#61 ゴシップガールがつなげる輪廻の輪

 昔々、二十一世紀を迎えてまだ間もなかったころ。

 ある所に芸術家を夢見る一人の若者がおりました。

 

 とある夏、若者は自分が通う大学に提出する作品のテーマをを探す──という名目で、各地を無為に旅をしておりました。とはいえ、世間がそれを許す間にしかできないことをするというのが本当の目的の旅でしたので、まさか本当にテーマとすべき題材に出会うとは全く想像していなかったのですが。


 今時めずらしいぐらい奇麗な砂浜がある――という、悪友の評判を耳にして若者がその海辺の町を訪れる気になったのも、まったくの成り行き、偶然の筈でした。が、若者は後にそれを運命だと名付ける気になったようです。多分にロマンチックな気質の持ち主だったのでしょう。


 青年が訪れた時、その小さな町では祭が行われる日でもありました。

 橙色の灯、屋台から立ち上る匂い、祭囃子、からころと鳴る下駄の音、楽し気な人々の喧騒。

 祭にまつわる雰囲気は人の心を沸き立たせるものです。この日にここに来たのは運が良かったと独り言ちながら、青年は人波に乗りながら見知らぬ小さな町をさまよい、いつの間にか長い石段を登り氏神が祀られた小さなお宮にさそわれておりました。


 ちょうど、神楽殿では舞が奉納されておりました。

 白衣と緋袴という巫女を思わせる装束すがたの乙女が、笛や太鼓の囃に合わせてゆったりと舞う姿に若者は心を奪われました。みしらぬ小さな町の祭で行われる神秘的な催事。若者の目にその舞はそのように映ったのです。地元の人々にとってはすっかり見慣れたものなのか、脚を止める者も少なく、笑いさざめきながら本殿へ手を合わせにゆきます。

 

 若者ひとり、その舞を飽かず眺めておりました。


 乙女はおとぎ話に登場する小槌のようなものを持っています。

 舞に合わせて小槌をふります。白衣のたもとから白い手頸を覗かせて、決められた所作通りに小槌を振る――。


 あまりに若者が熱心に見ていたせいでしょうか、地元の古老が方言を交えてこの舞のストーリーを簡単に伝えました。

 昔、この地に舞い降りた天女が、不思議な小槌を振るって金銀財宝をもたらしこの小さな町を豊かにしたという縁起を語りました。


 実はこの町の近くにはかつて豊かな鉱山があり、この町もその豊かな恵みの恩恵にあずかって発展した過去がありました。若者の持つ民俗や歴史に関する関心がもう少し高ければ、小槌をふるう奉納舞の意味も違う意味をもって受け止められたはずです。が、若者はそんなことよりも、右からも左からも四番目にいる乙女、小槌をもって舞う娘に魅せられておりました。


 篝火の陰影が乙女を彩ります。


 気のせいでしょうか。舞の最中に乙女もこちらに視線を送っています。きっと、見知らぬ若者の存在が不思議だったのでしょう。


 二人の視線がぶつかります。乙女は紅の塗られた唇を、少し上向けて微笑みを返し、さっと身を翻しました。舞の手順がそうなっていたためですが、白衣の裾を翻されたその姿は、まるで乙女が白い鳥になって飛び立ったように若者には思われました。


 ――その後、二人の身に起きたことは詳しく語らなくても大丈夫でしょう。

 

 当然のように二人は恋に落ちます。

 若者は娘をモデルに彫像を制作し、無事学校を卒業。そしてわざわざこの鄙びた町に移り住み、子宝にも恵まれ、幸せに暮らしました。ええ、その娘がこの世からいなくなるまで。


 

 奉納舞の名手だったその娘の名は、舞亜と云う。娘の素性はそれのみ伝わっております。





「つーまーりー」


 ――サランの夢の中で上映される映画は、飛天像のアップから一方的に回想シーンへと突入した。繰り広げられる物語を昔話風に翻訳しながら頭に収める作業にいそしむ。

 こめかみに指をあてて、サランは頭を整理しながら隣の席にいるカグラへ問いただした。

 急遽挟まった回想シーンへの感想と確認をするためである。そのせいでスクリーンは一時停止され、後ろの席の小雨がブーイングを上げていたが一旦無視することに決めた。


「さっきの回想シーンは、フカガワ前世の父さんと母さんのなれそめ話で、あのいかにも広告代理店を脱サラして田舎で古民家カフェなんてしゃらくさいものを始めたっぽいあのオッサンの若いころにそんなことがあったって解釈で構わないんだよね?」

「構いません」


 機嫌はまだなおっていなさそうだが、カグラはこっくり頷いた。


「フカガワ前世の母さんの名前は舞亜まいあ。舞を舞うの〝舞″に亜州の〝亜″で舞亜?」


 口の中にまだチョコスティックを追加し続けるカグラはこっくり頷いたのち、ひと呼吸おいて説明を始めた。


「この映画の中じゃ登場はまだですけど、もう少ししたらタツミちゃんに日本刀ワンドを届けに私もこの町に到着します。その際に、タツミちゃんやキタノカタさんと少しお話して、前世のフカガワ君のこともちょっと調べたんです。お父様はさっきの話通りの方なんですけど、お母様にあたる舞亜さんに関しては情報が少なくて――。はっきりしていることは、宮司の娘で奉納舞が上手な娘さんだったけれど早くに亡くなられたことくらいです」


 夢の中のカグラは覚醒時とは違ってはきはきと明晰に喋るので情報の伝達が比較的スムーズに済む。いつもこうだったらいいのになぁ、とサランがうっかり考えたことが本人に伝わってしまったらしく、カグラは憮然とした表情になった。夢の中は便利でもあるが不便でもある。 

 慌ててサランは気になる点を告げた。


「シモクのバカの母さんの型番もS. A.W. - Ⅰ Maiaマイアだ。――ってことは」

「だから、そういうことです」


 皆まで言うな、とばかりにカグラも首を縦に振る。サランはしかし、体の向きを変えてカグラと向き合い、思わず前のめりになりながら続けた。


「あれだな、前世フカガワの母さんとシモクのバカの母さんが同じ、てことは二人は言うなら異父兄妹だったんだ! 死後になんらかの事情で魂が前世フカガワの父さんが制作した飛天像に宿った。そこからシモクの父さんに出会ってシモクが生まれたっ!」

「ええ、前世フカガワ君の形質が、私たちも良く知っているフカガワくんにも顕れたんですよ。だから、シモクさんとは互換性が成り立つ。キタノカタさんがフカガワくんに拘っていたのはそれが理由だったんですっ」


 カグラも欠けていた情報のピースが嵌る快感に酔ったのか、興奮した口調で続けた後に、何かに気付いたように目を丸くした。


「――ちょっと待ってください。シモクさんのお母様があの像とかなんとか、どういうことです? 私今聞きましたけど?」


 そういえば、ジュリに俄かには信じがたいツチカの出生を語られた場にカグラはいなかったのだ。そのことを思い出しはしたものの詳しく説明している間は無い。どうせ意識の溶け合っている夢の中だから、思わぬことで情報が通じ合うこともあるだろう、と、サランは流すことにした。


 重要なのは、フカガワミコトがワルキューレ因子を潜在化させていた理由、規格外の存在であったツチカと互換性がきくという世にもまれな少年として覚醒したその根拠が明かされたことだ。

 ああ、謎が一つすっきりした――……と喜ぶサランであったが、しかし、謎はまた新たな謎を呼ぶものである。眉間に皺を寄せて、サランはぽつんと呟いた。


「なんでS. A.W. - Ⅰ Maiaマイアだけ先に目覚めたんだ? ほかの六体は、彗星の出現で時空が混乱してからようやく発見されたのに――」

「隠された羽衣だったからだよ」


 サランのつぶやきに乗ったものがいる。ポップコーンをむしゃむしゃ食べているコサメだ。スクリーンを一時停止期間が長引いても文句を言わず、なにやら真面目腐っているとおもったら真剣に考えごとをしていたらしい。


「隠された、つまり人の手によって元の持ち主の手から奪われたってことだ。――ところで後輩たち、トヨウケビメって知ってるか?」


 サランは首を左右に振る。もちろんカグラもだ。横暴なOGだが平素のようにムチャクチャな理由で罵倒するでもなく、ざっくらばんな口ぶりながら二人の現役候補生を前に解説を始めた。


「古事記に登場する神様なんだが、『丹後国風土記』だかに載ってる悲惨な伝説で有名な女神様だよ。ある時、八人の天女が水浴びをしていたが、そのうち一人が羽衣を老夫婦に隠されて天に帰れなくなる。老夫婦は天女を自分の家に住まわせて、万病に効くという酒を造らせた。おかげで老夫婦は長者になったんだが、十数年経ってから『お前は自分たちの子供じゃないから』といって放逐したんだ。天女は長いこと下界に居すぎて天への帰り方を忘れてしまった。嘆きながら漂白して、どこぞの集落をついの隅かにしましたとさ――ってお話があるんだが、その天女がトヨウケビメだって、ま、そういうお話」

