着こなしたサランにチームメイトたちの冷たい視線が刺さるがサランは構わなかった(それにしてもシモクツチカが適当にでっちあげた噂がワルキューレたちの耳にも入るとは!)。


「良いんだって、これで。逆に格好に凝る方が恥ずかしいんだって、わかんないかなぁ、そういうの……?」


 中途半端に洒落のめすくらいなら、いっそ野暮を極めた方が粋だ。という、サランの美学はチームメイトたちには理解されなかった模様。彼女らは互いに顔を見合わせて首を傾げあう。

 そこでサランはこれ以上の理解を求めることは潔くやめて、夜の街に再び飛び出したのだった。


 さんお書店を飛び出した後は、アーケード街を潜り抜けて夜なおまばゆい繁華街へと出る。ゲームセンター、カラオケ店、飲食店、そして大人が利用するタイプの如何わしいお店……。それらの看板や店がまえを彩る電飾やネオンで眩い通りでは、田舎から出てきたおぼこい中学生風に制服を着こなしたサランは悪目立ちする。何度か補導員か酔っ払った中年に声をかけられそうになったが、そういうときこそ訓練でつちかった技術の出番だ。気配を断ち、初めて立ち入るビルとビルの隙間を通り抜け、ある場所を目指す。


 眩い街の光でも照らせない隙間を素早く駆け抜けたサランは、ほどなく目的地にたどりつく。

 けばけばしい繁華街のまばゆさや騒々しさとは少し距離を保ち、一足先にまどろんでいるように見える古い通りだ。そこにあるビルの一階には観音開きのガラス戸があった。その向こう側は電灯がともってぼんやり明るい。二千年紀の名作映画のポスターが貼られた掲示板もある。


 ここは映画館だ。シモクツチカに連れてこられたことのある、九〇年代後半感覚でもかなりレトロであるはずの映画館。今日もオールナイトで何かを上映中らしく、ガラス扉の向こうはぼんやりと明るい。


 音がしないように体重をかけてガラス戸を開き、サランは映画館のロビーに立ち入った。プログラムや飲み物、お菓子をうる売店も兼ねているもぎりのカウンターにはだれもいなかったが、サランがその前に立つと奥からぬっといつぞやの金髪の青年が姿を現した。サランの姿をみるなり、おっ、と嬉しそうな声をあげる。


「評議員さんじゃないㇲか? 久しぶり~。映画見に来たんすか?」

「……う、まぁちょっと……」


 偶蹄目めいた金髪の青年の若干嬉しそうな顔を前に、かつて勢いで自分は銀河連邦評議員であると名乗ってしまったことを悔いてしまうサランではあったが、咳ばらいを一つして気分を切り替えた。


「残念ながらそうではない。どうだね、最近エージェントシモクはここに姿を見せることはあるのかね?」

「ツっさん? あー、いやそれがっすね。ここ最近全然姿見ねえんすわ。せっかくゴダール特集とかいかにもツッさん好みの企画があるのに……」


 ほい、と青年は一枚のフライヤーを手渡す。たしかに映画に疎いサランであってもその名前くらいはきいたことのある巨匠の名画上映会が行われることが、そこでは告げられていた。


「評議員さん、今度ツッさんに遭ったらそれ渡してやってもらえませんー?」

「ああ、そうしてやりたいところだが現状それがなかなか難しいんだ。エージェント・シモクがここ最近本来の仕事をさぼりまくってどこぞほっつき歩いているせいでな」


 以前アドリブで演じたキャラクターを適当に再現しながら、サランは青年と言葉を交わす。

 跳ねっかえりの部下に手を焼かれているという風を装って、腰に手をあて首をゆったり左右に振るサランを、青年はのんびりした眼差しでみつめたあと、さらりと言ってのける。


「やっぱなんつーんすかね、評議員さん、ツッさんに舐められてんじゃねえっすか?」

「余計なお世話だ! ……ともあれエージェント・シモクが姿を見せることがあれば評議員サメジマが探していたと声をかけてくれたまえ。ではさらばだ」


 これ以上、銀河を滑る議会の評議員の皮をかぶるのも恥ずかしい。くるりと背を向けて出て以降とするサランの心情を理解しなかったらしく、青年はのんびりと声をかけた。


「あそうだ、評議員さん~。オレこないだ空にU.F.O.浮かんでんの見たんすけど、あれお仲間のっすか?」

「ゆ、ゆーほー……?」


 嫌な予感がした。それ故にサランはことさら怪訝そうな表情をつとめて浮かべて振り返る。


「何を言っとるのだね? 君は」

「いやさー、一か月くらい前かな? 結構大きめの地震起きて流れ星がワーッて振ってきた日があったっしょ? その時、オレ見たんすよ。空の隅っこでなんかこう、ぼやーっと光ってるものを。うっわやっべ! ってなって」


