#62 ゴシップガールより愛を込めて①

「平和だ……」


 二十世紀末に刊行された小説の単行本を愛おし気にだきしめるサランのつぶやきに、こちらは品よく椅子に座り、積み上げた愛読書を上から読み返しているシャー・ユイが応えた。


「平和ね……」


 お茶会事件の狂騒からそろそろ一月経とうかという十月終盤。

 部誌刊行作業もひと段落し、部員たちも思い思いに放課後を楽しんでいる。

 文芸部に復帰を果たして約一月のサランも、以前のように椅子数脚を並べて作った即席寝台に寝ころんでは古本を読んでいた。その有様からは約二カ月文芸部からの追放を食らっていた部員であるという慎ましさはみじんも感じられなかった。

 この場にいない文芸部員はジュリだけだった。来年度(何事も無ければ)高等部に進級する初等部の三年生を代表して総合文化企画部に挨拶にでむいているのだ。


 太平洋校文芸部の慣習として、初等部の課程を修了しつつがなくそのまま高等部へ進級した者の多くは総合文化企画部にスライド式に入部することになっている。また権限の少ない下っぱからやり直すのは癪だが、学園外の企業を巻き込んだ大がかりな企画にも参加できるようになる。もちろん出版にまつわる企画をたてるチャンスも増えるわけだ。

   

 未来にちょっとした期待を寄せながら、サランはジュリの帰還を待つ。副部長としてあいさつに同行しようとしたのだが、ジュリは伊達メガネの奥の目を光らせて断った。問題児が来ると話が長びくというのがその言い分だった。

 むっとせずにはいられなかったが、否定できないのもまた悔しい。ともかくサランは、さんお書店で手に入れた本を読みながら親友の帰りを待つことにしたのだ。 



 文化部棟内では合唱部が、色づく紅葉や夕日の赤さ、ふとした瞬間の人恋しさなどを朗々と歌い上げる声が響いていた。北半球を中心としたツアーを十一月に行うため、その練習に余念がないのだ。

 

 武骨な建物の中で反響する乙女たちの歌ごえは、故郷ではそろそろぴかぴかの新米が味わえるころだなとサメジマサランに郷愁と食欲を引き起こす。

 四季もへったくれもない亜熱帯のこの島ですら、秋は北半球育ちのワルキューレをやや感傷的な気分にさせる。

 そんな照れくさい気分を振り払うつもりで、サランはシャー・ユイに質問する。


「で、『演劇部通信』執筆担当を後輩に譲った沙唯先生の次回作のご予定は?」

「――まだ構想中よっ、訊かないで頂戴っ」


 シャー・ユイの声に棘が生えた。

 本来の発売日を大幅に超過しつつもようやく頒布可能となったケセンヌマミナコとの合作本が無事刊行されて十日ほどたち、マーハからの激賞、そして環太平洋圏を中心とした乙女たちからの熱い応援の声の数々がもたらした恍惚と歓喜感激の大波もようやく引きはじめ、落ち着きを取り戻しだす頃合いだった。

 というよりも、落ち着きすぎて、書くことをわすれているかのようだ。ここ数日のシャー・ユイは愛読書再読に没入している。と、おもえば、浮かなそうにパタンと本を閉じて、はーっとため息を吐く。


 思いつめたようにこめかみをもみほぐすシャー・ユイの憂鬱の原因を知っているサランは、あえて軽々しく尋ねてみた。


「聞くところによると、次回作は沙唯先生の高等部進学記念ってことで総合文化企画部のお姉さま方直々に外の世界へ売り込んでくださるそうじゃないですか。事実上の作家デビューですよ、作家デビュー」

「――私で退屈しのぎをするのはやめて下さらないかしらっ?」


 訛りが飛び出る直前の張り詰めた声で、シャー・ユイは警告を発する。サランはそれに大人しく従うことにした。同輩と気楽なおしゃべりを楽しみたかっただけで、怒らせたいわけではないのだ。

 それでもついつい、無神経を装って余計な一言を付け足してしまう。


「シャー・ユイでもライターズブロックってなもんに罹っちまうんだなぁ。物書きって難儀だ」

「――当り前よ。私は作家である前に人間だもの。好不調の波があって当然だわ。今までだって、書けなくなったときは何度もあるもの。そういう時ほど焦っちゃだめなの。落ち着いて、インスピレーションが降りてくるのを待つべきなのよ」


 サランに言い聞かせているというより、自分自身に言い聞かせているのが部室内の誰にも丸わかりの態度でシャー・ユイはつぶやく。その、怯えと怖れを気取らせまいと強がる口調が部室内の緊張を高める。部員たちはピリピリと不安定なシャー・ユイと、寝転がったままゆうゆうと朋輩の地雷近辺で戯れるサランを交互に見ては落ち着かない態度を見せる。うち、何人かは視線でサランにシャー・ユイを刺激するなと合図を送ったのだが、サランはあえて無視をした。

 そのうえで、分かり切った地雷を踏み抜く。


「だよなぁ、焦る必要もないよう。なんたってシャー・ユイは世界を救ったワルキューレ作家様だもん。スランプなんて一時的なもんだって」


 ぱたん、と音をたててシャー・ユイはせっかく開いた本をとじた。サランが踏んだ地雷が炸裂したのだ。


「……救ってなんかないわ……っ」

「なんで? あの夜、リリイの歌に合わせてばかでっかい泰山木マグノリアの女神と甲種観測者が空で出会う様子を書いたのはシャー・ユイだろ? 空一杯に女子と女子がいちゃこく光景を具現化できるのなんて、おまえしかいないよう」


 部員たちは、サランに目配せしたり、あ~あぁと距離をとったり、我先に逃げ出そうとしたり、思い思いの反応を見せる。が、サランはさらりと無視をした。うつむくシャー・ユイの様子をじっと見る。


「……ええ、そうね。メジロさんが歌っている間に合わせて、カメラの後ろで地上の女神と外世界からの侵略者だった少女が出会い手を取り合う様子を書いて具現化したのは私だわ……っ!」

「だろうなぁ。あとからそれを聞いて残念だったんだぞ。シャー・ユイの一世一代の大勝負がみらんなくてさぁ。映像記録にも残されてないから今でも悔しくで……っ!」

「でも、そのシナリオを書いたのは私じゃない。ケセンヌマさんよっ。ケセンヌマさんの原案にそって私が万年筆ワンドを走らせたの。私はあのとこそれどころじゃなかった。自分のなすべきことが分からなくて呆然としてるところにケセンヌマさんがやってきて、これこれこうしうシナリオを立てたので協力お願いしてほしいでござる~って。結局私はケセンヌマさんの言う通りに動くことしかできひんかったわ……っ」


 ついにシャー・ユイの言葉に訛りが現れだした。しかし激昂するでなく、うつろな声でぶつぶつと呟く。


「あの時うちが地球の外から出してしもたんは、泰山木マグノリアの女神なんかやのうて、創作の神様やったんや。せやから、ヤマブキさんは演劇部引退してしまわはるし、何もインスピレーションが湧いておへんのや……。うちはもう抜け殻や……。なんも書かれんなったんや……。ワルキューレの余技やのおてほんまもんの作家になれるかも知れへんちゅうタイミングでこんな有様になるのがええ証拠や……」


 机にべたりと伏せ、訛り全開で呟き続けるシャー・ユイの前に、サランは売店で買ったプレーンのビスケットをさしだす。


「考えすぎだよう。――まあ、溜め込んでても体の毒だから、ここで吐き出して楽になっちまえって」

「吐き出せぇ言う癖に、くれるもんがなんでこんな口の中の水分持ってくお菓子やねんな」


 文句は言ったが、シャー・ユイはビスケットをつまみ紅茶で流し込んだ。薄くてシンプルで、ポツポツと穴の空いたオーソドックスなミルク風味のビスケットであった点がシャー・ユイのいちいちうるさいお眼鏡にかなったらしい。

 ティーバッグを使いながらもそれなりの手順を踏んで淹れたらしいティーカップからはそれなりに芳醇な香りが漂う。ジュリとは大違いだな、と、今この場にいない親友のことを考えながら、サランはシャー・ユイの不安に相槌を打つ。

 口の中が湿り、なめらかになった口でシャー・ユイは続ける。その口ぶりから訛りがすっかり消えていた。


「ケセンヌマさんのシナリオにそって泰山木マグノリアの女神を追い出せたことは我ながらいい考えだと思ったのよ? あのストーリーは私の手から離れて独り歩きを始めた挙句、プロパガンダに使用されかけたわけだし」