「えー、なんですかそれ! すっごく可哀相!」


 ダイジェストな物語を聞かされて憤慨するのはカグラだ。プンプン怒って頬を膨らませる。サランもそれに同調しながら、しかし気にならないではいられないことがある。

 

「八人の天女……?」

「天女が一人、ワンドが七体、計八つだ。数は合う」


 むっしゃむっしゃとポップコーンを食らいながらコサメは続ける。


「後輩、お前はもう知ってるだろうがキタノカタのお嬢さんの魂は遠い昔にこの地に封じられた天女という形の侵略者だ。先の伝説じゃあ哀れな天女さまだが、修験者か呪禁士か、とにかくその時代にいた誰かに案外その企みがバレちまったせいで、羽衣を隠すという形で完全な力を削がれたのかもしれんぞ。残り七体は彗星の出現までまんまと隠され続けていたが、そのうち一体、なぜか一つだけ早く人前に出てきた羽衣が、お察しの通りS. A.W. - Ⅰ Maiaマイアだ。この羽衣の本体は槌だ。さっきの奉納舞をみても明らかだが、槌を振ることであの町は賑わい栄えた過去がある。――あの町がどのあたりにあるのか、もう判ってるか?」


 コサメに問われてサランは記憶をさらう。たしかパトリシアが旧日本の市町村データベースを検索していた時に旧何県何市であるとこぼしていた。それをそのまま告げると、コサメはうんうんと頷いた。


「やっぱりな、そのあたりは有名な銀山があったところだし、製鉄もさかんだった地域だ。槌は工業とも縁が深い。天女と対立した人間はS. A.W. - Ⅰ Maiaマイアを隠した、というよりも味方に引き入れた。わけは知らないが羽衣であるS. A.W. - Ⅰ Maiaマイアも人間に協力して持っている知識を分け与えた。お陰でその地はかつて大きく栄えたってわけだ。それを示すのがあの奉納舞だな」

「……」

「反対に羽衣を隠された天女――キタノカタのお嬢さんの祖である侵略者だな。名前もないのも不便だし、仮にトヨウケビメってことにするぞ。そいつは、侵略者としての体の耐用年数がすぎた後は器たる人の体をえるためにその都度人間と共犯関係を結び、見返りに相手の一族を富増やしてきたってところだろう。こうなるともう、天女というより一種の憑き物だな」


 はああ~、とサランは思わずため息をついたのち、混じりけのない尊敬のまなざしをコサメに向けた。なんと鮮やかな安楽椅子探偵ぶりか。いつもの傍若無人ぶりが嘘のようである。そんな自分自身に羞恥心を覚えでもしたのか、コサメはぶっきらぼうに付け足す。


「ま、ただの推論だ。まるっと信じるんじゃないぞ」


 コサメの忠告にサランは頷く。

 コサメはもと文芸部員だ、ちょっとの要素から組み立てたそれらしい物語を組み立てるのが得意だったとしてもおかしくはない。いかにも筋が通っている仮説の危険性を熟知しているとしか思えない、真面目な口ぶりであったから、サランも素直に肝に銘じる。ただでさえ何度か「それらしい話」には足元を掬われている上に、サランが信じているだけの「それらしい話」も未だにある。


 それでもコサメの唱えたトヨウケビメの仮説が胸に響いてしまうのは、人間は嫌いだと迷いなく言い切ったキタノカタマコの姿が忘れがたいためだろう。

 もし、伝承で語られるような体験を積んできたとしたら、そしてその記憶をこの時代まで記憶し共有してきたのならば、人間など嫌いになっても当然かもしれない――。


 性懲りもなくそのような物語の陥穽にはまりかけるサランを救ったのは、首を傾げていたミカワカグラの問いかけであった。


「? キタノカタさんの祖先が侵略者……? え、どういうことなんですそれ? どうして中尉さんがご存知なんです、そういうことを?」

「――」


 しまった、とばかりにコサメの表情が変わり、視線を明後日の方向へ向けた。

 サランもカグラの指摘によって、ゴタゴタの際についなあなあでスルーしていた一件を思い出した。背もたれに寄りかかって、サランも目を逸らすコサメに問いかける。


「そういえばさっき、コサメ先輩ってば既にご存知っぽかったですよね。キタノカタさんの魂は侵略者の祖先だったものが引き継がれてるんだってことを。だけど、専科卒の先輩方はキタノカタさんに手が出せないことになってるって、仰ってましたよねっ?」

「……? いや~言ったっけなぁ、そんなこと~?」


 視線を斜め上に向け、ぴぴぴぴ~……とわざとらしく口笛を吹きながらコサメはしらを切ろうとする。そのわざとらしい態度をサランはじっとりした目で睨んだ。


「そういう今時漫画でもやんないごまかし方をするってことは、逆に『いっそ本当のことをゲロって楽になりたい』って意志の現れだって解釈することにしますよう?」

「私も賛成です、サメジマさん。――なんなんですか、キタノカタさんが侵略者って! そのことを不自然に伏せられたせいで私もタツミちゃんもフカガワ君も、世界中の皆さんだってみんなみんなみーんな振り回されたんですからね! 知る権利くらいありますっ!」

 

 ジト目仲間にカグラも加わった。小生意気な後輩であるサランの追及には耐えられても、初対面で「可愛らしい」「一見ふつうの」カグラからの反撃を食らうのは多少調子が狂うようで、さしものコサメも足を組みかえたり、わざとらしく挙動不審さを加速させる。

 ――横暴なOGが困っている様子を見るのは、振り回され勝ちになってしまう後輩と立場からすると少々痛快だったのは事実である。この機にサランは調子に乗ってみることにした。


「コサメ先輩~、国連がね~、初動で動いてくれたらうちらあんなバカ騒ぎしなくてすんだんですよう~? なんなんですかぁ? たとえ国連の上層部とキタノカタさんのご実家や大西洋校生徒会さんのおうちと昵懇だったとしても、初等部の下っ端にやりたい放題させるなんて階級制度が機能してないって証拠じゃないですかぁ? どーなんですかぁ~?」

「あーもう、うるっせえな。そんなことより映画の続きでも見ようぜ、ホラ~」


 ついにコサメは開き直って、一時停止したままのスクリーンを指さす。どこまでも身勝手な振舞にサランは大いに呆れた。しかしそういうあからさまな態度に出るということは、言いたくない事情は確実に存在するということでもある。

 ならば全力で吐かせるのみ、とサランがベテラン刑事のような心持になったタイミングであった。



「コサメさん困らせても何にもなんないよ、ミノ子」



 その声は、サランの近くで聞こえた。

 はっと振り返ると、サランの座席の斜め前に見慣れた茶髪のロングヘアが見えたのだ。

 狭い座席では窮屈だといわんばかりに長い脚を組ませている、その膝よりしたにあるのはルーズソックスとローファー。後ろ姿だけでだれなのかが分かる。

 音もなく、気配も感じさせず、サランの夢の中に侵入してきたのはどうみてもシモクツチカだった。


「国連所属のお姉さまたちはあの人を侵略者として処分しちゃいけないことになってるんだよ、なんでだかわかる? 次代を担うワルキューレとして期待されてるから!」


 舐めてるよね~、と、ツチカは脚を組みかえながら吐き捨てる。

 サランは席から立ち上がり、なぜここに、だの、この場に相応しいセリフを口にするつもりだったが、シモクツチカはそのような間を与えるお人好しではなかった。皮肉屋の口ぶりで淡々と上層部の内実を暴露する。


「魂は侵略者だとしても肉体は完全に人間。しかもああやってS.A.W.シリーズを使役できる能力もある。危険な侵略者として処分するよりこちら側に従順になるよう思想育成して超強力な戦力して活用すべしって偉い方がお決めになったの! 危険極まりなくても使い道によっては敵対勢力への抑止効果は期待できる――ま、言うなら核みたいなものね、核」

「――っ」

「まったく。今回の一件で、天女を味方に引き入れることがどれだけ難しいかってことを痛感なさったんじゃないの~、偉い方々も。思想教育どころか、まともに首に鈴すらつけられてなかったのを開き直った上に、魂が天女といってもたかが小娘って放置なさった結果がこの大騒動だもん。フツーなら懲戒ものだよ?」

「――――ッ」 



 当然のように人の夢へ侵入したツチカへの抗議と、それともツチカの明かした真相に関する衝撃がサランの中で対消滅して言葉がとっさに出なくなる。そんなサランがわなわなと震えている間に、ツチカはふりかえる。そしてあえてサランを無視して、カグラのほうをむいて愛想よく、そしてわざとらしくにっこり微笑む。


「ごめんねミカワさん。急にお邪魔しちゃってー。映画っていいよね、あたしも好きなんだ。混ざっていいかな?」

「そ、それは構いませんけど……っ、どうやって……っ」


 他人の夢に侵入したのかと問いかけたそうなカグラを、ツチカはたった一言でいなした。


「企業秘密~」


 ――ああまたそうやって無駄に謎めきたがる……ッ!