 嫌な予感は的中していた。おそらく青年はこの九十九市ではコサメの夢の力で気づかないよう暗示をかけられていた筈の観測者の片鱗をうっかり見てしまっていたらしい。

 思えばこの青年は、うっすらとではあるがこの九十九市が通常の街ではないことに感づいているようではある。ボーっとした見た目に反して高い感覚を持つことは確かなようだ。

 そんな稀な体質を有するとは思えない青年は、のほほんと続けた。


「やっぱU.F.O.なんすか? なんすよね? お仲間乗ってんすよね?」

「私がその問に答えられると思うのかね?」


 内心の動揺を隠すためにことさら偉そうに腕をくみ、サランはふんぞり返ってみせた。否定すれば怪しまれるだろう。幸いこの青年は、サランが銀河連邦評議会のメンバーであるという嘘八百を受け入れている。そのせいか、自主的にサランの言い分を先回りして飲みこんでくれたようだ。


「……あー、そっすね。こういうもんは普通極秘ってやつっすよね。わかりましたー、誰にも言いませ~ん」

「有無。話が早いのは助かる。ではさらばだ」


 いかにも満足した風にサランは大きく頷き、そのままくるりと回れ右をした。そしてガラス戸の外に出て完全に青年の一からは見えないであろう地点まで歩いたあとで、後ろを見ずに全速力で駆けだした。

 



 ツチカに連れてこられた喫茶店の出入り口には、closedの札がかかっていた。どうやら定休日らしい。

 ならばここにもいないだろう。


 さんお書店にはいなかった、映画館にも姿はみせない、喫茶店にもいない。

 この九十九市でシモクツチカが他にいきそうな場所は──……と、当たり前のように考えてサランはふと気づいた。


 シモクツチカを探している己のバカバカしさにだ。

 そもそもわざわざ会って何をしようというのだ?


 ビルとビルの壁面をパルクールの要領で駆け上がり、屋根の上に出る。その上をぴょんぴょんと宿舎である予備校のビルが入ったビルを目指しながら移動しつつ、サランは頭を整理する。

  


 シモクツチカに会ってしたいこと――。


 その一、ノコと四体の眷属たちが食べ散らかしたピザその他軽食代をジュリが立て替えた分を支払えと告げる。

 その二、九月三十日の夜、面倒くさいことを自分とミカワカグラにぶん投げてそのままとんずらこいたことを直接抗議する。

 その三、あの映画館でゴダール特集をするらしいぞと伝える(頼まれたことはちゃんとこなさねば銀河連邦評議員の沽券にかかわる)。

 その四、とりあえず文句を言う。

 その五、罵倒する。

 その六、やーいお前なんて侍女離れできないガキンチョお嬢様ってからかってやる……これはあまりに情けないので却下。

 その七、もうこんなめんどくさいケンカはするなと苦情を申し立てる。

 その八、自分とジュリは将来本に纏わる仕事をする予定だが、お前はまぜてやらないからなと意地悪を言う。

 その九、ただしその際に新進気鋭の名だたる作家になっていたなら原稿を受け取ってやっても良いぞと挑発して怒らせる。

 その十、

 その十、

 その十……、


「――……」

 

 頭の中でのみ展開しているサランの to do リストが十まで埋まらない。不本意なのでもっと何かないかと考えているうちに、バスターミナルの傍まで来ていた。

 今日も九十九タワーは何事もなかったようにそびえたっている。アーケード街の屋根程度の位置では東京タワーをまねたランドマークと言えど仰ぎ見る格好になってしまう。 


 エレベーターで昇れるようになっている展望台の中にある熱帯植物園では、今もコサメが夢を見ているはずだ。


 そして展望台の少し上にある横に渡った鉄骨が、シモクツチカ曰く「電波の入りのいい場所」であり、サランが殴られたり落とされそうになったり、そしてパートナーとなる契約を交わした場所でもある。