「フォークロア研究会の収入源にもなってたしなぁ」


 うんうん、とサランは頷いた。

 女神が棲むことにされていた卓上ゲーム研究会としのぎを削りあう仲のフォークロア研究会が、泰山木マグノリアの木にからむ一切合切を取り仕切っていたことを思い出したのだ。そして、女神がいなくなったことから木の独占権が当然大暴落し、太平洋校地下マーケットに大嵐が吹き荒れたことも、小耳には挟んでいる。小耳より大きな耳に挟めるレベルの噂とは距離を置きたいが。


 かりかりとビスケットを齧って紅茶を一口飲んだん後、シャー・ユイはうつろな声で呟く。


「やっぱりあの女神は私のインスピレーションの源だったのよ……! それを私自ら手放してしまうなんて、なんてバカなことをしたのかしら……!」

「考えすぎだよう。シャー・ユイ、自分のこしらえた物語に飲まれてるぞ」


 サランは忠告したが、シャー・ユイの目は淀んでいる。スランプはよほど深刻な様子だ。


「そうよ、そうだわ……! ヤマブキさんがお怪我で電撃引退なさったのも、マー様ととの最後の舞台を観ることが適わなくなったのも、全て私が女神を地上から追いやったせいよ……! ああどうしましょう、全世界の演劇部ファンの乙女たちになんといってお詫びすればいいのかしら……!」

「ホァン先輩は引退なすったけど、後輩の子が無事代役を務めてなかなか好評って話じゃないか」

「だけど、マー様ヤマブキさんの舞台を一つ台無しにしたことには変わらないわ」

「……なあシャー・ユイ、自覚ないだろうけどお前、『郵便ポストが赤いのも自分のせい』って言い出しかねないことになってるよう?」

「放っておいてちょうだい。サメジマさんの気持ちは汲ませていただくけど、今の私は到底冷静になんてなれないの! 書きたい物語の種が一つも思い浮かばないのよ! そんな時によりにもよってデビューの話をいただくだなんて……ああっ、女神を地上から追い出した罰が降りかかったんだわ」

「――その女神を生み出したのは自分自身だってことを思い出せよう」


 サランは一応忠告を発したが、シャー・ユイは本人が言う通り思う存分スランプに陥った自分を憐れみたい気分であるようだと素直にみなして、しばらく放置することにした。悲劇に浸りきることで晴れる浮世の憂さもあるだろう。実際、シャー・ユイは世界を救うという大仕事を成し遂げたひとりでもあるのだ。精魂使い果たしていて当然である。




 九月三十日、ホァン・ヴァン・グゥエットがもたらした暗闇の博物館ミュージアムにて。

 パートナーとの別れをすませ、サランにNamaḥ samanta-buddhānāṃ, a vi ra hūṃ khaṃの真言マントラを授け、眷属の手に乗り去ったジンノヒョウエマーハ。麗しい演劇部のスターで意外とお茶目なサランのお嬢様は、その足でレディハンマーヘッドの生配信番組に自らゲストとして出演を果たしている。そしてそのままあたかもリリイの歌声で太平洋校に集う戦乙女の守護神たる泰山木マグノリアの女神を呼び出し、天空に居座った観測者型侵略者を連れ去るに至った、有る種の壮大なショウのお膳立てを果たしていた。このあたりはサランも九十九市のさんお書店で十五分おくれのテレビ映像をみていたからサランも把握していた。


 あやうく下あごを落としそうなほど唖然とさせられたのは、流星雨の降る天空へ去ったと目撃者により語り継がれる女神と侵略者の邂逅する奇跡の六分半の舞台裏に起きていた出来事を、学園島に帰還して聞かされた時のことである。

 あの時のシャー・ユイはキタノカタマコの侍女や、マコが呼び寄せた民間警備員たちとの間に交わした戦闘の直後で酷い有様であったが、愛する演劇部の拠点である泰山木マグノリアハイツの片付けを手伝っていた。

 その直前にタイガからのキスを受けたリリイは、非常にイキイキとスポンサー兼番組MCであるレディハンマーヘッドをアシストし、配信の終了を訴える高等部生徒会長アメリア・フォックスに迷惑なファンからのメッセージを読み上げて番組を盛り上げていた。眷属の手にのり空から舞い降りたマーハが空から舞い降りたのは、そんな状態だったという。


「急なお願いで申し訳ないけれど、あなたの力をお貸りしてもいいかしら? 沙唯さん」


 眷属の掌の上から降り立ったマーハは、訓練生たちとともに駆け寄ったシャー・ユイの手を取ってそう頼んだのだという。

 マー様直々のお願いである。シャー・ユイが断る理由がない。よほどのことが無い限り傍にいるのが常態であるヴァン・グゥエットがその場にいないことを不安に感じたが、一旦それを押し殺して無我夢中で首を縦に振っていたという。私にできることなら何なりと。

 すると、マーハは瞳をきらめかせるシャー・ユイの手をとって微笑みかけるのだ。それはまさに薔薇や牡丹がつぼみをほころばせるがごとき馥郁たるものであったという。


「まあ、ありがとう。――では早速ですけれど、私のアドリブに合わせて沙唯さんに短い物語を一編紡いで頂きたいの。生きとし生ける方々の胸に強く焼き付くような、世界を救う美しい物語。沙唯さんならっきっとそんな物語を書けると思うの。お願いしても良くて?」


 何やら非常に難易度の高いミッションを課せられた、とその時のシャー・ユイは全く感じなかったのだという。ジャスミンとスパイスの混ざったようなマーハの薫香につつまれて、楽の音のような囁き声を耳にしていると、全能感とマーハの期待することならなんだってかなえられそうな不思議な高揚感にその身がつつまれ、気づくとシャー・ユイは首をこくこくと首を縦に振っていた。

 マーハはそんな少女作家にひと際にっこりと微笑み、まあ嬉しいと一言言った後にシャー・ユイの方をやんわり抱きしめたという。その瞬間、シャー・ユイのやる気のゲージは満タンになった。矢でも鉄砲でもなんでももってこい、の心境になったという。

 

 極楽浄土に片足一本突っ込んでいたシャー・ユイは、狂騒状態のスタジオから静かにハケたメジロリリイを手招きで誘う様を見ていた。ご機嫌なアイドルの仮面をほんの一瞬だけ外して見せたリリイだが、マーハの手招きに気付くやその表情が再び見事に切り替わった。スイッチが入ったようにしゃんとなり猫のように足音たてず忍び寄る。


「はぁい、初めましてぇ。ホァン先輩と仲良くさせて頂いております、メジロリリイですぅ。どういったご用件でしょう?」


 シャー・ユイがよく耳にするねっとりした喋り方(ただしかなりの小声で)指示を請うリリイに、マーハも微笑みかけた。


「初めまして、メジロさん。――急で申し訳ないけれど、私が飛び入りで番組に出演しても構わなくて?」

「ちょっとお待ちください~。スポンサーとお話しますのでぇ」


 場慣れしてるのか、リリイは四の五の言うことなくマーハのお願いをすんなり受け入れる。花の形をしたインカムに手をあてると、学園某所にあるコントロール室とひそひそとやり取りをする。OKの証が出たという証拠に、可憐に微笑んだ。太平洋校の華、演劇部野スターが出演すると自ら進んで仰っているのに拒否するバカなどいるはずがない、そんな表情で。


 まもなく、アメリアが叫びながらカメラの外へ逃げ出し、入れ替わる様にマーハがゲストとして拡張現実上のセットの中へ足をふみいれ全世界の人々の前で訴えることになる。

 


 ――さあ、皆さま。天の彼の方を我々でおもてなしいたしましょう? この世界は残す価値なしとみなされる前に。ね? 




「まさか空にいる侵略者が本当に観測者だっただなんて……。今思い出すだけでも震えが出そうよ」


 ビスケットの齧るリズムを早めながらシャー・ユイはつぶやく。記憶がまたお茶会事件の夜に飛んでいるらしい。マーハのアドリブを読み間違えていたら……という恐怖を抑え込むのにビスケットを齧るのは有効なようだ。

 それを打ち払うためにも、サランもお茶の相伴にあずかりながらシャー・ユイを労う。


「まあ、お前やジンノヒョウエ先輩やリリ子やケセンヌマさんのおかげでこうして平和な未来が観測されて、ワニブチもうちも死海まで征かずにすんだんだからさぁ。あんまり悔やんでくれるなって。こっちも感謝してるんだよう?」

  

 さあさもっと食え食えとばかりにサランはビスケットの箱をシャー・ユイへ向けて差し出し、新しくお茶を淹れようかと声をかける。そうやってあからさまに下手に出るサランをやや白々しい目でみながら、結構よ、とシャー・ユイは断った。

 ともあれサランのお道化たふるまいとお茶とビスケットが、ライターズブロック中のシャー・ユイの憂鬱をほんの少しでも軽くしたのは確かなようではある。やれやれ、と安心しながらサランは会話を続けた。


「にしても、ケセンヌマさんがカメラ回してくれてたとはなぁ……。ビビはトラ子つれて消えたし、ゲルラ先輩は博物館でうちらと一緒にいたしだれがカメラ係やってるのかちょっと不思議だったんだ」

「――……」


 せっかく持ち直したシャー・ユイがまた沈み込む。その無言の返事でサランは自分の失敗を悟り、激しく悔やんだ。




 話によると、ケセンヌマミナコはタイガをおぶって去ったビビアナと入れ替わる形で泰山木マグノリアハイツにやってきたのであるという。メガネのレンズがなくても冗談みたいに大きく見える瞳をキラキラ輝かせて、むふー、と鼻息を吐きながら。

 何しに来たのっ? と、尋ねたシャー・ユイはミナコがその手に持つハンディサイズのカメラを見て自分の質問がいかに間が抜けているか思い知ったのだという。番組の様子を取るカメラ係としてこの場にいるのだ。しかしなぜ、ケセンヌマミナコが?