 と、掻き立てられるイライラを一旦無視して、サランは再度後ろを向いて、まだそっぽを向いて口笛を吹く真似をしているコサメを睨みつけた。


「――今シモクが言った話、本当ですか?」

「っさぁ~、あたしらのような末端にはさっぱり~?」


 旧日本人が誤解しがちな欧米人仕草のように両肩をすくめてみせるコサメに向けて、サランも営業用の名子役笑顔で応じた。


「やですねぇ、うち、こうみえて口は堅いってんで部内では信用されてんですよう? 重要機密をもらしたりしませんって。こっちだって初等科のペーペーだって言っても二年と半年候補生やってんです。ワルキューレっつうのは理想だけでやれないし、時には清濁併せのまなきゃやってらんないお仕事だってことはとっくに承知の上ですよう?」


 ささ、お一つ……、と、カグラの手からチョコスティックの箱を奪い、上司に酌する部下のような調子のよさをみせながらサランはコサメに差し出した。コサメも唐突なノリの良さを発揮し、涙をぬぐうふりをしながらお菓子を数本抜き取った。


「ううっ、すまないねぇ。こっちもプロワルキューレったって組織に属する以上は歯車でしかなくってさぁ~。黒でも白って言わなきゃならない場面も発生するわけよ? わかる?」


 コサメが続けてチョコスティックをぬきとろうとしたタイミングでお菓子の箱をカグラの手に返し、サランは再びジト目で抗議した。


「分かるけどわかりませんよう! ったく、なんだそりゃ! 汚いぞ~、大人たち~!」

「そうですっ、汚いですっ。――やだもう、私絶対専科には行かないっ。決めましたっ」


 隣にいるカグラまでサランに同調しだすと、コサメはコサメで言い分があるとばかりに子供っぽくぎゃんぎゃんと言い返しだす。


「黙って聞いてりゃ調子こきやがってガキんちょどもっ! ――あーあっ、お前らはいいよなぁそうやって大人は汚い汚いつって盗んだバイクで走り出したり夜の校舎窓のガラス叩き壊しても、『そういう年ごろだから』で免責されるんだからっ」

「うっわ~、開き直るなんていよいよキッタね~!」

「全くです! 大体未成年だって法に触れるようなことをされれば罰せられますぅ~!」

「あーっもう、そうやって大人を責めるんじゃないっ。ストレスであたしが目覚めたらどうなると思ってるんだ! 九十九市の皆さんが混乱しちまうだろうがっ」

「そうやって本来の任務持ち出すところ、ますますキッタないですようっ」


 腹立ちでいよいよシュプレヒコールでもあげたくなるサランだが、ただの八つ当たりであることは自分でも承知せざるを得なかった。まったく、ワルキューレなんぞをやっていると、清濁合わせ飲んでばかりで、純粋に地球の人類の生命財産を護ることの難しさばかりにぶち当たる。


 世界全体がそんな中で、たった一人、キタノカタマコという名前の虎に鈴をつけようと奮闘していたのがシモクツチカ一人だけだったという事実がまた口惜しい。


「ねー、ちょっと? いつまでこの映画フリーズしてるの~? 早くフィルム回しなさいって」

 

 地球人類の母なる故郷が地上げされる危機を回避した影の功労者は、そんなことなどなんでもないとばかりに正面を向いたままクレームを入れる。今の自分にとっては過ぎたことにそれ以上の価値などないとばかりに。それがまたサランを苛立たせた。

 

 わたしが地球を救った立役者でございとばかりに調子に乗ってりゃまだ可愛気があるってものなのに、と、妙な歯がゆさも混じった心境でサランは背もたれに体を埋めた。

 

 館内は再び、濃いセピア色の暗闇に閉ざされた。それに伴っておしゃべりも止む。

 回想シーンが終わった直後で固まっていたスクリーンはまた動きだした。




 製作者の判明した飛天像のアップから映画は再びスタートする。

 

 


 艶めかしいような微笑みを湛えた飛天像の顔からカメラがひいてゆき、「喫茶&ギャラリー はごろも」の喫茶スペース全体像を徐々に明らかにしてゆく。

 回想シーンを挟むまではナチュラルでほっこりな佇まいをスクリーン越しにも見せつけていたそこは、惨憺たる有様に変わり果てていた。

 

 無残にもひっくり返された天然木のテーブルに椅子、散らばるカトラリー類、飛び散ったガラスに陶器片――台風でも荒れ狂ったような凄まじい店内で片付け作業に邁進する少女が一人。

 

 兵装姿のトヨタマタツミである。ホウキを手に床に散らばった破片類を掃き集めていた。


 インテリア類を隅に寄せ、カウンターの中にいた中年男性――少年の父親で、この世界でマイアの夫だと判明したばかり――だ。少年とキタノカタマコの姿はそこにない。


『……ごめんなさい……』


 しょんぼりとしたタツミの台詞に、少年の父親も苦笑で応じる。


『おじさんとしちゃあ、気にしなくていいよって答えてあげたい所なんだけど、流石にここまでこうなっちゃうとねえ……』

『本当に申し訳ありません……』


 肩をおとすタツミだったが、そこは基本仕事のできる少女なので手は休めない。惨状をさらした店内も少しずつではあるが着々と回復してゆく。



 回想シーンの前後で変わり果ててしまった喫茶スペースの有様、なぜこうなってしまったのかは観客たちには容易に想像がついた。


 恋敵に奪われた恋人を取り戻すために、未来から過去の世界へと乗り込んできた(世界と人類を護るという己が使命がもはや頭にない)トヨタマタツミ。

 そんなタツミの想いがこもった指輪を、成り行き上奪ってしまった過去世界の少年。

 羽衣を完全体にして地球を均すという目的を未だ諦めず、大掛かりな暗示をかけてまで少年との絆を新たに結ぼうと目論むキタノカタマコ。

 

 そして現場は、本来タツミとフカガワミコトの絆の象徴でもあるリングを依り代に、キタノカタマコがあらたな呪いをかけようとしていた現場でもある。

 そんな現場に猪突猛進気質のトヨタマタツミが乗り込めばどうなるか。

 

 可燃性の高いガスの充満した密室に火のついたダイナマイトを放り込むがごとき結果になる――。

 そして案の定、誰もが予測した通りの結果になったというわけだ。


 

 見飽きたドタバタをあえて映像化しないという判断の下すすむ映画の中で、タツミの仕事ぶりに少年の父親も心を軟化させでもしたらしい。軽く微笑んでから冗談めかした一言を口にした。


『ま、あれだけ派手に暴れながらもおじさんの奥さんを護ろうとしてくれたからヨシとするよ』

『奥様?』

『そこに天女の像があるでしょ。それがおじさんの奥さん。暴れててもこれは壊さないように気をつけてくれてたじゃない』

『それは――……』


 タツミは何かを言おうとするものの、言葉を打ち切った。

 それでも掃き掃除の手を止めて、タツミはまっすぐに飛天像を見つめる。そして、モノトーンのスクリーン越しでもその強さがありありとわかる眼力のこもった視線を少年の父親へ向けた。


『――S. A.W. - Ⅰ Maiaマイアがあなたの奥様?』

『うーん、できれば舞亜さんって呼んでほしかったなぁ。息子と同い年ぐらいの見た目の子に、妻を呼び捨てにされるのはなんか変な感じがしちゃってね。ほら、おじさん、ギリギリ昭和の生まれだからさ』

『失礼しました。マイアさんが奥様だって今の話、本当なんですかっ?』

『初対面の女の子につくような嘘じゃないでしょ? 大体、並みの女の子なら、初めて目にするはずの木像の名前を当てられないし、木像を奥さんとか呼んじゃうおっさんとこんなふうに平然と会話続けらんないよ?』


 図星を突かれたせいかタツミは黙る。思案するような表情は浮かべはするもの、無言でさっさとホウキを動かす。そんなタツミを見つつ、少年の父親は続けて尋ねた。


『お嬢さん、どこから来たの? さっきの様子からしてうちの息子に用事があるみたいだったけど』


 不安だから、緊張しているから、この妙な女の子は急に黙りこくりだしたのだろう。少年の父親はそのように判断にしたに違いない。人懐っこそうな笑みをうかべて声をかけた。――本当のタツミはただ単にどこからどこまで話していいのか思案していただけのようなのだが。知らないのは幸せなことだ。


