第十話 そして迎える大団円

 頷く紅葉を見た源蔵が口を開く。


「口に入れた瞬間、感じる苦みの中に、辛い人生の中で仄かに灯る思い出のように甘い味だけを残して霞のように消えてしまうカラメル」


 源蔵が声のトーンを上げた。感激して、その感動を聴衆に聞かせる演説者のように、高らかに歌うように、その口からプリンの讃美歌を紡ぎ始めた。


「ぷるるんとしていてそのじつふわっふわなカスタードプリンの本体は、超電導リニア現象のように滑らか過ぎて口腔内にしっとりとした甘みを手向けの花の如くささやかに痕跡だけを残して消えさって行く」

「そうなんですッ!」


 感化されたのか、紅葉が頬を赤らめて立ち上がった。


「残された極上の甘みは脳内のエンドルフィンの分泌量を限界まで上げ、幸せ回路に最大電流を流し込むようになるんです!」

「ふふ、流石私の妻だ。よく分かっているじゃないか」

「当然です。私は源蔵あなたの妻ですから」


 涙を湛えたまま微笑む紅葉を、源蔵は優しく抱きしめた。天井からスポットライトが当てられ、二人の姿が感動的に浮かび上がる。

 三文どころか二文にすらならなそうな芝居に、良人はスタンディングオベーションを送るつもりで立ち上がったところで、後頭部に鈍器のフルスイングアタックを受けた衝撃を感じ、目を覚ました。


 ――聞き捨てならない言葉が多すぎて突っ込むタイミングを逸してたけど、ここで引いちゃ変態集団化学倶楽部の部員じゃない!