 と、疑問に思ったと同時にミナコは左手でカメラを支えたまま右手を振ってスケッチブックを表示させた。そこにはマーカーで記したような文字が素早く浮かび上がる。


 ――番組を視聴していた折、カメラクルーの少なさが気になっていたでござる。某はこう見えて動画撮影にも多少の心得があり申す。微力ではあるが助太刀に参じた次第でござる。リモン氏も快く某に機材を預けてくれたでござる。


 とかなんとか言ってこの機会に聖なる泰山木館へ足をふみいれるつもりだったわけではないわよねっ? と、ひと夏でミナコの女性美への執着および関心を思い知らされたシャー・ユイは小声に険を潜めて問いただしたところ、フレームを覗きながら器用にミナコは右手のみでスケッチブックをぱらりとめくって見せた。律義にこう記して。


 ――……。


 この人は……ッ! と、あやうく訛りむき出しに激高しかけるシャー・ユイであったがすんででそれを飲みこんだ。カメラ係が必要なことは確かであるし、それにミナコの機転は土壇場ではかなり頼りになることはひと夏過ごして思い知らされていた所でもある。早い話が無意識に頼りにしてしまったのだ。

 そして案の定、ケセンヌマミナコは彼女にしかできない活躍をなしとげた。なにしろこの場で一番、二千年紀以前のアニメーションに通じているのは彼女だったのである。


 マーハのアドリブで全世界へ向け語り掛ける演説を耳に、書いたものを具現化できる自身の万年筆を手に、シャー・ユイは全精力傾けた。外世界からきた侵略者をもてなし、円満にこの地球から退去させる物語。それは美しく、壮大で、見た者の心に強く焼き付くものでなければならない――。





「あの土壇場で、そんな物語が思いつくわけがなかったのよ。私みたいな凡才に。ただ小説のまねごとみたいな文章を書き散らすしか能のない私みたいな人間に」

「だから自分を卑下するなってばよう」


 サランはとりなすが本人が耳を貸さない。そういう気分であるようなので致し方なく、サランはシャー・ユイが呟くのを右から左へ聞き流しつつうんうんと時折頷いた。

 今日も文化部棟近辺は選挙活動でかしましい。現時点で当確しているにもかかわらず、リリイ陣営が挨拶まわりに余念がないのだ。きっとそのうち文芸部の部室にも来るな、とサランは予測した。

 



 いざという局面に限って、人間は金縛りにあってしまうものだ。

 シャー・ユイの場合もそうだった。ただでさえ危険な侵略者が上空に居る状態で、憧れと崇敬の対象であるマーハから物語を書いて欲しいと直々に頼まれた誇らしさと名誉と不安が一気に訪れた少女作家シャー・ユイはしばらくその場にたたずむ。その瞬間、頭の中が真っ白になり何を書けばいいのか全く分からなくなったのだという。いわゆるトンだ状態になったのだ。


 どうしよう、何を書こう、と、呆然と立ち尽くすシャー・ユイの耳の中で、マーハの言葉が反響する。言葉を一言一句逃さず受け止めることができるのに、どうして手を動かせばいいのかすらわからなくなってしまう――。


 そんなおりに動いたのがケセンヌマミナコだ。万年筆を右手に硬直するシャー・ユイへ向けて、本来ならスタジオの出演者へむけての合図を出すスケッチブックを捲って見せた。

 口の両端がくるんと巻き上がるようなアヒルめいた唇の持ち主であるミナコは、普通にしているだけで笑っているように見える。そんな表情で強張るシャー・ユイへ向けてスケッチブックを見せつけた。


 ――沙唯先生はこの場面に既視感を覚えるでござるか? 某はこれと似たような状況をしっているので聊か感動しているでござる。


 全身から汗をながして強張るシャー・ユイにそれは、場違いで呑気な冗談に思えた。だから無言でじろりと睨み返すも、ミナコは全く悪びれずスケッチブックを捲った。そこにはやはり極太マーカーペンのような書体で何かが書かれている。それを演説の最中だったマーハに見せる。それを読んだマーハはにっこり笑った(シャー・ユイにとってはそれもショックだった)。


 片手で器用にスケッチブックの新しいページをめくると、今度はシャー・ユイに見せつけた。


 ――実は某、この状況に対応するため提案があるでござる。某作品からの剽窃にあたるのが心苦しいが、この物語を沙唯先生のお手で書き表してくれぬでござるか?


 藁にも縋る思いで読んだそのストーリー概要は、歌姫・リリイの歌声に感動した侵略者が去ってゆくというものだ。

 ある作品からの剽窃であると正直にミナコは白状したが、二千年紀以前のアニメーション作品にそこまで詳しくないシャー・ユイに心当たりはなく、かわりに音楽で敵を撃退すると聞いてジャクリーンの雄姿を脳裏に浮かべてみた。実際にあの、太平洋校の誇り兼ゴシップクイーンのジャクリーンの侵略者退治ライブは見ごたえのあるショーとしても有名ではある。巨大なアンプ型ワンドで歌声をエネルギー派に変えて巨大な侵略者を撃退するジャクリーンの戦闘はとにかく派手なのだ。それを昔のアニメーション映画に准えてなんとかアタックって呼ぶ人もいるという……。


 いささか遠回りして、シャー・ユイはようやくミナコの指示するストーリー案を読み取り、とっさに自分も右手をふってスケッチブックを表示するとスタジオからのキューを待っているリリイにメッセージを送ったのだ。


――泰山木の樹の下まで移動して! 速く!


 リリイは当初、眉間に皺を寄せて首を振った。そのあとジェスチャーで中継先からカメラを自分で撮る者がいないと示す。極太マーカーの形をしたテキスト入力ツールを動かすのももどかしく、シャー・ユイはスケッチブックにカメラメッセージを書きなぐる。


――あなたのパートナーに頼みなさい!


 それを読んだリリイは珍しく気弱な表情になって首をブンブンと左右に振った。リリイのパートナー、つまりタイガは力をつかいはたして伸びたままビビアナに連れられてどこかで休んでいる。シャー・ユイだってそれはみていたが、訛りをむき出しにするときの表情になってリリイを急かした。もう時間が無かったのだ。なりふりなど構っていられなかった。


 その必死さがリリイに通じたのか、それともリリイですら怖れをなすものだったのか、ともかく最終的にはさしもの極道アイドルも首を縦に何度も振って暗闇の中へ駆けてゆく――。


 その後、モニターで表示される完璧に美しく愛らしい歌姫として振舞うリリイが泰山木の下で大昔の流行歌であるありふれたラブソングを歌いあげる様をモニターでチェックしながら、シャー・ユイは鬼の形相で万年筆を滑らせて綴りに綴ったのである。

 泰山木の女神が巫女ともいえる歌姫の祈りを込めた歌声に目覚め、そして空にうかぶ侵略者の心を溶かしてともに宇宙へ旅立ってゆくまでのストーリーを。


 元女神の演説、可憐な歌姫、白く神秘的な伝説の源である泰山木、南の夜空の降るような星空、不安定な次元の作用による虹色のオーロラ。

 人ならぬ少女と少女の邂逅という、条件がそろわなければただただ陳腐でしかないものがたりをシャー・ユイは必死で書き上げた。指が、手首が悲鳴をあげたがシャー・ユイは耐えた。天球いっぱいに自分が美しいと思うものを投影するのだという気持ちでペンを走らせた――。


 こうして、あのお茶会事件の奇跡と称される出来事は舞台裏で活躍した少女たちの尽力により環太平洋圏の人々に目撃されたのである。


 自分が生み出し、そしていつしか自分の手から離れて独り歩きを始めた泰山木の女神というキャラクターを、シャー・ユイはこうして自分の手から解き放った。彼女を誰の手にも届かない地平へ旅立たせることになると気づいたのは後になってからだが、直後のシャー・ユイに悔いはなかった。