 

「……っ!」


 そこをじっと見つめていて、ようやくリストの「その十」が埋まった。

 しばらく屋根の上で立ちつくしていたサランだが、意を決して足場を蹴った。アーケード街の天井から下に降り、まだバスの最終便の出ていないターミナルの暗がりを駆け抜けて立ち入り禁止の芝生を突っ切り、タワーを支える鉄骨の上をカンカン音を鳴らして駆け上がる。


  

 デザインしたもののセンスを疑わずにいられないが、それはそれだ。筋力の働きを補助してくれる兵装のおかげで、サランは少々の息切れの後に「電波の入りのいい場所」までたどり着く。


 あの日、メンソールの煙草をくゆらせながら携帯電話で誰かと――そういえばサランの周囲にも好きな男を誰かに奪られたことをアンティークの携帯電話越しに愚痴り倒していた誰かがいたが――しゃべっていたシモクツチカは当然そこにはいない。

 そこに立つと、壁面が鏡張りになっているビルと向かい合うことになる。それをみて思い出すのは鏡面世界で共にキタノカタマコと闘ったあの日のことだ。あのバカたれは、積もり積もった鬱憤をはらすようにキタノカタマコをあのビルにぶん投げたのだ――。


 そんな思い出を蘇らせながら、サランは鉄骨の上に立つ。晩秋に差し掛かる十月末の風は冷たい。まして本家ほどの高さは無いとはいえどタワーの上だ。体温調節機能のついてる兵装を纏っていても、くしゃみはおさえられない。鼻をすすりあげてから、サランは左手を思いっきり振った。

 

 もちろん、拡張現実の恩恵の外にある九十九市だ。指先に手ごたえはなく、ただ冷たい秋の空気を割くばかり。

 

 それでもサメジマサランは叫んだ。どうせ聞こえないのだからとやけになって叫んだ。


「撞木のバーカバーカ、撞木槌華のバカったれ! 人を勝手にこんな落ち着かない気分にさせたまま雲隠れとかしてんじゃねえようっ。大人ぶりっこの不良お嬢様の分際で、生意気だっつーんだようっ」


 下にはバスを待つ善良な一般九十九市民がいるはずだ。ひょっとしたら自分の叫び声がきこえてるかもしれないとサランは一瞬懸念したが、すぐにそんな殊勝な気持を恥と一緒に投げ捨てた。どうせ聞こえやしない、聞いているのはきっと酔っ払い位だ。


「隠れてるなら出てこいっ、バカ撞木っ! うちはお前になあっ。会いたいんだぞぉっ、会わなきゃ気が収まらないんだっ」


 またね、でもいい、元気でな、でもなんでもいい。とにかくきっちりこの一件のけじめをつけたい。ちゃんとさようならを言って別れたい。

 それこそがサメジマサランの即席 to do リストの十番目だった。


 さようなら、ばいばい、またね。それを告げない別れ方だから、未だに執着してしまうのだ。

 それさえ告げればちゃんと対等に、いつまでもたかだか同輩を規格外の女だと見上げて感嘆して癪に触ってもその実力を認めないわけにはいかないそんな立場から抜け出せるのだ。

 そうすれば執着で苦しい状態から逃れられる、すくなくともそれがサメジマサランの目論見であった。


「だからとっとと出てこいバカ撞木……ッ!」


 それでもサランは信じていなかった。いくらリングを介してワンドであるツチカを呼び出すことのできるサランであっても、ここはリングの機能を有効にする拡張現実の外である。いくら電波の入りがよくたって、アンティークの携帯電話すらない。

 そんな場所で自分のたかだか肉声が届くわけがない。

 そのように高をくくっていたのだ、サメジマサランは。

 ワルキューレはかつては、魔女であり巫女であり超能力者や霊能力者と呼ばれていたであろう者たちが持っていた能力を持つ少女たちだ。

 だというのに、現実では起こしえない奇跡を起こす可能性を秘めた身でもあることがサラン自身この期に及んで信じきれていない。

 サメジマサランのそういう所が、あのキタノカタマコですら手にすることのできなかったシモクツチカのパートナーになる資格を有した唯一の存在であったにもかかわらず、現状あいもかわらずワルキューレとしては低い等級のまま、火急の折にだけ銀色の巨大ハンマーを手に現れる予備役ワルキューレとして過ごしている一因である。