「ちょっと裁判長! その判決に異議があります!」

「却下だ」


 意を決した良人は、その猿芝居ともいえる抱き合う二人に対して猛烈な異議を申し立てた。

 が、にべもなく、源蔵によって良人の一世一代の決意は粉砕された。


「そ、そんな」


 床に膝を付き、手までつけた良人は、その一言を絞り出すことが精一杯だった。


「まぁ、落ち着いて座ろうか」


 源蔵がコホンと咳をし、教師らしく宥めた。





 先ほどと一緒な配置で三人が座っている。色々ばれたというのに源蔵と紅葉の顔は明るい。


「まずは私と紅葉君だが、夫婦だ。まぁ、式はあげていないがな」

「いきなり異議があります!」

「なにかね?」


 良人はよく吠えるチワワのように噛みついた。


「紅葉先輩の苗字は山本で土地神じゃありません!」

「高校に入学してすぐに苗字が変わるのは面倒ごとを引き起こすから便宜上山本としているだけで、戸籍上は土地神だ」


 チワワの攻撃は外れた。


「入学してすぐに結婚とか、常軌を逸しています!」

「法律上は十六歳から結婚できることになっている。紅葉君の誕生日は四月一日だ」


 チワワは逆にお尻を蹴られてキャインと鳴いた。


「む、むりやり結婚したんじゃないんですかッ!」

「紅葉君が小学生の頃から結婚の約束をしてあって、それを忠実に実行したまでで、お互い合意の上だが?」

「天地天命、化学の神様に誓って嘘はないです!」


 紅葉にまで反論されて良人チワワは涙目になった。

 源蔵と紅葉の年齢差を考えればお巡りさんを呼ばれてもおかしくない案件なのだが残念な良人はそこは通り過ぎた。


「源蔵は初めから犯人があたしだって気が付いてたんですか?」


 灰を通り越して存在すらも妖しくなってしまった良人を他所に、紅葉が源蔵に尋ねた。


「まぁ、こんな事をするのは紅葉君ぐらいだとは思っていた」


 源蔵の手が紅葉の頭に載せられ、紅葉はくすぐったそうにはにかんだ。


「ではなぜ放っておいたのですか?」

狂化学者マッドケミストとして、一皮むける時期なのかなと思ってね」


 ニコリと笑った源蔵が紅葉に頭を撫でると、紅葉の顔は桃源郷の桃の花の如くぱぁっと明るくなる。


「まぁ源蔵ったら、意地悪なんだから……」


 紅葉の人差し指がむにっと源蔵の頬に突き刺さる。


「教え子兼伴侶の成長を嬉しくも思っていたさ」


 紅葉の愛情表現に応えるように、源蔵は紅葉の手を握った。


源蔵あなた。ごめんなさい」

「ふふ、真相が分かればいいのさ」


 見つめあう二人の距離が短くなる。

 目の前で繰り広げられるイチャコラに良人は言葉もなかったが、流石に目の前でこの先まで突き進まれると虚数の彼方にまで逃亡しないとやり切れないと考え、アドレナリンの分泌が始まった頭に突き動かされるように立ち上がる。


「ちょっと待てやこのバカップル!」


 アドレナリンは良人の裏の性格まで引き出してしまった。槍を刺されてお怒りの闘牛の如く鼻息荒く、二人に向け指を突き出した。


「ここでの狼藉ハレンチは許さんぜよ!」

「ふむ、君も伴侶が欲しいのかね」

「エ、ア、ハイ」


 ラブラブ途中だった源蔵はいとも簡単に戻ってきた。こうなることを予測していたのかもしれない。

 そして良人はあっけなく篭絡された。


「いきなり伴侶ではなく、そのぉ、彼女から、いや、お友達からです!」


 良人はもじもじと年齢=彼女無しをアピールする。明治大正の古き良き男女関係を構築しようとした。


「良い友達で終わってもいいのかね」

「グハァァ」


 純な良人は源蔵に玩ばれ、あっけなく砕け散った。十六歳の冬は短かった。


「欲しければ創ることはやぶさかではない」

「えぇ、紹介してくれるんですか!」


 矜持プライドという単語は地中深く埋められ、良人はお腹ペコペコの魚のように投げ込まれた餌に食いついた。キラキラ光るお星さまのような目を源蔵に向ける。


「プリンにこの注射剤アンプルを打ち込むとプリンに存在している生命体を作り出すアミノ酸を増殖させ細胞分裂を開始し、三分で三億年の時空を越え、カップラーメンよりもお手軽に進化を極めた人類が誕生する」


 しれっとエプロンのポケットから取り出した源蔵の手には、赤い液体で満ちた注射剤アンプルがある。炎のように揺らめき、生命の息吹を感じさせるそれに良人の視線が引き付けられた。

 

