第九話 必要がないからだな

 良人と源蔵は寒空の下、化学倶楽部のプレハブの作り出す闇に潜んでいた。源蔵に言われるがままに部屋の灯りを消し、外に出たのだ。

 空には星もなく、肌を突き刺す冷気が風に乗ってくるはずだが、先程注射された影響か、良人は寒さを感じる事は無かった。

 日付も変わりブラックサンタが襲撃して来てもおかしくない剣呑な気配が漂っている。街の繁華街では殺伐とした空気の元、リア充とブラックサンタとの戦いが苛烈さを極めているはずだ。

 血と混乱の謝肉祭、クリスマスの一日が幕を開けていた。


「凄いですね、コレ。ちっとも寒くないです。特許取れますよ。バカ売れでウハウハで左団扇のついでに右手でも団扇ですよ」


 昼間はブラックサンタを歓迎していた良人だが、メイドバイ源蔵の制服真空パックお徳用に包まれてご機嫌だ。いままでの仕打ちは掃除機のゴミ袋を変えたように無くなってしまっている。

 浮かれている良人とは対照に源蔵の顔にゆるみは見られない。むしろ南極の冷気を感じているかのごとく、強張っていた。


「良人君。何故外に出たか、わかるかい?」


 源蔵に掛けられた声によって、良人は現実に強制送還された。


「星を見るた……めじゃないですね。思いっきり曇ってて魚でも降ってきそうです」


 良人は月もない空を仰ぎ見た。今にもタラが降ってもおかしくない、そんな重量感溢れる底の抜けそうな雲が垂れこめているばかりだ。


「部屋の中をからにするためだ」

から?」


 源蔵は真面目な顔のまま、良人を見てくる。


「昨夜はこの化学倶楽部の部屋は鍵がかかっていたはずだ」

「最後に出た人が鍵を掛けるきまりです。ということは密室殺プリンってことですか?」


 良人は今更ながらその解答にいたった。遅すぎてトラック三週は置いていかれているレベルだ。


「そうなるな。最後に戸締りの確認をして回ったのはこの私だ」


 源蔵が悲しそうに眉を下げた。


 ――それほどまでにプリンを偲んでいたんだ……


「そういえば窓も壊れてませんでしたよね」

「壊すからだな」


 源蔵の言葉に良人は引っかかりを感じたが、ナイスタイミングでニュータイプの如くピキーンと閃いた。


「人間が原子よりも細かくなって壁をすり抜けたとか」

「残念ながらその機械は故障中だ」


 源蔵に即答された良人は更に考えた。この男を出し抜いてやりたいという思いが良人に無い訳ではない。

 なけなしの脳みそをでろでろに溶かす勢いで回転させる。そして閃いた。


「物質移転で中に入り込んだとか」

「その機械は化学倶楽部の部屋のにしかない」

「……あるんですね」


 またも良人は敗北した。工事中の「ご迷惑をかけしてます」の看板の男性のように、項垂れてしまう。


「そんな事をしなくても、中に入ることができる人物がいるじゃないか」


 がっくりと項垂れていた良人に声がかかる。


 ――中に入れるって……まさか!


 嫌なひらめきにハッと顔を上げた良人の目には、ライトを照らし誰もいない化学倶楽部のプレハブの窓から中を覗き込んでいる紅葉の姿が入ってきた。


「鍵を持っているのは私だけではない。紅葉君も持っているんだ」


 紅葉がプレハブの扉の前に立ち、手に持った鍵を差そうとしていたところだった。


「いくぞ」


 源蔵が物陰から出た。良人も慌てて飛び出す。


「紅葉君」


 源蔵が声をかけると紅葉が驚いた顔で振り向く。


「げん……先生。まだいらしたんですか?」


 紅葉が持っていた鞄を背後に隠し、慌てた風に体を向けてくる。悪戯がばれた幼稚園児みたいな顔でだ。


「あぁ、犯人は再び犯行現場に現れるというからね」


 源蔵が冷たく言い放った。


「先生……」

「まぁこんな所では話を聞くのは狂化学者マッドケミストらしくない。部屋に入ろうじゃないか」


 答えを許されることも出来ず、紅葉は小さく頷いた。



 


 化学倶楽部の部屋の中で紅葉がパイプ椅子に座らされている。その向かいには源蔵が、その後ろに良人がそれぞれパイプ椅子に座っていた。

 対生物探知レーダーとなったプリンはテーブルに置かれたまま寂しそうにぷるんと揺れた。


「さて紅葉君」


 源蔵の言葉による尋問の開会式宣言だ。紅葉はビクリと肩を揺らした。

 可哀想だなと思いつつも、何故紅葉先輩が、と思わずにはいられない良人である。


「……プッチンプリンが美味しいのが悪いんです」


 紅葉がポツリと零した。


「ふむ、プッチンプリンに限らずプリンは美味しい。これは誰も曲げることのできない真理だ」


 源蔵の表情はぴくりとも動かない。至極当然この世を司る原理とでも思っているであろう目で、紅葉を見ている。


「だからプッチンプリンに無体な事をしたというのかな?」

「それは……」

「知っているぞ。紅葉君が密かに私に食べて欲しくてプリンを作っているのは」


 表情は変わらないものの、源蔵の目もとがわずかに緩んだように、良人には見えた。


「な、なんで……」

「そりゃ一緒に住んでいる以上、分かってしまうさ」

「ッ!」


 紅葉がこの上ない衝撃を受けたという顔をして、ガクッと伏せてしまう。


 ――いま、「一緒に住んでる」とか聞きなれない聞きたくないパワーワードを聞いちゃった気がするんだけど。


 良人の動揺は時の彼方に置いて行かれ、源蔵と紅葉の時間は定時出発の船のように刻々と進んで行く。


「自分で作ったプリンと比較する為に私秘蔵のプッチンプリンに手を出したのだろう?」


 優しく諭すように語る源蔵の口元が、少しだけ緩んだ。


「源蔵のプッチンプリンはメーカーに原材料の配合まで指示した特殊仕様で全てを買い占めてしまって市販されていないもの。作ったプリンを負けない味にするためには、試食するしかなかったの!」


 目を涙で満タンにした紅葉が顔を上げ、薄幸の少女の如く熱い雫を頬に滑らせながら訴えている。


 ――源蔵? 紅葉先輩は、先生をそう呼ぶのですか!?


 驚愕の事実に目を見開く良人は源蔵特製のプッチンプリンのことなど耳には入っていなかった。


「それで一口食べた瞬間に負けを悟ってしまった、という所だろう」


 核心を突く源蔵の言葉に、涙を湛えた瞳のまま、紅葉が頷いた。

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