『大丈夫。おじさん、奥さんと生活してた時かなり妙な目に遭ってきたから。空から女の子が降って来たりする系のことにはそこらの人よりは慣れてるつもりだよ?』


 実際空から降ってきた形になるタツミが、驚いたように少年の父親の顔を見る。彼は余裕綽々で、こう続けるだけだった。


『それにほら、知らない女の子が町中のみんな、特にうちのバカ息子を暗示にかけていることとかね。――いやぁ、君が来てくれて助かった。おかしいと思ったんだよね、宮司さんのところには今娘さんはいないはずなのにって。分かってたはずなのに、ダメだね~。人間は』


 奥さんに笑われちゃうね、と、少年の父親は苦笑する。のんびり、大らかといった形容の似合うその態度にタツミは一切を打ち明ける気になったのか、手にしたホウキを一旦立てかけて頭を下げた。


『今からする話を信じて頂くかどうか、すべて貴方にお任せします。私は豊玉辰巳、今からおおよそ八十年後の世界よりさる男を追って参りました、この世界を防人の一人です』

『うん、たった一言の中に込められるだけの情報量全部込めたね、キミ。おじさんじゃなかったら今の君の自己紹介を消化するだけで十分は必要としたよ?』


 それでも、女の子が空から降ってくるような事態には慣れていると自己申告した男性は平然と応対するのだ。


『で、キミが追いかけてきた男って悪者? それとも好きな人?』


 奇麗なお辞儀の状態からすっと背筋を立て直し、トヨタマタツミはすっと自分の左手の甲をむけてみせる。勿論、その薬指にはリングが嵌っている。フカガワミコトと二人しか知らない場所で、うやうやしくとりかわした筈のそれだ。

 一切の迷いも照れも見せず、タツミはきっぱりと言い切った。


『将来を誓い合った者です』


 なるほど、それなら時空を飛び越えてこなきゃいけない筈だ。

 そういって、少年の父親は楽し気に笑った。久方ぶりにおかしな事態に巻き込まれたことが愉快でならない、そう語っているようでもあった。




「……ふぅーん」


  サランの斜め前の座席に座るシモクツチカが、だしぬけに息をついた。誰かに、というよりもあからさまにサランに聞かせる意志がありありのそれである。

 ツチカが仕掛けるこういった符丁に無視ができない仕様になっているサランは当然、引っかかる。むかっ腹を立てながら、振り向くことすらしないツチカに小声で食って掛かった。


「何だようっ。言いたいことが有るならはっきり言えようっ」

「べっつにー、トヨタマさんってまっすぐにしか走れない分、なんでもストレートな人なんだなって思っただけだし。好きな人を好きだってちゃんと認められるだけ、どっかのだれかより全然きちんとしてる人じゃんって見なおしただけだし」


 あてつけがましいツチカの言い草に、ほとんど条件反射のごとくサランは気を悪くする(反対にサランの隣の席でカグラがもじもじと体を揺らした。親友が褒められて悪い気がしなかったらしい)。

 何か嫌味を言い返してやろうとしたサランだが、考え直した。


 スクリーンの無声映画が映し出しているのは、データの上では(ちょっと常人離れしてはいるが)名もない一般男性だ。

 しかしそれは、ツチカにとっては自分の母親がかつて愛していた人間という、世界で唯一の男性である。

 ミカワカグラが持ち帰った情報を基に構成されたイメージであるとはいえ、本来なら目にすることも声を聴くことも、人格の片鱗すら伝わることがなかったはずの人物だ。


 そんな彼を間接的に目の当たりにして、規格外とはいえ十五才前後しか生きていない少女の胸のうちに何をうかべているのか――。

 自分の父親以外の男性を愛したことのある母親の過去を知る人物を前にして何を考えるのか。


 そういった事情を慮る程度の人情はサランにだって備わっているのである。

 サランですら備わっているということは、カグラやコサメにまでその種の気遣いができるようで、座席周辺はなんともいえない気まずい空気でいつの間にか満たされていた。

 それにガマンができなくなったのが、当の本人であるツチカだったらしい。我慢がならぬとばかりに足を組みかえる。


「あのさぁ、そうやってあからさまに気つかわないで欲しいんだけどっ。――知ってるんだから、元々! フカガワくんが何者で、なんであたしが学校を去ったあとに見つかった彼が無理やり編入させられた理由とか、そういった事情もこっちは最初からぜーんぶ知ってるの。気を使われた方が却って気まずいっ」


 むしゃくしゃした口ぶりでツチカは言い捨てた。サランも訊かせる目的で大きくふーっと息を吐く。

 

 ツチカが太平洋校を放校になったのが初等科一年次の二学期途中、そしてフカガワミコトが前世の記憶に覚醒したのが二年次の夏休み。世にも珍しい男性ワルキューレとして太平洋校に編入させられたのがその夏休み明けだ。

 そして、ジャクリーン主催の歓迎会でキタノカタマコがフカガワミコトを風呂場でハニートラップをしかけるというスキャンダルが生じている。

 撞木も北ノ方も環太平洋圏のワルキューレ産業界では名の通った一族であり、ともに太平洋校の理事をも務めている。こういった少年が発見されたのだが、放校処分をくらったシモクの娘のスペアとして使えそうだから念のために手元に置いておきたいと、侵略者の魂を持つお嬢様が御所望遊ばされた。その結果、この世に世にも不幸な少年が誕生してしまった――。

 

 そのことを察したツチカが一計を案じ、太平洋の真ん中で起きている世界の危機をゴシップの形で世界に投げかけていた――。


 一応、そう考えると筋だけは通る。それを確認したからといって、サランがツチカに抱くくやしさや、まざまざと意識させられる距離が減じるわけがない。思わず舌を打ちたくなってしまう。


 そんなタイミングでスクリーンの映像は切り替わった。産業道路沿いを歩く二人の少年少女を映し出す。

 非の打ちどころがない美少女なのに、気さくで明るくて人気者。そんなマドンナ型の幼馴染を演じる、地元中学の制服を着たキタノカタマコと少年の二人づれだ。

 

 背中に回した両手を組みながら連れの少年の数歩先を歩くという、「ちょっと機嫌を損ねています」というポーズを取ってみせるキタノカタマコの態度をみてツチカは不機嫌そうに小さくもらした。


「似合わな~」


 それにはサランも同感だった。キタノカタマコの正体を知る者には、幼馴染の演技をする彼女は見事であっても見ていられないものがあるのは確かだった。




『まだ怒ってんのか?』


 歩きながら少年は問う。先を歩くキタノカタマコは、少し拗ねた口ぶりで言う。


『怒ってないよ』


 本当は気分を害しているのに正反対のことを口にして、気安い仲である相手の気を引く。少女らしいテクニックを駆使するマコの手腕に、少年は不甲斐なくころころと引っかかる。弁解口調で少女の後をついて歩く。


『俺がいつ、あんなレイヤーみたいなヤツとどうやって関わり合いを持つっつーんだよ?』

『私はあなたの言うことを信じたいけど、でもあの子、浮気者とか裏切り者とか叫んでたけど? それってどういう意味?』

『そんなもん、こっちが知りてえしっ! ――今日、松林であったばっかだっていうのになんでそんな因縁吹っ掛けられなきゃなんねえのか、こっちだって分からないのに……』


 ぶつくさとここまで口走って少年は失言に気付いたらしく、さっと顔色を変えたがもう遅かった。キタノカタマコは早足になってさっさと前を歩く。待てよ、という少年の呼びかけに、可愛くないのが逆に微笑ましい態度で応じる。


『フーン、松林で逢ってたんだ。あの変わった女の子と! 、返してって言ってきた子なんかと!』

『それはたまたまそうなっただけで……っ! ……つうかさ、あの指輪って……』


 少年は明らかに劣勢だった。あの指輪は、松林でツチノコと遭遇した直後に指にいつのまにか嵌っていたものであるとまだ思い出せていないらしい。が、それでもしきりに首を傾げだす。

 どうやら暗示の効果が切れかけているらしい少年が目をしばたたかせだすと、その気配をいち早く察したのか、くるりとマコは回れ右をした。腕を後ろでくんだまま、身軽に振り返る仕草に少年は分かりやすくひきつけられている。

 その隙に、ちょっとむくれた演技をするマコは少年に向かって言うのだ。


、花火大会の屋台で。こんなおもちゃみたいなものが欲しいのかって言って――』

『……そう、だったっけ?』

『このタイミングで忘れたフリなんて酷い』


 少女は怒り顔を見せてから、またくるりと進行方向を見る。そして少年には背中を向けたまま、指を自分の眼元まで持ち上げるのだ。

 そしてありえないことに、くすん、くすんと可憐にすすり泣きだすのだ。


『酷い……。酷いよ』


 マコの歩みは次第にゆっくりになり、立ち止まると、その場にしゃがみ込んで膝に顔を埋める。そしてやはりくすん、くすんとあえかにしゃくりあげだした。

 来世と同じく嘘も苦手なら泣いている少女をほっとけない気質らしい少年は、産業道路わきの歩道でしゃがんで泣き出す少女をみて早速表情を変える。おろおろとその背中の傍まで小走りで駆けより、おそるおそるといった風情で声をかける。