 あの子はこれで、女の子を不幸にせずに済む。生みの親の心境でそんな風に安堵しながら旅立つ二人の少女を見送ったのである――。




 その一部始終を知らされて、サランが下あごをおとしそうになってもう一か月近くになる。

 それだけの日数が経てば迷いも生じるものかもしれない、と、絶不調のシャー・ユイを見ながら人ごとのように思うサランの耳は、ある声と騒々しい足音がこちらに近づきつつあることに気付く。それは当然、サランがまちわびている親友のものではなかった。



「……初等部生徒会長にはメジロリリイ、救世の歌姫・メジロリリイ、新世代アイドル・メジロリリイ、メジロリリイに清き一票をお願いしま~す」

「おねがいしま~す」


 少しかすれた声がのびのびと頭の悪そうなキャッチを並べ立てた後に投票を訴える「お願いします」の台詞に、複数の少女の声がやけくそになったようにそれを唱和する。それが、どたどたという足音とともにこちらへ近づきつつあるのだ。

 それが至近距離に迫ってることを察し、ゲッとうめくサランのことをシャー・ユイがじろりとねめつける。


「……今日は逃げちゃだめよ。あの子たちのお相手をしてあげて」

「に、逃げないよう。ワニブチと待ち合わせしてるんだから……」


 そうこうしているうちに、清き一票をねだる声は着々と近づき、だしぬけに文芸部室の扉がガラリと開く。せめて机の下に隠れやろうと椅子の下に身を縮めたサランだが、部室に入ってきた騒々しいものはそれすら許しはしなかった。

 それは軽やかな足音をたてて近づくなり背後から抱き着き、意図してるのか意図してないのかサランの首をしめあげた。首をしめあげられてうめくサランに構わず、不届き物ははしゃいだ声を無邪気に上げた。


「サっメジっマパイセン! お久しぶりっす! ったくもー、なんなんすか。なんで最近オレらみたら逃げるんすか。今日はにがしませんからねー。リリイの演説聞いてもらいますからねー」


 耳元でがなる声にまざる息にはフルーツ香料の匂いが混ざってるし、背中にはなじみある感触がぎゅうっとおしつけられる。甘えてはしゃいだその声は、誰のものか言わずもがなだ。左手の薬指にリングをはめているのに、メジロタイガは相変わらずだった。


 苦しい、その腕外せ、程度のことすら言うに言えず、サランはタイガの腕をばしばし叩いてアピールする。その甲斐あって、タイガは口が利ける程度に腕の力を緩めた。その隙に、と、空気をむさぼるサランの身に、質感を伴うような鋭すぎる視線がギリギリと突き刺さるのを感じる。

 おそるおそる振り向くと、肩から斜めに襷をかけたリリイが凄惨な微笑みをうかべて立っていた。一見完璧な微笑みの背後で般若の面が揺らめいている。


「……な~にやってるのぉ、たーちゃん?」

「何ってホラ、サメジマパイセンに挨拶してんだよ。選挙活動始まって全然顔見れなかったしさァ」


 この場で一人、リリイの背後で揺らめく嫉妬の鬼の気配に激しく無頓着なタイガはサランに抱き着いたまま呑気に応えた。サランの耳元では相変わらず例の棒付きキャンディをころころ転がす音がする。背後から抱き着くから自然と態勢がそうなってしまうわけだが、力ではサランを圧倒していることをいいことにタイガは例によって図に乗った発言をする。


「あれ、パイセン髪伸びました? 前みたいにみつあみするんすか? その時こうするの楽しみにしてていい……――っェっ!」


 サランは喉をのけぞらし、背後からじゃれつくタイガの額に後頭部をぶつける。不埒者がうめき声をあげた瞬間、リリイの背後に控えていた少女たち数名が素早く駆けつけてサランからタイガを引きはがした。よくみれば卓ゲー研の平部員たちだ。中にはひと際小柄なビビアナが混ざっていて、体よくビラをサランやシャー・ユイ以下部員たちにさっさと手渡しながらこちらも素早く口を動かした。


「お久しぶりですサメジマの姐さんっ。しかしこの前言ったじゃねえすか、チームの士気にかかわりやすんで姉貴らの前に出てくるのは当分ご勘弁をって! 約束反故にされるのは参りやすぜ」

「そっちからうちらのテリトリーに入ってきて何言ってんだようっ」

 

 むっとしたサランは言い返したがビビアナの感心はサランから既にはなれ、放せ、だの、話はまだ済んでない、だのわめいて暴れるために集団の最後尾へ引きずられたタイガの下に駆け寄り、首から下げたロザリオをかかげてマセた口調で説教をする。


「ほーら姉貴も! リリイ姉貴のために貞淑をお誓いになったばっかじゃねえっすか。そんな姉貴が姦淫の罪を重ねないようにって天におられるあっしらの父もちゃーんとご覧になっていなさるんですぜ?」

「うるせえっ、っ」


 リリイ~、ビビ公が生意気ぬかしやがる~……っというタイガの情けない救出要請を、今や少女たちの小集団を従える存在となったリリイは軽く無視した。ねっとりした笑顔ををその美しい顔に貼り付けて、サランを一瞬ひたと見つめてぺこんと小さく頭を下げた。


「サメジマ先輩、御無沙汰してますぅ。お騒がせしてごめんなさぁい。すぐにでていきますんでぇ、どうか選挙当日にはメジロリリイに一票ご投じくださいませ。よろしくおねがいしまぁす」

「対立候補もいないんだから、うちからの一票なくたって不戦勝は決定してるじゃないか」

「やだぁ、初等部生の過半数以上の賛同が得られないと選挙そのものが無効になっちゃうんですぅ。ご存知なかったんですかぁ」

「あ~、それで必死こいて選挙活動かぁ。大変だなぁ、今までの人望の無さが祟りまくって。そういえばうちもお前にマグカップ壊されたことがあったっけなぁ」

「あはは、やだぁ~。そうなる元々の原因お作りになったのどなたでしたっけぇ~?」


 リリイの口調の粘りが増した。初めての出撃報酬で買ったアンティークの白猫キャラマグカップが破壊されたのは、そもそもサランがタイガの唇を奪ったからなので、リリイにも言いたいことが山ほどあるのだろう。しかし今は畳んでいる日傘の柄を強く握りしめただけで、何も言い返しはしなかった。選挙活動中に暴れるのは得策ではないという分別が働く程度の自制心が身につきつつあるらしい。


「つうか生徒会長目指すのは勝手だけどなぁ、有権者としては政策の一つや二つ、聞かせてくんなきゃこまるぞ?」

「政策ですかぁ。もちろんですよう。人類の生命と財産を護るワルキューレとしての使命を全うすると同時に私たちワルキューレの地位向上を訴え続ける所存ですぅ」

「んっだよう、結局なんも言ってないのとおんなじじゃないか」

「そんなことないですよぉ。私たちはキタノカタ前会長とはちがって高等部生徒会との連携をより強化する予定なんですぅ」

「はーん、つまりはリリ子は初等部の自治制を放棄する方針ってわけか」

「連携を強化するって言ったはずですけどぉ? ちゃんとお聴きになりましたぁ?」


 リリイたち一行が部室に姿を見せてから空気がピリピリと無駄に緊張してゆく。

 無理もなかった。襷をかけたリリイを先頭に、そろいのメッセージをプリントしたTシャツを着た一行の目つきや雰囲気が呑気で気楽な文化部棟員のそれとは異なっていたからだ。鋭く、抜け目なく、危うい雰囲気の眼力を持つ少女たちばかりがそこにいた。リリイのそばにはトレードマークである眼鏡型端末をかけているパール・カアウパーハウがいたが、今日もリリイなんぞの選挙対策チームをやっているのが不本意で鳴らないと言わんばかりの仏頂面だ。

 イノセンスに見えるのは、その外見だけは天使のように可憐なリリイと、どこまでも明るくあけっぴろげなタイガ、そして二人をしたうこまっしゃくれたビビアナだけという少女たちの集団を一言で言い表すと「異様」になる。


 泰山木の女神が地上より去ってのち、なにかしらの交渉・闘争・手打ちの果てに、今やすっかりメジロリリイ後援会事務局になってしまった卓上ゲーム研究会の傘下にフォークロア研究会が下ったという話を事前に聞かされていたサランではあったが、卓ゲー研の傘下に下ったのは他にも数サークルいたのだろうとメンバーの数から速やかに察した。お茶会事件でもっとも焼けふとったのはパールたちであり、事実上彼女らの上に立つ存在であるメジロ姉妹であることは、一部の太平洋校候補生しか知らぬことではあった。

 とにもかくにも、すさんだ空気を放つアウトローガールたちが部屋に充満すると空気も地下街や裏路地めいてくる。サランは名子役笑顔で声をかけてみた。


「ま、とりあえず茶の一杯でも飲んでいったらどうだ? 喉乾くだろ?」

「せっかくですけど、結構ですぅ。規則に違反しますのでぇ」


 マジすか! というタイガの歓声を打ち消すように笑顔のリリイは断った。本当にそんな規則があるのかどうかはわからないが、リリイは早く立ち去りたそうな空気をだしている。タイガがサランに未練ありありなのが不安で不満なのだろう。