 なんにせよ、サメジマサランの声は届いたのだ。シモクツチカに。


「──、何?」


 でなければこのタイミングでこの鉄骨の上に姿を現す訳がない。


「何、何ってそりゃお前……っ」

「用があるなら早く言ってよ。あたし暇じゃないんだってば」

 

 不機嫌そうな声にせかされて、ふりむいたサメジマサランは絶句した。そこにいたのは声の主であるシモクツチカに違いなかったが、サランの記憶にあるどのシモクツチカとも異なっていたからだ。


 太平洋校に居た頃のツチカは、ゆるくウエーブのうった栗色の髪をなびかせ派手な美貌を引き立てる薄化粧を施したお嬢様だった。

 九十九市にいたツチカは、シャギーの茶髪に細く眉を整え、だぼつかせたニットと短いチェックのスカートとルーズソックスが目印のギャルだった。

 

 なのに今のツチカは、サイドの髪をくるりと外巻きにした黒髪ロングで眉はやや太め。細かすぎるプリーツに裾が踝まであるセーラー服を着た女の子になっていた。それは二千年紀よりずっと昔、八〇年代にいそうな不良っぽい一美少女だった。

 鉄骨に腰をおろし、風ではためくスカートから形のいいふくらはぎや踝をのぞかせているその少女がとっさに誰かわからず、口元まで出かかった言葉を飲みこんで無言になる。

 しかし、左手が口元には込んだ煙草の煙がどことなく薄荷の匂いふくんでいることで、それが間違いなくシモクツチカであるということを把握する。一旦把握すれば、メイク方法が違っても髪型が古びていてもシモクツチカ以外のだれにも見えなくなる。


「おま……っ、ちょ……っ、なんだその恰好……っ」

「これ? あたしが今いる街ではこういう格好でいると目立たないからしてるだけ」


 横ぐいに煙草をくわえてから、八十年代の不良少女になったツチカはたちあがる。ふわりとロングのレイヤーが煙草の煙とともになびいた。

 衝撃でざわつく心臓を抑えながら、サランは状況を整理する。急遽現れれたシモクツチカのスタイルはどうみても八〇年代のそれだ。そういう格好でいると目立たないということはつまり、九十九市とおなじように八〇年代で閉ざされている街に身を潜めているということなのだろう。何しろこの街と同じような街はめずらしくないのだから。

 つまり、おそらく、上層部に尻尾を握られるのを嫌ったツチカが拠点を九十九市から別の街へと変えた。そういう次第なのだろう。

 そう結論づけたサランは、深呼吸を一つして落ち着きを取り戻す。吸った空気は煙臭くてサランは派手にむせこんだ。

 ごほごほとうるさいサランを前にも動揺することなく、なれたしぐさでツチカは煙草を唇からはなし、そっけなくつぶやいた。


「バイクの後ろに乗せてあげるって男の子に声かけられたとこだったのに。あんたなんかの声がきこえちゃったせいで飛んでくる羽目になったんだけど。マジで最低」

「ばっ、バイクの後ろ……⁉ やめろバカっ、そんなのにうかうか付いていくんじゃねえようっ」

「はー? 何心配してんの? あたしがそこいらの暴走族に輪姦されるような女に見える?」

「……っ、わっ、ワルキューレは一般人類に暴力をふるってはいけなくてだなぁ……っ」

「徒手空拳による反撃は認められてるじゃん。大体、人間の尊厳を脅かされそうになった際の反撃なんだよ? 多少過剰に反応してもお咎め無いから」

「……っ」

「で、用は何?」

「…………用、用はなぁ……っ。鰐淵がこのまえノコたちにカフェでおごってやったから額を徴収したいって言っててだなぁ」

「あー、なんだ。そんなこと? おっけーって珠里に言っといて。じゃ」


 くるり、と若干の蟠りを残してる風情をのこして、シモクツチカはサメジマサランに背を向けた。サランは慌てて言葉を接ぐ。


「あ、えーと、それだけじゃなくてだなぁっ。あの映画館でゴダールの特集を今度やるらしくて……っ」

「ふーん。いいじゃん。……で?」

「でっ、てお前……っ! あ、そうだっ。お前よくもこの前めんどくさいことを全部うちや三河さんに押し付けてとんずら来いてくれたなぁ! お陰でうちらがどんなめんどい目に遭ったか……!」