『な、泣くなって。忘れてなんかないから……っ』




 はあっ、とため息をついたシモクツチカがサランの斜め前で足を組みかえ、ミカワカグラはチョコスティックをバリバリ音をたててひっきりなしに食べ続ける。サランはサランで背中がむず痒くなり、全身をかきむしりたくなった。何が悲しくてこんな茶番を見せられ続けなければならないのか、しかも夢の中で。

 いっそのこと目覚めてやろうかとしたら、そのタイミングでコサメが座席の背もたれをまた蹴とばした。


「起きんじゃないっ! まだ肝心のことが分かってないだろうがっ!」

「もうヤですようっ! なんで同級生がくっさい演技振りまいてるとこなんか夢で見なきゃいけないんですかっ! なんの罰ゲームですかっ⁉」

「わかってないなぁっ、これは罰ゲームじゃないっ。経過報告だぞっ」


 確かにミカワカグラが見てきたものを映画という形式で報告する場ではあるのだが、他人様の夢を利用したこんな形式で行うことはなかろう。夢という場を提供しているサランとしてはそう抗議もしたくなる。

 が、お菓子を嚥下したカグラが不機嫌な声ではあるものの、次の展開をほのめかした。


「もうちょっと頑張ってください。事態が動きますから」




 カグラはそういうが、モノトーンのスクリーンの中ではマコはしゃがんで膝をかかえ、少年はおろおろと機嫌をとっている。どこをどう見ても中学生の他愛もなく微笑ましい痴話ゲンカでしかない。同世代の観客がうんざりし、一人だけ大人の観客が何が楽しいのかニヤニヤ笑う中、マコは、ん、と左手を伸ばした。当然、その指にはなにも嵌められてない。

 とまどう少年へ、マコは膝に顔を埋めたまま、ねだった。


『さっきの指輪、持ってるんでしょ?』


 タツミが暴れまわる直前で、少年は床に落ちて転がったリングを拾い上げている。騒動の渦中は制服のポケットに入れていた。マコはそれをきっちり見ていたらしい。


『持ってる、けど……?』

『じゃあ嵌めて。薬指に』


 普段の彼女なら絶対にしない、膝に顔を埋めながらの駄々をこねるという有様に、スクリーンの中の少年は戸惑い観客サイドのヘイトは高まる。それらを全て意識しているように、マコは涙声で一押しするのだ。


『私の指輪はさっき君の左手薬指にはめたままだもん。お返ししてくれなきゃ嫌だ』

『え、えーと……。ここでか?』


 少年が戸惑うのも無理もなかった。産業道路の脇の歩道である。指輪の交換をするというロマンチックな行為をするにはあまりに風情が無い場所だ。ガードレールにさえぎられてはいても、数分おきに大型トラックがかけぬけていくような車道沿いで危ないし、両脇の稲田からはむっとした草いきれがするしそれにほこり臭い。

 それ以前に、誰が通るかも分からない場所だ。


『もっと別の場所じゃダメか?』

『ダメ。――もう時間がないの』

『時間?』


 どういう意味か? と、少年が問いかけようとしたその瞬間、とりわけ大きなトラックが二人から数メートル離れた横を通り抜けた。クラクションを一つ鳴らしたようで、少年は顔をしかめて耳を抑えた。

 文句でも言いたげな顔つきでトラックを見送った少年は、車道の中央、白線の上で目を止めた。

 

 なんだか奇妙なものがある、という目つきでそこにあるものを見つめる。ひた、と見つめた。


 そこには白いワンピースをきた女の子が、泣きそうな顔でへたり込んでいたからだ。

 大型トラックに轢かれそうになったのだろう、だから腰をぬかしそうになったことは少年にも理解できたようだ。

 ただ、どうしてもこの少女がどこからどうやって車道の中央に現れたのか? その謎が瞬時には解けないようでしきりに首を傾げていた?


 ハイウエストの白いワンピース姿でこの場に現れたミカワカグラは、日本刀型ワンドを抱えたままへたり込み、あやうく轢死しかけたショックからか涙目で少年をみあげていた。





「――………………。やだもう、できるならこの時に戻りたい。もうちょっと格好良く登場しなおしたい……」


 サランが隣をみれば、ミカワカグラは正面の座席につっぷしていた。どうやら自分の情けない姿にダメージを食らったらしい。


「でも私がここで登場しなきゃ、余計なタイムパラドックスが生まれちゃう……。世界が増えて面倒なことになっちゃう……。ああもうやだ。つらい」

「――とりあえず、状況が見えないんだけど」


 隣の座席で落ち込んでいるカグラに、サランは問いかけた。


「なんでミカワさん、あんなところにタイミングよく現れたんだよう?」

博物館ミュージアムからサメジマさんが九十九市に飛んで行っちゃった後、私はタツミちゃんにワンドを届けに行ったんです。きっと必要になってる筈だからって」


 好きな少年の前世の姿に情けない姿をみせてしまったことにひたすら凹む、そんんな少女らしい心境を丸出しにしているミカワカグラだが、感応能力を中心に様々な能力を有する非常に優秀なワルキューレだった。少なくとも出来ることならサランの五倍はある。

 単独で時空を航行し、二〇一〇年代の世界に居るタツミへ回収したワンドを届けることくらいは余裕なのだ。


「その時――、本当はタツミちゃんのことを考えなきゃいけなかったのに。キタノカタさんと戦ってばっかりいると思い込んでたんだから、私が真っ先にかけつけてワンドを手渡してあげなきゃいけなかったのに――……魔が差したんです」

 

 観客の視線は、ぶつぶつつぶやくカグラへ集中する。とりあえずスクリーンの中で今起きていることよりカグラの打ち明け話の方が面白そうだとそれぞれに判断した結果だ。「魔が差した」の一言は耳目を集めるには最大の効力を発揮する。

 自分の正面にある座席の背もたれ上部に顔を伏せるカグラは、サランとツチカ、コサメの視線が集中していることに気付いているのかいないのかは分からないが、ともかくぶつぶつと続ける。


「そうです、魔が差しちゃったんです。サメジマさんには前にもビジョンをおみせしたんですけど、前にフカガワ君が言った前世の夢の話を思い出したんです」

「ああ~、あの白いワンピースの女の子がどうとかこうとかっていう?」


 サランの脳裏にも、以前カグラに見せられたビジョンの光景がよぎった。二〇一〇年代の世界で何不自由なく生きていた少年が、車道で戯れる白いワンピースの女の子を助けようとしてトラックに轢かれ、異世界という言葉が死後になり外世界からやってきた侵略者が跋扈しそれに対抗するワルキューレが世界各地で活躍する二一世紀末に転生してしまった、そのきっかけとなったビジョンを。


 カグラが構築したイメージの中では、髪が長くコケティッシュな小悪魔のようにふるまうワンピースの少女はどことなくシモクツチカと雰囲気の少女だった。世界を救ってと囁いて、少年を死へ誘う路上のセイレーン――……などという詩的なものではなく少年の記憶の中でいい具合にロンダリングされた悪霊の類は(サランは断じて白いワンピースの少女などというものが認められない気質なのである)。

 

 移動の最中「魔が差した」カグラはこのビジョンのことを思い出したのだそうである。そのほかに、自分は今、白いワンピースを着ていることを。


「あ、今の私白い服を着てたんだ~……。もしかしてひょっとして、今の状態の私が前世のフカガワ君の前に現れたらどうなっちゃうのかなぁ~……なんて、考えちゃったんです。私ってば……。やだもう、最悪……っ」


 その結果、車道脇でキタノカタマコと揉める少年の傍に出現し、危うく自分が大型トラックに轢かれそうになったのだとカグラは呻くように打ち明けた。


 ――ということは。

 それを聞いて、サランはひくっと片頬を引きつらせる。そんなサランの反応すら見透かしたように、プッと噴き出したものがいる。

 

「なんで? 恥ずかしがらなくてもいいじゃない」


 座席の背もたれにしなだれかかるようにして振り返ったのは、当然のようにシモクツチカだった。ひたすら悔やみ、恥ずかしがるカグラを見ながら声をかける。


「とっさの時に友達より好きな人をとるとか、自分に正直でいいと思うよ? ほかの子はどう思うかは知らないけどあたしは嫌いじゃないなー」


 カグラを慰めるふりをしながら、ツチカの視線は突っ伏すカグラではなくサランにあった。いつもの他人をコバカにしたあの調子で笑いながら、恐るべき真相に気付いて声を失っているサランを見下す。