 サランとてタイガに対する未練が全くないとは言い切れないのだが(あと一回くらいは何かあってもよかった)、それよりもリリイを泣かせる方が色んな意味ではるかに厄介だ。ビラを受け取った以上はこれ以上部室に引き留める用事もない。


 それでも最後に一つだけ、リリイに軽く尋ねてみた。


「ホァン先輩どうした? 姿が見えないけど」

「ああ、先輩は今日お休みですぅ。演劇部さんが先日から公演にでてらっしゃるでしょう? ちゃあんと欠席届を出された上でそのお供をされてますぅ。ジンノヒョウエ先輩の身辺警護ですって」

「本当⁉」 

 

 途端にシャー・ユイの目の色が変わった。急にイキイキしてリリイの正面に迫る。


「ヤマブキさんはマー様とご同行されてるって意味でいいのよねっ、それ」

「ええ、そうですけどぉ。……やだぁ、事情通のシャー・ユイ先輩らしくなぁい。お二人はまだ婚姻されてるんですよぉ? ご一緒中でもおかしくないじゃないですかぁ?」

「それでもヤマブキさんは演劇部をご退部されたのよっ。今までのように出撃時以外は常に片時も離れずにいるというわけにはいなくなったと諦めていたの……。でもその必要はなくなったのねっ。お二人の絆は永遠なのねっ」

「……私の口からはなんともぉ……」


 リリイの口ぶりが少々困っている。しかしシャー・ユイはすでに自分の世界に没入して、ハンカチで目じりを拭いだした。はらはらと歓喜の涙を流しているのだ。


「よかった……っ。お茶会の夜の凶刃がヤマブキさんの顔に傷をつけるどころか、お二人の絆を断ち切ったってあの話は所詮はたんだの噂だったのね……っ。そんなことでお二人の絆を斬ることはできなかったのね……」

「ええとぉ、とりあえず先輩は『斬れた糸は新たに結べば良い』って仰ってましたのでぇ、まあそういうことだと思いますぅ」


 当たり障りのない事を口にしながら、リリイはサランに向かって目配せをした。不用意にマーハとヴァン・グゥエットの話を振るなとその視線で訴える。どうやらリリイはシャー・ユイの推しを前にすると正気を失う気質に苦手意識を募らせつつあるらしい。

 自分も似たようなところがあるくせに、近親憎悪か? 等と心の中で呟くサランは気づかないふりをして、窓から空を見上げた。太平洋校上空は今日も腹立たしいような快晴である。


 なにはともあれ、シャー・ユイが元気を取り戻しつつあるのは同輩として嬉しい。シャー・ユイだけでなくサランもふと胸をぬくもらせた。

 泰山木館で二月ほど一緒の時間を過ごしたみとしては、マーハが最後にリングを交換した相手はヴァン・グゥエットであって欲しいと思う気持ちはあったのだから。




 不慮の事故により怪我を負い、演劇部の新作発表公演までに舞台復帰が適わない。自分はもともとマーハやほかの部員たちとは異なり、縁の導きで舞台上に立っていた。演劇活動に専念するのは高等部に席を置くまでだと決めていたし、この怪我はいいきっかけでもある。ただしかし、新作を楽しみにしてくれていたファンの皆様には申し訳なく心苦しい気持ちでいる。


 そういった趣旨のメッセージを発したヴァン・グゥエットが演劇部からの退部を表明したのは、十月上旬の某日のことである。

 右頬に包帯を巻いたヴァン・グゥエットが演劇部を最後の日、たくさんの部員や訓練生の前で堂々とマーハを抱きしめて、耳元で何事かを囁いた後に泰山木マグノリアハイツを去る姿はそれそのものが舞台上の一場面のように美しく、メイド服ではなく制服姿のサランも思わず涙指しぐんでしまうほどだった(最後の『演劇部通信』取材でやってきたシャー・ユイなど大号泣の有様だった)。


 環太平洋圏のみならず、全世界の太平洋校演劇部ファンを涙で干からびさせていたその頃、当の本人は妹分のメジロリリイの選挙陣営に参加していた。

 文化部棟が再び開放されたた時に無事とりもどせたにも関わらず、リリイやタイガにほぼのっとられた卓上ゲーム研究部の部室は一階の片隅にある。すっかりメジロリリイファンクラブ窓口兼メジロリリイ選挙事務所になってしまったその部室には、引退した演劇部スターが毎日のように訪れては、上へ下へともてなされる日々を過ごしていたのである。


「何がなんでもうちのリリイを初等部の生徒会長につかせぇちゅうて、アクラの奴に頼まれてしもおての。まあしばらくは暇になるけえ、手伝いに来たんじゃ」

 

 一度、サランが挨拶に訪れた時、ギクシャクとした動きでパールが差し出す紅茶をかすかな微笑みつきの「ありがとう」の声とともに受け取った、ヴァン・グゥエットは、スター時代そのものの様になる仕草でティーカップを口元に運ぶ。

 象牙細工のようななめらかな肌を切り裂く傷跡があったとしても生来の美貌をそこなうどころか、それにより危なげな魅力が増したと評判の元男役スターを一目みたいとおしかける候補生たちと、見せもんじゃねえんだ、散れ! と蹴散らす卓ゲー研の平部員たちの声で、廊下は騒がしかった。

 その喧騒などどこ吹く風で、ヴァン・グゥエットは紅茶に口をつけた。


「アクラ先輩が、どうしてリリ子にそんな指示を――」

「正しゅう言うたら、アクラの上におるフォックス先輩の指示じゃ。キタノカタマコの謀反あがあなことが起きたんも高等部と初等部の生徒会の連携が上手うもう取れんかったっちゅうんが原因じゃあいうのがあの人の見立てじゃけえの。――うちはそれだけじゃあない思うとるが」

「……」


 パートナーのレネー・マーセル・ルカンとともに公職追放の処分を解かれたアクラナタリアが次回の高等部生徒会選挙に出馬するというそのニュースは、数日前に太平洋校のワルキューレに激震をもたらしたばかりだった。

 初等部生徒会長と風紀委員長時代に粛清の嵐を吹かせまくった二人の復帰にしては早すぎると革新系新聞を中心に否定的意見の目立っその起用の真相に、現高等部生徒会長アメリア・フォックスの働きかけがあったであろうことはサランにも何となく想像のつく事態ではあったが、それがメジロリリイの初等部生徒会長出馬にまで及んでいるとは思わなかった。うっかり学園自治の黒い闇を見た気がしてサランは言葉を失ってしまう。

 卓ゲー研の面々も、よくしつけられた犬のする「待て」の態度そっくりに美貌の上級生の言葉に耳をすます。


「ワルキューレちゅうもんの概念は必ず下の世代から変わっていくもんじゃ。それはなんもうちらの地位向上につながるようなええ意味だけで変わるいうもんでもない、こないだみたいに悪い意味でも平気でかわりよる。またキタノカタの娘みたいな厄介もんが出てきたら大事じゃあちゅうことで、高等部と初等部の繋がりを強うするいう名目で初等部を押さえつけときたい。それが現生徒会長のご意向じゃ。あの人はワルキューレ憲章に忠実でいなさるけえ、自然そういう考え方になりんさる」


 損なわれたことでかえって危うい雰囲気の増した美貌をさらしたヴァン・グゥエットは、アメリア・フォックスの策をそう分析した。そしてその後に、自分の考えはそれとは違うといった含みを持たせる。

 お茶会当日のアメリアの様子を思い出しながら、サランは頷いた。確かにアメリアからは堅実で安全な策を尊ぶ良い意味で保守的な主義を感じた。こくこくと首を縦にふりつつ、サランは自分の見解を口にする。


「つまり下剋上封じという事ですか?」

「ちゅうよりじゃじゃ馬慣らしじゃな」

「――リリ子ほどのじゃじゃ馬はそうそういませんよ? なのにどうして――」


 眉を顰めたサランが思わずそう言うと、あろうことかヴァン・グゥエットは愉快そうに笑顔を浮かべた。泰山木マグノリアハイツではいつも象牙細工の人形のように超然としていたのに、だ。その意外さに打たれてサランが戸惑っているのにも構わず、元演劇部のスターは冗談めいたことまで口にする。


「あんたが言いんさると言葉の重みが違うの」

「……」

「確かにリリイは難しい小娘じゃが、あれの目的は芸能人になって名前をあげることだけじゃ。学校を良おしたいやら自分の天下のために仕切りまわしたいやら、そういう気持ちは一つもありゃあせん。欲しがりよるんは精々生徒会長の肩書きだけ、あとは素直にアクラに中等部の政治も任せて傀儡になるのも厭わん。そういう意味ではわりかし欲のない素直な妹じゃ」

