第36話 ゆりかの最期

 僕らの体が巨大化してタイプ・エースになる。重い体をなんとか動かして古矢の後を追う。せやけど、今はエイトに変わる余裕はない。尾関二尉たちは一直線に目的地に向こうてる。頼む、このまま逃げ切ってくれ。


 一号車を追っている古矢の背後で光が放たれたように感じた。彼女が振り返るとタイプ・エースがこちらに向かって走ってきていた。

「……!」

 古矢ゆりかははじめて恐怖した。自分の力を自覚し、巨人の力を手に入れた彼女は他の巨人も自衛隊の武器も恐れたことはなかった。

 だが、今は違う。戦いでボロボロになった小さな自分から見た巨人に身がすくむ。もし、あれが本当の力を向けてきたら勝ち目は全くない。だから巨人に背を向け逃げる。

「あの子と融合したらまだ負けはしない」

 その思いで先を走るサイドカーを追い続ける。


 尾関が肩の無線のスイッチを入れる。送信と受信がつながるまでに多少のタイムラグがあるので一呼吸おいてから報告を開始する。

「……こちら陸自一号車。状況報告。人質の確保に成功。現在目的地に向かって走行中。一分以内に到着予定。敵は一号車を追って飛行している。このまま作戦を続行する。以上」

 報告を終えてスイッチを切ると腕に抱えた乳児の顔を覗き込む。

「ごめんね。必ずお父さんとお母さんたちのところに帰してあげるから、もうちょっと待っててね」

 声をかけられた、かなでは意味もわからずにニコニコとしている。その笑顔を見てニコリと笑い返すと、キッと前方を睨む。その先は断崖絶壁になっている。

「小隊長。うしろ撃ってないですよね」

 運転している市ヶ谷三曹が尾関に語りかける。

「当たり前よ、私らに流れ弾が当たったら元も子もないでしょう」

 尾関の言葉に市ヶ谷が走りながら考え込む。

「このままじゃ追いつかれますね。……予定より数メートル手前で停めます。あと、お願いします」

 尾関はその言葉を発した市ヶ谷の方を向く。そして、

「了解……」

 とだけ答えた。

 市ヶ谷が断崖手前で右旋回でターンブレーキをかける。左に側車をつけているサイドカーでは転覆する危険があるため決してやってはいけないのだが、側車を古矢の来る側に向けないためにやむなく危険な方法で止めることにした。

 運よく止まった一号車から赤ん坊を抱えた尾関が迷うことなく飛び出す。

 バイクに乗っている市ヶ谷は腰のホルスターから九ミリ拳銃を抜いて、飛んでくる古矢ゆりかに向けて三発、発砲する。

 古矢ゆりかは臆することなく発砲する自衛隊員を触手でなぎ払う。

 崖に向かって走る隊員が抱えているのが曽我かなでだ。あいつを殺してでもかなでを奪い返す。

 古矢の触手がまっすぐ尾関に向かって伸びていく。尾関は振り返らずに崖に向かってダイブする。

 間一髪、触手の攻撃をかわした尾関とかなでは崖下に落ちていく。

「しまった!」

 崖まで飛んだゆりかの目にかなでを抱きかかえた女性隊員の姿が映った。彼女は地面に背を向けてこちらを見ながら落ちていった。その先にはエアクッション艇がエアマットレスを広げて停泊していた。

 一瞬、ゆりかは迷った。このままかなでを追いかけていって融合に失敗すれば艇の上で蜂の巣にされてしまうだろう。ならば、イチかバチかエースに向かって飛んでいき北科を奪い取る方が確実か?だが、あの巨人に向かってこの体で飛んでいくのは命がけだ。

 その判断の空白が彼女の命運を決めた。


「させるかあ!」

 僕は走りながら崖の先で飛んでいる古矢に向けて右腕を突き出した。

 右手の熱が上がりビームが彼女に向かってほとばしる。

 僕らの前を走っていた自衛隊員の頭上を越えて一直線に熱線が古矢ゆりかを捉えた。


 尾関里美二等陸尉は落下しながら、抱きかかえているかなでの顔を自分の胸に向けた。人の姿をしたものが消滅していくさまを子どもの目に見せたくない。人の親としての感情がそうさせた。かなでは苦しいのか彼女の胸の中ではじめて大声で泣き出した。

 放たれた一条の光に包まれて消えていく古矢ゆりかの表情を目に焼き付けながら、尾関はかなでを抱えたて広げられたマットレスの上に落ち、沈んでいった。


「はい、お姉さんだよ」

 海上自衛隊の護衛艦「しらかば」艦上で尾関さんは俺に赤ん坊を手渡してきた。戸惑っている俺はしずかの方を振り向いて助けを求めたが、彼女は笑っているだけで手助けしてくれない。こいつ結構、S《サディスト》だな。