「ああ、それにかんしては三河さんにごめんって言っといて。サンオさんにも、またいつか正式に謝罪に参りますって。……で、他には?」

「あ、ええと……そうだっ」

 

 たんたんたんたん……と、そろそろしびれを切らしかけているツチカの爪先がせわしなくリズムを刻むのにサランはペースを握られる。

 思いもよらぬ姿で現れたツチカを前にした時から、サメジマサランはすっかり主導権を握られていた。故に、焦って、なにかしらツチカに衝撃的な言葉を浴びせてそれをとりかえすことばかりに頭が一色に染まってしまう。勝ちたい、という意識が全面に出てしまったのだ。


 それがこの時間から数分後、サメジマサランがシモクツチカからまた殴られる原因となる。


「あのなあっ、撞木槌華っ! いいか、うちはなぁ、将来、鰐淵と本に纏わる仕事をするんだっ。出版とかそういうのっ! でもお前はまぜてやんねーからなっ、へへーんだっ」

「……、あーそう!」


 案の定、ツチカの表情は不機嫌一色になる。シモクツチカの逆鱗はワニブチジュリ。いい加減サランは理解していた。ツチカのロングのレイヤーの髪がふわりと風以外の力でふくらんだことからも明らかだ。それでもツチカはそれをみとめようとしないのだ。


「そんな幼稚な将来の夢をわざわざきかせるためだけに、あたしを呼び出したのっ? ねぇ、鮫島砂蘭~?」

「んなわけあるかバーカっ。――もしお前が将来作家様になっても所詮『瑞々しい言葉でただれた上流階級の人間模様を綴る』お嬢さん作家どまり終わっちまっても、うちらの会社で本出してやるから安心しろよなあって言いたかったんだ」

「――へえ~、わざわざどうもっ」


 だむだむだむだむだむ……と鉄骨を踏みつけるシモクツチカの足音がやや大きくなり、鉄骨を震わせる。どうやら自分の書いたものの弱点を指摘されて傷ついたのをごまかそうとした心理がそういう仕草となって表れたようだ。

 

「ねえっ、本当にあんたの言いたいことってそんなくっだらない事だけなの? じゃあもういいよね帰っても!」

「待てってば……だから、ええと……っ、なんつうか」


 いま自分が言おうとしていることは自分の即席 to do リストに入っていただろうか?

 そんなことを思う余裕が当時のサメジマサランにあったかどうかは筆者は知る由もないが、ともかく後にワルキューレにして先進的な文芸書を多数出版・配信することで知られる出版社 Magnolia Pressの名物編集者として知られることになるこの少女は、目の前の不機嫌極まりない少女を前にこう告げたのは歴史的事実であるとみていいだろう。先ごろ出版された匿名の人物によって配信された『レディハンマーヘッドの追憶』におけるこの場面はさらりとして記されているだけだが。


「とにかく、ゴシップとかじゃなくてさ、なんか書けようっ。小説! まともなヤツをっ」


 あくまでも作者名はレディハンマーヘッドだが、その正体は高級ホテルのスイートで暮らしていることでも有名なベストセラーロマンス小説作家の某氏(もちろんMagnolia Press以外の出版社で出版・配信されている)だと噂されるそのノンフィクションノベルでは、そっけなくそう書かれただけである。が、レディハンマーヘッドを数十年ぶりに名乗ったその書き手によってわざわざ書かれたその部分は少なからず思い出深い一言であったはずである。でなければわざわざ文字に残したりするものか。


 ともあれシモクツチカは足を止めた、そして振り向いた瞬間にサメジマサランはこう言った直後に生涯の仇敵でありパートナーであった少女に殴られた、とある。


「お前が文芸部入ってから書いた小説、古い『ヴァルハラ通信』整理したら出てきたんだぞ! なんじゃありゃ、ダンディな老作家とコケティッシュな金魚みたいな若い女の暮らしなんて『蜜のあはれ』をパクったようなもんを書きやがって! あんなもん読んで喜ぶのは若いサブカル女ひっかけたい願望で股間パンパンなキモイおっさんだけだ!」