「…………」

「アクラが生徒会長やれるんは一年もないけえ、たいぎぃことはたいぎぃが、在任中に今後わけわからん阿呆が湧いても対処できる体制は整えとかんとの。なんせこれから、キタノカタやらシモクやら理事系の息がかかったワルキューレがなんぼでも入ってきよるから」

「………………」

「ワルキューレの本分は、外の理屈に振り回されんと世界と人類を護ることだけじゃ。せめて学校におるときぐらいそれが達成されんといけん」


 今自分はとんでもない策謀を聞かされてるのではないか、と、無言になったサランから何らかの気配を感じ取ったのか、ヴァン・グゥエットは苦笑した。

 頬の傷に指を滑らせて、自嘲するように呟く。


「こうなってしもうてから口が軽うなって、やれんわ」

 

 どうやらそれはこの上級生なりの冗談だったらしいが、重すぎてサランには対処できなかった。卓ゲー研の面々においてもそれは同じだったようで、何名かがぐすんと鼻をすする。

 湿っぽくなった空気の責任をとるように、ヴァン・グゥエットはリングの嵌った左手を振って話題を変える。


「しかし、誤算じゃ。リリイがだいぶ難しい気質しとるちゅうのは分かっとったつもりじゃが、こがあに人望がないとは……」

 

 左手には新聞部調べによる初等部生徒会長選挙の第一次選挙速報があった。キタノカタマコの電撃引退および大西洋校編入による緊急選挙の公示で立候補を表明した他候補たちの中で、リリイはぶっちぎりの最下位を示していたのだ。

 包帯を外して痛々しい傷跡を堂々と晒す様子が却って拍車をかける美貌を顰め、低めた声でヴァン・グゥエットはつぶやく。


「世界を救うた歌姫もここでは形無しじゃ」

「(ひそひそひそ)」

「あ、『リリイちゃんは一年の時から散々やらかしてますからね』って部長がおっしゃってやす」

「そーだそーだ、うちらも相当の煮え湯飲まされましたし~」

「あ、でもリリイちゃんのお陰でかなり儲けさせて頂きはしたんですよっ、そこは確かですけどっ」


 自分たちを骨抜きにした美しく、且つ属する社会の階級上位にいる上級生の可愛いペットになろうとすり寄る卓ゲー研メンバーの情けなくもいじらしい姿を前に、サランは大いに呆れた。


 お茶会事件のあの時、レディハンマーヘッドのゲリラ生配信を陰で支えていたのは電脳の知識や技術に明るいパールたちが率いる卓ゲー研の暗躍あってのことというのはサランはその時にはもう既に知っていた。特にパールは、どこからか人工知能を購入して調教し、CGの外見を持つレディハンマーヘッドという名の電子生命体を短時間のうちに作り上げ、教職員に見つかりそうになるたびにコントロールルームを捨てては学園の隅から隅まで逃げ回り、時には密林に身を顰めるなどして持てる力を振り絞ってゲリラ生配信を取り仕切ったのだという。

 校則、ワルキューレ憲章、各種法律法令を破っただけの甲斐がある報酬がふりこまれたとのことだが、このころはまだ皆疲労が抜けきってないのか、十月初旬のこの日はまだ多少血色のいいゾンビのような有様だったのが忘れがたい。


 ボロボロの初等部生たちによるなけなしのもてなしが嬉しいのだと言わんばかりにほほえみ、愛らしく凛々しい戦乙女とは思えぬほどヨレヨレのボロボロな後輩たちに向けて微笑む。


「気ぃ使わんでええけ。前も言うたが、うちはあんたらがリリイと仲ようするのにどれだけ骨折ってくれとるのかわかっとるつもりじゃ。今度も選挙の手伝いちゅう面倒ごとに手ェ貸してくれとる。――ほんまええ子らじゃ」

 

 硬質な美貌な人は唇の両端を微かに持ち上げるだけで極上の笑顔になる。その効果は絶大で、パール以下卓ゲー研のメンバーはやれお茶のお代わりを用意するだの、とっておきの高級菓子をもってこいだのと上へ下への大騒ぎを始める。

 相変わらずねずみの子のように妹分を増やしてゆくその手腕を一人離れた所で見ながら、サランはしばらく前から気になっていたとある疑問を口にした。


「あの、ホァン先輩?」

「何ね?」

「先輩は母語だと口数も増えるし、なんといいますか、お話しやすい雰囲気になりますよね」


 本当は表情が豊かで親しみやすくなりますね、と言いたかったのだが、いきなり距離を縮めすぎな気もして遠慮した。なんにせよヴァン・グゥエットはあまりぴんと来た様子もなく、ほうかのう、と小さく答えただけだった。

 その日は一度も、ヴァン・グゥエットは泰山木マグノリアハイツでそうだったように、表情筋の使用と言葉数を出し惜しんだような態度を見せなかった。母語を用いた会話の端々に感情が滲むし、微笑みや苦笑めいたものをうかべたりと随分雰囲気が柔らかだった。

 そもそもサラン相手にも訛りを用いて会話するという事態が、非常に珍しい。リリイや卓ゲー研のメンバーなどアウトロー業界にいるワルキューレたちには母語で語りかけていたのに、サラン相手には頑なに極端に少ない言葉と仮面めいた表情をとり続けていた。その態度を急に変えられても、サランとしては戸惑うのである。

 その旨を伝えた後、サランは図々しく口をとがらせてみた。


「そしたら最初からうち相手にも、そういう話し方で接してほしかったですよう。正直、先輩かなりおっかなかったんですから」

「――ほうね。普通はうちの母語を怖がる子ぉのが多いもんじゃが」


 ふう、と小さく息を吐いてからヴァン・グゥエットは少し寂し気な表情を見せる。


「安心しんさい。あの喋り方はのう、しとおてももうできんのじゃ。これからはあんたともマーとも母語でしゃべらんといけん。『月蝕』の代償じゃ」

「……?」

「ちょうどええけ教えとく。表向きはそういうことにしとるがうちが演劇部やめたんは顔の傷のせいやないけえ。こんな傷、今日日手術で上手い事消せまぁ」

「は、はあ……」

「月蝕の値段はちいっと高おついての、演劇を続けるのも難しいなってしもたんじゃ。まあうちはマーとは違おて長い事舞台に立つ気は元々なかったけえ、ええ潮時が来たいうんで引退させてもろたんよ」

「………………」


 上級生の陰のある微笑み、そして「月蝕」「代償」というワード。極めつけは演劇部を引退した原因。それら披露されるサランは、自分はなんらかの地雷を踏み抜いたことを悟る。背中を冷や汗が伝い落ちた。

 何か余計なことを言ってしまったか? と恐れるサランをじらすような優雅さで、ヴァン・グゥエットは左手を振った。そして、冊子状のテキストデータを表示する。


 演劇部の台本だ。本来ならその頃、マーハやほかの部員たちと一緒に公演ツアーに出ていたはずの新作、『女獣心理』の台本だ。ぱらぱらとめくった後、適当なページを開いてサランに手渡す。その際に、ある台詞を指さした。


「ここの台詞を今から暗唱する。――断っとくが真面目にやっとる。そこを忘れんさんな」


 これ以上ない真剣さでヴァン・グゥエットはサランに釘を刺す。台本を手渡されたサランの背後にわらわらと卓ゲー研のメンバーが集中するのを感じながら、サランはその台詞に目を通した。

 物語の終盤で、物語の主役である青年が口にする台詞だ。謂われない罪で貶められた女性芸術家と痛ましい形で再会した青年が発するものだ。その青年を演じる予定だったのがヴァン・グゥエットである。


『口惜しいな。レダ。僕は、あなたに、死んでいて欲しかった。こんなあなたを、こんな風にして見出す位なら、僕は、むしろ、あなたの死骸を探しただろう。』


 原作小説を戯曲に改めた台本にはそう記されている。かつて読んだ原作小説の衝撃を呼び起こすサランと期待に満ちた卓ゲー研メンバーの前で、ヴァン・グゥエットは数秒顔を伏せる。そうして気持ちを作った後、手ひどい裏切りを受ける形になっても相手に対する感情を殺せない青年の表情になっている。

 しかしその唇から放たれる言葉はこのようなものだった。


「『口惜しいのう。レダ。わしはあんたに、死んどって欲しかった。こがあなあんたを、こがあな風にして見出す位なら、わしはむしろ、あんたの死骸を探したじゃろう。』」


 しん、と部室は静まった。

 最初に沈黙を破ったのは、ふう、とさも不本意だという表情で額を支えるヴァン・グゥエットのため息だった。こめかみをもみほぐすような動作をみせてから、言葉を失ってただただ目を見開いているサランと、卓ゲー研メンバーを軽く睨む。