「学校にもいたじゃん。恋愛なんてその時だけど友情の方が永続的だから尊いって言い張るヤツとかさー。あたし、ああいうの理解できないんだよね。そもそも友情が尊いって理屈が信じられない。仲良しこよしで足並みそろえてぬるま湯につかる関係の何が尊いんだか? それなら同じ男を手に入れる為にならバチバチに戦いあう仲の方がいっそすがすがしいよ。……ねー、ミノ子ぉ?」


 当てこすってサランに意見を請うツチカの余裕ぶった顔に、サランはぐっと自身の顔を近づけた。この反撃は想定していなかったとみえて、ツチカは少しのけぞった。


「……何よ? 乳臭い顔近づけないでくれる~?」

「――シモク、お前なぁ~っ」


 声を押し殺してサランはツチカににじり寄った。シトラスじみた香水とメントール煙草の匂いが混じったツチカの香りがぐっと近づく。


「こうなること、絶対予測してただろぉ~?」

「はぁ? 何のことぉ~?」

「ごまかすなっ! 予測してなきゃミカワさんの電子個人誌ジンに『白い服着てこい』とか書き込むわけねえようっ!」

「⁉ やっぱりそうだったんですかっ」


 それを聞くなり、座席に突っ伏していたカグラも上体を起こした。そしてサランと同じように、涙目でツチカに迫る。


「そうだったんだぁ~、あのことが分かっていてシモクさんてばあんなこと書き込んでたんだぁ~っ。うすうすそうじゃないかと思っていたけどぉ~」


 九月三十日、演劇部のお茶会直前に更新したミカワカグラの電子個人誌に寄せられた匿名のコメント――読むものが読めば、レディハンマーヘッドが書き込んでいると分かるそれ――に、白いワンピースを着てこいとそそのかしたものがある。まんまとカグラはそれに従って、タツミとともにお茶会に乱入したわけである。

 そして、その上、白いワンピース姿で転生前のフカガワミコトの前に出現した。それが示すことは――。そしてそれが示す事態は――。

 答えは一つしかないというのに、シモクツチカはぷいっと体をスクリーンに向けてわざとらしく空とぼけてみせた。


「人聞き悪いなぁ。あたしはそんな書き込みのことなんて知らないし。わけわかんないことで責め立てないでくれる?」

「お前なぁ……っ、そうやってしらばっくれて何が面白いんだようっ」


 ぎりぎりぎりぎり……と、おもわずキタノカタマコのように歯噛みするサランだったが、強制的に口をつぐまされた。背後の席のコサメがまた座席を蹴ったのだ。


「映画上映中はおしゃべりを慎めっ。常識だぁっ! ――大体、つーちゃんが何をやらかしたのか、しらばっくれてるのかしらばくれてないのか、こっから先を見なきゃわかんないだろうが!」


 おら黙って前見ろ、前っ! と横暴なOGはいつもの調子で後輩たちを指揮した。サランもツチカもカグラもそれぞれ思い思いの表情でその号令に従う。

 結局、自分一人だけ蚊帳の外なのが気に食わなかったのに違いない――。サランはそう確信を深めていたが、それを実際に口にしない程度の分別はあった。




 突然現れた白い服の女の子――筒状の袋に包まれた長い棒のようなものを抱えてへたり込んでいる――を、見つけた少年は、スクリーンの中で驚きのあまりまばたきを繰り返した。

 通り過ぎた大型トラックがクラクションを鳴らすまで、こんな女の子の姿は影も形もなかったはずだ、と、その顔つきが語っている。

 

 しかしその表情は切り替わった。白いワンピース姿のカグラがいる場所が、よりにもよって車道の真ん中と気づいたためだろう。焦ったように手招きをした。


『そこにいつまでもいたら危ないけど、立てる?』


 カグラは立ち上がることもせず、目を丸くして少年の顔をただただ見つめていた。まるであらゆる言葉を忘れてしまったように、呆然と。しばらく経ったあと、カグラは呟いた。


『――深川くん――』

『ごめん、なんて言ったかよく聞こえない。っていうか、そこにいたら危ないって!』


 少年は身を乗り出し、車の往来が無いか確かめる。幸い、車の波は途切れてしばらくは来ないようだ。

 はかなげな佇まいも手伝って、画面上のカグラは何らかの事情で立ちあがれなくなっているようにしか見えなかった。少年でなくても危なっかしく心配になる。

 しかしカグラは頼りになら無さそうに見えても、サランと同期の中では図抜けた能力を有する特級のワルキューレだ。ダンプに轢かれそうになった程度のことで腰が抜けるような少女ではない。

 我に帰ったらしいカグラは、自分のへたり込んでいる場所を把握するなり、アスファルトに手をついた。ようやく立とうとしたのだ。


 しかし、それが阻まれる。まるで足を痛めたように、スカートの裾を広げて再びへたり込む。二、三度それを繰り返したがやはりカグラは立ち上がれない。

 その一部始終をみていた少年は素直にカグラが怪我をしていると思い込んだのだろう。車道へ近寄ろうとする。


『待ってて、今そっち行くから――』


 しかし、少年のその動きを止めた者がいた。

 キタノカタマコだ。

 しゃがんですすり泣いていたままの体勢で左腕を伸ばしていたマコが、車道に歩み寄ろうとしていた少年の脚を強引に止める。行かないで、と言いたげに。しかし顔は伏せたままだ。


『ダメ。あっちに行っちゃ』

『そんなこと言ったって、あの子、立てないみたいだし……。早くしないと車が来る……』

『あそこを渡れば、あなたはもう戻れなくなる』


 少年の左手をつかんだまま、キタノカタマコはゆっくりと立ち上がった。

 その口調は既に、わざとらしい演技を続けていた時のものではなかった。


『観測され固定された歴史はしばらく動かせません』

『? 何言ってんだ、マコ』


 本当に仕様がない方。


 そう口にするキタノカタマコの顔が、あおるような角度でアップになる。その表情は、しらじらしく幼馴染の演技をしていたものとはまるきり違っていた。スクリーンのこちら側にいる者には見慣れた、怜悧で傲岸で不遜な生徒会長のものだ。


 それを見た少年の表情が一変する。暗示が解けたように。その口が何かものを言うより前に、素早くマコは少年の左手をとり、薬指からリングを抜き取った。


『時間いっぱいです。茶番にお付き合い、ありがとうございます。――やはり私が手に入れるべきは貴方ではなかった』

『――……まこ、さん……?』

『あなたはこの次元の僻地で、あの方たちと末永く精々幸せにお過ごしなさいませ』


 抜き取ったリングを自分自身で右手の薬指に嵌めながら、マコは餞とも呪いともつかない言葉を口にした。


 しゃがんでいた状態から立ち上がっていたために、車道の中央にいるカグラにもその顔が覗けたのだろう。表情が変わり、スカートの下から一メートル状に伸ばした鍵を引っ張り出した。そして立ち上がろうとするものの、その顔が苦痛に歪む。

 カットが切り替わり、映し出されたのはカグラの左足首だ。フラットな皮サンダルを履いた素足に絡みつき、車上にカグラを縫い留める存在があったのだ。

 鱗をてらてらと輝かせた蛇に似た生き物。蛇にしては胴が太く丈が短いその生物は、ツチノコと呼ばれるそれのイメージによく似ていた。少なくとも、松林で少年の口に飛び込んだ生き物にはよく似ている。

 ツチノコの尾はアスファルトに溶けていた。ということはこの世に属する生物ではない。そう素早く判断したのだろうカグラの表情が、戦う少女のそれになる。


『北ノ方さん、深川くんから離れて!』

 

 鍵の先を正体を露見させたマコに向けて、立ち上がらないままカグラは命じる。


『甲種観測者が見たのは私たちが勝利する世界です。この世界も沿矯正される筈です。――だからもう、これ以上悪あがきしないで!』


 叫ぶカグラの必死な顔がアップになる。


『これ以上深川君を巻き込まないであげて!』




 自分の活躍が大写しになったのが居たたまれなくなったらしく、カグラは背もたれに顔を埋めた。そんな少女を揶揄うように、シモクツチカはフフンと笑う。


「恥ずかしがることなくない? 好きな人護るために啖呵切れる子、あたし好きだけど」


 そういってちらりとサランをみる。そうやって隙あらばあてこすってくるのがシモクツチカという女だった。ふんっと鼻息荒く無視をして、サランは意識してスクリーンに集中する。

 


『もちろんです。深川様と私の縁はさきほど切りました。長の茶番はここにて終了です』

 

 マコは口元に微笑みを讃える。珍しいこともあったものだ、と感嘆するよりさきにみたものの背筋をすうっと冷やす力に満ち溢れた凄絶な笑みだった。化生でなければ湛えることが適わないような微笑みだったのだ。