 ――殴られるのももっともだとみるべきであろう。少なくとも筆者はそう思う。










 さて、今でも語り草なお茶会事件の裏側で繰り広げられれた少女たちの狂騒物語もここで終わりである。


 しかし妙なことだ、筆者はもともと二十位一世紀末のあの日に死海沿岸に現れた侵略者の大群を駆逐するために勢ぞろいした、我らが慕わしい学園長だったミツクリナギザや厳しくも優しい教諭だったクラカケマリやその双子の姉妹だったセンリ、および栄光あるワルキューレ第一世代たちの最後の活躍を題材にしたノンフィクションを綴る予定だったのに、出来上がったものはあの当時の太平洋校でなにが起きていたのかを物語る、長大なテキストだった。これには苦笑せざるを得ない。

 

 思えば私にとっても、太平洋校に籍を置き彼女らの起こす騒ぎを一線を画しながら眺めていたあの日々は自分にとっても重要な日々だった。それまでの約三年、そこからのさらに約三年がなければ私は未だに己の言葉を持てない人形の一体であったろう。私の姉妹たちのように。

 本稿での中心人物としたサメジマサランほどではないが、お茶会事件に薄くかかわっていた私はその後姉妹やそれまでの主と離れ、一個のワルキューレとして生きることになった。早い話が負傷を理由に主から暇を出され、学園を去る主と姉妹たちに置き去りにされたのだ。

 当初は恨み骨髄であり、それまでの鬱憤を晴らす形で新聞部を訪れた。何しろ私は貴重なゴシップをその身に抱えた者でもあったので。


 ――今にして思えば、私の所持していた情報などたかが知れていた筈だ。何しろ、私のかつての主は太平洋校では最も冷酷な少女であった。私が重要機密に触れていたなら問答無用で「欠陥品」の評定を下して研究所に送り返していたはずである。

 そうしなかったのは、私が見聞きした情報はただの他愛もない個人情報にすぎなかったためである。


 それでも私は、本稿にも登場する『夕刊パシフィック』のデスクであるパトリシア・ニルダ・ゲルラに語りに語った。いかに我が主人は冷たく、人情味に欠ける酷い少女であったかをくどくどと語り続けた。あさましく、泣きながら語った。

 ゲルラはすぐに、私が有る種の製品であることを私の欠陥品ぶり(優秀な姉妹たちの中で一番のみそっかす、それが私である)に気付いたようであるが、何月何日にこんなことを言われた、また別の日には不手際を責められたといったことをいつまでも覚えて忘れない陰湿で執念深い気質と記憶力にタブロイド記者としての適性を見抜いたらしい。――人生、何が幸いするのかわからないものである。

 私はその場で新聞部でスカウトされ、ゲルラの薫陶を得て三流ゴシップ屋としての頭角をあらわし、そしてジャーナリストの端くれ兼予備役ワルキューレとなって今に至る。


 時折右手の平の古傷が痛むことがあるが、あの六年間は私にとっても私自身の言葉を獲得するためには必要な時間だったのだ。シモクツチカが愛した小説に因めば、あの六年間は彼女らだけでなく私にとっても放課後だったと言えばいささか臭みも強すぎるだろうか。


 書くうちに次第に興がのり、不必要な資料を求め、当時の機密事項に関する取材を行い、失われたデータは恨みをたぎらせる時に鍛えた想像力を駆使して補ったこのテキストは、ノンフィクションと呼ぶには正確性に著しく欠ける。一部事実を基にしたフィクションと呼ぶのが適当だろう。

 あの頃、一ワルキューレ養成校を舞台に何が起きていたのかについて関心を持つ方は依然増え続けているように思う。

 そんな諸姉諸兄の好奇心を満足させるためだけに本書をお役立ていただけるのなら幸いである。ここに書かれている出来事のほとんどは、十四、五歳の少女たちが繰り広げていた、誰にも記憶のある面倒でややこしく愛おしい人間模様に過ぎない。先に述べた通り、適宜事実を曲げている場所や空想を交えているところもあるので資料的価値は皆無である。

 どうぞ、匿名のゴシップガールのさえずりとしてお収めいただきたい。


 それではいささかキザではあるが以下の言葉で本稿を〆させていただく。



 ――ゴシップガールより愛を込めて。


 

              ヨシキリヒヅキ 記


 

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