「言うとくが、今のはなんもふざけてやったんと違うけえ。嘘じゃ思うなら、他の本でも試してみんさい。今みたいなことになりよるけえ」

「いや、いやいやいやいやいや……っ」


 とっさに何と言っていいかわからず、サランは首を左右にブンブン振った。本人がどんなに真面目にしていようとも、俄かには信じられない。信じられないが、ふざける理由もないのも事実だ。

 考えすぎて急には動けないサランとは違い、卓ゲー研の反応は素直だった。元々の台詞とはニュアンスが激しくずれてしまったが、艶やかなアルトの声で発声される特殊な訛りが彼女らに何かを目覚めさせたらしい。頬を赤らめたパールがおずおずと、小声で他に暗唱してほしい箇所をねだり、メンバーたちもその尻馬に乗る。意外なサービス精神を発揮して、ヴァン・グゥエットはすべてを諳んじる。そのどれもが完全に母語で訛っていた。

 ここにきてようやく、サランも上級生の言葉が真実であると認めないわけにはいかなくなった。やや前のめりになったサランは問い詰める。


「な……なんで、どうしてそういうことに⁉」

「『月蝕』の代償じゃあ言うとろう。あれを一回起こすたびに使える言語が減ってゆくんじゃ。商売柄、こんまいころから語学だけは数か国語勉強させられてきたのに、今まともに使えるんはついに母語だけじゃ」

「――……」

「前にあれを起こした時は、英語まできれいさっぱり喋れんようになってしもての。慣れん日本語と母語でしゃべっとった。で、こないだついに日本語も口から出てこんようになったいうわけじゃ。『女獣心理』は全編日本語の芝居じゃけ、うちはよう出演できんなった。ま、それが真相ちゅうことになる」


 つまりは、サランやマーハとしゃべる時、判じ物めいた言い回しになっていた時に使っていた言語はヴァン・グゥエットにとっては不慣れな日本語だったということになる。不慣れな言語だったせいで不思議な言い回しになっていたというわけか。

 明らかになった真実にサランは言葉を失い、立ち尽くす。構わずにヴァン・グゥエットはやれやれと言いたげに息を吐き、台本をぱらぱらとめくった。


「文字としては読めるんじゃが、それを音読しようとしたらどがあしても母語になる。――難儀な代償じゃ。ワルキューレの翻訳システムがこがあな状態じゃあ、まともな芝居はできん」


 ワルキューレ専用端末であるリングの翻訳機能は、侵略者とつるむ反社会的団体を即座に判別するために、彼らの使用言語をラベリングの意味であえて誇張した言語に翻訳・変換する。このシステムは、デフォルメ元のになった地域出身のワルキューレたちからの反発も当然大きく改善を要求されているが、なかなかその目途はたっていない。すくなくとも後一~二年は現行のシステムのままだろうとみられていた。二年もたてばヴァン・グゥエットは卒業して太平洋校にはいない。

 なるほど、これでは太平洋校演劇部員としてはまともな活動は難しい――とサランは納得したが。そのついでに眩暈も感じた。


 あの日見た飛び散る鮮血、細工物のような美貌を侵した傷。よもやそれらよりも、演劇部を立ち去らねばならない重大な理由があったとは。

 安堵と、いやいや言葉を奪われるというのは笑いごとではない、深刻な問題だぞと……という真剣になれという内心の声とに揺さぶられたが故の立ち眩みに襲われるサランとは反対に、卓ゲー研の連中は無邪気だった。


「(ぼそぼそぼそぼそぼそっ)」

「あ、えっと部長が『ほんならうちが先輩のためにもっとええ翻訳システム開発します』って言ってます」

「このラベリング機能、いやがる連中が多いですしねー。実際不便だし」

「そーだそーだ、人を生まれた土地やなんかで差別すんなって話にもつながるし」

「お、たまには頭良さげなこと言うじゃん。お前ってば」

「ありがとう。その気持ちは受けとらしてもらうけえ。──ほんまにあんたらはええ子らじゃ」


 やんややんやと盛り上がる卓ゲー研の面々に、極上の微笑みを向けてヴァン・グゥエットは礼を口にする。それだけで一端のアウトローガール達は声にならない悲鳴を上げた。なんなら失神しかねない勢いだった。

 そこまで我を忘れるもの達がいると却って冷静になるもので、サランは済んでのところで立ちくらみで倒れる事だけは免れた。ともかく咳払いだけをして、深々と頭を下げる。


「遅くなりましたが、その節はどうも……。ありがとうございました」


 しかしヴァン・グゥエットは興味なさそうに一瞥したのちに視線を逸らせた。


「おこがましいの、なんであんたが頭下げんさる? うちはワルキューレじゃ。この世界の人類の生命財産守るためにここにおるんじゃ。うちは後輩一人のために使用言語一個なくすほど気前のええ人間やないけえの」

「でも……」


 サランは引き下がれず、かといってそのまま突っ込むこともできず、代わりに視線を落とした。そしてヴァン・グゥエットの手元を見る。カップを持つ右手ではなく左手だ。

 薬指をじっと見るサランから何かを感じたのか、一月前ならサラン相手に微笑むことなど一度もなかった上級生は微かに笑ったのち、カップをソーサーの上におく。


「そういえばあんたには言うたこと無かったのう。うちはな、元々マーの護衛の一人としてこの学校に入ったんじゃ」


 そして左手の指先で右側の頬についた傷跡を見せつけた。気まずくて目を逸らしそうになるのはサランの方で、ヴァン・グゥエット本人は誇らしげになぞる。


「これのお陰での、心置きなくマーとは元の関係に戻れる。舞台のこと考えんと、マーの為に全身全霊尽くすことができる。じゃけえ、あんま気にせんで」

「――」


 ぬけぬけと、熱い想いを口にした上級生の傷跡のそばにリングがきらめいている様子をサランは見つめて、ぺこんと頭をさげた。とてもじゃないが言葉は口にできない。

 

 悪いけど茶のおかわりを頼めんか、とヴァン・グゥエットは手近にいたパールに空になったティーカップを手渡す。当然、自分が自分がとカップの奪い合いになる少女達の闘争を見守る上級生のそれを照れ隠しだと、その日のサランは判断した。


 


 リリイの報告で二人の睦まじさを耳にでき、サランとしてはホワホワと胸が温まるような思いがしたのである。二月ふたつきほど身近に接しただけの上級生だが、できればいつまでも一緒にいてほしいとサランはシンプルに願っていたのだ。




 できればいつまでも一緒にいてほしい、長くない命が燃え尽きるまで。

 サランがそうシンプルに願うもう一組であるところのメジロ姉妹はというと、残念ながら相変わらずとしか言い様が無かった。


「あっ、ミカワパイセーン、お疲れ様でーす! リリイに清き一票お願いしま〜す! ところで今撮影中なんすか〜? いっすねその格好、やっぱパイセンそういうふわふわっとした格好似合いますね〜。やべっすね〜。オレも写真撮っていいすか?」


 何かと思えば、タイガが窓辺から身を乗り出して下の広場を見下ろしているのだ。

 つられてサランも窓の下を見る。夏休み前までにバドミントン賭博でにぎわっていた広場では、総合文化企画部の先輩数名に囲まれたミカワカグラが、春ものコーデを纏ってモデル宜しくにっこり微笑みながらポージングしているところを写真に撮られていた。最近始めた読モ仕事の一貫なのだろう。文化部棟二階にあるこの部室をみあげて、はにかみながら小さくてを振る。

 その様子に、性懲りもなくタイガは胸をときめかしたらしく一層はしゃいだ声を上げた。


「うっわ、今の超可愛かったんすけど! ヤバイんすけどっ! やっぱ今写真撮らせてもらっていいっす……かあっ⁉︎」


 今度はビビアナが出る前に、リリイ自らがタイガの首根っこをつかんで窓辺から遠ざけた。力仕事ではタイガの方が上だったはずなのに、その時ばかりはリリイの瞬発力が上回っているようだった。

 リリイは窓辺から下を見下ろし、カグラ相手には険のない柔らかな声をかける。


「ごめんなさぁい、ミカワ先輩。お邪魔しちゃいましたぁ〜。今度また一緒にお茶しましょうねぇ〜」


 うん、また今度ね~。選挙頑張って~……と、カグラは鷹揚に応えて撮影に戻った。リリイもカグラに手を振り返しす。その様子だけみると先輩後輩の関係というより、仲の良い友達同士だ。

 