『いえ、これにて始まるのやも知れませんね』


 振り返った少年も、暗示にかかっている最中に見せていた微笑みとはあまりに違うそれに怖れをなしたのか、つい先刻まで幼馴染を名乗っていたはずの少女の方をむいたまま数歩後ずさった。マコは逆に、車道に近寄る少年との間の距離をつめると、無防備なその肩に右腕をのばし、とん、と突いた。

 

 わっ、と少年は声を上げて後ろ向きによろける。マコは少年を押す手にそれほど力を込めたわけではなさそうだったのは見た目だけだったらしい。ガードレールの切れ目から後ろ向きに車道に転がりでてしまう。


 少年を車道に突き出しても、マコは顔色一つ変えない。人間とは思えない微笑みを湛えたまま、リングを嵌めなおした右手をキタノカタマコはゆっくりと薙いだ。

 右手指先の奇跡にそって、虹色のハレーションがおきるとそれは羽衣の形に変化する。マコの羽衣だ。

 ひらひらとそれが姿を現すのにあわせて、マコが纏っていた地元中学の制服がゆったりと翻り変化する。太平洋校の見慣れた制服に。


 くるり、とマコは右手で円を描くような所作を見せた。その軌跡に沿って羽衣が円を作る。羽衣が象った円の奥に見えたものが、地響きをたててちかづきつつあるものがなんであるかを察してカグラは表情を一変させた。


 ごおお……と、轟音を立てながらやってくるもの、それはトラックだ。

 

 何の前触れもなく現れたそれに少年の方は動けない。目をみひらいたまま自分に接近しつつあるトラックに向けて目を瞠る。

 左足を足首に縫い留められたままのカグラはできる限りで自分の鍵を伸ばす。少年の体を護ることだけを祈って、光線を走らせ防護用の円陣を宙に描く。それでもトラックの巨体はガソリンやゴムの焼き焦げる匂いがありありと感じられるほどそばに迫っていた。

 耳をつんざくようなクラクションが鳴る中、羽衣を翻したキタノカタマコはくすりと微笑んでこのように言い捨てた。


『それでは三河さん、お帰りになればこの件を精々に囁きなさいませ』


 どおん、と音をたててトラックとカグラの展開した防護壁がぶつかる。

 

 トラックはかなりのスピードを出していた。カグラの防護壁は次元と次元を隔てる力をあるが、左足を縫い留められているため不安定な態勢しかとれない。カグラは両腕を前に突き出し全力を出す。その証拠に、髪がふわりと膨らんで暴風に煽られるように踊っている。

 それは、二〇一〇年代に生きるごく普通の中学生でしかない少年にとっては理解しづらい光景だったに違いない。それでもカグラの様子から、白いワンピース姿のこの少女が自分を護るために一生懸命なことは察したのだろう、立てないカグラを背中から抱きかかえるようにして支える。


『だっ、大丈夫かっ。ちょっとずつ後ろ下がるぞっ?』


 抱えられたカグラの表情は、白黒の映画であってもそれとわかるくらい、さあっと真っ赤になる。


 その動揺が、皮肉なことにに防護壁の耐久力を弱めてしまったらしい。ピシッと、耳障りな音を立てながら光線でできた円陣に亀裂が走った。それを確認したカグラの行動は早かった。自身のワンドを投げ捨てて、少年の体に体当たりを食らわせる。左足をアスファルトに縫い留めていたツチノコは消えていて、二人の体は車道の反対側へと転がったため、スクリーンの外からは消えた。


 カグラごと、少年を轢きつぶそうとしたトラックは勢いを殺せずそのまま前進するが、耳障りな音を立てながらキューブレーキをかけた。そしてそのままバックで二人の元まで戻ろうとする。前進時と同じスピードで――。


 ごおっと地を震わせるエンジンの駆動音を被せながら、地面にあおむけに倒れた少年の身を覆うようにして、身を挺するカグラの姿をカメラはインサートする。




 前世のフカガワミコトはトラックにはねられて二十一世紀末に転生を果たすのは決定事項だ。しかし、キタノカタマコのしている行動は一人の少年を同級生だった少女ごと大型トラックで轢死させようとしている以上のなにものでもない。

 そんなマコの行動に、スクリーンを眺めながらサランは改めて全身を総毛立たたせる。カットインされるマコがやはり微笑みをうかべているものだからなおさらだ。

 

 斜め前をみれば、シモクツチカはスクリーンを睨むように眺めていた。何かを企てるマコの表情がアップになると、ふうっ、と腹立たし気に息を吐く。

 サランがこうして一瞬気をそらした隙に、スクリーンからは軽快な足音が響く。サイレントだった映画に後付けされたような足音は、どこまでも健やかで軽やかで、力強い。

 タタタタタタタタタッ……と、クレシェンド式に大きくなるその足音につられてサランはスクリーンに目を戻した。



『さ・せ・る・かあああああああああああっ!!!』


 スクリーンいっぱいのアップでとらえられていたのは、全速力でこちら側へと走りくる、トヨタマタツミの姿だった。少年とカグラが転がった側の歩道から二人の元へ光弾のようなスピードで駆けてくる。おおよそ人類ならまず出せない、兵装着用時のワルキューレでないと出せないスピードで駆けるタツミはバック中のトラックをギリギリで追い抜く。


 その姿を認めたキタノカタマコはあからさまに顔をしかめ、カグラはタツミの名を呼ぶ。気を失っているのか、少年はあおむけのままで反応はない。


 頭から蒸気でもだしているかのようなタツミはハードルの要領でガードレールを飛び越えると、倒れてる二人の前に回り込む。巫女姫としての第六感が働きでもしたのか、右手を振った。

 カグラが運んできたタツミの日本刀が、その手の動きに合わせて宙に舞い、タツミの右手に収まる。もどかし気に袋を投げ捨て、タツミは居合の型をとる。もう目前にトラックは迫っていたが、タツミは目を閉じ精神を集中させた。


 そして――、一閃。


 気合とともにタツミが刀を抜くと、その軌跡にそってトラックの正面に縦一文字のラインが走る。そこから車体は左右に真っ二つに割れて、慣性のはたらくまましばらくまっすぐころころと走った。

 刀を振るったタツミと、その後ろにいたカグラと少年を挟むように、トラックは左右に分かれる。それぞれがガードレールにぶつかりその走行を停めた。


 左右に斬り割かれたトラックの影から現れた、太平洋校の制服に羽衣を纏わせた姿のキタノカタマコはしばらく目を見開いていた。タツミの居合の軌道に居るとさとったために身を護るためにそよがせた羽衣の端が切り裂かれたことに気付いたためだ。

 

 ひらひらと宙を舞う羽衣の端は、その形を膨らませ少女の形を象る。白銀の髪を持つ十一、二歳の少女に。


『ノコちゃ……っ!』


 スクリーン上のカグラが懐かしそうな声を上げたが、自分の能力を駆使して宙を舞うノコは血相を変えて叫び倒した。


『ここは危険だああっ! 爆発するぞおおおっ!』


 復活して早々のノコの警告に、カグラとタツミの顔も真顔になった。タツミが両断したのはトラック、しかも大型のだ。

 この時代の常として、化石燃料を搭載した乗り物が真っ二つだ。頭に血が上っているタツミが、燃料部分に傷を一切つけずにバック中のトラックを真っ二つにするなど器用な真似ができるわけがない。

 はたして二人と一体は、アスファルトに横たわったままの少年を担いで脱兎のごとくその場からかけ去る。

 キタノカタマコは当然のように、もうその場にはいない。さっきまでマコがいたガードレールそばにトラックの片方がつっこんだために無残な状態になった有様をカメラは一瞬だけとらえる。

 



 その直後、スクリーンはホワイトアウトする。

 気化した化石燃料に小さな火花のようなものが引火したのだろう。スクリーンの外ではなんとでも原因を考える余裕はあったが、この場から逃げ去る二人のワルキューレと一体のワンドにはそんなゆとりはなかったはずだろうなと、サランは呆れながら思った。


 当然、気を失っていた少年は、その一切に気付いていなかったはずである。




 ◇ハーレムリポート 出張版 最終回拡大版◇


 (前略)


 はい、タツミちゃんもカグラちゃんもノコちゃんも、もちろんフカガワミコトも、一応全員こんな感じで、無事たすかりましたー。

 

 ――え? 信じられない?

 ていうかフカガワミコトが世界で唯一男子のワルキューレになったわけは、前世が人間と天女のハーフだったからってそんな二十世紀末のコミックやジュブナイルみたいな真相、簡単に受け入れられない?

 まー、信じるか信じないか、受け入れるか受け入れないかは読んだ人しだいだけどぉ~。レディハンマーヘッドのおしゃべりのネタは、うちの学校の子たちの噂話だってことを忘れちゃ困るなぁ、もう。

 でもそんな風に慎重な読者の皆さんにとっておきの情報をお知らせしちゃうよっ。旧日本市町村データベースにアクセスすると、ちゃーんとこの時の事故を報じる新聞記事が収録されているんだから。ほらほら、このページでもちゃんと許可を得てプリントアウトした画像を貼り付けてあるんだからよーく読んでね。無人のトラックが暴走して爆発炎上する事故のせいで地元の夏祭りが中止になったって、きっと皆さん残念だったろうなぁ、でも死傷者一人もいなかったのが不幸中の幸いだなあって記事をさぁ……。


 ――ん? 死傷者が一人もいなかったってどういうことだって?