 しかたなく尾関さんの手から赤ん坊を受け取る。俺の手と赤ん坊の体がボワっと鈍く光る。まだ「コントロール因子」が残っているのだろう。だが、さすがに融合する心配はなさそうだ。

 それにしても、抱っこするなんて生まれてはじめてのことだからやり方なんてわからない。

「もう首がすわってるんだから、そんなビビらなくていいよ」

 首がすわる?何だそれ?尾関さんの言葉にさらに怖くなる。

 尾関さんは俺の左腕に赤ん坊のお尻を乗せて、右肩に頭を乗せるようにして俺の右腕を取って赤ん坊を包むように抱えさせた。

「どうですか?年下のお姉さんを抱っこしてる気分は?」

 しずかがニコニコしながら訊いてくる。

「それ、日本語としておかしくないか?」

 俺は苦し紛れに問い返す。でも、たしかにこの赤ん坊は俺の姉貴なんだよな。全然実感ないけど。

 さすがに怖さが限界に達したので尾関さんに姉を渡す。この後、病院で検査をしてから母たちと対面する予定だ。一足先に抱っこさせられるとは思ってもみなかった。

「あの、ありがとうございました」

 俺は思い出したように尾関さんにお礼を言う。尾関さんは姉をあやしながら

「仕事だからね。……それに一番働いたのは、あの子たちだから」

 艦上の隅に佇んでいる二人に向かって首をふって指し示した。


 誠司は握った拳を見つめながら、ずっと黙ってる。わたしは彼を横目で見ながら同じように黙っている。はからずも自分の手でまた人を殺めてしまったことを悔いているんだと思う。

 だけどあの時、タイプ・エイトになっていたらわたしだって同じようにしていたはずだ。古矢ゆりかに重傷を負わされた市ヶ谷さんや他の隊員の人たちも誠司の行動は正しかったと証言してくれている。

 それを言っても彼は後悔することをやめないんだろうけど。

「ねえ、お願いがあるんだけど」

 わたしは彼の方を向いて声をかける。彼は黙ったままこちらに顔を向ける。

「やっぱり呼び捨てってしっくりこないんだよね。“さん”付けに戻してもいいかな」

 ゆりかを追い掛けるために融合した時に思わず、さん付けで呼んだけど意外と言いやすかった。

「ええけど……。なんか距離ができる気がするな」

 誠司さんは寂しそうにつぶやく。

「ええ!キスまでしといてそんなこと言うんだ」

 あえて、とぼけた声で返す。

「せやけど、そんなしょっちゅうできるわけちゃうやろ。それこそ御厨山さんがなんか解決策をみつけてくれんと」

 わたしは視線を、離れて談笑している奏たちの方を見ながら

「いやあ、そうなったら……なんだか性欲のはけ口に利用されそうで怖いなあ」

 と少し舌を出して答える。

 誠司さんはこれだけで気がついたみたいだ。慌てたような声で弁解をする。

「いや、なんで?おかしいか?」

「だってファーストキスで舌を入れられるなんてありえないでしょう。このさき、どんなことを要求されるのか気が気じゃないよ」

 誠司さんの方に向き直って皮肉っぽくつぶやく。

「南月ちゃーん」

 しずかが向こうから手を振ってくる。あれから彼女も以前のように接しようと努力してくれている。もちろん自分たちのイチャラブぶりを見せつけようって気持ちもあるんだろうけど。

「いま行く」

 わたしは手を振り返して答えると誠司さんに向かって

「行こう」

 と手を差しだした。

 彼は手を伸ばそうとしたが止めた。わたしも気がついて手を引っ込めた。

「ヤバかったあ」

 こんなところで巨人になるわけにはいかないもんね。

 彼は自力で立ち上がり歩き出す。わたしは彼を促して一緒に歩く。

 木更津に帰ったら御厨山さんに相談してみよう。自分が人間じゃないことにきちんと向き合ってみよう。もしかしたらそれで誠司さんと別れるようなことになるかもしれない。

 ゆりかと同じように、この世界が嫌いになるかもしれない。「クニ」というところに帰ることになるかもしれない。まだわからないことが多すぎるけど、ひとつずつ乗り越えていこう。

 誠司さんが振り返ってこちらを見てる。考え事をしていたら歩みが遅れたみたいだ。わたしはつとめて明るい笑顔で彼の後をついていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

タイプ・エース 塚内 想 @kurokimasahito

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