「良人君が望む容貌の、性格の、妙齢の女性が誕生するのだ!」


 色々な倫理観をドップラー効果で後方に流される中、良人はふと我に返った。


「えっと、プリンの、ですか?」

「プリンを触媒として用いた、かつてなく画期的な時空を超越した良人君好みの新人類ともいえる」


 良人の背中にたらりと汗が流れた。冷たくも熱い、後悔と期待がない交ぜになった汗だ。


「それは、人間と言えるのですか?」

「良人君、人間を人間たらしめている物はなんだと思う?」

「戦うことを本能としていたのに衣食住に満ち足りた生活で堕落してしまった知的生命体、ですか」

「それは、意志、だよ」


 良人は「はぁ」と言葉を漏らしてしまう。それを嗅ぎ取ったのか今まで黙っていた紅葉が口をはさんでくる。


「学校の校長先生も、元はプリンよ?」

「あの禿がですか?」


 紅葉の暴露に良人の口は全開まで存在を示す。


「禿げていた方が馬鹿にされてその存在を深く探られないからだ」

「ここの教師は全員元プリンだしね」

「プリン!?」


 良人は心に消えない傷を負った。


「安心したまえ。生徒は本物だ」

「この南岩高校自体が狂化学者マッドケミストである源蔵を秘匿しておくためのダミーなのよ」

「校舎もプリンから精製した」

「またプリン!?」


 良人の消えない心の傷の上に新しいクサビが撃ち込まれた。


「ちなみに理事長は私だ」

「あたしが副理事長ね」


 源蔵紅葉夫婦の醸し出す圧倒的パワーに良人は色々なモノが手からこぼれて塵になっていく感触を味わっていた。


 ――現実とは、いったい、なんなんだろうか……


 非常識からデンプシーロールを喰らった良人は、地面に落ちても割れなかった水風船のようにぐにゃりと崩れ床に膝をついた。


「視覚から入った情報が全て脳内で変換されると思っていたのかい?」

「脳は害ある、もしくは理解不能な情報はシャットアウトすることがあるのよ?」


 土地神夫婦の口激は続いた。


 ――そんな……そんな……


 良人の精神が悲鳴を上げて断末魔の叫びを放とうとしたその瞬間。


 ちゅう


 と、一匹の可愛い鼠が、よく分からない実験器具が満載の棚の隙間から「こんばんは」してきた。

 鼠はその真っ白でキュートでつぶらな瞳を三人に向けた。


「あ」

「あら」

「え?」


 三人は鼠のプリチーな姿に釘付けになってしまう。


 そして、テーブルに置かれたまま忘れ去られていた対生物探知レーダーに生まれ変わったプリンが「お? 俺様の出番?」と言ったかどうか定かではないが、ぷりんと見悶えたあと、E=MC2を忠実に守る行為をしでかした。

 プリンが強烈な光を発する。


「おぉぉ見える、見えるぞ!」

「あら、綺麗ね」

「生まれ変わったら、猫が良いなぁー」


 小石に躓いた巨人が倒れるような派手な音をたて、網膜を焼き尽くすほどの光の帯が上下に流れる。

 三人は時が停止した、真っ白な空間に包み込まれたのだった。









「いやー、こんなこともあろうかと、プレハブ小屋の壁を虚無の空間へ繋げておいて良かったよ」


 土煙の湿気のある香りが漂う空間で、息を吐きながら源蔵が力なく呟いた。

 地軸をずらしかねない対生物探知レーダーの爆発による威力を、屋根と床を脆くしておくことで横方向への衝撃を無くしていたのだ。

 地上ではクリスマスに天に伸びる光の柱のサプライズ出現に、歓声が沸いた事だろう。


「さすが源蔵あなた!」


 笑顔の紅葉が源蔵の腕に絡みつく。

 真っ暗闇の中、源蔵のエプロンのポケットから取り出したランタン型LEDライトに照らされた狭い区間の中で、バカップル夫婦は定時運行中だった。


「で、ここは何処なんです?」


 良人は周りを調べたが、どう見ても土にしか見えない。煮ても焼いても刻んでも土だろう。


「ここは化学倶楽部の地下だな」

「というか、何で僕は生きてるんですか?」

「さっき服に真空層を作った時に、ついでに電磁波によるフィールド発生機構も仕込んでおいたんだ。もちろん紅葉君の服にもだ」

「万能過ぎて言葉も出ない感じです」

「化学は万能だからな」


 源蔵の答えに良人は頭上を見上げた。真っ暗で明かりの欠片も見えない。


「どれくらい深いんでしょうか」

「富士山を逆さまにしたくらいだな」

「ジュール・ヴェルヌもびっくりの前人未到の世界ですね」

「あっちの方が深いがね」

「あーそうなんですか」


 すでに良人はこのやりとりに慣れて常識という現実との唯一の綱が少し捻じれてしまっていた。


「あとでギネスに申請しておこう」


 とぼけるような源蔵に、良人は顔を向ける。


「その前に、どうやって地上に出るんですか?」


 ランタンに照らされた源蔵が嬉しそうに笑う。そして当然のようにエプロンのポケットに手を入れた。


「この注射剤アンプルを土に打ち込むとだね――」





 ブラックサンタが街を闊歩する、今日も日本は平和だった。

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プリン、丑三つ時に死す。〜地理教師は化学がお好き〜 凍った鍋敷き @Dead_cat_bounce

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