 フカガワミコトはトラックに轢かれて転生したんじゃないのかって? じゃあ、この事故で転生してなきゃおかしいんじゃないかって?


 そうだよ、フカガワミコトの魂はこの事故転生して、去年の夏に覚醒するまでずーと眠っていたんだよ。でもそれだけじゃマルはあげらんな~い。

 だって、前世のフカガワミコトは気を失っただけで死んだわけじゃないもの。何回も言ったでしょ、気を失っただけだって。

 

 はい、じゃ注目~。ここから先の話は、噂のほかにまだまだ解明されそうにない死後の魂の問題も関わってくるから完全に名探偵レディハンマーヘッドの一推理として聞いてね。


 フカガワミコトは白いワンピースの女の子を助けようとしてトラックにはねられたって記憶を持っている。これは決定事項なわけ。

 で、「白いワンピースの女の子」と「トラック」っていう条件はこの段階でそろってる。じゃあ、ここでフカガワミコトの魂が一旦未来へ向かうのは決定事項ってわけ。気を失ってるフカガワミコトの魂を未来へ向かわせなきゃいけない。

 

 でもそうすれば、二〇一〇年代で何も知らず生きていた少年の肉体は魂も何もないカラッポの状態になっちゃう。彼は肉体的には死んだわけじゃないのに、来世でフカガワミコトってレアな男の子になっちゃうことが決まってるからって、今ここで殺されちゃうっていうのはいくらなんでもナイじゃん、そういうのって。人類の生命財産を護るのが使命のワルキューレが私利私欲に駆られて男の子一人見ごろしにしちゃあまずいじゃん、いくらなんでもさ(まー不可抗力で大事故は起こしちゃったけども、それはそれ、歴史的事実になったから無問題)。

――とまあ、あたし達同期の中でも特に優等生の二人と、マスター大好きっ子のノコちゃんは考えて、それから気が付くわけよ。


 やっば、魂が一つ余ってるじゃん。


 マコちゃんに攫われて、強制的に未来に連れてこられちゃったフカガワミコトの魂が、今この辺をフワフワ漂ってるはずじゃん。


 それをこの男の子の体に移植しちゃえばいいじゃん……って、ま、こういう口調じゃないにしても、そのことにきが付いた子がその場にいたわけ。

 誰かって? そりゃ当然、タツミちゃん、カグラちゃん、ノコちゃんの三人のうち、神羅万象の魂魄の気配に通じてらっしゃるスピリチュアルな能力を持ってる方は一人しかないじゃない。しかもその子はちょうどいい具合にフカガワミコトとリングを交換したりなんかして深い縁を結んだ仲とときてる。おあつらえむき~。


 というわけで、タツミちゃん主導でフカガワミコトの魂鎮めの儀が執り行われ、現地の男の子の体にフカガワミコトの魂が宿った次第。


 といっても、その男の子とフカガワミコトの魂はいわば互換がきく関係なんだけど、完全に同じってわけじゃない。肉体だって人格だって元々他人っていっていいものだしね。噂によると、最初は元々の男の子の記憶とフカガワミコトの人格が混線して、アイディンティティクライシスが生じかけたみたいだって聞くし。

 魂が上手く定着するには時間がかかるし、その間に何がおきるか分からない(ほら、気の変わったマコ様がまたフカガワミコトを取り戻しにきちゃうかもしれないもん。お嬢様なのに粘りがあるんだから、マコ様ったら~。今回のことで思い知っちゃったわ)。

 

 だから、しばらくタツミちゃんは二〇一〇年代の世界に残って、フカガワミコトの魂が無事定着するまで見守ることにしたの。

 マコ様が町中にかけた「宮司の娘」って暗示が解けきってなかったから、そのつじつまを合わせる為に、彼の幼馴染である氏神様をまつる神社の娘さんになり切ってフカガワミコトを見守ることに決めたってわけ。


 だから、ほら、冒頭で用意した旧日本市町村データベースから見つかったジャンパスカートの制服をきたタツミちゃんは、この時にとられた日常のワンシーンって次第。


 はい、レディハンマーヘッドの推理はここで終了~。信じるか信じないかはあなた次第♪


 (後略)



 ◇◆◇



「なんでここまで書きやがるかなぁ、シモクのバカは……」


 十月某日、太平洋校文化部棟文芸部部室。 

 刷り上がったばかりの『ヴァルハラ通信』の中を確かめながら、サメジマサランはぼそりとつぶやく。既に中身を知っているとは言え、改めて読むといよいよ呆れる。

 夏まではメジロ姓の二人が中心となってバドミントン賭場を開いていた広場だが、今では選挙活動でにぎわっている。襷をかけたリリイが後援者に手をふりながら、いっちょまえに所信演説などをかましているようだ。どうせあってなきがごとき政策なので、耳を傾けるのも馬鹿らしい。サランは右に左にとリリイの甘ったるい美声を積極的に聞き流した。


「お茶会事件以降、フカガワミコトとトヨタマさんはどこへ行ったのか、愛読者の懸案事項だったからな。我々としては報告義務がある。特に最終回だからな」


 はーっとため息をつくサランの向かいで、相変わらず安いインスタントコーヒーを熱湯で溶いただけの雑コーヒーを飲むワニブチジュリがいた。久しぶりに部誌が刷り上がった解放感と満足感に浸っているのだろう。伊達メガネの横顔が、めずらしくほっこりとくつろいでいる。


「でもさぁ、フカガワミコトの素性だとかいろいろバラしすぎじゃん? やだよう、もう、情報漏洩だーって責められるのはさぁ」

「僕だって見せしめで死地に飛ばされるような事態は二度とごめんだ」


 くつろぎながらの一言だが、サランの耳に親友のその言葉はありありと実感が込められているように響いた。


「まあ、キタノカタさんは今や大西洋校だ。世界相手に宣戦布告している場合じゃないさ」

「大西洋校の皆さんは、うちらみたいなお調子者の低レアじゃございませんしねぇ。将来は国連の幹部かって方々ばっかだし」


 呟いてからはっとサランは気づいた。


「そんなエリートぞろいの皆さんの間で着々と人脈をお築きになったらどうしよう……。やべーじゃん。超こええじゃん」

「サメジマ、派閥とか学閥って知ってるか? キタノカタさんはあちらにお友達もいるみたいだが必ず敵も多い。それに成り上がりのアジア人に優しい方々ばかりとも限らない。十分、あの人の専横を防いでくれる筈さ」

「楽観的でいらっしゃることだよう。うちの部長さんは」 


 サランの皮肉に、ジュリは苦笑で応じた。


「楽観ぐらいさせてくれ。夏からずっと緊張のし通しだったんだから」


 それは素直な心境の吐露だったらしく、ジュリは伊達メガネの位置を直した。照れ隠しだ。

 そんな親友の気持ちを慮ってやることにして、サランは話題を変えた。


「結局、うちらはシモクのバカの考えた筋道通りに動き回ってたってことになるのかなぁ?」

「……さあな」


 各国言語による「ありがとう」がプリントされた、愛用のマグカップから雑コーヒーをジュリはすすってはぐらかす。

 そのとりすました様子をこまらせてやりたくなって、サランは突っ込んでみた。


「ツチノコって『槌の子』って書くよな?」

「なんだ、だしぬけに? UMA研究でも始めたか?」

「シモクの母さんは槌で、その子供っていったら誰になるのかなぁ?」


 ジュリは無言でずずっと雑コーヒーをすする。分かり切った質問には答えません、の合図である。



 お茶会事件の終盤、夢の中で見た映画の中。 

 少年の口の中に飛び込んだり、ミカワカグラの足をアスファルトに縫い留めたあのツチノコ。

 結果的に、少年の左手薬指にリングを嵌めさせたり、白いワンピースを着たカグラと少年を接触させて強い印象を植え付けたことに貢献している。

 シモクツチカはミカワカグラのジンに「白いワンピースを着てこい」と指示するぐらいだから、この事態をある程度予測していたはずである。


 フカガワミコトを未来へ転生させ、そして再度元いた地に戻す(恋人つきで)。


 ツチカはそうやって、お嬢様二人の争いに巻き込まれた少年に一種のけじめをつけてみせたのかもしれない。と考えてから、サランは首を振った。根拠のない物語にとらわれると痛い目をみるのは自分である。

 だから、心の中で憎まれ口をたたくにとどめた。



 ――あいつ、しょうもないダジャレ好きなのか? だっせ。

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