 が、その直後ぴしゃっと音をたてて窓をしめると、リリイはタイガをぎりぎりと睨む。


「たーちゃんっ、今のたーちゃんは私の選対委員長でしょうっ? その前にプロデューサー兼マネージャーでしょうっ? 真面目にやってくれなきゃ困るんですけどっ」

「なんで? オレ真面目にやってんじゃん」

「真面目にやってる人は他の女の子に目移りしたりしませんっ! ていうか少なくともこの文化部棟の近くにはたーちゃんが目移りするような女の子はいません! 誰がどう見ても私が一番ですぅっ!」

「あー、ほらダメだぞリリイ~。そういうこと人前で言っちゃあ。ホァン先輩がケツモチしてくださってるからって油断したんだろ? そういう態度は評減らしちまうぞぉ~。気ぃつけろよ~」

「…………っ!」

 

 たしかに、ホァン・ヴァン・グウェットがリリイ陣営の応援を務めるというニュースが公示された瞬間にリリイ以外の候補者全てが立候補を取り下げたくらいその効果は絶大だったから、タイガの指摘もあながち間違いではないと言い切ることは可能ではある。しかし、タイミングと言い方が大間違いにも程があった。

 じわっと涙目になったリリイがスカートのポケットに手を入れ、そして日傘の柄を握る手に力を込めたのを認めてコンマ数秒、サランは瞬時にタイガのショートボブの髪の分け目に沿って手刀を入れた。痛ってぇ! とタイガが派手な悲鳴をあげて振り向き、猫目でサランを恨めし気に睨んだのを無視して話を逸らした。――部室のハチの巣にされるのは二度とごめんだったからだ。


「そうえいば、お茶会の時に歌ってるリリ子を撮ったのお前だったんだってな! あとで見たけどすごかったぞぉ~。お前あの時あんなにヨレヨレのズッタボロだったのに、よく撮れてたぞぉ~。リリ子なんか本当に泰山木の妖精に見えたぞ~……」

「見てくれたんすかパイセン! ……まあね~、オレもあん時はもう死んでもいいって覚悟でカメラ回してましたからね。だって超ヤバくなかったすか、あんときのリリイ。オレが見てきた中で一番綺麗っしたから。こんな綺麗なリリイを撮らねえとか、マジありえなくね? 撮りそこねたらオレ一生自分をゆるせなくなるんじゃね? って気合で撮りましたからっ」

 

 タイガは腰に手をあて、相変わらずシャツの第二ボタンまで開けている胸を張って素直にエバる。泰山木の樹の下で、当たり前のラブソングを歌ったリリイを撮った映像の出来栄えを、貧しい語彙で自画自賛する。

 お陰でリリイの怒りと悲しみも嫉妬も一旦霧散して、白い肌をふんわり紅潮させた。攻撃の意志も去ったとみなし、サランは胸中で安堵する。

 そんな攻防があったときづいているのかいないのか、タイガは前にせり出した胸をそらしてニカニカ笑いながら自賛を続けるのだった。

 

「なんたって、リリイはどの角度でどうやって撮れば、どういう合図送ればどういう表情してくれるか、いっちばんよく知ってんのオレなんすから。オレがいちばんリリイの綺麗さを分かってんすから。どーだお前ら綺麗だろ、すげえだろって世界中の奴らをぶちのめす気持ち込めてカメラ回してたんすからね。その辺の奴らが撮った動画とは出来が違うっすよ、そりゃあ!」


 確かにタイガがボロボロの体にムチ打って撮影したリリイの歌唱シーンを撮影した動画は、かなりの出来ではあった。白とピンクで構成された衣装を身に着けて涙を浮かべて手を伸ばし、聴衆に愛をおぼえているかと問いかけるリリイの可憐さ清らかさからは普段の有様が全く想像できないほどだった。本当に妖精か天使が地上に舞い降りたようにしか見えないその映像は、動画サイトで億単位に届くほど再生されている。お陰でリリイはインディーズアイドルのランキングでトップを獲れた上に、環太平洋圏の時の人となったのだ。

 タイガの撮影の腕を認めるのはサランだって吝かではない。しかし、人間心理として調子をこかれると鼻白む気持ちもわきあがるのだ。大体、タイガがきっかけで起こす人間関係のトラブルの数々を思うと段々癪に思えてくる(リリイの妬心を抑えるために調子に乗らせたのはサラン自身だが、それはそれだ)。


 おまけにタイガのことになるといつもの狡猾さがどこかへ吹っ飛ぶリリイが心の底から嬉しそうに、芯から愛らしい笑顔になってパートナーにじゃれるようにだきついたりするのだから腹立たしさも倍になる。

 ついに堪忍袋の緒も切れて、サランはリリイたちを追い出しにかかった。


「もういい加減出てけっ、お前ら! 楽しい放課後の憩いの邪魔だっ!」

「ええ~っ、そんなパイセンっ。もうちょっとだけ~……」

「トラ子っ、お前もなぁっ、その生き方いい加減改めろよっ! お前が好き放題生きるしわ寄せがこっちに来て大迷惑してるんだ!」


 割れない仲になってしまった年長者としてのアドバイスめいたものを口にしながら、サランは部室からリリイ一行を蹴りだした。ドアの内側に最後までいたリリイが安心した顔でタイガの腕に抱き着くのをみて、サランは呆れる。時々考えてみるが、リリイがタイガにここまで執着する理由がどうしてもわからないのだ。サランの知らない時代に何かあったのだろうと判断することしかできない。

 自分ほどメジロリリイのことを知ってるやつはいない、というタイガの豪語ですっかり上機嫌になったリリイの年相応に愛らしい笑顔を呆れた心地でサランはじっと見つめた。


「? なんですかぁ、サメジマ先輩」

「いや別に……。リリ子、お前は一体いつまでそうやってトラ子一筋の生きざま貫けるのかなって思っただけだよう」


 呆れた末に半眼になるサランのつぶやきがなにがしかのツボにはまったらしく、リリイはにんまりと満足そうに微笑むと、抱き着いているタイガの腕に一層身を寄せて応じる。


「やだぁ、先輩。そんなのきまってるじゃないですかぁ。無論死ぬまで、ですよぉ~」


 それじゃあ失礼しまぁす~……、と軽やかな一言を残して、嵐のようにリリイはタイガと腕を組んで廊下を歩いて去ってゆく。それに太平洋校のアウトローガール達も大人しく続いた。


 清き一票をお願いする声は、階段をおりて一階へと遠ざかる。ほどなくして文芸部近辺はまた静かになった。合唱部の歌声がまた響きだす。


 やれやれ、と小さくつぶやいて、サランは簡易の寝椅子として使用していた椅子の元に戻った。これから読みかけの本の続きを読むのだ。そうしてジュリの帰りを待つ。


「……ん、どうした?」


 シャー・ユイが積み上げていた愛読書を本棚に仕舞直している姿を見て、サランは声をかけた。なれた動作できびきびと、かつ丁寧に単行本をしまいながらシャー・ユイは言う。


「今日はもう寮に戻るわ! なんだ書けそうなきがしてきたのっ。申し訳ないけれど、カップそのままにして帰るわねっ」

「んー、いいよう。傑作書けたら読ませてねぇ~」

「プレッシャーはかけないでっ!」


 そう言い捨てて、シャー・ユイは嵐のように部室を出て行った。瞳をきらきらと輝かせていた様子から、インスピレーションのしたたりをぎゅっと握りしめていることが分かる。

 それが蒸発しませんように、とサランは祈り本を手に椅子の上に寝そべった。


 そしてそのままカーテンの翻る窓から空を見上げる。

 憎らしいほど青い空と、厚ぼったい白い雲の浮かぶ学園島の空の一画、サランの寝ころぶ角度からちょうどそこが目に入る。

 よほど注意深く見なければ、空色の絵の具をぺたぺたと塗りつけられたような不自然さに気付かないようなそこは、寝ころんだサランが腕を伸ばして拡げた手のひら一枚分になる。

 

 空色の絵の具を塗りつけられたような場所のむこうにはまだ、侵略者がいある。

 これは関係者だけが知る真実だ。


 シャー・ユイの物語では巨大化した泰山木の女神と地球を去ったように書かれた観測者だが、実際はまだここにいる。なぜなら観測者の退け方など誰も知らないからだ。

 幸い、「侵略者は地球を出て行った」とされる物語をシャー・ユイがワンドを用いて具現化したため、実際の観測者は地上から見えないように隠されていた。つじつまを合わせるための苦肉の策だが、ワルキューレ以外の人間が次元の命際によって視覚をごまかされた観測者の存在に気付くくようなことはなかった。少なくとも、今のところは。

 退け方の分からぬ観測者だが、下手に刺激さえしなければ何もことは起こさずしずかにしていることが判明して以来、大人しく空の一画でたたずませていることが上層部の判断で決定して数週間になる。



 結果、侵略者は今日も空の上で、ワルキューレたちの行状を観測中である。


 こんな日常を見て侵略者は何を思うのだろう、ジュリを待ちながらサランはふわあと欠伸を一つした。

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